実地研修

 合宿研修は、朝から晩までスケジュールがみっちり詰め込まれていて、叩き込まれるって感じで参りました。さすがに社会人は甘くありません。ようやく一か月に及ぶ合宿研修が終わると、今度は各部署での実地研修です。ミサキたち新入社員の関心はどこに配属されるかです。

 配属は合宿中と実地研修での適性判断と、本人の希望によりますが、優先されるのはやはり適性でしょう。より高い適性能力を示したものほど、希望が叶えられる幅が広がるぐらいに考えています。

 そうは言っても、それぞれの部署がどんな状態なのかは気になるところで、新入社員の間で情報交換を行ってます。そりゃ、少しでも事前に情報があれば実地研修で少しでもポイントを稼げるかもしれないからです。

 だんだんと会社の内情が見えてくるのですが、懇親パーティでお話した結崎部長と、小島部長の評判は社内でも飛び抜けているのが良くわかりました。そりゃ、あの若さであれだけの地位に昇るのはタダごとではありません。男性社員だって、あの若さであれだけの地位に昇るのは容易でないというか、異例なんてものじゃないでしょう。

 小島部長でまず驚かされたのは、失礼と思いますが御年齢。どう見たってせいぜい二十代半ば過ぎにしか見えないのですが、三十代の後半なんです。これは何度も社員名簿の誕生日を見直しましたし、他の人にも聞いてみましたがやっぱりそうです。仕事の方の評判は、


『とにかく何をやらせても出来る人』


 小島部長の仕事ぶりについては数々のエピソードがあるようですが、その幾つかを聞いただけでも人間業とは思えないものです。それでいていつもあの微笑みを絶やした事がないそうです。小島部長の微笑みは近くにいるだけで、心が弾むような気分にしてくれますが、この微笑みについても伝説があるそうです。ただ、それについては、


『そのうちわかるよ』


 こう言われてまだ教えてもらっていません。なぜか先輩社員の方々でさえ、気楽に話題にしにくいエピソードのようです。


 結崎部長にも仰天させられました。まだ入社五年目なのです。結崎部長の信じられないスピード昇進についても既に社内で伝説化しているようです。社内名簿の履歴を確認する限り、結崎部長は入社三年目に突如部長まで昇進されています。とにかくヒラから課長にいきなり抜擢され、その三か月後に部長です。

 どうしたって理由が気になるのですが、これについては不思議なことに誰も詳細を知らないとの事でした。とにかく最重要業務を任され、これを短期間に仕上げてしまったそうです。この最重要業務の内容がなんであったかは、社内のごく一部の人間しか知らない極秘事項になってるそうです。

 わかっているのは部長昇進後の確たる実績です。三年はかかると予想されていた新設の情報調査部をわずか半年で軌道に乗せ、そこから半年足らずでブライダル事業で輝く天使ブランドを大成功させ、さらに小島部長と組んで微笑む天使ブランドの大ヒットを飛ばされています。

 結崎部長で他に有名なのは『天使の学校』。結崎部長の指導育成能力もまた伝説的で、結崎部長の下で働くだけで、誰も漏れなく飛躍的に力が伸びるとなっています。そのためか若手社員の憧れの部署の一つになっています。

 憧れと聞いて最初は、結崎部長の美しさに男性社員が魅かれたためかと思いましたが、男性社員だけではなく女性社員にとっても憧れの部署のようです。ですから結崎部長に対してその若さで陰口を叩く社員は誰もいません。どうも情報調査部は順次拡大されて、いずれは経営戦略本部になる予定だそうですが、それが出来た時の本部長には結崎部長以外に適任者はいないとの評判がもっぱらです。


 ミサキも順番に各部署の実地研修を行っているのですが、営業部では営業一課で研修をさせて頂きました。この営業一課長が格好良いのです。背も高いし、イケメンだし、歳だってまだ三十歳を超えたばかりなのです。佐竹課長というのですが、この方もまた異例の速度で昇進を重ねられています。少し気の毒と思ったのは、佐竹課長の昇進速度は余裕で異例なのですが、結崎部長が異常とも言える昇進をされているので、あまり目立たないところです。佐竹課長に研修の挨拶に行ったときですが、


