金縛る 序

「徹底的に疑った後でなら信じるよ」


 私と千鶴さんは東京の外れ、小金井の小さなカフェで向かい合って濃くて上手いコーヒーを飲んでいた。

 我々はこれからある事件の調査に向かうのだが、私は早く着きすぎてしまった。

 電車一本分の差でやはり早く着きすぎた千鶴さんと遭遇した私は時間つぶしにコーヒーとスモールトークに興じていた。

 ここがメガシティ東京であることが信じがたいほど静かな時間だった。

 表から人の喧騒は聞こえず、行き交う人の数も控えめだった。


 新宿や渋谷も東京だが、小金井もまた東京だ。

 学部時代に同じゼミだったアメリカ人留学生が「トーキョーはトーキョーという一つの州に複数のシティがあるみたいな街だ」と評していたが彼の評価はかなり的を射ていると思う。

 都心のチェーンコーヒー店でコーヒーを飲む体験と何もかもが違う。

 私は生まれも育ちも東京だが、東京には私も知らない場所が数多存在するのだろう。


 その静かなカフェで我々は旅行の話やコミックの話、スポーツの話に興じていたのだが、そこに切れ目が出来た。

 そして私は唐突に浮かんだ疑問を口にした。


「千鶴さんは、生まれ変わりって信じますか?」と尋ねたのだ。 


 彼女の回答に私は面食らった。

 大凡予想外の答えだった。

 私は念押しするように尋ねた。


「では幽霊は?」

「信じるよ」

「呪いは?」

「信じるね」

「予知能力は?」

「信じるよ」


 私が次の質問を考える刹那、彼女が言った。


「徹底的に疑った後でね」


 千鶴さんはいつものように飄々としていた。

 私は別の問いを投げかけた。


「千鶴さんは懐疑主義者なんですか?」

「そうだよ」

「魔術師なのに?」

「天明くん」


 彼女は諭すように言った。


「魔術師であることと懐疑主義者であることは矛盾しないよ。たとえば……」


 彼女はゴソゴソとジャケットのポケットを探り始めた。

 千鶴さんは「機動性が低くなる」という理由で荷物が多い時を除いてバッグを持たない。

 大抵小物はポケットに無造作に入れている。


 今日の彼女はいつものような典型的オフィスカジュアルだった。

 チェック柄のチノパンに無地のブラウスとニットジャケット。

 予備知識なしであれば丸の内か有楽町のOLに見えるような恰好だ。

 めっきり涼しくなった今日この頃、ファッション誌の最新号に載っていそうなコーディネートだと私は思った。


「ああ、あった。これだ」


 内ポケットから彼女が何かを取り出した。

 四つにたたまれた紙片だった。


「読んでみて」


 私は言われるがまま紙片を広げて読んだ。


「あなたについて」と先頭に書かれており、「私について」なるものが箇条書きで書き連ねられていた。

 以下のようなものが数十行に渡り列挙されていた。


 ・あなたはロマンチックな側面がある。

 ・才能があるがそれを活かす場が分からずもどかしい思いをしている。

 ・努力家で根は真面目で、人知れず打ち込んでいる目標がある。

 ・優柔不断になってしまうことがあるが、人を大切にする優しさを持っている

 ・人見知りな側面があり、心の内をなかなか明かさない

 ・打ち解けた雰囲気では自分を表現することができる

 ・慎重な性格だが、時に大胆な行動を取ることがある

 ・あなたは背中や首に痛みを感じている


「君はこれをこれを読んでどう思う?」

「そうですね、七割から八割ぐらいは当たっていると思います」


 千鶴さんはニヤリとした。

 悪戯な人だ。

 私は続けて言った。


「ただし、僕に限らず、これを読んだほぼすべての人が同じことを言うと思います」


 千鶴さんはこの回答に満足したようだ。

 ニヤリとした笑みがニコリとした笑みに変わった。


「いいね。続けて」


 良い感触だ。私は続けた。


「こういう誰にでも当てはまる曖昧な表現をして反応を引き出すのは典型的なコールドリーディングの手口ですね。どんな現実主義者にだって『ロマンチックな側面』はあるだろうし、よほど内向的な性格でない限り『打ち解けた雰囲気では自分を表現できる』でしょう。『背中や首の痛み』はデスクワークにつきものだし、ほとんどの時間座って授業を受けている学生にも相当数の該当者がいるでしょう。これが当たっていると感じるのは心理学で言うところのバーナム効果によるものです。加えて、これだけの数、列挙されていれば『当たっている』思えるものの絶対数も増えるはずです。その結果を『占いが当たった』と捉える人もいるでしょうね」


 パチパチという小さな拍手の音がした。


「いいね!百点満点の回答だよ。さすが日頃からオカルト現象の検証をしているだけのことはあるね」


 私が編集部員を務めるWEBサイト「オカルト年代記」はタイトルの通りオカルト現象を取り上げるサイトだ。

 だが、我々編集部員は「妄信はしない」を基本理念をしている。

 その行動指針に従い、取り上げるオカルト現象については各人の努力義務の範囲内で調査を行っている。

 (勿論、私が取り上げた多くは本当の怪奇現象なのだが、それについては「目下調査中」でお茶を濁している)

