第32話 キャンプ場は悩みのるつぼ?

 あっという間に梅雨が過ぎた。あまり雨が降らない梅雨だった。


 うちの小さな庭で咲くお気に入りのアジサイ、アナベルをでる暇もないまま8月の初めになって、長く辛い定期試験も終了した。


 大学に行けなかった期間がある僕は一つも落とす余裕がないので必死だ。

 試験が終わった瞬間「お、終わったー!」と机に突っ伏した。そのまま机に同化して動けなくなりそうだった。




 試験が終わったその日、僕は家で少し寝てからカイの家庭教師に行き、ソロキャンプサイトで早速お泊りをした。明日から夏休みだ。


 バイトには来ていたが、お泊りは出来ていなかったのですごく嬉しい。夏になるとキャンパーが増えるので、フリーサイトのエリアを広げて営業している。

 ヨッシーが今年はお試しで夏限定の女性専用サイトを作ったので、僕も使用してみた。

 ソロキャンパーが増えたので、女性も軽自動車やバイクや原付でキャンプに来てくれるようになった。夏だしソロだから荷物が少なくて済むので気楽なのだろう。


 でも僕が女性サイトにいると、「あれ、男性がいる?」と思われ、いちいち「女性です」と断るのが面倒になってきた。

 確かにこの女性専用サイトには魅力的な女性がのんびりキャンプを楽しんでいる。ここなら男子の目を気にせずにソロキャンプが出来ると思って来ているのに、「…なんでいるの?」ってなるのだろう。

 僕のような男装女子崩れは居辛らいのだ。

 

(おかしいな、髪も伸びてきて、もう少しで顎上ボブにできそうなのだに…)


 そういうわけで、いつものソロサイトの共有スペースに遊びにきて持参のももチューハイを飲んでマシュマロを串にさして焼いて食べている。焼きすぎるとトロトロになるので注意深く炙る。

 

 僕は一山超えた嬉しさでいっぱいで、皆とカンパイした。

 バイトもなるべく休みたくなかったし、試験も落とすわけにはいかず、睡眠時間を削りまくった。休学中にたくさん寝ていたのを貯金できれば良かったのだが、そうもいかない。


「マナ君、定期試験お疲れ。そうだ、この前さっとイチジクのケーキだけ食べてすぐ帰ってったでしょ。知ってるんだよ」


 ケーキ屋『シャーリー』のオーナー兼パティシエの古川さんがニヤニヤ笑って言った。

 キャンプ場なのにシュッとしたお洒落なマオカラーの白シャツに黒のジーンズに鼈甲の丸眼鏡が異様に似合う。

 雑誌に出てくるアメイクアップアーティストみたいだ。


「ううっ、知ってたんですか…あのイチジクのケーキ美味し過ぎて夢に出てきちゃうんですよ…我慢出来なくて、家庭教師のバイト前に食べに行ったんです。もうドラッグに近いですね」


「ふーん…なにかあったの?」


「へ?」


「悩み事があるから甘いのが無性に食べたくなるんじゃない?ケーキ屋がこんなこと言うのはだめなんだけどね、ストレスが大きいほど女性はケーキを食べたがる気がする。しんどかったから自分へのご褒美、みたいな。ストレスの反動で全く食べないって人もたまにいるけどね」