「香坂君のことは、結崎部長から『くれぐれも』って聞いてるよ。しっかり勉強していってくれ」


 佐竹課長もよくよく見ると、輝く天使のブライダル・プランの新郎役のモデルをされていた方です。これについても、


「そうだよ。でもモデルじゃないよ、あれは結崎部長との本当の結婚式だったんだ」


 どうも佐竹課長と結崎部長の結婚式ごと輝く天使ブライダル・プランのイメージ・キャンペインに使われたそうです。ですから結崎部長も本当は佐竹の姓になられているのですが、社内で二人の佐竹はややこしいとなって、結崎部長は今でも旧姓のままで呼ばれているとのことです。これについては、


「あははは、とにかく新郎のボクが課長代理、新婦のシノブが部長だったもので、どうしてボクが結崎の姓にしないかって散々冷やかされたよ。来賓祝辞で社長以下からずらりと、佐竹忍とは絶対に社内では呼ばせないって何度言われたことか。入り婿して専業主夫をしろってのも多かったな」


 でも佐竹課長は仕事が出来ます。出来るからこそこの若さで課長に昇進され、いずれは営業部長から営業本部長への昇進も確実視されています。仕事ぶりについては、


『敏腕佐竹』


 この異名があり、将来はクレイエールを背負って立つ人間になるとの評判がもっぱらです。立ち入ったことと思ったのですが、ご家庭での結崎部長の様子もうかがったのですが、


「あのままだよ。シノブはなんに対してもすぐに一生懸命になるし、集中しだすと鬼のようになるんだ。炊事でも、洗濯でも、掃除でもモードに入ると一心不乱で物凄い勢いで楽しそうに済ませてしまうんだ。これはノロケだけど、ボクを愛することも一心不乱なんだよ。ホントに可愛い奥様だよ」


 とても幸せそうに話されるのが印象的でした。


 さて実地研修も大詰めで次が総務部、その次が情報調査部です。まず、あの小島部長のお仕事ぶりが拝見できるのです。緊張気味に、


「このたび研修でお邪魔させて頂く香坂岬です。短い間ですがよろしくお願いします」


 そしたら小島部長は、


「ミサキちゃん、待ってたよ。約束通り可愛がってあげるよ。コトリにバッチリ付いて回ったらそれでイイからね」


 そしたら総務部次長が、


「部長、バッチリ付いてと仰いますが、部長自らはチョットどうかと。それに部長はお忙しいし」

「だいじょうぶよ。ミサキちゃんが研修中はコトリは総務部に専念するって専務に釘刺しといたから」


 小島部長に付いて回ることになったのですが、とにかく小島部長は総務部の中を飛び回られます。飛び回ると言っても、ドタバタした感じはなくて、まるで蝶が舞うような感じです。ドタバタしていたのはミサキの方で、付いて歩くだけで大変って感じです。

 総務部は『なんでも屋』って呼ばれるぐらい多彩な業務があるのですが、それぞれの担当を小島部長は見て回られます。最初は順番に見て回っておられると思ったのですが、そうではなくて、それぞれの担当が少しでも業務が引っかかりそうになっているのが部屋に居るだけでわかるようです。

 そこにヒラヒラと舞い降りて、あっと言う間に問題を解消させて、次に舞っていく感じと言えば良いのでしょうか。とにかく実地研修なので、小島部長の仕事ぶりの要点をメモに書こうとするのですが、とにかく仕事の手際が早い上に鮮やかすぎて、書いてる途中に小島部長は次のところに舞っていかれます。

 小島部長は例の微笑みなのですが、小島部長がおられるだけで総務部全体が笑顔で包まれている感じがします。さらに小島部長が舞い降りたことろはさらに微笑みいっぱいになるって感じです。さすがは微笑む天使だとよくわかった次第です。部員の皆さまもホントにニコニコされておられて、とっても居心地の良いところです。小島部長は、


