最終章 世界を動かすものは、ほかならぬ百合である。

第一話 嬉野祥子は忙しい。



「おいっ! そろそろ依頼人のところに行くぞ、助手!」

「は、はい? いつからあたし、助手になったんです?」


 伝統ある格調高き聖カジミェシュ女子高等学院の制服姿のままのあたしこと嬉野うれしの祥子しょうこは、唐突にぶっきらぼうな口調で呼びつけられあたふたと動転するのでした。

 身勝手に言い捨てたきりジャケットを羽織った猫背を向ける金髪ツンツン頭を、きっ、と鋭く睨み付けたものの、一向にこっちを振り返ってくれないのですから効果はありません。


「な、なんであたしが行かないといけないんですか?」

「なんでも何も――」


 足を止めて、やれやれ、と頭を振りつつ振り返ります。


 彼の名は――『行動する名探偵』こと四十九院つるしいん白兎はくと


 この『四十九院探偵事務所』に所属する探偵の一人であり、女だらけの事務所で唯一の男性なのです。白兎さんはなかなか腰をあげようとしないあたしを呆れ顔で見つめて言いました。


「――ちゃんと働いた分のお給料を支払うことにした、って聞いてるぞ? だったら俺の後輩であり、部下であり、つまるところ助手ってことだ。良いから早くついて来い、遅れちまう」

「そ、そんな無茶な……きゃっ!」


 つかつかと歩み寄り、強引に手を引く白兎さん。


 ですが、こっちにだって言いたいことはあるのです。

 あたしは必死で抵抗を試みます。


「あ、あたし、お手伝いですよぅ。アルバイトじゃないですって。校則で禁止されてますし」

「給・料・貰・っ・た・ら・! ア・ル・バ・イ・ト・だ・ろ・っ・!」

「そうとも限りませんよ? あたし、小さい頃におじいちゃんの畑仕事のお手伝いしてお小遣い貰ってましたし。っていうか……どうしてそんなにあたしを連れて行こうとするんです?」

「うっ……。そ、それはだな……」


 珍しく慌てた素振りを見せる白兎さん。そこで嬉野、ピンときちゃいました。


「ははぁん。さてはアレですね? この前依頼が来ていた『マッシュルーム・ルーム』の件」

「そ、そうだよっ! 悪いか!?」


 どうやら図星のご様子。白兎さんは開き直って一気にまくしたてます。


「行きたくねぇんだよ! だってあいつ、俺が行くたびに人の尻散々まわしやがって……」

「ええー。でもでも、しずかママ、優しくて素敵じゃないですか?」

静雄しずおな! 本名、小賀坂こがさか静雄しずおな! 夜はママでも、昼間はパパだからな!?」


 今回の依頼は、ゲイ・バー『マッシュルーム・ルーム』のオーナー兼ママを務めるしずかさん(男性)からでして、最近お付き合い中の彼氏(やっぱり男性)に浮気の疑いがあるらしく、その真偽と、もし真実であれば証拠を押さえて欲しい、というものなのです。


「しずかママ、ですってば。迂闊うかつに依頼人の秘密を喋るなんて、探偵失格じゃないです?」

「あー。はいはい、分かりましたって。ったく……」


 気が乗らないのとやり込められた苛立ちで、不機嫌な白兎さんはぶつぶつ呟きながら煙草を取り出し――溜息をついてしまい込みます。すると、事務所のマホガニーの扉が開きました。


「ふわ……あ……。ちょこ。あたしの。パンツ。知らない?」


 真っ白なワイシャツ一枚だけを身に着けた、とろん、と眠そうな目をした猫のような少女。彼女の名は美弥みやさんです。あ、そういえばあたし、美弥さんの名字まだ知らないんですよね。


「ちょっ! なんてそそる――じゃなかった、不謹慎なカッコしてるんですか、美弥さん!」

「フキンシン?」

「ちょっと待ってください? も、もしかして美弥さんってば、今何も履いてないんです?」

「ん? どう。だったっけ?」

「あわわわわわ! そこでめくって確認しないで下さいっ! すっごく見たいですけどっ!」


 薄っすらとボディラインまで浮き出て透けて見えるワイシャツの裾をそろりとたくし上げようとする美弥さんの両手を大慌てで押さえつけ――ホントなら、でりゃあああああ! と一気にまくりたかったところなのですけれど――振り向きざまに、きっ! と鋭い非難の視線を白兎さんに向けるあたし。


