一曲目『一条明日香』

「お邪魔しまーす……」


 門をくぐり、恐る恐る声をかける。

 玄関まで続く石畳の道と、まるで水流を表現したような砂利や石、池や草木など……まさに日本庭園が広がっている光景に、俺は目をパチクリとさせた。


「日本にいた時ならそこまで違和感じゃないけど、異世界にいると物凄い違和感だな」


 異世界に来てからもうすぐ二年。それなりに異世界での生活に慣れてきた俺には、こんなまさしく日本らしい光景に違和感を感じていた。

 すると、さっきまで奏でられていた琵琶の音色が止まっていることに気付く。


「__玄関から入ってね。あ、靴は脱いでちょうだい」

「は、はい!」


 敷地内に反響するように、女性の声が響いた。いきなりのことにビクリと肩を震わせながら返事をして、玄関に向かう。

 玄関を開け、言われた通りに靴を脱いでから屋敷の中に足を踏み入れると、また声が響いてきた。


「__こっちだよ。真っ直ぐ進んで左にある部屋にいるから」

「わ、分かりました」


 やよいを背負い、キュウちゃんを抱いたまま指示通りに進む。左に曲がって少し歩くと、襖で仕切られた部屋があった。

 ゴクリと息を呑んでから、ゆっくりと襖を開ける。


「し、失礼しま……」


 開けた瞬間、俺は言葉を失った。

 畳が敷き詰められた、十畳ほどの和室。その床の間の前で、一人の女性の姿に目が離せなくなった。

 黒い艶やかな長い髪、赤を基調とした黄色の花柄の着物。手に持った琵琶を優しく撫でながら、その人は俺に笑いかける。


「初めまして、かな? それとも、久しぶり? とにかく……ようやく会えたね、タケル」


 芯のある綺麗な声。記憶にある彼女よりも大人びた姿。

 だけど、間違いない。その瞳は、その声は__記憶の通りだ。

 変わってない。その人は俺が音楽を始める切っ掛けになった原点で、憧れの人。


「__一条、明日香……さん」


 一条明日香が、そこに座っていた。

 明日香……さんはフフッと小さく笑う。


「この世界ではアスカ・イチジョウね。とりあえずその子……やよいちゃん、だよね? こっちに寝かせてあげて。<時空の渦>を普通の人間が通るには、負荷が大きいから」


 アスカさんは指差した先には、布団が敷かれていた。

 言われた通りにやよいとキュウちゃんを布団に寝かせてから、改めてアスカさんの前に座る。

 色々聞きたいことがあった。この世界はなんなのか、どうしてあなたがいるのか、そもそもなんであなたはこの異世界に来たのか……。

 だけど、アスカさんを__憧れの人を目の前にして俺は何も言葉が出てこなかった。

 するとアスカさんは微笑みながら手のひらを向けてくる。


「まぁまぁ、とりあえず落ち着いて。時間はたくさんあるから。そうだね……何から話そうか?」

「じゃあ、その……時空の渦って言うのは?」


 さっきアスカさんが言っていた時空の渦について聞いてみる。

 アスカさんは「そっか、知らないよね」と笑ってから、時空の渦のことを教えてくれた。


「時空の渦って言うのはキミたちが吸い込まれた、膨大な魔力の奔流が作り出した渦のことだよ」

「あぁ、あれのことか……」

「で、その時空の渦は本来なら普通の人間が通ると負荷が大きいんだよ。やよいちゃんが今も目覚めないのは、そのせいだね。でも心配しないで、死ぬようなことはないから」


 死ぬ恐れはないと言ってくれて、ホッと一安心する。

 やよいが目覚めないのは、時空の渦を通った時の負荷が大きくて極度の疲労状態にあるだけのようだ。

 てことは、ウォレスたちもどこかで眠ったままなのかもしれないな。早く探しに行かないと、と思ったところでふと疑問が浮かぶ。


「ならどうして俺は無事なんですか?」

「あぁ、それはね……その真紅のマントのおかげだよ」


 アスカさんは俺が身に纏っている真紅のマントを指差すと、懐かしそうに目を細めた。


「そのマント、先生が作った物でしょう?」


 この真紅のマントは先生__俺を助け、導いてくれた<ハイエルフ族>の魔女がくれた物だ。

 そう言えば先生はアスカさんに魔法を教えていたって言ってたな。


「そのマントはあらゆる攻撃から身を守る、先生の最高傑作。魔法や魔力にもかなりの防御性能があるマントのおかげで、キミは時空の渦の負荷から守られていたみたいだね」

「そっか……やっぱり先生って凄いんだなぁ」

「当然! だって私の先生でもあるからね!」


 俺とアスカさんは同時に笑う。

 先生のことで話に花を咲かせてから、アスカさんはコホンと咳払いして話題を変えた。


「さて、次はこの場所について教えようかな?」


 そう言って、アスカさんはこの場所__俺たちがいた世界とはまた違う、異世界について語り出した。


「端的に言うと、この場所は<神域>と呼ばれるところだよ。神様がいる空間ってことだね」

「神様……てことは、アスカさんは」

「自分で言うのはなんか照れ臭いというか、恥ずかしいけど__そう、私は神様。<音属性>を司る<属性神>だよ」


 属性神。

 火、水、風、土、雷などの属性を司る神様のこと。

 アスカさんもその一人で、司る属性は__音属性魔法。

 英雄としてのアスカさんが使っていた属性で、俺たちが使う属性でもある音属性。アスカさんはその音属性の属性神だった。

 