「ミサキちゃん、頑張るね。そこまでメモ取らなくても、ちゃんと良い点付けて上げるから安心していてイイよ。総務の仕事のすべてを研修期間中にすべて覚えるなんて無理だから、見学だけで十分よ」


 そうは仰られますが、そのままハイハイと言う訳にはいかず、とにかく必死になってついて行きます。小島部長はデスクワークもされるのですが、とにかく書類の処理の早いこと、早いこと。ホントに読んでおられるのかと思ったりもするのですか、ときどき手が止まり、


「これはやり直してもらうか」


 部員を呼んで指示を与えます。


「ミサキちゃん、管理職って大変なのよ。コトリが全部やっちゃうといけないからね」


 そして五時になると、


「終りだ、終りだ。今夜はミサキちゃんの歓迎会だから付き合ってもらうよ」


 えっ、てところです。ここまで回った部署で定刻の五時で仕事が終わったところを見たことがなかったのです。これは部長だけではなく他の部員もそんな感じです。一部に残業される方もおられるのはおられましたが、小島部長は、


「あれ! まだ済んでなかったの。悪いことしたわね」

「もう少しですから、終わらせて帰ります」

「じゃあ、頑張ってね。それじゃあ、ミサキちゃん行こうか」


 どうも総務部では残業なしが原則のようです。小島部長に連れて行かれたのは居酒屋さん。小島部長と一緒にいると少しだけ学生気分に戻る気がします。いろいろ聞かれました。学生時代のこと、合宿研修のこと、実地研修のこと。恋人の有無まで聞かれちゃいました。仕事中もそうですが、傍にいるだけでホントにニコニコさせてくれます。


