三曲目『犯した罪』

 静かな風が頬を撫でる感覚と、癒される綺麗な川のせせらぎに意識が浮上していく。

 重い瞼を開くと、うっすらと夕暮れ色に染まろうとしている空が広がっていた。

 ゆっくりと体を起こして周囲を見渡す。近くでは川が流れ、ゴツゴツとした石が転がっている川岸で寝ていたようだ。


「俺は、何を……」


 まだぼやけている思考で状況を整理しようとして、すぐにドラゴンから逃げるためにやよいと一緒に川に落ちたことを思い出す。

 そして思い出した瞬間、立ち上がった。


「ーーやよい! やよいはどこだ……グッ!?」


 一緒に川に落ちたはずのやよいの姿が見当たらなかった。

 すぐに探しに行こうとして、全身に走る痛みに思わず膝を着く。ビキビキと肉体が悲鳴を上げ、骨が軋む。あまりの痛みに頭がガンガンと痛む。だけど……。


「そ、んなこと、言ってられっかよ……ッ!」


 ギリッと歯を食いしばり、痛む体に鞭を打ちながら立ち上がる。

 痛みのことは忘れろ。そんな弱音を吐く暇なんて、今の俺にはない。早くやよいを見つけないと。


「どこだ、やよい!」


 周りを見渡してみてもやよいの姿はない。もしかして、下流の方に流されてしまったのか、と最悪の状況が頭を過ぎり、自分の顔が青ざめていくのを感じた。


「ん? これは……」


 ふと川沿いに広がっている砂地に足跡があるのを見つけた。

 大きさからして女性のもの。湿った足跡は森の方に続いている。


「もしかして、やよいか?」


 こんな森の中、しかも俺の近くに足跡がある。高確率でその足跡はやよいの物だろう。つまり、やよいは下流の方に流されている訳じゃなく、しかも近くにいる可能性が高い。

 絶望的な状況から一転して希望が見えてきた俺は、すぐに足跡を追った。


「クッ……やっぱり痛いな。仕方ない、<カランド>」


 気絶していたおかげで少しだけ魔力が回復していたから、痛みを和らげる魔法を使う。これでなんとか動くことが出来そうだ。


「今行くぞ、やよい」


 気合いを入れてから足跡を追って森の中に入っていく。鬱蒼とした木々が広がる森でやよいを探すのは苦労しそうだ。

 だけど、諦める訳にはいかない。


「どこにいるんだ……?」


 足跡は森の中に入ると消えていた。ここからは直感で探すしかない。

 茂みをかき分けながらやよいを探し続ける。そんなに遠くには行ってないと思うんだけど……。


「それにしても、情けないな……俺」


 やよいを探しながら、呟く。

 ドラゴン相手に逃げることしか出来ず、どうにかしようとしたけどいい作戦を思いつかなかった。

 仲間とは離ればなれになり、それでもやよいだけは守ろうとしてーー。


 ーーあたし、そんなに頼りない、かな?


 今にも泣きそうな表情でやよいが言った言葉を思い出す。

 俺はただ、やよいを守りたかっただけだった。それは別にやよいが頼りないからとか、弱いからって思ってたからじゃない。俺には、やよいを守らないといけない理由があるからだ。

 Realize結成時……俺がまだ加入する前のこと。最初のRealizeのボーカルはやよいで、女子高生なのに卓越したギターテクニックと美少女ということもあってまさにバンドの華だった。

 そんな時、やよいは一人カラオケをしていた俺の歌を偶然聴いたらしく、いきなり部屋の中に入ってきた。

 突然のことで驚いていた俺に「あたしのバンドでボーカルやらない!?」と開口一番で言ったことは、今でも忘れられない思い出だ。

 それから俺は勢いに流されるままRealizeに加入し、ボーカル担当になった。別にそのことで文句がある訳じゃない。むしろ、お礼を言いたいぐらいだ。

 だけど結果的に、俺はバンドの花形であるボーカルの座をやよいから奪い取ってしまったことになる。

 やよいは「別に気にしてない。そもそも、タケルを誘ったのはあたしだし」と言ってくれている。真紅郎やウォレスも責めたりはしなかった。

 それでもーー俺の心の中には小さくも深く棘が刺さったままだ。

 

「だから、俺は……」


 これは俺の自己満足かもしれない。本人が気にしてないのに、俺が勝手に背負っている罪の意識なのかもしれない。

 だけど、ボーカルの座を譲ってくれた、俺に居場所をくれたやよいを守らないといけない。無事に元の世界に戻って、やよいが作ったRealizeでメジャーデビューしたい。

 それが俺に出来る一番の恩返しだと思うから。

  

「それなのに、俺ときたら……」


 守ると誓ったのに守り切れていない。それどころか、やよいを悲しませる結果になってしまった。本当に、情けない。

 そんな自分に自己嫌悪していると、近くの茂みがガサッと動いた。


「そこにいるのか、やよい!」


 今まで考えていたことを全部放り投げ、モンスターかもしれないっていう考えすら浮かばずに反射的に茂みの中に突っ込んでいく。草をかき分け、音がした方に近づいてみると……。


「ーーえ?」


 そこにはやよいがいた。

 やよいはいきなり俺が茂みから出てきたことに目を丸くして驚いている。

 そして、俺もまた目を丸くしていた。


「な、ななな……!」


 やよいの足下には濡れた防具服。それを確認して恐る恐る下から上へと視線を上げていく。

 スラッと伸びた綺麗な足。異世界に来て修行したからおかげなのか、引き締まっているけどそれでいて女性らしい柔らかそうな腹筋。戦いとは無縁そうな華奢な体。水色の可愛らしいリボンが付いた下着と……慎ましくもしっかりと主張している双丘。

 最後にやよいの顔に目を向けると、顔を真っ赤にさせてパクパクと口を開け閉めしていた。

 呆気に取られ、思考が完全に停止していた俺だけど……ここでようやく何をしでかしたかを悟る。同時に、これから起きるであろう惨劇も。


「……<フォルテ>」


 白い肌を見る見ると真っ赤にさせたやよいは、左腕で胸元を隠しながら右の拳を握りしめる。

 顔を俯かせ、肩を震わせながらやよいはトマトのように赤くなった顔で一撃強化の魔法を呟く。


「ーー目を、覚ますなぁぁぁぁ!」


 涙目で俺を睨みながら近づいてきたやよいは、右拳を真っ直ぐに突き出した。

 俺は、それを避けずに受け入れる。

 それが、俺が犯した罪に対する贖罪。ワザとじゃなくても、理不尽でも……償わなくてはいけないんだ。


 だって、俺はーー男なんだから。


「ーーぐぷぅえ!?」


 突き出された右拳は俺の頬にめり込む。魔法で強化された一撃はまさに必殺。衝撃で宙を舞った俺は、そのまま川に一直線に落下した。

 鼻から流れ出した血で赤くなっていく川をぼんやりと眺めながら、水の中を沈んでいく。

 別にこの鼻血はやよいの裸体を見たからでは決してない。殴られたからだ。

 そんな言い訳を頭の中で言いながら、俺の意識が遠のいていく。

 そして、俺はまたも気絶した。

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