第79話 魂まで支配しようとする母親の

「そうですよねー、わかります!彼を見る女子の視線が熱いですもん…」


 隣で湯船のふちに腰かけて足だけ漬けているあかりさんに、僕はしみじみ言った。




 ヨッシーに僕んちの裏の肉屋の上等の焼肉と、焼き野菜を適当に買ってきてもらい、明るい夕方から4人でバーベキューをした。

 ヨッシーはさすがに二人を知っていて仰天した。


「うそ、谷あかり…さん?うそ、むっちゃファンです!わ、浅野リョウさん…ですよね?マナ、これってどういうこと?なんでに?」と珍しく興奮気味だ。


 こんな、ってヨッシーの作った大事なキャンプ場でしょ?と呆れつつも、そんなテンション高いヨッシーを見るのは初めてだったので驚いた。


 僕は年末にラブホテル、それもここいらでは有名な『湖城』で出会ったなんて言えず、


「正月に富山の温泉宿で知り合いになったんだ。っていうか、このお肉美味しいからちゃんと味わって食べてね!僕んちの近所の肉屋なんだけど、自分ちで交配までして大事に育てた牛の肉を売ってるんだから」と答えた。


 というか、ヨッシーは明らかにあかりさんの美貌にメロメロで、やっぱ彼は女性が好きなようだ。可哀想な美月!入学試験が終わるまでは動揺させたくないので、今日のことは絶対に内緒にしておかないと…。


「そっかー、マナとリアムも結構なもんだけど、この二人は別格の美男美女カップルですね。オーラが違う」とヨッシーが眩しいものを見るように言った。


「柴田さんだって若いのにこんな広い素敵なキャンプ場経営してるなんて、すごいよ!」とりょうが言った。


 お世辞ではなく本当に思っているようで、ますます僕の中の彼の好感度がアップした。レンタルショップで彼の出ている映画をバイトの帰りに借りてこようと思ったくらいだ。

 そんな映画見てるのがバレたらリアムに怒られそうだけど。


 でも実際、ヨッシーの作ったこのキャンプ場は、てらいや嫌味がなく、豊かで若若しい。りょうがそれをわかってくれているのを嬉しく思う。


「いえ、そんな大したことなくて…。実は周期的に人付き合いが苦手になるので、この場所を造ったんです。すごく一人になりたくて仕方ない、仕事や彼女、家族から離れたい、そんな時に一人でふらりと来れる電波のないキャンプ場があるといいなと思ったんだ。自分と似た人がいるはずだから、なんとかやってけるんじゃないかと思って…」


 ヨッシーがそんなことを言ったので僕は驚いた。のんきで人当りがいいヨッシーしか僕は知らない。会社員時代にそんな風に思っていたなんて…。


「わかるっ!俺もそうだって。昼間から部屋のカーテンを閉め切って真っ暗にしてこもる時、あるんだ。一人になりたいのに、でも、一人が怖い。そんな時、俺ならここに来たいと思う。柴田さん、同じ年くらいだよね?俺36で独身なんだけど」


「え、俺も!同じ年で独身なんて、嬉しいな。周りに独身がいなくなってきて肩身が狭いんスよね」


「わかるよ、飲もう!」


「いいですね!」


 意外な2人が意気投合して飲み始めた。


 っていうか、ヨッシーがそんな理由でこのキャンプ場を造ったと知って驚いた。美月やザキは知っているのだろうか?


「ふー、二人飲み始めちゃったね。ああなると彼は倒れるまで飲むから」


 あかりさんが嬉しそうに言った。なんで嬉しそうなんだろう、と思っていたら彼女は魅力的ににこりとして、


「ああ、最近彼の親友が結婚して付き合いが悪くなったからりょうは寂しいの。それもあって私と結婚したいのかもしれないけど…」と自虐的な事を言った。


 この人はこんなにも綺麗なのに自分に自信がないのだ…。


「いや、そんな理由で結婚したいなんてりょうさんは言いません。あかりさんのことが大好きなんですって!ほら、お肉食べて元気出して、あかりさんはちょっとパワーが足りませんよ。そんなに綺麗な心と笑顔があるんです、もっと自信持って下さい」


「…ありがと、頂くわ」


 そう言って肉を口にした彼女の顔がぱあっと明るくなった。


「ナニコレ、美味しい!!」


「でしょ?僕は日本一うまいと思ってます。ささ、男どもは放っておいて女子は美味しいものを食べましょー」


「そうね…ふふふ、マナちゃんって本当に男子みたいね。私、りょうがいなかったら好きになっちゃいそう」


 美しいあかりさんに言われるとくらっとしてしまう。男性ならなおさらだろう。


「男性には全くモテないんですけどね。バレンタインデーも、大量にゼミの女の子からもらっちゃって。3月のホワイトデーが大変です…」


 本当にトホホだ。

 まあ、チョコレートが大好きだからいろんなチョコが食べられて嬉しいのだけど。

 アユからはシャーリーのバレンタイン用生チョコセットを貰ったので、一緒にキャンプ場で食べた。宝石箱のように美美しくて食べるのがもったいなかったくらいだ。もちろん食べたけど。

