溜息は少女を殺す(11)


 そして――。

 ゆっくりと、今回の顛末てんまつについて語ってくれたのです。






 そう、叶わぬままにそっと散っていった、小さな恋の物語について。






「なんかね……もう生きていても意味がない、咄嗟とっさにそう思っちゃったんだよね」


 分かります分かります。


「えとえと。……ですよね。悲しいですもんね」

「――? 悲しいってのとはちょっと違うと思うんだけど?」

「……はい?」


 はて、と小首をかしげるあたしに向かって、五十嵐さんは自嘲混じりの笑顔を浮かべました。


「ま、悲しい、と言えば悲しいかぁ……。そう思っちゃった自分に対して? みたいな?」

「ち――ちちちちょっと待ってくれます、五十嵐さんっ!?」


 あたしはぶつぶつと口の中で、頭に描いていた物語をもう一度最初から反芻はんすうしてみました。




 うん――うんうんうん――はい。


 やっぱり何かが決定的に食い違っている気がしますよ、これ。




「あのう……五十嵐さんは……恋をしているんですよね?」

「うぇえっ!? ……ま、してるかって言われたら、してるけど?」

「そして、その恋がはかなく破れたと」

「ややや破れてないからっ! ユーキとはうまくいってるもん! 最近会えてないけど……」

「ユ、ユーキ!? も、もしかして――!」


 嬉野データベース、起動!




 検索中……。

 検索中…………。

 検索中………………ヒット。




「それって、一年に新しく入った宇和島うわじま優季ゆうきちゃんです? 意外! でも見る目あります!」

「えっと。誰それ?」

「えっと。私立聖カジミェシュ女子高等学院、1―2所属の」

「――!? おおお女の子じゃない!? なんであたしが女の子と恋愛してるのよっ!」

「――!? ごくごく自然な流れかと」

「えっ?」

「えっ?」


 タイム!

 とあたしは五十嵐さんに向けて右手のひらをかざし、振り返ってしばし考えます。


 あれー。

 なんかおかしいですね?


 ふと視界の端に映った白兎はくとさんは、くの字に身体を折って苦しそうに笑いを堪えているようです。五十嵐さんはベッドの上に寝たままで白兎さんや美弥みやさんには気付いていませんでしたから、声を出して文句を言う訳にもいかず、べーっ!と舌を突き出すだけにしておきました。


「五十嵐さん? もう一度だけチャンスをあげますよ? 今お付き合いしている方は――」

「だ、男子に決まってるでしょ!? 小学校、中学校からずっと幼馴染なのっ!」


 ナ、ナンダッテー!


 いやいや。

 いやいやいや。

 嬉野、落ち着きましょう。


 人類にとっては大いなる損失ですが、これも五十嵐さんの選択なのです。認めなければ。






 ……ちょっと待ってください?






「では、どうして『あの人に溜息を吐かれてしまった。もう生きていても価値がない』なんて書置きを残したりしたんです? その、ユ、ユ、ユーキ?さん?とのお付き合いはうまくいってるんですよね?」

「どうしてその中身、『いいんちょ』が知ってるの?」

「え……はっ!! い、いや、あたしが嫌がるのを無理矢理……。そのう……ごめんなさい」

「……ま、いいけど。『いいんちょ』なんだし」


 理屈は良く分かりませんが、五十嵐さんは渋々ながらも納得してくれたみたいです。ふう、助かりました……とっても複雑な気持ちですけど。




 五十嵐さんはしばらく無言のままでした。




 やがて、ぽつり、と口を開きます。




「あたし、嫌だったの」

「はい」

「だって、あんなしょぼくれた顔で、あんなところに一日中閉じ込められて、あたしたちにしたくもない愛想振り撒いて。あんな年寄りにはなりたくない、そう思ってた。ずっと――」

「え?」

「『いいんちょ』だってそう思ってるんでしょ?」




 その時見てしまった五十嵐さんの顔。


 ああ、そんな顔をしないで、お願いだから――。




「そうだよ、絶っ対! あたしは嫌。あんな風になるのは嫌! あんなつまらない人生を送るくらいなら死んだ方がマシ。違う?」


 五十嵐さんは笑いました。

 思わず目を背けたくなるような狂気をはらんだかのような笑みで。


「もっと素敵な人生を送るの! そう、あたしたちには無限の可能性が広がってるんだから! ……だからね? だからよ。あのじいさんが溜息を吐いた時、ちょうどあたしが目の前を横切ったその瞬間に、あのボケかかったじいさんが心底下らないものを目にしたかのような、そんなしょぼくれた顔付きで深々と溜息なんて吐きやがったその時に――」


 くすり、可愛らしい忍び笑いと共に聞きたくなかった言葉がその口からそろりと出ました。




「――あたし、死んじゃおうかなって思ったの」




 もうあたしは耐え切れませんでした。

 気付いた時にはこう呟いていたのです。


「武山さん、です」

「……え?」

「あの守衛のおじいさんの名前、武山さん、と言うんですよ?」

「は? それが何なの?」


 ですが、五十嵐さんは不愉快そうに顔をしかめてみせただけでした。


「どんな名前だって良いわよ、別に。あたしの人生には無関係な人だもの。違う?」

「それは――」


 五十嵐さんに敵意混じりの刺すような鋭い視線で睨み付けられたあたしは、ほんの少し前まで自分だって名前を知らなかったことを思い出し、二の句が継げなくなってしまいました。


 そして、そこまで喋り終えた五十嵐さんは、まるで憑き物が落ちたかのように全身の力を抜くと、疲れ切った老婆のごとき皺枯れ声であたしに背中を向けて告げました。


「あのさ……何か凄く疲れちゃったから、もう帰ってくれない? 休みたいの――」



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