第41話 おかえり。ただいま。

 空が夕焼けに染まる、黄昏たそがれ時。

 晴高の車は、スマホの地図アプリを頼りに森の中の舗装されていない道を進んでいた。元気に教えられた地点にはもうかなり近いはず。


「いた。あそこだ」


 晴高は念のため、少し手前で車を止めた。山道の路肩に、膝立ちになり頭を垂れた人影が見える。千夏と晴高は車から降りた。離れていてもわかる、明るめの髪色にスーツ姿の長身の男性。


「元気……!」


 千夏が元気のもとに歩いていこうとするのを、晴高は腕を掴んでとめた。


「晴高さん……」


 晴高は目を細めて注意深く元気を観察する。無言で眺めていたが少しして、はぁと小さくため息を漏らす。


「いまのところ、大丈夫そうだ。悪霊っぽい気配は感じられない」


 それを耳にした瞬間、千夏は元気の元に駆け出していた。


「元気!」


 彼は、膝立ちのまま握りこんだ両手をひたいにあて、祈るような姿勢のまま微動だにしなかった。千夏は彼の手前で立ち止ると、おそるおそる彼に近づいていく。


「……元気?」


 千夏が近づいてくる気配に気づいたのか、彼がゆっくりと顔をあげた。

 そして千夏の顔をみると、心の底から安堵したような表情を浮かべる。彼の頬は涙で濡れていた。


「千夏……。俺、あいつらに……あいつらを殺そうと思った。でも……でも……」


 彼が大事そうに包み込んでいた両手を開いた。その手のひらには、共に交わしたあのリングが握られていた。


「千夏を失いたくなかった。もう一人になんかなりたくない。ただ、君の存在だけが……君を想うと、こっち側にいなきゃだめだって思って……」


 千夏も彼の前に膝をつくと、彼の両手を自分の手でやさしく包み込む。

 彼がぎりぎりのところで踏みとどまってくれたのがわかった。それがどれだけ、強い意志を要するものだったことか。どれだけ、たくさんの感情を乗り越える必要があったのか。それらを乗り越えて、いまここに元気がいる。元のままの彼がいる。そのことに、嬉しさと感謝の気持ちでいっぱいだった。


「うん……こっち側にいてくれて、ありがとう。元気。あなたに会いたかった。ずっと」


「俺も……」


 彼とひたいをくっつける。ぎゅっと包みこんだ彼の手を強く握って、どちらともなく目を閉じた。温かな体温とともに彼の優しさが伝わってくるようだった。お互いの存在がすぐ間近に感じ、溶け合うように思えた。


「おかえり。元気」


 顔を離してそう笑みをこぼすと、彼の顔にも笑顔が広がる。


「ただいま」


 そう返した彼は、優しく穏やかな彼のままだった。





 その後。

 千夏たちは警察に全てを伝えた。

 とはいっても、霊云々のところはそのまま伝えたところで信じてもらえるはずもない。そこで、多少話を脚色することにした。


 幸運にも、生前の元気と晴高は同じ建物で仕事をしていた時期がある。そこで、当時から元気と晴高は友人だったということにしたのだ。会社は違えど、同じ建物の二階と三階で働く間柄。何かの拍子で知り合って友人になっていたとしても別におかしくはない。


 そして、元気は生前、阿賀沢浩司の殺害と遺体遺棄を偶然知ってしまい、あの殺害の瞬間が写った写真のアドレスとともに、「もしかしたら自分も殺されるかもしれない」と記した直筆の手紙を晴高に渡してあったことにした。


 ちなみに、その手紙は幽霊になった元気が書いたものだ。


 晴高はずっとその手紙と写真を持っていたが、報復を恐れて警察に言えずにいた。しかし、たまたまあの神田の物件を調査することになり、そこで元気のスマホを発見したことで今になってすべてを警察に打ち明けることにした……という筋書きにしたのだ。