 甘いものが苦手なルイがチョコを美味しそうに食べる僕らを嫌そうに見ていたので二人で笑ってしまった。


「そうなんだ。なんだか羨ましいな…私もマナちゃんみたいだったらこんな風に親で悩むことないんだろうね…」


「うーん、僕みたいだったらりょうさんに愛されてないと思いますケド」と僕が笑って言うと、


「マナちゃんは可愛いってりょう言ってたよ。どう、ドキドキする?」とあかりが僕をからかったので真っ赤になった。


「止めて下さい!僕そういうの免疫無いんですから!!」


「なんで?リアム君と付き合ってるんだよね?ラブホテルで会ったんだし…」と意外そうに聞いた。


「いえ、実は…その…いろいろ邪魔が入って、まだ、その…してないんです…」


 その邪魔の内2回があかりたちなのは言わないことにした。


「えー!!だから少し初心ウブな感じが二人に漂ってるんだ!ねー、りょう、大スクープ!聞いて!!」


「ま、待って、あかりさん…」


 走り出したあかりを真っ赤になった僕が追いかけてはみたものの、あっさりと僕らの秘密(まあ、隠してないけど)は男性軍に暴露されてしまったのだった。

 もちろん彼らはお酒が入っているので腹を抱えて笑い転げた。あかりも笑っている。

 本当に3人とも失礼だ。別に結婚前だし、してないのが何でそんなに笑えるのか全く理解できない。




 キャンプ場近くの共同温泉に二人で来ている。あかりさんとゆっくり話すチャンスだった。

 それにしても隣にいる裸の彼女はとても美しくて、女性として一緒にいるのが恥ずかしくなるほどだった。手入れの行き届いた健康で艶やかな肌に適度に凹凸があるスタイル。理想的だ。

 周りの人も場違いな美女にチラチラ見てくる。さすが女優…。そしてすっぴんでも綺麗だ。


「しかしリアム君は手を出してないなんて偉いね。浮気なんてしそうにないし、いいじゃない。りょうも浮気はしないけど、別れても次がすぐに控えてるだろうからね、油断できないよ。それに私には母がもれなくくっついてくるしね…いつ捨てられてもおかしくないとは思ってる」


 憂鬱な眼差しをして真っ黒の海を見た。たまにこの人は暗闇に吸い込まれて消えてしまいそうな表情をする。

 僕はちょっと考えてから、


「ね、あかりさん。僕8月に結婚するんですけど、もし僕の母親が反対しても結婚したと思うんです。

 だってリアムとは別れたら終わりだけど、母親は親子だからいつか和解できる。だから今は彼との関係を大事にしたい。

 あかりさんはりょうさんを失ってもいいんですか?彼は繊細だから一度失ったらきっともう二度と戻れない気がします。傷付き過ぎて、大好きだったあかりさんとは一緒にいられなくなる…たぶん。

 あかりさん、お母さんを一度思い切りましょうよ。親子だしきっといつかわかってくれます。それにお母さんにはお父さんがいますよね?あかりさんがいなくなれば二人が仲良くなるかもしれないし…出過ぎたこと言ってごめんなさい。でも僕あかりさんたちのことが好きだから…どうしても幸せになって欲しいんです。…怒りました?」と聞いた。


 あかりはじっと海を見てこちらを向かない。彼女は生意気な僕に腹を立てて怒っているかもしれない。


 しばらくじっと待っていたら、こちらを向いた。僕が見えない方の目から涙を流してた。


「ふふ、器用でしょ?片目からだけ涙を流せるの。これね、母親の気を引くために身に着いたテクニックなのよ。

 私ね、母親を小さな頃からとても恐れてた。コロコロ機嫌が変わる彼女を。例えば母がご機嫌な時に服を買ってあげるってショッピングセンターに私を連れて行くでしょ?着くと急に怒りだして、車で待っていなさい!って置き去りにされて、寒い車中で2時間ぐらい待たされたりなんてざらだった。テストの点数が100点じゃないと正座で1時間は叱られた。お父さんは何も言ってくれなかった。自分に母親の怒りが降りかかるのが嫌だったんでしょうね。

 私は家で常にびくびくしてた。『あなたのせいで、あなたがいなければ』って怒りの対象で育ってきたの。だから、私の人生イコール母を怒らせないように行動すること、だった。

 芸能界に入っても友人も仕事も選ばせてもらえなかった。でもね、りょうはそんな私に根気よく付き合ってくれて、解放しようとしてくれた初めての人なの。

 私、頑張って母を振り切る。ありがとう、マナちゃん」


 僕はなぜか涙が止まらなかったので顔をお風呂に何度も漬けた。お風呂で良かった。


 


 戻ると、男二人が飲み潰れて管理棟の2階で寝てしまっていたので、僕らは1階で夜通しお互いの母について語り合った。

 彼女の中には誰にも言えない母親への不満が溜まっていたのだろう、尽きることがなかった。なんせ30年分だ。




「マナちゃん、私絶対に頑張るから」


 そう僕の耳元でこっそり言ってあかりはりょうと仲良く帰って行った。


 放任されてもう少しかまって欲しかった僕と、抑圧されて過度に干渉されて育った彼女。

 どちらの母親も愛情が根底にあるのは間違いなかったが、あかりの母親は彼女の人生をだと勘違いしているように感じた。なんせ愛情だと思っているし思わされているので厄介だ。

 僕から見たら変容し過ぎてとてもそうは思えない代物だが。

 彼女が決定的に母親を拒絶しない限り、その関係は続くのだろう。そうしないと幸せになるのは難しそうだ。でも誰にでも幸せになる権利はあるはずだ。


 僕はあかりが母親の強い呪縛から逃れ、二人がどうかうまくいくようにと祈った。

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