第四話 義母のドレス

「一緒に住むの!?」


 日が暮れかけた帰り道で、リオンは愕然として叫ぶ。マドックは彼を振り返らないまま、陽気に答えた。


「イノーラはお前と同じように行く場所がなくてな。だったら引き取ってしまえとそういうわけだ」

「どういうわけさ!」


 慣れない大声を連続して出したせいで、ぜえぜえと上がってしまった息を整え、リオンは義父に突っかかった。


「困るよ、義父さん! 僕、この子とうまくやっていける気がしないのに!」

「ははは、バディってのはそんなもんだ。だんだん仲を深めていくものさ」

「もうー! そういう次元じゃないんだって!」


 そんな会話をしている間、イノーラは相変わらず無表情のまま二人のあとをついてきていた。


「大体、部屋はどうするのさ。居間にこの子のベッドなんて置けないよ」

「ん、それもそうだな……」


 マドックは顎に手を当てて考え始める。リオンは諦めてくれることを祈った。だがマドックは手をパンと叩いて頷いた。


「よし、母さんの部屋を使おう!」


 その提案にリオンは一瞬言葉を失った後、慌てて義父の前に立ちふさがった。


「だっ、駄目だよ義父さん! あの部屋は!」


 少しの沈黙。リオンは泣きそうな気分になりながら口を開いた。


「あの部屋は、空けたくないよ……」


 ぼそりと呟いた言葉に、マドックは少しだけ言葉を切った後、わざとらしく考え込んでみせた。


「でもそうなると、イノーラが寝る場所が、お前が使っている工房しかなくなっちまうなあ」

「えっ」

「自分の工房を荒らされるのと、母さんの部屋を空けるの。どっちがいい?」


 工房はバトルドレスを設計する者の命だ。あそこが使えなくなるとすれば、もうバトルドレスを作れなくなるのと同じ意味で。


 リオンはうぐぐっとうなった後、大きく肩を落とした。


「……分かったよ」


 悲しさと感傷が胸に満ちて、リオンはひどい顔になってしまう。マドックはそんな彼の頭にぽんっと手を置いた。


「ごめんな、リオン。ずるいことを言って」

「……ううん、いつかは向き合わないといけないことだったから」


 リオンはふるふるとゆっくり首を横に振る。それはどうしようもない事実だった。






 ドームから出て十五分ぐらいの位置にリオンとマドックの家はある。


 戦姫関係の人々が住む居住区にある一階建ての家。それがアランデル家の住居だった。


 リオンはドアを引き開け、中に入る。その後をついてきたイノーラは、家に入った途端きょろきょろと室内を見回して、リオンに向き直った。


「狭い」

「狭くて悪かったね!」


 苛立ちながら正面の電源を入れる。彼女が今から使うことになる義母の部屋は、玄関から向かって右側、この家の東側に位置していた。


 マドックは居間の戸棚からその部屋のカギを取り出してくると、義母の部屋のカギ穴に差し込んで右にぐっと回した。


 そのままドアを引き開けると、二年間開くことをしなかった部屋の埃がぶわっと外まであふれてくる。


 義父の影から覗き込むと、そこには今となっては懐かしい義母の部屋があった。


 整理整頓が苦手だった義母らしく、鉛筆や定規は机の上に置きっぱなしになっており、部屋のあちらこちらには夥しい数のバトルドレスが積み重なっている。


「改めて見ると、とんでもない部屋だよね……」

「汚い」

「散らかってるって言って。一着一着は綺麗なんだから」


 率直な物言いをするイノーラを置き去りにして、意を決したリオンは部屋の中に立ち入った。


 まずはこのドレスの山をどうにかするところからだ。


 リオンが息を吐いて心を落ち着かせていると、マドックは部屋の中に置き去りにされていた使い古された裁縫籠手ミシンを拾い上げていた。


「義父さん、それは僕がやるよ」


 マドックから裁縫籠手ミシンを取り上げる。義父は軽く手を持ち上げてそれを追おうとし――すぐにその手をだらんと下ろした。


