忌み人は闇と踊る(8)
間一髪の危機的状況を、思いがけず訪れた奇跡と溢れんばかりの慈愛とで無事回避することに成功したあたしと
「少し説明が……互いに必要かと思うのですけれど」
正面に座る人物はそう言うと、優雅な仕草で手にしたティーカップをテーブルに戻します。
あたしのクラスメイトであり友人であり。
彼女の名は――
「まずはあたしの事情からお話しさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
あたしと白兎さんは無言で頷き返します。しかしその時、円城寺さんの傍に直立不動の姿勢で控える先程の男性スタッフ――
「どうしてあたしがここにいるのか、そこからお話しするべきでしょう」
弱々しく微笑む円城寺さんは、目を伏せテーブルを見つめたまま静かに語り始めます。
「ここでのあたしの役回りは、当ホテルのオーナー代行なのです。元々ここはあたしの母方の曽祖父、
「ん? 黒堂房太郎……何処かで聞いたことがあるな? 確か――」
「ええ、そうです。かつて『
「そうか……。それは……あのう……」
白兎さんはあまりにさらりと円城寺さんから告げられた衝撃的な事実に言葉を失くし、しばし視線を泳がせていましたが、軽く頭を振ると釈然としない顔付きでこう尋ねます。
「い、いや、待ってくれ。それじゃあ筋が通らないぜ。確かあんたの母親の旧姓は……?」
「いえ……母はこのことを知らないのです。真実を知っているのは……あたしと父だけ」
その言葉を聞いてよほど驚いたのか、白兎さんは叫びの形に口を開いたままわずかに浮かせた腰から一気に力が抜けてしまったかのように、どすり、とソファーに身を埋めます。このあたし、嬉野も、円城寺さんが何を言わんとしているのか、それを瞬時に察してしまいました。
やがて重苦しい静けさの中、円城寺さん自らの口でそれはこう語られます。
「あたしの父――円城寺
途端、蒼褪めぎょっとした顔付きで蛭谷さんは悲鳴に似た叫びを上げます。
「お、お嬢っ! 何もそこまで――!」
「いいんです、蛭谷。ここにいる祥子は、あたしの大切な友達。嘘は吐きたくないの」
「で、でもですよ!? 何もこんな野郎にまで聞かせるこたぁないでしょうが!?」
「四十九院さんはあたしが依頼した探偵です。クライアントの秘密は絶対厳守、ですよね?」
神妙な表情で頷き返す白兎さんと円城寺さんを代わる代わる見つめ、蛭谷さんは呟きます。
「た、探偵……? そいつぁ――」
「ごめんなさい。それについても、あとできちんとご説明しますから」
「………………すみません。出しゃばりました」
渋々と引き下がったものの、蛭谷さんの怒りと戸惑いは消えずにまだ燻っているようで白兎さんへ殺意すら見え隠れするほどの鋭い視線が注がれます。けれど、白兎さんは無言のまま。
「二人がどういう仲で、どういう付き合いだったかまではあたしは詳しく知りません」
円城寺さんはほっとしたのか安堵の溜息を漏らし、手にしたカップで口を湿らせ続けます。
「けれど、当時父はすでに母と結婚している身でした。そして何も知らぬ母はほぼ同時期に父の子を胎内に宿しており、出産予定日もほぼ同じ頃だったそうです。ですが……その子は出産後まもなく亡くなりました。出産時に著しく体調を崩し、一週間重篤状態にあった母はそれを知ることはなく、担当医はその悲しい現実を永年の友人でもあった父のみに伝えたそうです」
「まさかそれで……?」
「あたしに父の真意までは分かりません。それに、父もその時までは知らなかったのです――もう一人の我が子は無事産まれていたのだという事実を。それだけは唯一確かなことです」
白兎さんの問いに、円城寺さんは困ったような微笑みで応じます。
そう、いつものように。
「実母の美雪は、そのような生い立ちながらも、真っ当で質素な生活をしていました。いいえ……むしろ日の当たる場所を避けて日陰を選んで歩くような、そういう暮しだったそうです。なにせ目立つ苗字でしょう? 厭われ避けられ嫌われて、ひとところに落ち着くのはなかなか難しい。でも、幼い子がいる身では事情が変わります。それなりの覚悟が必要になるのです」
ひとたびあの極道者の縁者だと知れれば、近所の目も冷ややかになるのでしょう。働き口を探すにも、片親の幼子持ちで、さらにはそんな身の上と知れてしまえば相当厳しいはずです。
いいえ、それだけではないのかもしれません。
敵対する勢力に自分たちの存在が知れれば、どんな目に遭うかは分からないのですから。
「互いに互いの不安を抱え募らせているちょうどその頃、二人は偶然再会することになります。そこで父は無事この世に生を受けたもう一人の子の存在を知り、美雪は産まれてこなかったもう一人の子の悲しい運命を知ったのです。そこから先は……きっとご想像のとおりです」
ふぅ――誰のものとも分らない溜息が聴こえたような、そんな気がしました。
と、円城寺さんが哀し気な色を帯びた瞳であたしをじっと見つめているのが分かります。その唇が震え、辛うじてこう囁きました。
「きっと祥子には、軽蔑……されてしまったのでしょうね。せっかくあたしたち――」
「え……しませんよ? する訳ないじゃないですか」
その時、あたしはかなり怒ったんだと思います。
「円城寺さんは円城寺さんです、杏子は杏子じゃないですか! 何も変わりませんから!!」
「ええ……でも――」
「杏子が責任を感じることじゃないですよ。だってこのお話に悪い人はいないです、一人も」
「………………一人も?」
あたしの台詞に円城寺さんは困ったようにいびつな笑みを浮かべます。
白兎さんも、蛭谷さんも、多少の差異はあれど、やっぱりそうでした。
でも、あたしは――違います。違ったんです。
「だって、そうじゃないですかそうでしょう? 未経験で未熟なあたしなんかには、オトナの関係なんてちっとも分かりません。でも、きっとそうなんです。裏切るつもりも
「そんなこと分からないじゃない……」
「いえいえ。あたしにはちゃあんと分かっちゃうんですよね」
力無くかぶりを振った円城寺さんを真っ直ぐ見つめ、あたしは心からの笑顔を浮かべたのです。
「今の杏子がそれを証明してくれるから。みんなが選んだ道は正しかったんだって。他の誰もがそう思わなくったって、このあたしだけはありがとうって心から感謝しますもん。だって、こんなに可愛らしくて素敵で、優しい聖母様のような美少女があたしの友達なんですから!」
しばし、茫然とした腑抜けた表情であたしを見つめ返していた円城寺さんは、
「……ふふっ。
そう言ってやっと嬉しそうに笑い返してくれたのです。
ですから、今がチャンス、そうあたしは思ったのです。
「ホント、今すぐ結婚して欲しいくらいですもん! 構いませんよね! ね!?」
「………………やっぱり変わってる子よね、祥子って」
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