第61話 シンデレラガール?
『ジャパニーズ・シンデレラガール』
派手な見出しの記事がハワイの地元のネット新聞に載ったのが始まりだった。
母がハワイに2泊して日本に帰り、僕はクリスマスまでリアムの家族と過ごしてから日本に帰ることにした。この年末年始は母と二人で過ごせる最後になるかもしれないのだ。
「えー、もっといて欲しい。まだまだ冬休みでしょ」と際限なくわがままを言って僕の膝にまとわりつくリアムを、困ったように眺めて銀色の美しい髪を撫でた。
(なんだろう、結婚が決まってからのリアムってば二人の時にはやたら甘えてくるな…もちろん可愛いし、それだけ僕に心を許してくれているのだろうけど…ちょっと複雑な気分だよ…)
「おまえさ、リアムをちゃんと甘やかしてやらないとまた浮気するぞ」
空手の稽古の後、イーサンが顔を洗う僕の隣でそう言った。ドキッとした。
大学でリアムが勉強する間、僕は何度か稽古に参加させてもらっている。なんだかもやもやするので発散したかった。
「ちゃんと?」
ちゃんと、の意味が分からない。その前に、僕は小さい頃に父と祖母が死んで、あまり母にも甘えてこれなかったのでわからない。そう僕が言うと、
「そっか…仕方ない、俺がおまえを甘えさせてやろうか?で、それをリアムにしてあげたらいい。さっそくデートしようぜ…」と彼が言ったときにはもう迎えに来たリアムに頭を殴られていた。
「おいおい、またいらないことをマナに吹き込むんじゃないよ。彼女が不安になるだろ?俺は浮気しないから」
「わざと不安にさせてんだよ」とイーサンがまたリアムを怒らせるように言って逃げていった。
リアムはほうっとため息をついて、僕の腰に手をまわして頬に軽くキスした。
「マナ、イーサンの言うこと真に受けないで」
「イーサンは僕を笑わせようとしてるだけってわかってる。すぐ着替えてくるから、待ってて」
「うん」
空手の道場にリアムがいるととても不思議に感じる。丹頂鶴の群れの中に孔雀がいるみたいだ。
僕がロッカーで着替えていると、一緒に稽古してた女子3人に囲まれた。
「マナ、これって本当?」
彼女たちが携帯で見せてくれたのは、地元のネットニュースの記事だった。
『ジャパニーズ・シンデレラガール』という見出しで、ラッキーなハタチの日本人女性がハワイの大富豪の女性の遺産をすべて引き継ぐ、という内容だ。
「なにこれ、嘘だよ、嘘。だって僕とリアムが結婚しても僕は他人だよ?!」と僕はびっくりして言った。
(この書き方では、遺産はすべて僕がぶん取るみたいじゃないか…)
「だよね、おかしいと思った。でもこんなフェイクニュース…心配だな」
彼女の顔がひどく曇った。
「心配?どうして?」
「だって、マナがお金持ちだと思われちゃう。気を付けてね」
女の子たちが本当に心配してくれているのが空気越しにも伝わってくる。
「…ありがとう。まあ、名前も写真も出てないから大丈夫だと思うけど」と僕がやや楽観的に言うと、
「それがね、これ見て」
彼女が差し出したスマホには、先日のホテルでの昼食会で僕らが並んでいる姿が写っていて、見出しにはやっぱり『シンデレラガール』とあった。
(おいおい、いつの間に?全然気が付かなかった)
「ハワイは日本人から見たら楽園に見えるかもしれないけど、貧困や出身地の差別などがある普通の世界なんだよ。数日前には現地の小学生の子供の営利誘拐があったし、先週は日本からの女子留学生が拉致監禁されて性的暴行を受ける事件があった。
アメリカだから拳銃を持つ家もあるし、実際拳銃による事件も最近は多発してる。政府が観光資源を重要視するからあまり大っぴらに外国には報道はされてないけど、マナも気を付けて」
彼女たちの内の一人がとても心配してハワイの現状を説明してくれた。
僕は「ありがとう」とお礼を言ってロッカールームから出た。
