生きす霊 前編
病院以外で人が亡くなった場合、警察が介入し検死が行われることになる。
まず警察の検視官によって検視が行われる。
続いて監察医や法医学者により、検案が行われる。
それでも判断がつかない場合は解剖が行われる。
これらの一連を包括するのが検死だ。
私と千鶴さんの前に冷たく横たわっている西岡純一郎氏は足立区のウィークリーマンションで亡くなった。
氏の検視と検案は完了しており、今は解剖が行われるのを警察の死体安置所で待っている。
まだ二十代であり、健康面は問題なし。既往症すらない。
検視官の見立ては「自然死」監察医の見立ては「心不全」。
要するに「原因のよくわからない自然死」というのが現時点での警察の見解だ。
ヒュームさんの見解は違う。
ヒュームさんは祓い屋の団体である祓い屋協会の一員で、一般社会と神秘の世界の折衝をする「連絡役」という役職を担っている。
その主な役割は一般社会に神秘が紛れて発生した事件の検出だ。
ヒュームさんは日々、神秘の痕跡を逃さないように耳をそばだて、視野を広く保っているが、ある噂が彼の注意を引いた。
「自然死のようだが、遺体が何か恐ろしいものを見たような形相をしていた」
それが西岡純一郎氏の件だった。
ヒュームさんは裏を取るため、第一発見者で純一郎氏と同居している弟の順次郎氏に話を聞いた。
順次郎氏は「突然のことで驚いている」と語った。
ヒュームさんはその言葉に嘘は無いと判断したが、それと同時に順次郎氏が何かに怯えていることも感じ取っていた。
彼は「念のため伺いますが」と前置きしたうえで聞いた。
「どなたかお兄様に恨みを持っている方に心当たりはありませんか?あるいはあなたとお兄様の両方に恨みを持っている方は?」
順次郎氏は黙して何も語らなかった。
そしてそのまま永遠に口を閉ざした。
純一郎氏の亡くなったほんの三日後にその弟の順次郎氏も亡くなったのだ。
まだ検死結果は出ていないが、検視官の見立ては「自然死」。
順次郎氏もまた、健康に問題は抱えておらずまだ二十代で既往症もない。
そして「何か恐ろしいものを見たような形相をしていた」と噂されている。
このような不自然な自然死には何か裏がある。
例えば神秘の世界の力だ。
それでヒュームさんは私と千鶴さんを呼び出した。
「
遺体を検めていた千鶴さんが言った。
「そうですか」
ヒュームさんが静かに相槌を打った。
千鶴さんが静かに、遺体に手を触れる。
「明らかに、完全に呪い殺されてるけど術の痕跡は無い。生霊と考えるが妥当ですね」
そして彼女は遺体の前で目を閉じて合掌した。
私もそれに倣って合掌した。
哀悼の意を表し終わると、我々は目を開けてヒュームさんを見た。
「それで、私たちは何をすれば?」
彼は静かに答えた。
「私は、この件がこれで終わりではないと考えています」
生霊とは、生きている人間が特定の人に執拗に執着し、その結果、魂の一部が本人も意識しないうちに執着する人間のところに飛んでいく現象だ。
執着の「念」はその対象を時に呪い殺すほど強力なものになることがある。
『源氏物語』に登場する源氏の愛人、六条御息所が源氏の子を身ごもった葵の上を呪い殺すのはその最も有名な例だろう。
西岡家は東北地方の小さな町――街ではなく町だ――の実業家一族だ。(亡くなった純一郎氏と順次郎氏は出張で上京していた)
純一郎氏と順次郎氏は実業家の一族の家長である人物の長男と次男に当たる。
二人兄弟であり家長は大事な息子二人をほぼ同時に亡くしたわけだが、西岡の一族は彼ら二人だけではない。
生霊が発生する原因は怨恨以外ありえない。
この事件は明らかな怨恨によるもので、生霊はすでに西岡家の人間を二人呪い殺しているが一族のほかに人間も標的かもしれない。
生霊による呪殺はこれで終わりでない可能性がある。
であれば、残った一族全員を護衛すればいいのだがそれをやるには問題がある。
一族の数が多すぎるのだ。
西岡の一族は四十人を超え、そのうちの半分以上が成人で西岡家の事業に関わっている。
それに対して、祓い屋の数はずっと少ない。