 総務部が終わると最後の実地研修の情報調査部です。ここには結崎部長がおられます。ここでは、


「このたび研修で・・・」


 定番の挨拶を始めかけたらいきなり結崎部長が飛びついて来て、


「ミサキちゃん待ってたよ。みなさ~ん、実地研修にいらっしゃって頂いた香坂岬さんで~す。よろしくお願いしま~す」


 ミサキのセリフをすべて言われてしまいました。


「ミサキちゃん。情報調査部の仕事は今のところ経営分析がメインなんだけど、イタリア文学専攻だからやったことないよね」

「これから勉強させて頂きます」

「経営分析なんて実地研修の間に覚えられるものじゃないから、情報調査部の雰囲気だけ見て帰ったら十分よ。もしうちに配属になったら、ちゃんと教えてあげるから」


 情報調査部に来るまであれこれ噂を聞いているので、とにかく興味津々で研修がスタートします。


「今日はどうしようかな。バッチリ付いててあげたいけど・・・」

「部長、部長」

「どうしたのサキちゃん」

「だ か ら、社内では山村とお呼びください」

「ゴメンゴメン、山村さんどうしたの」

「朝の挨拶をお願いします」


 ふと見回すと部員全員が立ち上がったまま、身じろぎもせず部長の言葉を待っています。


「おはようございま~す。今日のお仕事ですが・・・」


 部員一人一人にあれこれ指示を下すのですが、指示を下された部員が飛び上るように嬉しそうな返答をするのが印象的でした。そこから、


「山川君、青木君、持ってきて下さ~い」


 呼ばれた二人が大部の経営分析レポートを部長に提出するのですが、部長はそれこそパラパラッと読むと、サラサラッとメモを書き、


「ここを見直しておいて下さ~い」


 あんなに簡単に目を通しただけで何がわかるのかの疑問が湧きましたが、渡された二人は、これまた嬉しさに飛び上るような感じメモを受け取り、


「ありがとうございます」


 あれってレポートの不備を注意されたのだと思うのですが、どうしてあんなに嬉しそうにするのか頭の中に『???』が渦巻きます。


「じゃあ、ミサキちゃん・・・」

「部長」

「なによサキちゃん」

「だ か ら、社内では山村とお呼びください。それと香坂さんは実地研修にいらっしゃってるのですから、ちゃん付けはよろしくないかと思います」

「もうサキちゃん、いや山村さんは、そういうところがウルサイんだから。ミサキちゃんじゃなかった、香坂さん、午前中はおもしろくないと思うけど私に付いてて」

「はい」

「ちょっと急ぎの仕事があるから、それを済ませたらお昼にしよう。じゃあ、ミドリちゃん」

「だ か ら、社内では鈴木とお呼びください」

「午前中に仕上げるから、二人で付いてくれる」

「かしこまりました」


 そこから部長室に行かれるのかと思ってたのですが、部室のデスクに座られ、猛然と仕事を始められました。経営分析については恥ずかしながら良く知らないのですが、素人目で見ても物凄いペースで仕事をバンバン進めていきます。そこに山村さんと鈴木さんが次々に資料を運び込まれます。

 その時に気づいたのですが、結崎部長が輝いています。懇親パーティの時と同じように輝いています。佐竹課長が仰っていた、結崎部長が集中すると鬼になるとはこういう状態とわかった気がします。それでいて、鼻歌交じりで本当に楽しそうに仕事をされます。

 そんな感じで二時間ばかり仕事をされていたのですが、一段落と言うか、分析が終わったようで、そこから部室内を見回られます。他の部員の仕事をチラチラと見るとメモをサラサラッと書かれ、


「ここを見直しておいて下さ~い」


 なにか注意をしているのだと思いますが、メモをもらった部員の表情が陶酔状態です。いや、部員全体が陶酔状態とした方が適切かもしれません。ふと気がつくと情報調査部全体が光り輝いてるように見えて仕方ありません。ミサキもなにか天国にでもいるような気分になってしまいます。そうやって、あっという間に午前中は終了です。


「ミサキちゃんじゃなかった、香坂さん、一緒にランチにしよう」


 社員食堂に部長と山村さん、鈴木さんと一緒に連れて行ってもらいました。そこでお話を聞いたのですが、山村さんは部長の同期、鈴木さんは一つ下とのことです。この三人は総務部時代から経営分析を担当されていて、ホントに仲良しのようです。なにも知らなければ、部長とその部下がランチしてるというよりは、同期の仲良し三人組のOLがキャッキャッ言いながら談笑しているようにしか見えません。


「ミサキちゃん、つまらなかったでしょう」

「いえ、そんなことは・・・」

「部長、だから社内では」

「前に約束したじゃない、昼休みはやめようって」

「そうですけど、今日は実地研修の香坂さんがいらっしゃるし」

「イイよね、ミサキちゃん」

「あ、はい」


 こんな感じで情報調査部の実地研修は進んで行ったのですが、本当に夢見心地の気分に浸りきった感じです。そうそう情報調査部も五時になればサッサと帰られます。ここも原則残業はしないようです。最後に送別会的なものを四人でやってくれたのですが、


「ミサキちゃんは欲しいけど、優秀だから争奪戦になりそう。だってコトリ先輩は絶対欲しいと思うのよね。ブライダル事業部だって欲しがると思うし。どこに配属されてもあなたならやっていけると思うよ」

「そんなぁ、わたしなんて」


 そこに山村さんが、


「シノブちゃんが目を付けた人は必ず伸びるのよ。これはコトリ先輩も同じ。二人の天使に認められたのは自信にしておいても良いと思うわ」


 結崎部長は、


「だ か ら、サキちゃん。コトリ先輩は天使だけど、私は天使じゃないって。それはともかく、ミサキちゃんは伸びるわよ、それだけは間違いないわ。配属がどうなるかはわからないけど、コトリ先輩が持っていきそうな気がする。だから総務になってもガッカリしないでね。コトリ先輩と一緒に仕事するのは絶対にミサキちゃんのためになるから」

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