忌み人は闇と踊る(13)



 あたしの視線の先には、寄り添い一つとなった二人の姿がありました。






 円城寺えんじょうじさん――そして蛭谷ひるやさん。






 ひし、とほっそりとした肩を抱き締めながら、蛭谷さんは静かに優しく耳元へ囁きます。







「なあ……? てめぇ……一体?」

「く……っ!? はな……して……!!」


 蛭谷さんの腕に抱かれた円城寺さんは、何とかその呪縛から逃れようとくねるように身を捩らせ必死の形相で抵抗します。彼女の両手が拒絶するかのように彼を押し退けようとします。




 お願い、そんな顔をしないで――いいえ、違う?




 貴女は一体――あたしの勘が、これは円城寺さんじゃない、とフロア中に響くような叫びを上げました。そして、まるでその叫びが聞こえたかのように蛭谷さんは一つ頷いて囁きます。


「ああ……てめぇはお嬢によぉく似ていやがる。だがよ…………てめぇは


 囁きを耳にした途端、均整のとれた『円城寺さん』の顔立ちが波打つように歪んで鬼女と化し、あたしの心をたちまち寒からしめました――いいえ、夢? 幻? それはすぐに消え、再び『円城寺さん』は蛭谷さんの腕の中でひたすらもがくように髪を振り乱し首を振ります。


「嫌……っ! もうっ……はな……して……! の邪魔を……しないでっ!!」

「そうはいかねえんだ、こっちはよ」蛭谷さんは鬱陶しそうに顔を顰め、口元を歪めます。「『あたしたち』だと? 何を戯言ほざいてやがるんだ、笑わせる。てめぇの身勝手な都合にお嬢を巻きこんでんじゃねえ。これ以上苦しめるってんなら、俺ぁ全力で阻止させてもらうぜ」

「あんたになんか言ってない! 関係ないでしょ!? どいて頂戴!」


『円城寺さん』は目の前にある蛭谷さんの顔に噛みつかんばかりの勢いで吐き捨てます。


「あんたこそ何様のつもりなの? そうやって意地悪して、『あたしたち』が一つになるのを邪魔するのね? ようやくここまで来れた……ようやくもう一度出会えたっていうのに!」

「あぁ? 、だと?」

「そうよ!」


 けらけらと耳障りな笑い声を天井高く響かせながら『円城寺さん』は歌うように言います。


「あたしには杏子が必要……そして、杏子にはこのあたしが必要なの。だって……そう、二人は元々一つだったのだもの。杏子が光で、あたしが闇……ねえ、分かってくれるでしょう?」


『円城寺さん』が必死に抗いながらその姿を探すと、蛭谷さんの背後に隠れるように耳をきつく塞ぎ身を震わせている『もう一人の円城寺さん』が何度も何度も首を振りながら呟きます。


「やめて……もうやめて……! あたしには……分からない……何も」

「ああ、可哀想なもう一人のあたし!」


 それでも『円城寺さん』の顔に浮かび上がった狂気じみた微笑みは消えませんでした。


「でも大丈夫。すぐに思い出せるわ。このあたしはあの時死んで、あの時生まれたのだから」

「あの……時……?」

「そうよ! あの時あたしは、聖女であり純粋無垢な『あなた』という存在を巧妙に狡猾に取り込もうとする穢れ汚れたこの世の『闇』から守るため生まれたの。薄汚い悪意や憎悪や罪を生まれ変わったこの身に背負うためにね! あなたはけがれてはいけない、いけないのだから」

「え……? 一体何を――?」


 そこで『円城寺さん』は、うっとりと『もう一人の円城寺さん』を見つめて言ったのです。


「そう、あなたが救い出してくれたの、あの地獄から。周りの全てを巧妙に狡猾に取り込もうとする穢れ汚れた『闇』から。あの薄汚い連中が振り撒く悪意や憎悪からね! だからあたしは変わることができた……生まれ変わることができたのよ! ねえ、覚えているでしょう?」

「いや……やめて……」

「嘘。覚えている、忘れる訳なんてない。分かるもの。だって、


 瞬間、『円城寺さん』が『もう一人』が浮かべた恐怖の入り混じった驚きの表情をいともたやすく寸分違わず再現してみせ、まるで鏡写しのようでした。すると『円城寺さん』は何かを確信した様子で『もう一人』を置き去りにしたまま、じんわりと喜悦の笑みを浮かべます。