仮に全員の護衛ができる程の人員が集まったとしても第二の問題が発生する。
我々、「こちら側」の人間は目立つ行動をとってはいけないという原則だ。
二十一世紀の現代において神秘の力は衆目にさらされるべきではない考えられている。これは日本が近代化するにあたって定められたルールだ。
生霊から対象者を守るには対応できる術者が張り付いていなければならない。論外だ。
「なので、取るべき方法は一つ。次の犠牲者が出る前に誰の生霊であるかを突き止めてください。誰の生霊かわかれば自ずと次の被害者もわかるはずです」
ヒュームさんはそう説明を締めくくった。
確かにそうなのだが、どうにも引っかかる。
私が違和感を感じたように千鶴さんも違和感を感じていたようだ。
「降霊術は?」
「試しましたが、思念が恐怖に凝り固まっていてコミュニケーションになりませんでした」
「警察の調査力で分からなかったんですか?」
「残念ながら――」
そう言うと彼は一度言葉を切った。
「――それでお二人にお願いしたいのです」
〇
翌早朝、私と千鶴さんは東京発仙台行き新幹線に乗っていた。
平日始発の新幹線は空いており、これから出張と思われるスーツ姿の人がまばらに自由席を埋める程度だった。
ヒュームさんの「お願い」。それは西岡家が事業を行っている町に直接赴き情報を収集することだった。
西岡家は地方を拠点にした完全にドメスティックな産業に終始している。怨恨がらみであれば町の住人である可能性が高い。
警察の権限とネットワークがあれば、西岡家に恨みを持っている町の人間を探し出すことなど容易だろう。
ミスター・ヒュームは当然そう考えた。
それで、現地の駐在所を通じて情報収集を試みたが町人たちの口は異常なまでに固く、「誰も何も知らない」の一点張りだった。
次なる手として現地に赴いて自らの足で情報を稼ぐことを考えたが彼自身は職分の都合上東京を迂闊に離れられない。
それで我々の出番となった。
昨夜は出来るだけ早く寝たが、それでも睡眠十分とは言えない。
車窓から見える光景が朧にかすんでいるように感じる。
千鶴さんは隣の席で、行先の町の情報が記載された資料を睨んでいる。
それを見て、私はまだ資料に目を通していないことを思い出した。
急な遠出だったので時間が無かったのだ。
バッグからファイルを取り出し、開く。
クリアファイルに収められていたのはA4で一枚半程度の短い資料だった。
宮城県S群S町(仮称)
県北部に位置し、人口はおよそ一万人。
S町はもともと小さな村落だったが明治時代に養蚕業で栄え、人口が急増。
周辺でも最大の村落になる。
だが、戦後、日本の紡績業の衰退により養蚕農家の多くが廃業。
新たな仕事を求めて人口が流出。
過疎化の一途をたどった。
昭和中期、地価の安さに目を付けた西岡家が村落でも最大の村であるS村(人口およそ七百五十人)に定住。
広大な敷地を利用し、養鶏業を開始する。
安定した生産量と品質から着々と成長を続け、村の産業として定着する。
S村はその中心地として復興を果たし、人口も回復した。
平成に入ると周辺の村と広域合併して町になり村は消滅するが、S村は今も地域名として存続している。
村は養鶏業で栄えているが、裏を返すとそれ以外これといった産業が無い。
観光資源になるようなものはなく、新たな産業が興るという話もない。
そのS村が我々の目的地だ。
私が資料を閉じると、示し合わせたように千鶴さんも資料を閉じた。
「天明君も読み終わった?」と彼女に問われたので私は「はい」と答えた。
彼女は車内で買ったコーヒーを一口啜ると、考察を述べ始めた。
「西岡家は町の絶対的な権力者、猿山のボス猿だね。
人間である以上、誰かの恨みを買うのは社会の営みとして自然なことだけど、きっとこの町の人は、西岡家の事を悪く言うと生活できないんだろう」
警察の追及にすら口を閉ざす閉鎖性。
考えただけでも眩暈がしてきた。
「難儀な調査になりそうですね」
私がそう言うと、彼女は虚空を仰ぎ「うん。全く」と呟いた。
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