(知らなかった…そうだ、いつも誰かが一緒にいてくれるから安全だっただけで、本当は危険な場所なんろう。僕はここがアメリカだと忘れかけていたよ)
「どうしたの?元気ないね。僕が浮気しないか心配?」
帰りの車、信号で停車するとリアムが心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
街はすっかりクリスマス一色だ。先日もリアムとアフタヌーンティーを楽しんだが、そのホテルもクリスマスらしく美しく飾り立てられていた。
州民の約30%がキリスト教徒のハワイでもクリスマスは大事な祝祭だ。無宗教が60%というから、日本と同じくお祭り気分が強いのかもしれない。
無宗教とは言っても、ハワイ先住民の宗教である自然崇拝から生れた多神教の教えがキリスト教伝来の19世紀までの長い間続いていたと聞くので、もともとの宗教が人々の精神的基盤になっているようだ。
イーサンに連れていってもらった遺跡に興味があったので調べていた時に、ついでにハワイの神々の国つくりの神話を読んだ。内容が日本と似通っていて親近感がますます湧く。
ハワイでは19世紀まで宗教が人々の生活を隅々まで支配していた。
さまざまなカプ(タブー)を規定し、神官、貴族、庶民、奴隷の4階級からなる厳格な身分制度を作って政教一体で国を運営した。
生まれつき身分が決まっているのは楽なんだろうか、それとも息苦しいものだろうか。現代に生きる僕は身分という概念がもう受け付けない。
「そんなこと心配しても仕方ないでしょ?」
僕が笑って言うと、「ひどいな…」と言ってリアムは口を尖らせた。一度失くした信用は取り戻すのに時間がかかるのだ。特に僕はとろくさいのかなかなか切り替えがうまくいかない。
「じゃあなにさ?」
「うん…」
僕は言うか迷ったけど、
「ルリさんの遺産のことがネットニュースに載って、空手仲間が僕を心配してくれたんだ。僕の写真が出てたから…」と正直に言った。
リアムはしまった、という顔をした。きっと知っていたけど言わなかったのだろう。
「…ごめん、気持ち悪いし怖いよね。でも俺がいつもそばにいるから…だから大丈夫、安心して」
(そっか、最近やたらと一緒に居たがると思ったがこういう訳だっだんだ…やたら甘えてくるのも、外での緊張のせいかも)
僕は申し訳ない気持ちになって、
「リアムは大丈夫なの?」と聞いた。だって僕なんかよりリアムの方が昔から危険だったはずだ。
「俺のこと心配してるの?マナは困った人だな。俺はね、これでもとても気を付けてる。危険な場所には絶対に近づかない。キアナもそうだ」
「そっか…」
資産家も色々大変なんだな。
「だから、マナは人がいない場所には行っちゃダメだよ。あと、日本でも一応は気を付けて。SNSは…マナってなにもしてないよね?俺もしない。どうしても情報が漏れるからしない方がいい」
「うん…」
SNSには全く興味がない。大事な人とだけ繋がれればいいと思っている。出来たら仮想空間でなくリアルで。
「貰ってもないものでこんなことになるなんてね」と無理して笑うと、
「でも僕とマナとキアナの3人で遺産をわけるから、結構な金額になるよ。グランマは相続税を節税する為に2代飛ばして僕らに相続させたんだ。父も母も自分たちの資産だけでお金は十分だって。事前に3人で相談してたらしい」
「え…そんなに多いの?」
僕のイメージでは4年間の学費と生活費くらいだと思ってた。
「バカだな、間違いなく一人1億ドルはあるよ。不動産と株だけでも結構な金額だ」
「マジか…」
(1億ドル…簡単に計算して109億円…ひとかけらも想像できないし、シンデレラと言われても仕方ない金額じゃないか。身に危険が及んでもおかしくない。そっか、リアムとキアナで使ってしまえばいいんじゃないか?)
