第65話 大人のくすり
(クリスマスの夜に誰だろう?)
携帯を見ると、母や美月、ザキとヨッシー、アユとルイ、ゼミの仲間からクリスマスメールが入っていた。
当たり前だが母がとても心配している。誘拐された時にすぐリアムが連絡してくれたからだ。
『心配かけてごめんなさい。年末には帰るから待っててね。メリークリスマス』と母に送った。
友人には普通にクリスマスメールを返した。今まで友達がいなかったので、初クリスマスメールにドキドキしながら。
「どうしたのさ、嬉しそうにメールして…誰に送ったの?」と急に隣にリアムが座ってベッドがへこんだから僕は飛び上がった。
「リ、リアム!いつの間に?」
「ノックしても返事がないから、勝手に入った。ねえ、誰に送ったの?」と少し不機嫌に言って僕の携帯を覗き込んだ。誰だと思っているのか反対に聞きたいくらいだ。
「母とバイト先とゼミのみんな。事件のせいで心配してるしね」
僕がそう答えると、リアムは黙り込んで僕の肩にあごを乗せ、僕を弱弱しく抱きしめた。そういえば彼は母親の特製クリスマスディナーを半分程しか食べていなかったのを思い出した。
「どうしたの?調子悪そうだね、夕御飯もあまり食べてなかったでしょ?」
「いや…大丈夫。マナが誘拐された時、もう帰って来なかったら、ってずっと怯えて緊張してた…ホッとして疲れが出たんだと思う。マナ…俺のせいでごめんね」
「バカね…僕がリアムを選んだんだから問題ない。それに誘拐とはいってもなんにもなかったし」
「…すぐ人に同情するマナには本気で呆れる。そいついい男だったの?」
「…ん?」
(そいつ?)
「その誘拐犯。マナはかばってたろ?わかってるんだよ…俺すごく嫌だった」
「目隠しされてたから顔はわかんない。でも、お母さん想いで悪い人じゃない、と思う」
「バカマナ…」
「ごめんね、心配かけて」
「怖かったよ…本当に怖かった。もう二度と会えないかもって…」
「リアム…」
僕は彼の顔を両手で挟んでふわりとキスした。
「ルリさんと同じだよ、死んでも側にいるから」
「本当にヤダ」
ふくれっ面になった彼は、ゆっくり倒れ込むように僕をベッドに押し倒した。
(これは…今から…する、のか?)
どうしたらいいかわからず心臓をバクバクさせながら彼がどうするのか待っていたが、僕の上に
(迷っているにしてはおかしいな…)
僕は知らないが、ハワイではこういう時に女性が何かしなくちゃいけない決まり事とかがあるのかもしれない。
「あ、あの…リアム?僕、何か…」
「…い…痛い…」
彼の絞り出すような声で僕は一気に目が覚めて彼の下から抜け出した。
「痛いの?どこが?」
「お、お腹…と頭」
ゆっくり仰向けにすると、彼は
僕はすぐに彼の父を呼びに部屋を飛び出た。
「ストレスからくる吐き気、頭痛、めまいだな。マナを酷く心配してたから疲れたんだ。それにキアナのこともショックだったんだろう?今から病院で薬を作ってくるから待ってなさい」
彼の父が僕の部屋でリアムの身体を診断し、安心させるような優しい声で言って病院へ調薬に出て行った。さすがお医者様だ。
っていうか、彼が僕の部屋にいることに全く言及がない。
(さすがアメリカ…個人主義だ)
僕がいろんな意味でほっとして、何か身体にいい飲みものを持ってこようとして立ち上がろうとすると、彼が手を弱弱しく
「どうしたの?」と聞くと、
「行かないで」と茶色の目を寂しそうに潤ませて言った。
あまりに可哀想なので僕は隣に添い寝し、頭部を優しく抱きしめた。シルバーの髪が僕の頬にかかって気持ちいい。
(強いストレスで血管が収縮し、血液の流れが滞り、必要な栄養などが脳に運ばれなくなると強い頭痛が起こる、と教科書にあったっけ…)