「あの日そう決めた、あなたになろうと決めたの。あなたのように振舞い、あなたのように考え、あなたのように生きると決めたのよ。そしてようやく髪型も服装もお化粧も、の……けど簡単じゃなかったわ。時間もお金もたくさん必要だった」

「やめて……お願いだから……」

「でも、お金を稼ぐ方法なんていくらでもある。そう、ましてやあたしは『闇』だもの、たとえどんなにこの身が穢され汚されようと、それがあなたに近づくための手段の一つであるならばどんな理不尽なことだって受け入れられる。辛くはないわ。むしろ喜びすら感じたくらい」


 邪で淫らな表情を浮かべた『円城寺さん』は、小鳩のようにくつくつと喉の奥で笑います。


「ふふふ――ねえ、知ってる? あなたと同じこの姿には、他と比べようもないほどの価値があるんだってことを。あの男たちはあたしが望めば望むだけの対価をくれたわ。そのお返しに、心を込めてあたしは彼らをしてあげた。あなたと同じ、溢れんばかりの慈悲と愛情で」


 それはつまり――そういうことなのでしょう、きっと。


 学院内に流れていた良からぬ噂の出元は、この『円城寺さん』だったに違いありません。自らの何もかもを『もう一人』と同じにするという目的のため男性を誘い、淫らな行為の代償として対価を得ていたのでしょう。


「だからこそホテルに入っていく姿を見つけた時には恐怖のあまり震えたわ。あなたの『光』が濁り、淀んでしまうのが怖かった……。でも、今はもう違う。もう怒ってないわ。だって、あなたはそんなことしない、そう信じてるもの。そのための『闇』こそがあたしなのだから」


 しばしうっとりと目を伏せ再び開いた『円城寺さん』の切れ長の瞳は、不自然に引き攣れた痕とともに醜く歪み、もはや吊り上がって見えます。憎悪の炎が蛭谷さんに向けられました。


「全ての罰を受けるのがあたしの役目だもの。全ての罪を負うのがあたしの役目だもの。二人が一つになるのを邪魔するのなら、あたしは喜んでこの手を汚すわ! 、ね!!」




 ずくり――抱擁を解こうとしない蛭谷さんを拒絶するように『円城寺さん』が両腕に力を込めると、ぞっとするような音が聴こえます。刹那、蛭谷さんは顔を顰めて身を折りましたが、




 ぎ……ち……。


 ほんの数秒で体勢を持ち直すと、さらに一層力を振り絞って腕の中の『円城寺さん』を抱き締めようとします。細く研がれて尖った印象すらある蛭谷さんの身体の何処にこんな力が秘められていたのでしょう。離れた場所からでもみしみしと骨の軋む音が聴こえてくるようです。




「ぐ……っ!? ぐるし……い……放し……て……! いぎが……っ!」

「てめぇと俺の……根性比べ……だ。忘れてんなら……もう一度言ってやるよ。これ以上お嬢を苦しめるなら……俺ぁ全力で……阻止させてもらうまでだ……。覚悟を決めやがれ……!」

「だすけ……っ! ぐるし……い、いゃあああああ! あああああ!!」


 蛭谷さんのきつく容赦のない抱擁――呪縛から逃れようと、『円城寺さん』は滅茶苦茶な動きで暴れ狂います。しかし戒めは僅かに緩むことはあっても、決して解けることはなくって。




 ぽたり――。




「え……!?」




 ぽたり――。




 もつれ絡み合う二人の足元に、徐々に大きく広がりゆくぬるりと赫いモノがありました。そしてようやくあたしは気付いたのです。




『円城寺さん』の手の中にあったのは鈍く鉛色の輝きを帯びた一本の果物ナイフ。拒絶しているかのように思えた彼女の両手は、関節が白く浮き出るほどしっかりとそれを握り締め、蛭谷さんの腹部の奥深くへ憎しみとともに突き立てられていたのです。




 そう――最初からずっと。




「ひ――蛭谷さん――っ!?」




 こんなの……嘘ですよ……悪い夢ですよ……もう駄目ですってば!

 止めないと――あたしが止めないと!!




 背を向けたままの『円城寺さん』は第三者であるあたしに気付いていません。後ろから一気に近づいて羽交い絞めにして、手にしたナイフを取り上げてしまえば――!






 でも、一体どうやって!?




          <第三章・完>

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