第245話 アンネさんはショックを受けているようでした



「……理由を聞いてもよろしいですか?」

「はい。まず、俺はクレアさんやエッケンハルトさんを始めとした、公爵家と薬草販売の契約を結んでいます。そんな俺が貴族になると……」


 驚いた表情で顔が固まってしまったアンネさんに、昨日クレアさんと話した事を伝え、契約を大事にしたいため、貴族になるつもりはない事を伝えて行く。

 クレアさんの後ろの方で、セバスチャンさんが頷いているから、間違った事は言っていないんだろう。


「……そんな……そんな事のために、貴族になる事を断るなんて……それに、私にもなびかない……そんな人は初めてですわ……」


 アンネさんは、俺の説明を聞いてさらに信じられないといった様子だ。

 確かに、アンネさんは美人だから、それだけでも結婚は魅力的に思えるだろう。

 それに加えて次期伯爵という事だから、必然、結婚相手は貴族となる。


 昨日クレアさんにも聞いた事だが、貴族になるチャンスの少ないこの国では、とても魅力的に思え、断る事はしないのが当然なのかもしれない。

 けど、俺にはどちらもそこまで魅力的に思えないのだから、仕方ない。

 まぁ……アンネさんの見事な縦ロールは、ちょっと弄ってみたい……というどうでも良い事を考えてみたりもするけどな。


「そんな……まさか断るなんて……貴族になれるのですわよ……?」

「アンネ、残念だったわね。でも、タクミさんをこれ以上、貴族という理由で誘うのは、見苦しいわよ?」

「……まさかこんな事が……」


 ショックを受けてるアンネさんに対し、クレアさんは嬉しそうだ。

 そんなに、俺がはっきりアンネさんに断ったのが嬉しいのかな?


「はっはっは! タクミ殿は貴族がどうので揺らぐような男ではないからな! さすがは私の見込んだ男だ!」


 アンネさんがショックを受け、クレアさんが嬉しそうにしている中、突然食堂の扉が開き、エッケンハルトさんが笑いながら入って来た。

 どうやら、さっきの話は聞いていたらしい。

 ……ライラさんが扉の近くでそっぽを向いてるから、もしかすると、気付いて少しだけ扉を開けて中を見せてたのかもしれない。


「……お父様……また盗み聞きですか……? 昨日あれ程言ったのに……」

「いや、そのな? ……ちょうど食堂に入ろうとした時に、タクミ殿が断る所だったからな……邪魔しないようにとだな……?」


 目を細めて、エッケンハルトさんが盗み聞きしていた事を咎めるクレアさん。

 昨日に引き続きだからな……そう言われるのも仕方ないと思う。

 エッケンハルトさんの方は、昨日のクレアさんの怒りを思い出し、たじたじになってる。


「はぁ……まぁ、今日は仕方ありません。タクミ様が覚悟を決めて断るのを、邪魔してはいけませんしね」

「……そうだ……そうだろう?」


 仕方なさそうに溜め息を吐くクレアさんに、光明を見出したエッケンハルトさん。

 ここぞとばかりに頷くけど……懲りて無さそうだなぁ。


「ですが、同じような事はしないようにするんですよ?」

「うむ、わかった」


 クレアさんの言葉に頷き、エッケンハルトさんがテーブルにつく。

 ライラさんがサッとカップを用意して、お茶を注いだ。

 ……こういう動きは、洗練されてさすがだなぁと思う。


「さて、アンネ。残念だったな」

「公爵様……何故タクミさんは、貴族になる事をお断りになられるのでしょうか……?」

「そんな事は簡単だ。私の庇護下にあるのだからな。公爵家と伯爵家……比べてみると簡単だろう?」

「……公爵の方が爵位が高いから……ですか……」


 アンネさんに声をかけ、呆然としながら俺に断られた理由を聞くが……。

 エッケンハルトさん、それじゃ俺が公爵家というより強い権力を取った……という事になるじゃないですか!


「いや、あの……エッケンハルトさん? 俺は公爵家だからとか、伯爵家だからとかまで考えていませんよ?」

「そうなのか?」

「当然です。タクミさんは、権力の強弱で物事を決めるような方ではありません」

「ふむ……それは確かにそうか。そう言う事だ、アンネ……諦めろ」

「権力で動かないなんて……そんな方が……」


 俺とクレアさんに言われて、納得したエッケンハルトさん。

 日本で生まれ育ったからか、権力の有無で結婚相手を決めるような事は、したくないんだよなぁ。

 まぁ、人によるだろうけどな。

 とは言え、一応の理由を知ったアンネさんは、貴族という権力をちらつかせても、揺らがない人間がいる事に驚いてる様子だ。

 伯爵家の事はよく知らないが、今までそういう人たちに囲まれて育ったんだろうな、と思う。


 俺は幸いにも、権力をかさに着ない公爵家……クレアさんやエッケンハルトさんと知り合って、お世話になってるが、もしかすると、貴族と貴族の関わりだとか、上流階級はそういった権力欲のようなものが渦巻いてるのかもしれない。

 ……日本でも、似たような事はなくならないしな。



「はぁ……アンネさん、相当ショックだったんだろうなぁ」


 朝食後、裏庭に出て薬草作りをしながら、さっきの事を思い出す。

 アンネさんは、あれからずっと「そんな……貴族ですのに……」というのを繰り返して、呆然としていた。

 それだけ、断られると思って無かったという事なんだろうけどな。

 今まで、伯爵家という地位のおかげで、誰かに何かを言えば断られる……という経験が少ないんだろうな……とも思う。


「まぁ、だからこその公爵家での教育……なのかな」


 エッケンハルトさんが預かり、クレアさんのように教育してくれ……という事らしいが、すぐには無理そうだ。

 クレアさんは、貴族だからと驕ったところはなく、孤児院の子供相手だろうと分け隔てなく接する。

 公爵家という事を全面に出して、人に言う事を聞かせようとも考えて無いしな。

 以前、フェンリルの森の中で話したように、クレアさんを始めとした公爵家は、権力を誇って無理矢理に……というやり方を嫌うみたいだからなぁ。


 正反対……とまでは言わないが、伯爵家という権力を表に出す事を厭わないアンネさんとは、向いてる方向性が全く違う。

 クレアさんにしてもそうだが、アンネさんも今回の件についての案を考えると、頭も良い。


「これは……教育と言っても、一筋縄ではいかないだろうなぁ……俺にはあまり関係ないかもしれないけど」

「そうだな。今まで思うように生きて来た事を急に変えろと言うんだ、すぐには変われないだろう」

「……エッケンハルトさん?」


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