マンチーニ神父

 ヴェネツィアでの初日はジュエリー店巡り、いつもの通りに快調に却下の山を築いて終了です。夜は夜で、


「ワイン」

「イタ飯」


 ですが、いつも以上に盛り上がってます。


「コトリ先輩なかったですねぇ」

「そうよね、ムッソリーニの下から逃げたエレギオンの金銀細工師の子孫がひっそりやってるシチュエーションの可能性を探ったのだけど、あれだけの技術があれば、とっくに世界的ブランドになっているはずだものね」

「やっぱり甘くなかったということで、ほらミサキちゃん、カンパ~イ」


 もう何杯目か忘れましたが乾杯です。ミサキはジュエリー店が見つからなかった方が心配で、


「コトリ部長、乾杯はイイですが、これからどうするおつもりなのですか?」

「それはね、明日からいよいよ本命のサンタ・ルチアに取り掛かれるってこと」

「サンタ・ルチアが本命なのは聞いていますが、サンタ・ルチアとエレギオンが結びつくのですか」

「たぶんね、こうなると思ってたの。サンタ・ルチアがしたいばっかりに、ここまで飛ばしてきたのよ。これでイタリアで熱心に視察を行った実績は作ったでしょ」


 たしかに回ったショップを記録していますが、これだけの数を見て回った実績は確実にあげています。


「でもエレギオンが見つからなかったら・・・」

「その心配はわかるけど、逆に見つかって我が社で独占契約を結べば、大ヒット間違いなしよ。あれだけ探して見つからないんだから、エレギオンが残っていたとしても、一系統ぐらいしかないと思うのよ」

「それは、そうですが、とりあえず明日はどこに行かれるのですか」

「チェイサ・デイ・サンティ・ジェレミア・エ・ルチア」

「サン・ジェレミア教会ですね」

「まずはルチアと御対面てところかな」


 聖ルチアはもともとはシラクサに埋葬されていましたが、ビザンチン軍がシチリアに侵攻した時にコンスタンチノープルに持ち去られ、これを第四次十字軍がヴェネツィアに持ち帰っています。さらに言えば聖ルチアが安置されていたサンタ・ルチア教会は鉄道駅建設のために取り壊され、三度目の移動を余儀なくされています。なんか生前だけでなく死後まで受難に遭ってるようで可哀想です。

 この三度目の移動ですが、取り壊されたサンタ・ルチア教会はサン・ジェレミア教会に吸収された格好になっています。この教会はジェレミアすなわち旧約聖書に登場する預言やエレミアを祀ったもので、日本語的には聖エレミア教会になります。

 ここに聖ルチアの遺体が移動したために、ジェレミア・エ・ルチアと教会名が変わり、さらに聖ルチアの遺体の方が有名なって祀られているぐらいです。コトリ部長は御対面と仰られてますが、聖ルチアの遺骨というか遺体は、祭壇の下のガラスケースに収められて見ることができます。これもまた、死後まで見世物にされているようで、ミサキにはなんとも言えないところがあります。


 翌朝はまずはサン・ジェレミア教会に。これはサンタ・ルチア駅の近くにあります。思い起してみると、イタリアに来てから初めての観光の気がします。立派な祭壇の下に聖ルチアの遺体は収められていますが、顔には黄金のマスク、体には赤い服がかけられ、遺体そのものを見れる訳ではありません。もっとも見れたところで、骨と土ぐらいしか見れないと思います。コトリ部長はここで長いこと祈ってました。まるで何かの声を聞いているようにも見えましたが、祈りが終わると、


「次はサン・マルコ大聖堂にいくわ」


 ヴァポレットに乗りサンマルコ大聖堂に。ここも熱心に見学していましたが、祭壇の前で祈りを捧げた後に、なにやら受付に頼んでいます。ミサキも近寄って聞いていたのですが、


「・・・マンチーニ神父に呼ばれて日本から参りました。どこに行けばお会いできますか」

「マンチーニ神父とは?」

「パスクァーレ・スタニスラオ・マンチーニ神父です」


 この名を聞いた受付に少し動揺があり、


「紹介状はお持ちですか」

「紹介状というか、マンチーニ神父からの手紙ならここにあります」


 事務員はその手紙をしげしげと読み、なにやら奥の事務員を呼んで確認しているようです。


「間違いなくマンチーニ猊下のお手紙です。今から連絡を取りますので、しばらくお待ちいただけますか」


 猊下って枢機卿の敬称ではありませんか。これは驚きました。コトリ部長も、


「参ったわ、神父さんも枢機卿になったのなら、そう書いてくれたら良かったのに」


 けっこう待たされましたが、やがて案内の人が現われます。この時に、


「ミサキちゃんは一緒に来て通訳やってくれる。シノブちゃんは・・・」


 シノブ部長は一緒に来ずに後で落ち合うことにするようです。どうも予めそうする予定であったようで、シノブ部長は、


「ヴェネツィアを楽しむぞ」


 こう言ってルンルンで去って行きました。ミサキとコトリ部長は教会の奥深くに案内されます。重々しい扉が開くと、そこには赤い枢機卿の服を着た人がコトリ部長を出迎えます。


