二十五曲目『迫りくる死期』

 魔法国シームに来てから早いもので半年が過ぎた。今までの旅で滞在してきて、一番長くいることになる。

 この異世界に日本みたいな分かりやすい四季はないけど、少し肌寒く乾いた風が吹くようになっていた。

 シランとジーロさんの結婚式から一ヶ月。この一ヶ月でシランの状態は日に日に悪くなっている。

 緑かがった白い髪は完全に白になり、肌は生気を感じられないほど青白くなっていた。体力もかなり落ちて車椅子に乗っていることも厳しく、ずっとベッドに横になったままでいる。

 明らかに死に近づいている。このままだと本当にまずいとライラック博士とジーロさんは今まで以上に研究に没頭しているけど……まだ治療法は見つかっていない。

 俺たちも少しでも力になりたいと協力しているけど、もはや俺たち素人が手伝える領域じゃなくなっていた。


「ちくしょう……ッ!」


 ライラック博士に「少し、一人にさせてくれ」と言われて研究所から出た俺は思わず壁を殴り、無力感に苛まれながらギリッと歯を食いしばる。

 ウォレスは研究に使えそうな薬草を集めに森に向かい、真紅郎とサクヤは研究資料をかじりつくように読み漁っている。俺もどうにか黒いモヤの正体を暴こうとしていた。誰もがシランの病気を治そうと頑張っている。

 だけど、病気は俺たちの想いをあざ笑うようにシランを苦しめていた。


「どうして、シランなんだよ……」


 あんなに優しい子が、どうしてこんな目に遭わないといけないんだ。神がいるなら、ぶん殴ってやりたい気分だ。

 でも、そんなこと出来るはずがない。壁に押しつけていた拳をダラリと下げてうなだれる。


「少し、休もう……」


 昨日からずっとほとんど寝ずに研究の手伝いをしてたから、少しめまいがした。でも、俺以上にライラック博士とジーロさんは研究している。それぐらい、シランの病気を治したいんだろう。

 当然だ。自分の一人娘のため、自分の妻を治すためなら誰だってそうする。でも、それで倒れてしまったら本末転倒だ。

 ちょっと休んだら二人に何か軽食を持って行こう。そう思って階段を下りてリビングに向かう途中、シランの部屋の扉が少し開いているのに気づいた。

 部屋を通りがかる時に部屋の様子を覗いてみるとベッドに横になっているシランの姿。

 シランの膝には丸くなって寝ているキュウちゃんと、ベッドの傍らで椅子に座っているやよいが包丁を片手に果物の皮を剥いていた。

 慣れない手つきで包丁を動かし、皮を剥き終わったやよいは笑みを浮かべている。


「じゃん! どう? 少しは上手くなったでしょ?」

「……フフッ、そうだね。前よりは包丁さばきも様になってきたかな?」

「でしょ?」


 やよいが手に持っていた果物は身まで削られてボコボコになり、かなり不格好だ。それでも、シランは微笑みながら褒めている。


「少しでも食べれそう?」

「……ごめんね、ちょっと無理かな?」

「……そっか! じゃあ、これはキュウちゃんにあげようかな!」

「きゅー?」


 果物を食べさせようとしたやよいだったけど、シランは申し訳なさそうに力なく首を横に振る。

 その時、やよいはピクッと肩を震わせ、涙を堪えるように一瞬顔を強ばらせるとすぐに明るく笑みを浮かべてキュウちゃんに果物をあげていた。

 ここ最近、やよいはずっとこんな調子だった。日に日に弱っていくシランを見て泣きそうになりながら、それでも必死に明るく振る舞ってそばから離れない。

 その姿が痛ましく、見ていられなかった。

 キュウちゃんがシャクシャクと果物を食べている音が、静かに部屋に響いている。そんな時、シランはふと口を開いた。


「ねぇ、やよい」

「どうしたの? あ、やっぱり食べたくなった? いいよ、今から新しいの持ってく……」

「私、おんがくが聴きたい」


 シランは真っ直ぐにやよいを見つめながら呟く。最初はポカンとしていたやよいだったけど、優しく頬を緩ませて嬉しそうに頷いた。


「いいよ! なんの曲にする?」


 そう言ってやよいはすぐに魔装を展開してギターを構える。シランの体調の悪化とか研究に没頭してて、最近演奏をしていなかったからな。久しぶりの音楽にやよいは楽しそうにしていた。