「…その通りです。最近悩み事があってイライラするもんですから甘いものが食べたくて仕方ないんです…食べてる時は忘れられるんですよね…」


「どうしたのさ、言ってごらんよ。すっきりする」


 古川さんは皆が火を囲んでビールやチューハイなど飲んでいるこの雰囲気の中、白ワインを優雅にたしなんでいる。間違いなく猛者もさだ。変わり者、ともいう。

 僕はお客様だから迷ったが、気心の知れた人だし、今はキャンパー同士だからいいだろうと相談した。人間って夜だと口が軽くなるものだ。


「実は…ハワイに彼氏がいるのですが、女性の影を感じてます。お盆が終わってから会いに行くんですが、不安で…」


「影?実際見てないんだろ?」


「はい、毎日のように電話してますが、本人はいつも普通で怪しいところはないんです。でも行ったら見れちゃうでしょ?それが怖いんです」


「ふーん。…なら早いほうがいいよね。そうだろ?だってずっとこうやってマナ君はモヤモヤイライラするの、嫌じゃない?」


 確かにそうだ。傷付くかもしれないが、知らないより知ってる方が選択肢が増えるし良いに決まってる。


「…はい。そうですね、古川さんの言うとおりです!」


 僕が明るい笑顔を見せたので彼は笑った。

「こりゃあケーキの売り上げが減っちゃうな」とそんなに残念ではなさそうに言ってから、


「いいね、若いんだな。僕の悩みとはだいぶ違うよ」と俯いて言った。


 気のせいか僕以上に悩んでいる顔に見える。たき火の灯りの当たり具合かもしれないが。


「古川さんも悩んでるんですか?」


「ん…マナ君は知ってると思うけど、うちの店ってかなり流行ってるでしょ?」


 彼が真剣にそんなことを言うので笑ってしまった。


「やだ、自慢ですか?もちろん知ってますよ、クリスマスには警察が出動して『シャーリー渋滞』が起こるのは毎年の恒例行事だし」


「自慢か…マナ君、僕は職人なんだ。奥さんもそうだ。でも人気があり過ぎて店が大きくなったから最近はケーキを作れない。材料のチェックと手配、新作を考案するのと、クレーム処理。今はそんなことしかできてないんだよ…。僕はね、ケーキを全部管理して把握したい人なんだ。だから最近は不満しかない」


「はあ…」


 スケールが大きい話で面食らった。贅沢な悩みに聞こえるが、彼にとっては深刻なのだろう。そして次に爆弾発言をした。


「もうあそこを潰して土地を売っちゃって、温泉地に小さなカフェでも作ろうかなって奥さんと話してるんだ。二人で切り盛りするなら気楽だろ?」


 

(ちょ、ちょっと待て!!)


 僕は血の気が一気に引くのがわかった。


「ダ、ダメ!!絶対ダメです!!!僕が食べられなくなる…じゃないや、小さなカフェに人が殺到して大渋滞して今よりもっと苦情が酷くなるのは目に見えてますよ。僕だって絶対そこに行くし、カフェに入れなかったり売り切れで食べられなかったら泣いちゃいます。ケーキ屋はやめないで、なんとかうまくやって下さいよ」


 僕の様子を見ても古川さんは全く動じてない。多分こんな反応を至る所でされているのだろう。


「うーん、そうだよね…」と全然感情を込めずに言った。こりゃあ重症だ。


「そうだ、ケーキ職人の息子さんに経営を任せたらいいじゃないですか?で、古川さんは作るだけにするとか」


 彼の息子は東京の有名ケーキ屋で修業していると聞いたことがある。


「品質が落ちるから嫌だ。息子は息子で職人だから自分の店を持てばいいし、店を売るのも同じ理由で嫌だ」


 

(やっぱり古川さんは変わってるな…)


 でも自分の中の正しいルールに対して真摯だ。だからこその悩みだろう。

 僕はリアムに真っ直ぐぶつかってもいないのに、なにやってるんだろうか。情けない自分に呆れた。


「…なんか僕古川さんと話してたらすっきりしました。僕だけ申し訳ないですが…」


「そう、良かった。僕も奥さんと相談するよ。なんといっても二人でやっていかないといけないからね」


「いいですね、奥様と仲良しで。この前も店に行ったら二人でソウルに行ってるってマネージャーさんが言ってました」


「ああ、あれはソウルで店を開く弟子がいたから開店の応援に行ったんだよ。ずっとうちで修業してくれてたんだ。とっても真面目でケーキが好きな男性でね、僕たちの事お父さん、お母さんだなんて呼んでくれるから情が移っちゃって。

 2日間だけだけど、奥さんと二人で朝から晩までずっとケーキ作ってた。二人で、楽しいね、楽しいねって言いながら作ってたんだ…ああ、楽しかったな、もっといたかったよ」


 うっとりした様子の彼を見て、やっぱり変わってると思う。そして羨ましいと思うのだ。

 



 消灯時間の30分前になったので皆で片付けをし、僕はシャワーを浴びながら考えた。


 どうしたら古川さんは幸せになれるのだろう?彼がケーキを作ることに専念できる環境を作ってあげたい。

 そうじゃないと、僕が食べたい時に彼のケーキが食べられなくなるがある。


(シャーリーのケーキがないクリスマスなんて考えられないよ…いや、その前に、8月と言えば皮まで美味しい完熟シャインマスカットのタルトが期間限定で出るはずじゃないか!いつもイチジクのタルトばかり食べてたからチェックしてない…秋だって洋梨や栗、リンゴの新作が出るはずだ…ああ、考えだしたらキリがない!)


 気が付いたら温水シャワーの3分タイマーは終了していた。


 多分に私情が交じりまくってるが、なんとかいい方法がないものだろうか?リアムのことは久しぶりにすっかり忘れ、シャーリーのことだけを考えながらテントで眠りについた。

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