「コンニチワ。もうこれぐらいしか日本語は覚えていないから許して下さい。チエはイタリア語は話せますか」

「なんとか。もしわからなければ、こちらにいるミサキが通訳します」


 どう見たって通訳など不要のレベルでコトリ部長は話せますが、どうしてミサキも必要なのだろう。もちろん聞きたいけど。


「しかし、よく来てくれた。本当なら私が出向くべきなのだが、さすがに歳だから、もう無理が利かないのと、あの教会もなくなってしまったからね」

「ルチア・ベラ・エクレシアですね」


 これはラテン語だわ。ルチアの真の教会って意味にぐらいなるけど、コトリ部長が秘儀を受けた天使の教会の本当の名前みたいです。


「やはり秘儀はあの教会とセットなんですね」

「そうだ」


 マンチーニ枢機卿は神戸に来た時は司祭でしたが、イタリアに帰ってから枢機卿助祭に任じられ、同時に司教叙階も受けています。今は枢機卿司祭の地位にいます。話は聖ルチアの伝説になります。


「聖ルチアの伝承は多くの異説があるが、亡くなった時に四人の天使が聖ルチアを守ったとの伝承がある。これは既にシラクサでさえ忘れ去られたものだ」

「はい、マンチーニ猊下。十一世紀にビザンチン軍がシチリア侵攻を準備していた時に現れたとされています」

「四人の天使は聖ルチアをどこかへ連れ去って行ったと」

「そうだ、見たものの話によると、墓から聖ルチアが出現し、四人の天使に手を引かれて天空高く飛び去って行ったとなっておる」

「この伝承が消されたのはキリスト教の教義に反するからですね」

「そうだ。聖ルチアといえども最後の審判まで復活は待たねばならぬ」

「でも、ヴァチカンには伝承が残り、聖ルチアの行く先を探し続けていた」


 話は聖ルチア女学院の設立の経緯に広がります。


「タイクーン政府が倒れ、ミカドの新政府ができ、キリスト教を日本に布教できる日がきた。この時に神戸にも宣教師が派遣された」

「ペネデッティ神父ですね」

「そうだ、ペネデッティ神父は聖ルチアについて深く研究されていた。それだけでなく、強い力を持っておられた」

「霊能力と言うか、預言者のような能力をお持ちになられていたとお聞きしています。そして啓示を聞いた」

「そうだ、いずれ神戸に四人の天使が現われ、聖ルチアの行く先を知ることが出来る。天使を見つけるための学校を作れと」


 聖ルチア女学院って聖ルチアを探すために作られたんだ。


「そして、ペネデッティ神父はついに一人目の天使を見つけられた」

「そうなのだ。ペネデッティ神父は第一の天使を見つけられた。しかし天使の記憶は封印されていた。この封印を解くためにペネデッティ神父は心血を注がれたが、そのカギはヴァチカンに密かに伝えられる秘儀が必要だった」

「マンチーニ猊下。その秘儀を行うには特別の教会が必要で、そのために作られたのがルチア・ベレ・エクレシアですね」

「そうだ」

「さらにその教会を作るにはエレギオンの技術が必要だった」

「その通りだ」


 コトリ部長はここまで知ってたんだ。それにしても、どうしてミサキをマンチーニ枢機卿に会わせたのだろう。もしかしてミサキに聞かせるためとか。


「マンチーニ猊下。最後の秘儀とは私の天使の記憶の封印を解くものですね」

「そうだ」

「ルチア・ベレ・エクレシアは」

「シラクサに再建させた」

「では、いつ」

「三日後に」

「わかりました」


 そうやってマンチーニ枢機卿の部屋を後にしました。その後にシノブ部長と落ち合いましたが、シラクサに行くまで、まあ遊ぶ遊ぶ。ただミサキはマンチーニ枢機卿とコトリ部長の会話になにか引っかかるものが残って仕方ありません。しかしそんな物思いにふけろうと思っても、


「ミサキちゃん、次はここ行くよ」

「次はゴンドラ、ゴンドラ」

「お土産買わなきゃ」

「ワイン」

「イタ飯」


 弾けるようにテンション上がりまくりのお二人に、なかなか切り出すチャンスはありませんでした。

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