 シランは静かに目を閉じて、意を決したように言い放つ。


「……前にやよいが教えてくれた、新曲を聴きたいな」


 その言葉にやよいはピタッと動きを止めた。

 シランが言う新曲、それはやよいが考えた花をイメージしたロックバラードのことだ。

 だけど、まだ完成していない。メロディーのワンフレーズとかは決まっているけど完全にはイメージが固まっていないし、肝心の歌詞も手付かずのままだ。

 やよいは浮かない表情でうつむきながら首を横に振る。


「……ごめん、まだ完成してないんだ」


 謝るやよいにシランは儚げに笑った。


「うん、知ってる。でも、私は聴きたい。完成した、あの曲を」


 シランはゆっくりと深呼吸してから、静かに話を続ける。


「前にやよいが聴かせてくれた時、凄く感動したんだ。今まで聴かせてくれたおんがくとは違った、胸の奥からじんわり暖かくなるような……そんな曲だった。だから私は、完成したあの曲を聴いてみたい」


 そう言ってシランはやよいの手を握った。小刻みに震わせながら、弱々しく。


「あの曲を聴かないと私、後悔すると思う。お願い、やよい……間に合わなくなる前に……」


 シランの一言、間に合わなくなる前にという言葉にやよいは目を見開いた。

 それはつまり……シランが自分の死期を悟っていることに他ならない。

 やよいは何か言おうとして、言葉が出ないのか口をパクパクと開け閉めしていた。その間もシランは真っ直ぐにやよいを見つめ、手を握りしめている。

 そして、やよいはキュッと唇を噛みしめ、肩を震わせながら俯いた。

 一番の友達からの、最後のお願い。それを聞いて、泣くのは当然だろう。

 だけど、やよいは勢いよく天井を数秒見上げて必死に涙を堪えてから、シランに向かって満面の笑みを浮かべた。

 

「……うん、分かった! 新曲、完成させるよ! シランのための曲を作ってみせる!」


 やよいの言葉にシランは嬉しそうに、儚く、静かに微笑んだ。


「……ありがとう、やよい」

「そうと決まったらみんなと相談しないと! シランは少し休んでて! 今から全員集めて会議だ!」


 拳を突き上げて立ち上がったやよいは勢いよく部屋から飛び出してきた。いきなりのことで避けられず、やよいが俺の胸に飛び込んでくる。


「っと、悪い、やよい……?」


 盗み聞きしてしまったこと、ぶつかったことを謝ると部屋の扉がパタンと閉まる。

 やよいは俺の胸に顔を埋めたまま、肩をプルプルと震わせていた。じんわりと服が濡れ始めたのを感じる。だけど、俺は何も言わずにやよいの頭をポンポンッと撫でた。

 シランの前で絶対泣こうとしなかったやよいは、俺にも泣いている姿を見られたくなかったんだろう。そのまま声を殺して泣くやよいを見ない振りして無言で頭を撫で続ける。

 そして、落ち着いたやよいは俺の服をギュッと掴みながら、見上げてきた。


「……タケル、みんなを集めて」


 目を赤くさせたやよいは、真剣な眼差しで俺を見つめてくる。

 俺が頷くと、やよいは気合いを入れるように自分の頬をパンパンッと叩いた。


「絶対に、完成させるよ……シランのために……ッ!」


 ここから、俺たちRealizeの新曲作りがスタートした。

   

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