第29話 薬指のペアリング

 雨は本降りになり、結局その日の夜の調査は延期となった。

 会社を定時で上がって自宅に帰った千夏がキッチンで夕ご飯の準備をしていると、ピンポーンとインターホンが鳴る。


「はーい」


 キッチン横の廊下にあるインターホンの子機には、宅配業者の制服を着た配達員の姿が映っていた。


「山崎さんですか。お届け物です」


「あ、はい。いま開けます」


 オートロックの開閉ボタンを押して玄関に向かいながら、はてと千夏は疑問に思う。

 最近、何かネット注文したものなんてあったっけ?


「元気ー。なんかネットで買ったー?」


 リビングにいる同居人に声をかけると、


「ああ、うん」


 という歯切れの悪い返答が返ってくる。


 小首を傾げながらドアを開けると、宅配の男性が小さな小包を手渡してくれた。ちなみに、送り先は『山崎様方 高村元気様』になっている。


(やっぱり、元気の荷物だ)


 最近、株で少しずつ利益がでてきているようで、彼は昨日もタブレットを買っていたっけ。直接店舗で購入できない元気にとっては、ネット通販は唯一の購入手段なのだろう。


「元気ー。荷物来てたよ」


 リビングに持っていくと、ソファに座って自分のタブレットで電子書籍を読んでいた元気が「ああ、ありがとう」と顔を上げた。


「開けてあげようか?」


 元気は幽霊なので基本的には物に触れることはできないが、実はやろうと思えば触れることもできると知ったのは数ヶ月前。

 しかし、それをするとあとでどっと疲れたりするらしいので、あまり頻繁にはできないのだそうだ。


 そのため、タブレットの電源オンオフや椅子を引いたりなど日常のことはほとんど千夏がやってあげていた。

 なので今回もそのつもりでそう尋ねると、元気は少し迷ったような表情をしたが、こくんと頷いた。


 小包を開けると、中にはオシャレな紙箱が入っている。


(あれ? これって)


 このロゴには見覚えがあった。たしか有名なアクセサリーブランドだ。

 さらに紙箱を開けると、濃紺のビロードで覆われた小さなケースが出て来た。リングケースというやつだ。


「元気、アクセとかつけるの?」


「開けてみてよ」


「うん」


 リングケースをパカッと開けると、中には二つのリングが綺麗に収まっていた。

 同じデザインだが、一つは少し大きめのシルバーリング。もう一つは、少し小さめのピンクゴールド。ピンクゴールドの方には真ん中に小さなダイヤモンドが嵌っていた。


「え? これって」


 驚いて元気を見ると、


「本当は、タブレットよりもこっちを先に買ってたんだけど、届くのが後になっちゃったね。俺、自分でお金貯めたら真っ先にこれを買おうって思ってたんだ」


 そう言って千夏の手からリングケースを受け取ると、手の平に載せて彼ははにかんだように笑う。


「シルバーの方は俺がつけるために買ったんだけど。ピンクの方、君につけて欲しくて。…………もらって、くれるかな?」


 笑みを湛えているけれど、元気の目にはどこか不安の色が滲んでいた。断られたらどうしよう、とドキドキしているのが彼の目を見ていると手を取るようにわかる。


 なんて、この人はこんなに感情が顔に出やすいのだろう。そして、なんでこんなに真っ直ぐなんだろう。その真っ直ぐさに、何度心を暖められたかわからない。


「馬鹿……」


 そう強がって言ったけれど、千夏の声は震えていた。瞳に涙が滲んできてしまうのがわかる。それを見られるのがなんだか恥ずかしくて、千夏は俯いた。酷い顔をしてそうな気がして顔をあげられない。


「千夏?」


 心配そうな元気の声がすぐ間近で聞こえた。

 心配させちゃだめだと思うけど、顔を上げられない。なんでこういうときに限って、空元気が出てこないのよって思うけれど、思うようにならない。


「なんで自分のもの買わないのよ。買いたい物、いっぱいあったでしょ?」


 ふりしぼった声は、掠れていた。

 三年ぶりに手にした自分のお金。欲しいものなんて、いっぱいあったはずなのだ。

 なのに、なんで真っ先に買ったのがペアリングなのよ。


「だって。俺が一番買いたかったのは、コレだったんだ」


 丁寧で穏やかな、元気の声。


「千夏。もらってくれる?」


 もう声なんて掠れてしまって喉から出てこなくて、千夏はただコクンとうなずいた。


 元気はリングケースから二つのペアリングを取り出すと、優しく千夏の手をとってその左薬指にピンクゴールドの方をスッと嵌めた。サイズはピッタリ。


 千夏も元気の手にあるシルバーのリングを受け取ると、彼の太く長い左薬指に嵌める。二人の指にある、二つの指輪。おそろいの形。もうずっと前から指に嵌っていたかのように、二つの指輪はしっくりと馴染んでいた。


 見上げると彼は、


「ああ。やっと、渡せた」


 そうふわりと幸せそうに笑った。


 もうその笑顔を見たら限界だった。千夏の視界が歪む。もっと、その笑顔を見ていたかったのに、次から次へと涙があふれてきて彼が見えなくなってしまう。

 彼のいう『やっと』には、一体どれくらいの想いと時間が詰まっていたんだろう。ふと思いだす。彼はプロポーズの指輪を持ったまま死んだのだと。


「私で、いいの?」


 だからつい、そんなことを聞いてしまった。

 しかし元気は、ポンポンと千夏の頭をそっと撫でると、


「千夏以外に、誰がいるのさ。俺が好きなのは君だから」


 それを聞くと堪らず、千夏は元気の身体に抱きついた。涙に濡れた顔をその胸に埋める。


「……ありがとう。大事にする」


 なんとかそう言葉にする。彼は千夏の背に手を回して抱きしめてくれた。


「うん。俺も」


 どちらともなく顔を寄せると、唇を重ね合った。こんなにお互いを近くに感じたのは初めてだった。

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