 仏頂面で天井を睨み付けたままソファーにふんぞり返っていた白兎さんは、あたしの視線に気付いたにも関わらずわざとらしい態度でさらに自分の背後に誰かいるものかと不思議そうに振り返って見せるのです。ですからあたしは、じとりと据わった眼をして言ってやりました。


「……白々しいですよ、白兎さん? 世の男なんて、みんな同じですねー。フケツですねー」

「な、何がだよ!? こちとら、あーまたやってんなー、くらいしか思ってねえっつうの!」

「あーはいはい」

「だ、大体だな? みゃあは事務所うちのペットなんだぞ? ペット!」

「はいはいそうですねー」


 すっかり慣れたもので適当に相づちを打ちながら寝ぼけまなこの美弥さんを上階へ続く階段の方へと誘導していると、半ば無視された格好になった白兎さんはますます不機嫌になったようで、ふんぞりかえった姿勢から身を起すや、ふん、と聞こえよがしに鼻を鳴らします。


「あーあ、もうやめだやめ! やっぱり俺、行きたくねぇ、気が乗らねぇ。文句言ってくる」


 そう喚き散らして床を鳴らして立ち上がり、事務所の奥の方にある扉へとずかずか歩いて行ってしまいます。もうこうなるとあたしが何を言っても無駄なんですよね。ですからあたしは、美弥さんを引き摺るようにして一緒に四階の部屋へパンツ探しの旅に行くことにします。


「ねー。そこには。きっとないよ。さっき。探したし」

「美弥さんは探し物、超ニガテなの知ってますからね」

「ぶー」


 部屋に入るや美弥さんは、カウチソファーの上で膝を抱えてほっぺたを膨らませています。その姿勢、下着無しの状態だと……とってもキュートでデンジャラス。あたしの手はあいかわらずチェストボックスの引き出しの中を忙しなく動き回っていましたが、心ここにあらずで。


「……ちょこのえっち」


 はっ――気付けば、視線の先に美弥さんの小悪魔めいた艶やかな笑顔があったのです。


「み、見てないです見てないです! 見たいなーって思う気持ちは誰にも負けませんけど!」


 すると美弥さんは立ち上がり、ゆっくりとあたしの方へと一歩ずつ近づいてきて身を屈め。


「……ね? 履いてると。思う? 履いてないと。思う?」


 床に座ったままのあたしの耳元に悪戯っぽくそう囁きます。あたしの目と鼻の先には、美弥さんが身に着けているワイシャツの裾がひらりひらひら。この布一枚の奥はきっと――。


 いえ、まだ現象は未確定。まだ今はパンツを履いている状態と、パンツを履いてない状態が五〇パーセントの重ね合わせになっていると言えるでしょう。つまりこれ『シュレディンガーのパンツ』です! あたしの鼻息でかすかに揺れるこの一枚をめくれば、現象は確定し――!




 こん、こん――はっ!?




 軽やかなドアのノックに我に返ったあたしが振り返ると、そこに立っていたのは。


「お取込み中かしら。けど、クライアントをお待たせするのはあたしの流儀に反するのよね」


 日差しを受けてきらきら輝くふんわりした肩までの栗色の髪。片眉を跳ね上げ茶目っ気たっぷりに微笑む目元には泣き黒子が二つ。ゆるっとしたボリュームあるシルエットの、オトナっぽいノーブルなパープルニットの下には白いカットソーを重ねてちら見せし、下はミニマムに黒のデニムスキニーですっきりまとめるだなんて、あいかわらず恰好良くってみとれちゃう。


「弟に泣きつかれちゃ、このあたしが行くしかないわよね……。行くわよ、祥子ちゃん!」

「は、はいっ! 行きます行きます! 不肖嬉野、何処まででもお供しますっ!」




 彼女の名こそ――『動かざる名探偵』こと四十九院つるしいん安里寿ありす


 この『四十九院探偵事務所』の所長であり、白兎さんの双子の姉であり――。






 あたしの、大切で、大好きな人。


 それこそが『四十九院安里寿』という女性が、今なお確かに存在している理由の一つ。



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