僕はさっそく、
「リアムは何かしたいことはないの?」と聞いてみた。
「そうだな…立派な医者になってグランマに認められることと、海洋学者と歌手、老後はハワイの将来の為に何かボランティア的なことをしたいかな。
グランマがね、『お金の為に働くな、学ぶために働け』ってよく言ってたんだ」
「うーん、それってお金を使うより増えそうだね…」
(困ったな…)
「マナは?」
「私?」
(そうだな…)
正直僕はハワイに来て日本とアメリカの医術に携わる女性の立場の差が気になっていた。
リアムの大学の医学部を覗くと、女性の講師や教授、医者がとても多く感じた。半分以上ではないだろうか。
細やかな心遣いができる女性は医者に向いているのに、なぜ日本では…と歯がゆく思う。
女性初の医科大学学長をしていたアン・プレストンが、『医者のようにふるまうのは女性の本能である』と書き残しているのは医学に関わる者には有名だ。シズのように人を治療する技術が女性だけに伝わったのもそういうことではないだろか。僕の母は怪我をしたら庭のアロエをスライスして優しく貼ってくれた。そういった、相手を大切に扱って癒す本能のことをアンは言ってるのだと思う。
僕の通うN大の医学部の在学生の比率は男子が75%とかなり男女差がある。能力の男女差はない、いや、女性の方が平均学力が高いくらいなのに、とても不思議だ。
医者の働き方があまりにもハードなのと、男性中心社会のせいで女性が仕事を続けにくくなっているからか、それとも大学が恣意的に男女差を設けているかだ。結婚出産育児などイベントごとに仕事の見直しをするのは決まって女性なのも問題だ。
「そうだね、お金がめっちゃあるなら病院を作りたいかな。女性と子供向けの総合病院。先生も看護師もスタッフ全員が女性で、一生働いてもらえるように勤務環境を整えるの。
学童も保育施設も助産院も併設して、隣に社員寮代わりのマンションを作って住んでもらってさ。女子高や女子大があるんだから、女だけの会社があってもいいでしょ?そうだ、時代に逆行して女子医科大学もいいよね。気兼ねなく勉強できそう」
僕のうきうきした言葉を聞いてリアムは目を輝かせた。
「へー、それは面白い。マナの意外な一面だね。でも本当にあったら女性がそこに集中して他の病院からつるし上げられそう。男の嫉妬は激しいから妨害がありそうだ」
「大丈夫、たくさんいる男性がそっちに行くから」と笑うと、リアムは「やっと笑った」と言って嬉しそうにした。
僕たちはそのまま車でワイキキ中心にある『ロイヤル・ハワイアン・センター』というショッピングセンターに着いた。
明後日はクリスマスなので、プレゼントを買う人でごったがえしている。皆が購入した大量のプレゼントを持っているのでなおさらだ。
こう見ると、アメリカの人はプレゼントをたくさんの人にする。微笑ましい習慣だと思う。
3階建ての白いゴシック様式の建物と同じくらいの高さのヤシの木がずらりと並ぶ。南国らしい面白い組み合わせだ。
クリスマスコーディネートの白とグリーンと赤とゴールドでどうしても気分が浮き立ってしまう。素敵なモノが見栄え良くショウウインドーに並べてあって目移りする。
押し入れに大金が入っているので、それで大きなプレゼントが皆に買えそうだ。クレジットで買って、帰国後に口座に入金しておけばいい。
(プレゼントなら使っても呪われることもない、よね?)
「ねえ、リアムは何が欲しい?なんでもいいよ。実はシズさんからお駄賃もらったんだ」と僕が聞くと、急に立ち止まって、
「そうだな…マナが欲しい」と僕をじっと見つめて言った。
「え…っと…」
ハワイに来てすぐに『いいよ』って返事したのに、リアムが行動に出ないので、結婚までしないように誰かに言われてるんだと思ってた。
僕が赤くなってそう答えると、
「マナが本当に俺を許してるのかな、手を出したら嫌われちゃうんじゃないかって心配なんだ…本当だよ、グランマももういないし俺が怖いのはマナだけだ」と真剣に僕の両肩を掴んで言った。
「そんなんじゃ嫌わないよ…僕を信用してないね」
「でも、マナは俺を信用してない。わかるんだ、マナは俺が他の女の子ともし浮気しても『自分が選んだんだから仕方ない』ってもう諦める準備をしてるでしょ?それって、俺の事信用してないってことだよね…俺達もうすぐ結婚するんだよ?」
「…」
(信用してない…そうかもしれない。もうあんな辛い思いはしたくないから、勝手に自分の中で予防線を張ってる。でも僕はそう思わないと怖くて彼とはいられない。それは僕の弱さだろうか?)
「ごめん……。リアム、僕ちょっとトイレ行ってくる」
「…俺も付いてくよ」
リアムがバツが悪そうに言って付いて来ようとした。
「いい。ここで待ってて、すぐに戻ってくるから」
リアムに有無を言わさぬ口調で告げ、駆け出した。
僕はクリスマスで楽しそうな人たちの間を、かき分けて進んだ。
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