美しきにはメスを(7)
――はっ?
一体どこのウスラトンチキですか、今夜は眠れそうにないの……とか言っていた奴は! はい、あたしです。
どうも、快眠快調の
目覚まし代わりにカーテンを開け放った窓の向こうには、雲一つないスカイブルー。差し込む日差しがあったかいです。ほかほか。うーん、と背伸びをしてからいそいそと学校へ行く準備を始めます。そして、ふと、思います。昨日の電話の主は誰だったのでしょうか、と。
話も聞いてないし確かめてもいない、まだ立証されていない段階とは言え、状況証拠は
だとしたら、あれは誰からの電話だったのでしょう?
ふーむ、と唸りつつ、聖カジミェシュ女子の伝統と格式を詰め込んだ制服に身を包んだあたしは階段を降りてダイニングに向かいます。いつもどおり『おはよう』の声はありません。白いテーブルの上には、母が出社前に大慌てでこしらえたであろう朝食が並べられています。冷蔵庫の中から果汁一〇〇パーセントのオレンジジュースのパックを取り出してグラスに注ぎ、再びテーブルに戻ってかすかに温もりの残るベーコンエッグ乗せトーストにかぶりつきます。
確か――
であれば、着信履歴を見ることは可能です、理論上は。
しかし、電話番号を見たところで何が分かる訳でもありませんよね。実際に掛けてみるとかしない限り相手が誰かは分からない。いや、掛けたところで分かる保証なんてありません。それにそもそもそんなチャンスはないでしょうし、あたし自身がそんなことしたくありません。
これはモラル
「……あたしのめくるめくお
ふん!とグラスの中身を一気飲みし、シンクにまとめて片付けてから学校へと向かいます。
そして、あっという間に放課後。
例によって昨日と同じ喫茶店の、昨日と同じ席です。
「――なんでそんな質問に答えないといけないんですか?」
「いやっ! あの……いけなく……はないですけど」
あたしは正面に座る
「もちろん答えなくってもオッケーよ。ちょっと気になった、ってだけだもの。だって、美術室で起こった騒動で描きかけの絵を台無しにされてしまったのってお友達……なんでしょ?」
「美術室? 騒動? 一体何のお話しされてるんですか? さっぱりなんですけど?」
「ちょっとチーコ。言い方」棘のある口調を耳にして
「だってぇ」急に浅川さんは甘えるようなトーンになって唇を
ふふふ、もう嬉野、分っちゃいましたよ!
竹×浅ですね、これ!
あたしが嬉野データベースにせっせと追記しているのを尻目に、安里寿さんが昨日の一件についてお二人に簡単な説明をします。すると、浅川さんは意外にもこう呟いたのです。
「へぇ。あの子、そんな目に遭っちゃったんですね。ま、あたしたちには関係ないですけど」
「部活仲間でお友達……なんですよね、
「誰がです? ああ、あたしたち――そうなってるんですね」
あたしの質問に浅川さんはそう応えます。
そして竹宮さんとこっそり視線を交わしてから遠慮気味に続けました。
「――あたしたち、美術部ならもう退部しましたから。やっぱり練習がキツイですけれど、慣れている吹奏楽部に転部しようと思って。それに……あの子はどう思っているか知りませんけれど、あんな関係って友達とは呼べないですよ。絶対に」
「あんな関係って……まあ、確かにそうかもだけどね」
「どういう意味かしら?」
「今お聞きになったとおりです」浅川さんは
「あの。済みません、チーコは凄くそれが嫌だったみたいで……」
終始喧嘩腰の浅川さんをさすがに見かねて、竹宮さんがなだめるように後を引き継ぎます。
「あたしたち、小・中学校とずっと同じ吹奏楽部だったもので、本格的に絵を描いたりするのは初めてだったんです。中学最後の吹奏楽コンクールで惜しくも入賞できず引退したあたしたちは、結構それがショックで……。だから、一回吹奏楽から離れてみようと入部したんです」
「でも、他の部だってあるわよね? どうして美術部だったのかしら?」
「それは……」竹宮さんは少しだけ言い淀み、口を開きました。「
「な、なるほど。そういう理由だったんですね!」
単なるミーハーなファン、という訳じゃなかったんですね。ちょっと霧島さんから伺っていた内容とはズレている気がします。
「鷺ノ宮先輩はあたしたちを快く歓迎してくれました。でも……あの子は最初から怒っているように見えたんです。特に何かした覚えもないんですけれど」
「怒っている? 霧島さんが?」
「あ、見た目の印象だとかそういうことじゃないです。確かに、ちょっとぶっきらぼうで人見知りするタイプなのかな?とは思いましたけど」何か言いかけた浅川さんを軽く制して、竹宮さんは淡々と言葉を連ねます。「クラスは違うけれど同じ学年だし、せっかくだから嫌われるより仲良くしたいと思ったので、鷺ノ宮先輩に――部長にこっそり相談してみたんです」
「部長はこう仰ったんです」浅川さんがすかさず口を挟みました。「霧島さんは一年生部員の中で一番絵が上手だから、教えてもらうのをきっかけにすれば良いって。なのにあんな――」
「ちょっと、チーコ」
「だってぇ。あんなの酷いじゃん!」
浅川さんは声を荒げてテーブルを叩いて立ち上がると、見る間に表情を歪めました。
「あたしたちだって一生懸命あの子の言うとおりやってたのに……こんな物、絵とは呼べないです、って言ったんですよ、はっきりと! そりゃあお世辞にも上手くなんてないですよ。だって本格的な絵を描くのなんて初めてだったんですから。おふざけ程度の漫画やイラストを描きたいなら転部すべきです、とも言われました。そんなつもりなんて全然なかったのに……」
震えるほどきつく拳を握り締め、眼元には涙が堪っています。
「楽しんでやることの何処が悪いって言うんですか? 基本が大事だなんて、あたしたちも部は違えど分かっているつもりですよ。今までそうしてきたんですから。でも、静物デッサンばかり描かされて、上から目線で駄目出しばっかりされてちゃ、こっちだって気も滅入りますよ! だから、息抜きに肖像画を描いてみたい、霧島さんが描いているみたいな――って言った途端、凄い剣幕で怒り出しちゃってさ!」
「ち――ちょっと待ってください!」
あたしは胸に引っかかった棘を言葉に変換します。
「霧島さんは、お二人が言い出したから鷺ノ宮先輩の肖像画を描いたんじゃないんですか?」
「違いますよ!」
浅川さんが悲鳴に似た叫びを上げると、隣の竹宮さんも頷きながらこう言葉を添えました。
「彼女は……霧島さんは、あたしたちが入部する以前から、ずっと鷺ノ宮先輩の肖像画を描いているんだって、そう聞きました。先輩には内緒で――」
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