「そうか、すまんな」

「ううん。これぐらいさせてよ」


 右手に裁縫籠手ミシンをつける。裁縫籠手ミシンは、バトルドレスを作り、調整するためのものだ。だから、展開したままのバトルドレスをコアの形に戻すこともできる。


 義母がこの部屋に帰ることがなくなったっきり、放置されていたドレスを片付けるには必要なものだ。


 リオンは積み重なっていたドレスのうちの一着を手に取ると、部屋の隅にあった作業台に乗せ、裁縫籠手ミシンを走らせ始めた。


 義母のドレス。白色を基調とした、伝説を作った美しい衣装たち。


 ドレスから糸が巻き上がり、戦姫が着装セットをするときとは逆回しをしているかのように、その胸元へと星の糸は固まっていった。


 そんな作業をしているリオンの顔を、イノーラは無表情のままぴょこんと覗き込んだ。


「手伝う」


 ドレスを一着、コアに戻し終わり、リオンは彼女に向き直る。


 彼はイノーラの全身を上から下まで見て、それから今日出会ってからの彼女の蛮行を思い出した。


 不安だ。ただただ不安だ。


「……本当に手伝える?」

「余裕」


 彼女はピースサインをして、ちょきちょきと指を動かした。


 なんだその仕草。


 だがイノーラはリオンを見つめるのをやめてくれない。リオンは頭痛をこらえながら、しぶしぶ了承した。


「分かった。でも僕の邪魔はしないでね」


 ドレスコアを作業台の横にどかし、近くにあった二着目のドレスを引き寄せる。


「君は積んであるドレスをこっちに持ってきて。僕が裁縫籠手ミシンでコアの形に戻すから」


 部屋の奥に山のようになっているドレスを指さし、イノーラに指示を出す。彼女はこくりとうなずいた。


 不安でたまらない。でも流石に持って運ぶぐらいはできるだろう。できるはずだ。できるよね?


 集中できないままドレスに手をやると、派手な音が背後から聞こえてきた。


 振り返るとそこには、地面にうつぶせに倒れたイノーラが。


「何してるの……」

「転んだ」

「それは見れば分かるよ」


 静かにツッコミを入れる。


 うつぶせのままだったイノーラは、起き上がってちょこんと座ると、ドレスの山の向こう側にある一着の衣装を指さした。


「あれ、近くで見てみたくて」


 その先に飾られていたのは、白色の豪奢な花嫁衣裳だった。正確には、花嫁衣裳を模したバトルドレスだ。


 伝説の戦姫技師マドックの作った最高傑作。華やかなる都市対抗戦を制した際の、義母の思い出のドレス。


 それが、窓から差し込んだ星の光で浮かび上がっている。


「義母さん……」


 星の輝きに照らされたそれに見とれたまま、ぽつりと呟く。


 イノーラは何度かぱちぱちと目をしばたかせた後、首を巡らせてリオンを見た。


「お母さん……最高位プリマの?」


 リオンはこくりと首を縦に振る。


「エヴァンジェリン・アランデル。花嫁衣裳をベースにした白のバトルドレスで、一世を風靡した伝説の最高位プリマドンナ


 そして――僕をドレスの世界に誘った女性ひと


 イノーラはこてんと首を傾げた。


「どうして今はいない?」

「事故だよ。バトルドレスの暴走で義母さんは死んで、義父さんは両手を失った」


 目を伏せる。視線の先には右手にはめられた裁縫籠手ミシンがあった。


「義父さんの両手は義手なんだよ。そのせいで細かい作業はできなくなったし、ましてや裁縫籠手ミシンを使うなんてできるわけもない」


 裁縫籠手ミシンを装着した右手を、何度か握っては開いてみる。


「だから僕は学校を辞めたんだ。手を失った義父さんの世話をしなきゃって思ったから」


 あの事故でマドックは戦姫技師を辞めざるをえなくなった。それどころか慣れない義手のせいでろくに生活も送れない。リオンが学校を辞めてその補助をするのは当然の流れだった。


