雨の六月
サッカー部との交渉成立で駿介監督もある程度、思い通りの練習が出来るようになったんじゃないかと思ってるの。ただ予選開始まで一か月余、とにかく時間が限られてるんよね。
駿介監督の練習法は見ようによっては『そんなことするんだ』の創意工夫に富んだものが多いんやけど、そのための小道具の調達が大変。別に高価なマシーンみたいなものを欲しがられてる訳やなんやけど、とにかくカネがあらへん。
もちろん『カネがないから無理』なんて言ったらGMの値打ちがなくなるから、どこかから調達するんや。廃材や廃品を集めてるようなところは上得意で、タダ同然の物をタダにするのが並みのマネージャー。GMのウチはそこから学校に運ぶトラックまでタダで調達してる。
お蔭で市内のどこに行ったら、どんなものがありそうかは、おおよそ覚えてもた。行っただけで嫌な顔をされるなんて覚悟の上。あれも不思議なもので何度も足を運んでるとそのうちに、
「またリンドウさんかいな、今日はなにがいるんや」
そう言って交渉抜きでもらえる事が多くなって助かってる。十分とはとても言えないと思うけど、なんとか駿介監督の要求に応えてると思てる。
追い込みの六月やけど、この月の名物は梅雨。雨は練習の大敵やねんけど、駿介監督の練習は雨さえものともしないところがあるの。雨だってグラウンドが使える限りは当たり前やねんけど、どうしても無理なら室内練習。
これもウチが学校から無理やり許可取ったようなもんやけど、校舎の廊下や教室でやるのよね。うちの連中に言わせると、あれやったらグランドでやる方がまだラクって言ってた。もちろん室内練習用の小道具も必要やったけど、これも市内中駆けずり回ってなんとか調達した。
なんでこんなもんいるんかと思ったけど、駿介監督が使い出して『な~るほど』と思ったんだ。ただ、うちの連中の目が『また余計なもん、そろえやがって』に見えたのは気のせいかな。
駿介監督に
「仕上がりはどう」
こう聞いたんだけど、
「カオルちゃん、仕上がりなんてもんじゃなくて、まだまだ下ごしらえの段階やで」
こればっかりはウチにもわからんねんけど、駿介監督の練習って厳しい方なんかな。どうにもあんだけやってるはずなのに、なかなか進歩が見れへん気がするんやけど、どうなんやろ。
「お~い、ダイスケ」
「なんや、ヒロシ」
「今日も地獄の時間が始まるぞ」
「お、おう、そのうえ雨やんか」
古城もやってきて、震えるような声で
「先輩。リンドウさんがまた何か監督に渡してました・・・」
「ええっ」
部員から一斉にあがる驚きの声。
「ススム、なに指折り数えてるんや」
「いや、竜胆サイクルのタイミングが、そろそろじゃないかと」
竜胆サイクルとは練習がさらに強化される時期のこと。五月からある一定の周期で練習が強化される法則を冬月が見つけてます。
「そういえば、そろそろや」
「なんか寒気してきた」
「軽くかな、軽めかな」
ちなみに『軽く』なら死ぬほど辛くなる、『軽め』なら半分死ぬぐらい。
「前々回が軽めで、前回が軽くだったから」
「今回は軽めか!」
部員の空気が梅雨空より十倍重くなります。
「まさか、ちょっと頑張ってもらうじゃ」
「冗談でも口にせんといて」
『ちょっと頑張ってもらう』はまさしく殺されます。
「冬月さん、どうかされたのですか」
「うん、どう計算してもこの時期ならアレが来るとしか思えなくて」
「アレって、もしかして」
「古城君、それ以上は口にするのはよそう。ボクだって怖いんだから」
そこに大丸キャプテンが
「よっしゃ、今日も気合入れて行こか」
部員が廊下に集合して監督から、
「今日から練習は新段階に入る。最初はちょっと辛いかもしれんが、気合を入れて頑張ってくれ」
聞いている部員は『新段階』と『辛い』と『気合』を聞かされてほぼ死刑宣告状態。張り切っているのは大丸キャプテンのみ。
「まず手本を水橋に示してもらう」
水橋がいとも簡単そうに手本を示します。
「前から思てんねんけど、監督はなんか勘違いしてる気がするんや」
「ヒロシもそう思うか。なんで水橋に手本をやらせるんやろ」
「アイツが出来たって、他のやつらが出来る目安なんかにならへんやんか」
「せめてススムぐらいでテストしてくれへんやろか」
「オレはキャプテンにして欲しい」