「わかったよ、寝るまで側にいるから。でもベッドが狭くて余計に頭が痛くならない?」と聞いた。
「大丈夫…せっかくのチャンスだったのに…イタタ…」
胃も痛いようで押さえている。可哀想だ。
強いストレスが胃に大きな負担をもたらし、腹圧を高くさせる。胃の中の物が逆流したり、胃酸が過剰に分泌してしまい、消化機能が不安定になり、吐き気が現れる…頭でわかってはいても心配で仕方ない。
「ムカムカする…?可哀想に…早く薬が欲しいな、そうするとゆっくり寝られるのに」
僕は手を伸ばして彼の大きな背中をさすった。痛みと喜びの感情のミックスを手のひら越しに感じた。こんな時でも感謝を忘れないリアムはやはり心が美しいのだと再確認する。
「マナの手、すごく気持ちいい。でも本当に残念…」とまた言って、僕を抱き枕のように抱えて痛みで潤んだ目を閉じた。
でもこんなになってもチャンスを逃したことを悔しがっているなんて笑ってしまう。
僕が身体を揺らしながら小さく笑っていると、リアムは「ひどいな」と言って弱弱しく笑った。
次の日、僕らはどこにも行かずに部屋でゆっくり過ごした。彼はあまりクスリを飲まないせかよく効いているようだ。
僕の好きな歌を歌ってもらったり、小さな頃の話をしあったり、家族の思い出話をした。僕はこんな風に彼の話をじっくり聞いてあげたことがなかった。
「ナユタの話はしないんだ」とリアムが聞くので、
「聞きたいの?」と聞き返すと、少し笑って「やっぱヤダ」と言った。
(なんなんだろう…本当にこの人はわがままだな)
でも困ったことにそんなわがままな彼を僕は大好きなのだ。
そして僕は年末に日本に帰ってきた。独身最後になる(はずの)大晦日を母と二人で過ごす為に。
帰国した日の夕飯の席で僕が作ったもつ鍋を二人でつつきながら、仕事から帰って来たばかりの母に大晦日をどう過ごすか聞いた。
「最後だし初詣に二人で行きたいな」と僕の希望を言ったら、
「えー、私柴田さんたちと年越しカラオケ行くんだけどぉ」と母が速攻で断ってきたので、僕はお笑い芸人のように椅子から落ちそうになった。
「え…だって僕、夏に結婚しちゃうんだよ?最後の年越しなのに…」
「何言ってるの?今まで散々一緒に年越してきたじゃない!あんたもうすぐ21にもなるのに…バカ言ってないで早く親離れしなさいよぅ」と心底呆れたように言った。
「う…」
言葉が出ない。
まあ、母の言う通りではある。今まで通算20回も一緒に年越ししてきたのだ。ずっとナユもいた。
(でもあんまりじゃないか?)
「…もういいっ!僕キャンプ場で年越しするからっ!!」
「そうしなさい」
母は笑って言い放った。
(誘拐事件の時はあんなに僕の事心配して、早く日本に帰って来いって言ってたのに!)
僕は食事を終えたら後片付けもせずさっさと愛車のチョコレート色のホンダの原付に乗ってキャンプ場に向かった。こうなったらもう当分家には帰って来ない覚悟だ。
「なに、おまえずっとここにいると思ったらお母さんと喧嘩して家出してるの?笑える、ハタチ過ぎて家出なんて聞いたことないぞ。そういうのは『外出』って言うんだよ」
美月が僕をからかった。バカにしているのがまるわかりだ。
「いいの、初めての家出だから。反抗期なの!」と僕は美月に乱暴に言った。
「お、おまえ…もしかして反抗期なかったタイプ?」と信じられないといった風に聞いた。
「悪いですか?うち母子家庭だったから、そんな精神的余裕はなかったんですっ」
「精神的余裕って…おまえやっぱ変なの」とぷぷぷと笑いながら言った。
「今でも絶賛反抗期の美月に言われたくない」
「残念でした…俺はちょっと前に終わったから」と美月は威張って言う。
(ドヤ顔で言うことか?)