 警察は筆跡鑑定の結果、その手紙を高村元気の直筆のものと認定。

 そこに書かれた証言をもとに都内の山中を捜索したところ、白骨化した遺体を発見した。DNA鑑定の結果、その遺体は阿賀沢浩司のものと断定された。


 すぐに逮捕状が発行され、阿賀沢良二とその妻・咲江は逮捕される。

 そのとき、彼らはひどく衰弱した様子で、あっさりと罪を認めたのだという。


 また、交通事故として処理されていた高村元気の件も捜査が開始された。

 高村元気を車で轢いた男も、阿賀沢夫妻が逮捕されるとすぐに、多重債務の肩代わりを条件に殺害を依頼されて引き受けたことを自白した。

 それにより、実行犯の男はもちろんのこと、阿賀沢夫妻も高村元気の殺人教唆で再逮捕されたのだった。





 阿賀沢夫妻が逮捕されたあと、千夏たちは神田のあの物件へと報告に訪れていた。

 手には日本酒。ささやかだが、阿賀沢浩司への礼も兼ねてだ。

 晴高は元気のスマホが見つかったあの場所へ酒を撒くと、しゃがんで線香に火をともして地面に挿し、手を合わせた。

 その隣で、千夏と元気も手を合わせる。


「ありがとう。あなたが、俺のスマホをずっと守っててくれたから。あいつらに罪を認めさせることができました」


 そう、元気が言う。しかし、もうこの場には霊の気配は一切感じられなかった。それどころか、清涼な空気であたりが満たされている。

 あの人は、きっともう逝ってしまったのだろう。


「あと……あのとき。俺を止めてくれましたよね。ありがとうございました」


 浩司が元気の足を掴んで止めていなければ、元気は良二を絞め殺していただろう。彼がなぜあのとき元気を止めたのかはわからない。いくら自らを殺した相手とはいえ弟を死なせたくはなかったのか。それとも、元気に罪を犯させないようにしてくれたのか。そのどっちの理由もありえる気がしていた。なにはともあれ、元気がいまも千夏のそばにいられるのは、彼のおかげでもある。


 元気は礼を込めて深く頭を下げると、隣にいる千夏に目を向けた。千夏と目が合う。どちらともなく微笑みあうと、指を絡めた。


「さてと。帰るか」


 空瓶を持って立ち上がった晴高に、千夏が手をたたいて「そうだ」と声を上げる。


「打ち上げ、っていうとおかしいですが、おつかれさま会しましょうよ。なんだか日本酒見てたらお酒飲みたくなっちゃった。ちょうど今日、鍋しようと思ってたんです。晴高さんもうちに来ませんか?」


「……なんで俺が、お前らと鍋なんかしなきゃなんないんだ」


 相変わらず晴高はむすっと不機嫌そうだったが、元気はぽんぽんと彼の背中を叩く。


「いいじゃん。今日、寒いから鍋うまいよ、きっと。どうせ、お前。家に帰っても寝るだけだろ?」


「お前らは俺をなんだと……」


 そこまで言ったあと、晴高ははぁと息を吐く。


「……マロニーがあるなら行く」


「晴高さん、マロニー好きなんですか」


「鍋のメインは、マロニーだろ。むしろそれだけあればいい」


「ずいぶん偏ってません!?」


 驚く千夏をよそに、元気はけらけらと楽しそうに笑う。


「カニも入れようぜ。チゲ鍋なんかもいいな」


「マロニーさえあれば、なんでもいい」


「マロニー偏愛すぎですよ!?」


 そんな雑談を交わしながら三人は防音シートで覆われた出口へと向かって歩いて行った。そのシートの表には、新しい工事掲示板の白い板が張られていた。マンション工事の再開ももうすぐだ。


 その夜、マロニーばかり食べようとする晴高の器に、元気と千夏がどんどん魚介や野菜を積んでいったのは言うまでもない。



(第4章 完)

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