水橋の手本通りになんかにすぐに誰も出来るはずがなく、死体収容所のような練習後の部室。ほいでもって翌日もまた雨、
「リュウ、なにぶら下げようとしてるんや」
「テルテル坊主。姉貴に作ってもらったんや」
翌々日の部室には満艦飾のようなテルテル坊主。グランド使ったからってラクやないけど、室内練習よりは気分的に少しはラクってところ。そこに通りががったリンドウが、
「一昨日のも集めるの大変やったけど、役に立ったみたいで嬉しいわぁ」
「ところでリンドウさん、他にも監督に頼まれてるもんあるの」
「うん、昨日の練習見て思いついたからって。バッチリそろえたるから期待しといて」
リンドウが『そろえられる』と言ったからには、間違いなく調達される。それが来た日には・・・
「どうしたん。みんな元気ないで。ウチにできるのは,かき集めてくるだけやさかい、明日にはそろえてみせるわ。まかしとき、こんなん簡単やから」
優秀すぎるGMが今度ばかりは恨めしい。明日も新たな地獄宣言があるって聞かされてもた。さてさて今日も地獄の練習が終わって、やっとこさ死体がゾンビのように動きだしたら
「腹へった、これじゃ家までたどりつかへんわ」
「オレも」
「オレもだ」
「ボクも、もう歩けない」
ということで、学校近くの商店街のお好み焼屋さんに流れ込み。こういう帰宅途中の外食も校則的にはよろしくないのですが、こんな正式許可までリンドウは校長との長い交渉の末に獲得しています。どうやって取ったかは、もう聞かないことにしています。校長も毎度毎度リンドウ相手の談判させられてご苦労様です。
「大丸定食」
「ボクも」
「オレも」
ここのお好み焼屋さんの大将は昔から野球部の応援してくれています。まあ、リンドウが正式許可取る前から長年の御用達ってところです。ここ五年ばかりは本当に弱かったので練習も見てなかったそうですが、今年の練習をタマタマ見てビックリ仰天。
「長いこと野球部の練習見て来たけど、今年のは感動したわ」
そう言って出来上がったのが大丸定食、もちろんキャプテンにちなんだものです。この定食は野球部専用の裏メニューで、最初がブタ玉だけは決まってるのですが、後はなにを追加で注文しても値段が変わらない食べ放題コースです。なんで最初がブタ玉かですが、大将曰く
「大丸君の顔を見てると、そうせんとアカン気がして・・・」
この最初のブタ玉もだんだん巨大化してまして、今や皿からはみ出しそうになっています。いくら巨大化しても、それでも足りないのが若さでして、たいていはこれも野球部専用ですがメガ盛り焼きそばぐらいは夕食前でも平らげてしまいます。大将は、
「しっかり食べてや、うちが出来ることはこれぐらいしかあらへんから、遠慮せんと食べてって。これで勝てるんやったら安いもんや」
ありがたい言葉です。野球部の連中はホンマに遠慮なく食べてます。でも『遠慮せんと』の大将の言葉はウソでもなんでもなく、追加注文が入れば入るほど嬉しがって、
「よっしゃ、次は特大オムそば三人前やな。他の連中はもういらへんのか」
こうやって無理やりにでも食べさせようとしてくれます。このお好み焼屋さんは日曜祝日が休みだったのですが、
「県大会終わるまでは試合の無い日は休みなしで開けてるさかい、腹減ったら、いつでもおいで」
日曜祝日の昼食なんかに利用したら、そりゃ食べるのですが、
「こんだけしか食べられへんのやったら、県大会なんて勝ち抜けへんぞ」
絶対に遠慮なんかさせない気構えに感謝しています。さて、なんとか腹に詰め込んでゾンビから人間に戻った頃にキャプテンが、
「よ~し、明日も頑張るぞ」
キャプテンのタフさというか、前向きさだけは感心すると言うより驚嘆しています。なんでも平気でこなしてしまう水橋は別格として、一番覚えるのが遅くて、不器用なもんだから監督に一番しごかれているはずなのに、いつも率先してシゴキに挑みます。
「キャプテンって、ひょっとしてマゾ」
「それは言い過ぎやで、鈍いだけやと思うで」
「お前ら、キャプテンに向かって失礼過ぎるやろ。単なる野球バカや」
ただ言葉とは裏腹にキャプテンは部員の誰もが敬愛してます。野球をやるものとして野球バカは最上級の褒め言葉の一つですから。
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