忌み人は闇と踊る(6)
紫陽花 → シヨウカ → しようか?
……ん?
その時あたしは、ようやく周囲の風景、街並、今置かれている状況へと目を向けたのです。
で、気付きました。
気付いちゃったのです。
蒸し暑い真夏の夜祭りのように煌びやかなネオン。でも、寄り添い肩を寄せて通りを歩く人々の姿は数えられるくらいにまばらで。何処か背徳的な妖しい気配があたりに漂っていて。
そして目前に尖塔のように高く
ここは……いわゆる……何というか……アレ、ですよね?
「ななななな……!」
「ストップ」
奥二重でイマイチすっきりしない目をここぞとばかりにありったけ見開いたあたしの、わなわなと震える飾り気のない唇に、すかさず
「大声出すな喚くな叫ぶな。さっきの
白兎さんは深々と溜息を一つ吐き、ぼりぼりと金髪頭を掻きます。
「途中で気付けよ、まったく……。ご覧のとおり、ここはいわゆるラブホテル街って奴だ。自分の住んでる街でも意外と知らないもんだろ? すぐ近所にこんな場所があったんだ、って」
「た、確かに」
あたしは改めてこっそりと周囲を見回します。ここもそう、あそこもそう。ああ、もう全部です。生まれ育った街ですけれど、それだけにごくごく自然と『あそこは行っちゃいけない場所だ』という禁忌的観念が刷り込まれていたのでしょう。なので、見えていなかったのです。
その心の結界が壊された今、あたしの目の前に広がる光景はとても妖しげで恐ろしげで。思わず、ぶるり、と身を震わせるあたしに向けて、白兎さんは素っ気なくこう告げます。
「ま、そういう訳だから。悪いが、ここから一人で帰ってくれ」
「え……い、いやいやいや! 逆にここから一人で帰る方がよっぽど怖いですって!」
「安心しろって。ここは他人様の視線を避けているような奴ばっかりだから、誰も気にしちゃいないさ。それに、まあ……何というか……アレだ。祥子ちゃんなら大丈夫だろうし」
「ど――どういう意味ですかぁあああああ!」
祥子ちゃんならアレだし大丈夫、って完っ全に馬鹿にされてる気がするんですけど!
「な、何怒ってるんだよ!?」
なのに、当の白兎さんはあたしの怒りの理由がまるで分らないようで珍しく慌てています。
「ほ、ほら、祥子ちゃんならしっかり者で真面目だし、変なことにはならないだろうと……」
「あたし自身がしっかり者でも、良からぬ考えを抱いた怪しい人に捕まってあんなことやこんなことまでねっとりぐっちょりされちゃうかもしれないじゃないですか馬鹿なんですか!?」
しばしの沈黙。
「………………だ、大丈夫じゃないか?」
「次言ったらグーで殴りますからね!?」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ……」
途方に暮れて頭を抱える白兎さんに、新たな決意に満ちたあたしはこう宣言します。
「あたしも一緒に行きます! カップルの方が何かと都合が良いはずです! ですよね!?」
「えー」
「えー、じゃありません!」
「ここは……そのぅ……あれだ。男女がいわゆる淫らな行為をする……しちゃう場所だぞ?」
「し、知ってますってば」
改めてそんな真面目顔でくわしく説明されても、こっちだって返答に困っちゃいます。
「あたし、いくらお嬢様学校に通ってようと、中身はごくごく普通の一般家庭に育った極めて標準的な女子高生なんですよ? それくらいの知識はありますし、興味だってありますもん」
興味がある――その一語がよほどショッキングだったのか、白兎さんは目に見えて狼狽した態度をあらわにすると、珍しく顔を真っ赤にして目元を覆いながらしきりに手を振ります。
「お――おいおいおい! お、俺は……そのぅ……そ、そういうつもりはなくってだな!?」
「こ――こっちだってありませんよ馬鹿なんですか馬鹿なんですか!?」
白兎さんとそういうカンケイになるだなんて――考えたりするはずないじゃないですか!
この嬉野が、ですよ?
女の子同士がいちゃついたりキャッキャウフフするのが至高かつ究極と信じるこの嬉野が。
空想とか妄想したことなんか――ましてや夢に出てきてしまってドキリとしたなんて――。
「興味がある、って言ったのは、あくまで後学のため、ですっ! 恋し合う女の子同士が密やかに愛を育む場所の一つとして、あたしなりに見識を高めたいと思ってるだけですからっ!」
「はぁ……またそれか。ま、それならそれでいいんだけど」
心の奥から湧き出てきた妙にくすぐったいもやもやを一気に吹き飛ばすようにきっぱりはっきりと言い切ったあたしを見て、白兎さんはげんなりとした顔をして溜息を漏らします。
「じゃあ、念のため確認するぞ?」
あたしがうなずいたのを見届けてから、白兎さんは続けました。
「これからこの『ラ・ハイドレインジァ』に潜入する。俺と祥子ちゃんの二人でだ。
「あたしが知るべきは事実です。余計な推測は不要です」
「オーケー。それは俺たちの目で確かめるとしよう」
白兎さんは軽く肩を竦めて口に出しかけた台詞を引っ込めます。何が言いたいのか、それはあたしにだって容易に想像がつきます。でも――でも、そんなこと、あの円城寺さんがしているはずがありません。学年TOP5に挙げられるほどの美貌と存在感を兼ね備えた、聖母と崇められるほどの慈愛に満ちた『みんなの』円城寺さんがですよ?
でも、もしも。
その言葉どおり『みんなの』円城寺さんは、男性にとっても『みんなのモノ』だとしたら?
そんなはずはない――あたしは思わず揺らぎそうになったある種信仰心に似た己の中の感情を支えようと、先に歩き出した白兎さんの隣に追いついてすがるように右手を握ります。
「な、何だよ?」
「こ、この方が自然に見えるはずです。いけませんか?」
「……別に悪くはない」
恐らくこの世で唯一、男性恐怖症のあたしこと嬉野が躊躇なく握ることができる手の持ち主である白兎さんは、ぶっきらぼうに短く答えます。そして、不安に押し潰されそうで小刻みに震えているあたしの手を優しく包み込むようにぎゅっと握り返してから、静かに囁きます。
「さて……綺麗な白百合の園を掻き分けて進んだ先に何が潜んでいるのか、確かめに行くか」
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