 結果、編集長は勿論、私を含め三人いる編集・ライターの全員が懐疑論者になった。

 そう。だから私自身も魔術師でありながら懐疑論者だ。

 しかし、私のような限りなく生臭な坊主の家庭で育ったものではなく、旧家の生まれの千鶴さんが懐疑論者だというのは意外だった。


「それはね、私の啓蒙活動用の小道具なんだ」

「啓蒙活動……って懐疑論のですか?」


 また彼女は突拍子もないことを言い始めた。


「そうだよ。私は趣味で占い師をやってるんだ。その時、手相占いをしているふりをした後、いつも持ってるそれを渡してる。種明かしををすると多くの場合は感心するよ。こうして少しずつ啓蒙をしてるんだ。ああ、もちろん料金は取ってないよ。あくまで趣味だからね」

「ちなみに聞きますが、客層は成人の独身男性が中心ですか?」

「良い推理だ。そうだね。概ね正解」


 千鶴さんは美人だ。

 それも日本人の多くがイメージする色白で目鼻立ちが整った平均値的な美人だ。

 亜麻色に染めた髪は綺麗に肩で整えられ、ファッションも洗練されている。

 男の私はよくわからないが、ナチュラルに見えるメイクもきっと工夫されているのだろう。

 よほど特殊な美醜の感覚の者でなければ彼女のことを美人だと思うはずだ。

 成人男性は馬鹿な生き物だ。間違いなく本能に抗えない。

 この人はそれを自覚した上で分やっているに違いない。


 以上のことを一番下の一行のみを省いて彼女に述べた。

 彼女はニコリとして「ありがとう」と言うと、またも突拍子の無いことを語り始めた。


「天明君、ビル・ゲイツを知ってる?」

「多くの人が知ってると思います。マイクロソフトの創業者ですよね」

「ゲイツはIT長者には珍しく、裕福な家庭の出身で弁護士の父親や名家の出身の母親のコネは使えるだけ使ったそうだよ」

「それが?」

「私の容貌は持って生まれたギフトだからね。使えるものは使わないと。おかげで独身成人男性への啓蒙活動に効果を発揮してる。それに私は美人だけど、丸の内あたりをウロウロしてれば多数遭遇しそうな個性が薄い顔立ちだから、印象に残り辛い。つまり……」

「顔を覚えられにくいからストーキングされる危険性も低い、ですか?」

「すごい!今日は冴えてるね!」


 からかわれているのは明白だが、不思議と腹は立たなかった。

 実際のところ、私は彼女との会話をそれなりに楽しんでいる。

 私にとって彼女はホームズであると同時に、サミュエル・ジョンソン博士であり、ジョセフ・ベル博士でもあるのだ。


「さて、じゃあ冴えてる天明君に第二問」


 彼女はよどみなく語りはじめた。

 きっと常日頃からこういう思考実験をしているのだろう。

 彼女の「第二問」は以下のような内容だった。


 サッカーの競技場に選手とレフェリーを合わせた二十三人の人間が居るとする。

 そこに現れたサイキックを自称する人物が、「透視」を行う。


 「この中に誕生日が同じ人が居ます。一人ずつ誕生日を言ってください」


 そう言われた二十三人は一人ずつ自分の誕生日を公開する。

 そして、競技場の二十三人は驚愕する。

 その通り、同じ誕生日の人物が居たのだ。


 サイキックは事前情報を何も仕入れていない。

 仕込みがしているわけでもない。


「さあ、考えてみて。この自称サイキックは本当にサイキック?それともトリック?」


 仕込みが無いという前提があるのにトリックであるはずがない。

 しかし、千鶴さんの口ぶりからして魔術でもないのだろう。 

「すいません、わからないです」と私は素直に答えた。


 彼女は悪戯っぽく笑い、種明かしを始めた。


「これは何のタネも仕掛けもない。ただの確率論の問題なんだ。

誕生日には三百六十五通りの組み合わせがある。直感的には二十三人の人の間で誕生日が一致する確立なんて十パーセントも無さそうに思える。でも、違うんだ。問題はペアの数なんだよ。いいかな……」


 千鶴さんはスマートフォンを取り出すと電卓を起動した。


「まず一番目の人は他の二十二人とペアが組める。二番目の人は他の二十一人と組める。こんなふうにペアを組める数を足していく……」


 ディスプレイ上で22+21+20と加算が行われていく。

 最後に1を表示した千鶴さんは=をタップした。


「二百五十三通り。これを計算式に代入すると……」


 再び画面をタップした。


「50.73%。ギャンブルとしてはルーレットの赤か黒に賭けるよりイージーな賭けだね」

 私は阿呆のようにスマートフォンに表示された「50.73」という数字を凝視していた。


「私が言いたいのはね」


 彼女はいつものように指を一本立てた。


「祓い屋だからこそ疑うことが必要なんだよ。この誕生日の例みたいに時に目の前で起きてる現象が本当に超常現象なのか――『こちら側の事件』なのかそうでないのか定かじゃない場合がある。悪意のある術者に余程上手く痕跡を消されているのかもしれないし、ただの自然現象なのかもしれない。その場合は科学で合理的な説明がつくか検証するし、科学で合理的な説明がつく場合は『オッカムの剃刀』の法則に従って科学での説明を優先する」


 よどみなく言うと、彼女は既に温くなったコーヒーを一口含んだ。


「さて、そろそろ行こうか」


 彼女は伝票を取ると立ち上がった。

 私は立ち上がり、彼女の後に続いた。

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