「どうしてアスカさんが属性神に?」

「そうだね、話すと長いんだけど……タケル。キミは<神格化>って知ってる?」


 神格化。

 魔法のとある境地に至った者が、属性神と同等の力を得た存在になること。

 知っていると頷くと、アスカさんはそのまま話を続けた。


「私はちょっとズルをして音属性の境地に至り、空席・・だった音属性の属性神になったの」

「空席?」

「そう。音属性の属性神は今まで存在していなかった。で、結果的に私がその席に座することになったって訳」


 今まで存在していなかったのか。

 空席だった音属性の属性神に、ちょうど神格化したアスカさんがそのまま属性神になったんだな。

 それよりも、気になることがある。


「ちょっとズルって、どういうことですか?」


 俺が聞くと、アスカさんは暗い表情を浮かべながら俯く。


「……その話をするには、まずはどうして私が神格化しなくちゃいけなくなったのかを話す必要があるね」


 そう言うとアスカさんは遠い目をしながら、琵琶の弦を指で弾く。

 穏やかで、どこか寂しそうな音色が部屋に響くと、アスカさんは静かに話し始めた。


「それは今から三十年近く前。私が英雄になって数年後の話。各地で原因不明のモンスターの凶暴化が始まった頃のことだよ」


 その話は聞いたことがあった。

 それは、アスカ・イチジョウが行方不明になった事件だ。


「私はある地域を中心にモンスターの凶暴化が広まったことを知り、一人で調査に向かった。その時、私は原因となった存在と戦い__神格化したんだ」

「原因となった存在というのは?」

「その当時の私は、その存在がなんなのかは分からなかった。だけど、今なら__属性神となった今なら分かる」


 アスカさんはゆっくりと息を吐いてから、俺を真っ直ぐ見据える。


「キミはもう出会っている。その存在の一端に触れている。キミが持つ<光属性>と対をなす属性。この世界を蝕み、悪意で覆い尽くそうとしているどす黒い属性__」

「__<闇属性>」


 俺はその正体を、アスカさんが戦った存在の名前を呟いた。

 アスカさんは深く頷くと、話を続ける。


「キミたちが戦っている敵こそ、闇属性。世界に対して強い悪意と怨恨を抱く、全てを飲み込む黒い魔力。キミの中に眠っている光属性と対をなし、相反する属性。それこそが、あの日私が戦った存在の正体だよ」


 そうか。アスカさんも俺と同じように、闇属性と戦っていたのか。

 そして、アスカさんは闇属性との戦いで神格化し、音属性の属性神となった。

 つまり、全ての元凶は闇属性。そして、それを操るのが__。


「__ガーディ・マーゼナル……ッ!」


 俺たちRealizeをこの異世界に召喚し、勇者として祭り上げ、最後には殺そうとした<マーゼナル王国>の王、ガーディの名前を呟く。

 その身に闇属性を宿し、この異世界に対して悪意を振り撒く存在。

 あいつのせいで多くの人が酷い目に遭っている。絶対にあいつだけは許せない、と拳を握りしめていると__。


「待って、タケル」


 アスカさんが悲しげな目をしているのに気付いた。

 アスカさんはゆっくりと息を吐いてから、口を開く。


「ガーディは悪くないんだよ」

「な……どうして!? あいつのせいで色んな人が被害に遭ってるし、俺たちだっていきなり異世界に召喚されて、しかも殺されそうになったんですよ!? あなただって、あいつのせいで……」

「違う、違うの。ガーディは悪くない」


 まるでガーディを庇っているかのように話すアスカさんに思わず語気を荒くさせると、アスカさんは目を伏せながら静かに言い放った。


「今、マーゼナル王国で王座に座っているのはガーディであって、ガーディじゃないんだよ」

「は? それ、どういう……」

「真の敵はガーディじゃない。今のガーディは__操られている・・・・・・だけなんだよ」

「あ、操られている? 誰に?」


 どういうことだ? ガーディは誰に操られているって言うんだ?

 理解が追いついていない俺に、アスカさんは真の敵を伝えた。


「ガーディを操り、この世界を強く恨み妬んでいるのは__闇属性・・・なんだよ」

「……え? ちょ、ちょっと待って。闇属性が、ガーディを操っている? なんだ、それ……それじゃあ、まるで__」


 __闇属性そのものに、意思があるみたいじゃないか。


 アスカさんは真剣な表情で、俺の言葉を肯定するように頷く。


「そう。闇属性は他の属性とは違う。あれは、意思を持った・・・・・・属性なんだ」


 普通ではありえない、属性自体が意思を持っているという事実を__アスカさんははっきりと言い放った。 

 


 

 

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