 でもそれは、少なくとも戦姫に関わる仕事をあきらめるということで。


 今更考えても仕方がないことをぐるぐると考え込み、むなしさが心の奥に落ちていく。


 そのままうつむいていると、ふと頭の上にぽんっと何かが乗せられる感触があった。顔を上げると、リオンの頭を静かに撫でるイノーラが。


「な、何するのさ!」


 頭を押さえて、慌てて後ずさる。イノーラは振り払われた手をそのままに、正面からリオンに言った。


「頭撫でてほしそうだった」

「ほしくなんてないよ!」

「顔に書いてあった」

「書いてないってば!」


 二人はちょっと距離を取って、ぎゃんぎゃん言い合う。正確には、平然とした顔のイノーラに、リオンが子犬のように突っかかっていた。


 そんなリオンとイノーラの間を、偶然ではあるがマドックが現れて取り持った。


「おーい、二人とも夕飯だぞ。そろそろ来なさい」

「……うん」

「分かった」


 頬をむすっと膨らませ、リオンはイノーラからそっぽを向いた。






 夕食は出来合いのレトルト食品を温めたものだった。


 義父の不自由な腕ではこれぐらいの料理しかできない。リオンは一切不満を持たず、それを口に運んだ。


「どうだ? 二人とも、そのうち戦姫たちが戦う『コレクション』に出てみる気はないか?」


 酒をあおりながら、にこにことマドックは提案する。リオンは義父をじとっと見て、仕方なさそうに言った。


「あのね、義父さん。何度も言うようだけど」

「うん?」

「僕は戦姫技師ソーイングじゃなくて、戦姫ドレッサーになりたいんだってずっと言ってるでしょ」


 マドックはリオンのその言葉を仕方なさそうな顔で流し、イノーラへと話を振った。


「イノーラはどうだ? リオンと一緒に……」

「リオンが私と同じ、行く場所がないってどういう?」


 家に帰る前に話していた話題を急に蒸し返され、マドックは困惑でちょっと体を引く。


「お、おう。突然の話題転換だな」


 素直な感想を述べたが、イノーラは彼から視線を逸らそうとしない。マドックはうんと迷った後、リオンに目をやった。


「リオン、話してもいいか?」

「別にいいよ。今更隠すことでもないし」


 彼はソーセージにフォークを突き刺しながら、他人事のように答える。マドックは苦笑いをした。


「リオンはな、戦姫になりたいって一心で故郷を飛び出してこの街にやってきたんだ。その時に家族には勘当されて、行くあてがなくなっててな」

「……僕が戦姫になりたいって言っても理解してもらえなかったんだ。僕はただ踊りたいだけだったのに」


 ぼそぼそとリオンは言う。ソーセージを小さく噛み切って、んぐんぐと口を動かした。


「当時現役のバディだった俺たちに弟子入りしたいって押しかけてきて、その情熱に負けてうちで引き取ったってわけなんだ」

「そうなの」


 自分で聞いたことだというのに、興味がないような口ぶりでイノーラは返事をする。そんな彼女にますます不満を抱いたリオンは黙々と食器を動かす。


 酔いが回っているとはいえ、マドックもその空気に気づいたらしく、彼はわざとらしく大声を上げた。


「あーそうだ! それより父さんと母さんの出会いの話でもしようか!」


 再び突然すぎる話題転換に、リオンは視線だけをちらりとマドックに向ける。


「そう、あれは戦姫学校二年のプロムの時だ」


 マドックは聞いてもいないのに、腕を組んで懐かしそうに昔話を始めた。


「プロムは学年末に二人一組で踊る行事だ。でも母さんは輪に加わることなく、壁の花を決め込んでてな。ツンとした気が強そうなあの子に俺はひとめぼれしちまってなぁ」


 無精ひげが生えかけた顎を触って、彼は目を細める。


「だから勇気を出して彼女に言ったんだ。『僕と一緒に踊ってくれませんか』ってな! もうその時の母さんのきょとんとした顔と言ったら!」

「義父さん、その話を聞くの数十回目だよ」

「イノーラが聞くのは初めてなんだからいいじゃないか、はっはっは!」


 声を上げて笑う義父から目を逸らし、どこか拗ねたような気分になりながら、リオンは最後の一口を口の中に押し込んだ。

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