「…ねえ、マナ。この問題…」
カイが僕らに呆れながら聞いた。
「ああ、ごめん」
カイから勉強を教えて欲しいと言われたので美月と一緒に管理棟の2階で勉強している。ヨッシーが遅番担当だ。昨日からは僕が昼にバイトに入っていた。
美月はもうすぐセンター試験なので昼型生活に慣らしている。
バイトは休みだが、ここで勉強するのに慣れてしまって、なぜか家ではなくここで勉強しているのだ。ザキは僕がハワイに行っている間にさっさと雪山に行ってしまった。
「でも助かった。俺試験だから柴田さんと2人だけでは回らなかったしな」
ぽつりと美月が言った。
(珍しく素直!本当に反抗期が終わったんだ…)
「マナ、反抗期なの?」とカイが僕の説明の後、急に聞いた。
「冗談だよ、冗談。もう僕もハタチだからね」
僕は焦って言った。カイの父にそんなこと言ったら心配させちゃうだろう。
「おい、騙されんな。マナは反抗期真っ只中だから、気をつけろよ、すぐに殴られるぞ」
「うっせ、ジジィ」
「なんだと、クソガキ」
(またこの二人は…)
「二人ともうるさい!ほら、美月はこっち」
僕は彼の机をカイからずいっと離した。
「ちぇ…」と言いつつも、美月は嬉しそうだ。ずっと一人で勉強してきたのだから、仲間がいるみたいで嬉しいのだろう。
熱心に勉強してたら10時になっていた。
「もう遅いし、家に電話して帰ろうか」と聞くと、
「嫌だ。今日は泊ってく。マナも泊まるんでしょ?」と珍しく甘えるように言った。
(うーん、可愛い…)
「うん、明日はここでお餅搗きだからね」
「僕も食べたい!」
カイが目を輝かせた。彼に餅搗きを見せてあげたくなった僕は、
「じゃあちょっと聞いてみようか」と言って、僕は管理棟の固定電話からカイの母親の恵子さんに電話した。
「あら、ありがとうございます。でもいいんですか?」
「ええ、明日はお餅搗きなので、それが終わったらまた電話します。そうだ、陸君も食べたいだろうし良かったらご家族も一緒に」
「まあ、嬉しい。じゃあ皆で伺いますね」
「楽しみにしてます」
明日は30日、ここらの古い家では餅搗きをするのが恒例だ。お正月の鏡餅を作る為だが、今では搗く家も減っているそうだ。
ここのキャンプ場では毎年常連さんやお客さんと搗くので、餅が好きな僕はとても楽しみにしている。
「へへっ」と嬉しそうに二階に上がると、カイはもう机に突っ伏して寝ていた。
「あーあ、寝ちゃってる。美月、ここで布団敷いて寝てもいい?」
「え…いい、けど…」と美月は少し戸惑ってから答えた。
(なんだろう?迷惑なのかな…)
そう思いつつ、二つ布団を敷いた。
「ごめん、カイをつってくれる?」
「いいよ」
僕らは二人でカイを布団に寝かせた。まるでドラマの父親と母親みたいで思わず笑ってしまう。
「意外と重い…もうすぐ中学生だしね…。美月も早く寝たほうがいいよ、試験の日が近いから。じゃ、僕はテントで寝るから行くね」
「じゃ…って、おまえここで寝ないのかよ」
「当たり前じゃん、もうカイも大きいから僕とでは恥ずかしいだろうしね」
「なんだ…」とあからさまにがっかりしている美月に、
「ふふ、美月は僕と一緒に寝たかったの?」と冗談を言うと、急に「…そうだよ、悪いか?」と真顔で返して、じりじりと僕に四つん這いで近寄ってきた。
「ちょ、ちょっと…美月はゲイでしょ、冗談止めてよ」
「ゲイだけど…お前は好きだ…」
僕も少しずつ後ずさっていたが、あっという間に壁に背中が付いてしまった。狭い部屋なのだ。
「や、ちょっと…」
「マナ…もう後ろがない。どうする?殴るか?」
彼は僕の肩を柔らかく掴んで壁に押し付けた。
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