シノブ部長
ボクは特命課から営業一課に戻った時に、特命課の仕事の評価もあって課長補佐をスキップして課長代理に昇進しています。もっともシノブは課長から次長をスキップして部長に昇進しているので、当分追いつきそうにありません。
「・・・営業の若いの連れて飲みに行ったらシノブのとこのと鉢合わせして一緒に飲んだんだ」
「悪口言ってたでしょ」
「ボクも気になってたから水を向けたらそりゃ大変。大称賛の嵐だったよ。あれだけ恥ずかしげもなく褒めれるものだと思ったもの」
「ホント?」
「営業の若いのが軽く冷やかしたら、アイツら目がマジになって睨まれたよ。ボクらの輝く天使を侮辱するのは許されないってね。なんとか仲に入って宥めたけど、放っていたら殴り合いの喧嘩になりそうだった」
「だから私は天使じゃないって」
シノブの評判はとにかく高いなんてものじゃなくて、情報調査課の輝く天使に憧れる若手社員はゴッソリいます。もちろんシノブの美しさも大きな理由の一つなんですが、それより卓越した指導育成能力を感嘆されています。目に見えてまずわかっているのが情報調査部のレベルアップの早さです。綾瀬副社長に聞いたのですが、
『結崎君の育成能力の高さには驚かされた。たった半年で、あの七人が結崎君の仕事を肩代わりできるようになってしまった。嬉しい誤算に社長も喜ばれている』
どうやったのかとシノブに聞いたんだけど。
「赤ペン先生やってた」
「赤ペン先生って、具体的にどんな感じ」
「コトリ先輩に教えてもらった時と同じなんだけで、資料が来るでしょう。それをパラパラっと読めば着目点と問題点がわかるじゃない」
「ちょっと待った。そのパラパラってどれぐらいの時間?」
「二、三分かな。そこでメモ書いて渡して、メモの方針でやってくれって」
「そんな短時間でわかるの?」
「それぐらい誰でもわかるよ。後はね、時々見回って、変な方向に走りそうだったり、足りていないところがあったらメモ書いて渡してた」
「どれぐらい見てるの」
「歩きながらだからチラッと見る程度だけど」
「たったそれだけでわかるの」
「そうだよ」
シノブが渡しているメモは『天使のメモ』と呼ばれています。とにかくそのメモに従って仕事を進めれば、本当に無駄なくメキメキと力が付くと情報調査部の連中は讃嘆しています。連中はそのメモを本当に大切にしており、一生の宝物だとなんの衒いもなく話します。
シノブの指導育成力はそれだけでないのは連中を見ているだけでわかります。連中がシノブのことを話す時は、まるで崇拝する神を語るみたいで、その表情は憧憬と陶酔に溢れかえっています。ボクは婚約者として気になるというか心配なので、
「誰か口説いたのはいる?」
こう振ったら、
「部長とボクらを侮辱する気ですか」
目がガチマジでホントに怖かった。安堵はしたのですが、本音のところは『なんじゃ、それ』ってところです。どうにもシノブは恋愛の対象にするのも畏れ多いって感じみたいなのです。これじゃ、シノブと結婚するなんて言おうものなら石を投げられるどころか、殺されそうです。
情報調査部も七人がシノブのやっていた仕事量をこなせるようになったのは良かったのですが、シノブ一人の時は二人がかりのサポート役が付いていました。それぐらいのスピードでシノブは仕事していたのですが、これが七等分されるとサポート役が回らなくなったのです。そこでヘルプ要請が出されました。
どこの部署もヘルプを出したら、自分のところが苦しくなるから渋ってました。でも業務命令ですから営業からも行ったのがいますが、これが帰ってきてビックリ、短期間で見違えるように力が伸びてます。二回目のヘルプ要請の時にはそれこそ奪い合いになるほどの人気になりました。
ヘルプに行った連中にシノブのことを聞いても、まるで夢の中にいたような目で話をします。シノブが美人だからかと聞いたら、
「結崎部長の美しさは語る必要すらありません」
これじゃ『なんじゃ、それ』ですが、じゃあどんな指導を受けたかと聞いたら、
「あの光輝く情報調査部の中で仕事できる嬉しさ、楽しさはとても言葉では言い表せません」
これまた『なんじゃ、それ』ですが、今じゃ天使の学校と呼ばれ、若手の特進コースみたいな扱いになってます。もっともシノブはカンカンで、
「ミツル、もうたまんないよ。やっとこさヘルプが使い物になったと思ったら、帰っちゃうのよ。そいでもって、また初めから指導のやり直し。専務にも専属を何回もお願いしてるんだけど『待ってくれ』しか言われないの。もう参っちゃう」
「人手はどこも十分じゃないから・・・」
「違うのよ。ヘルプのグルグル回しは専務の陰謀よ。専属寄越せって何回文句言ってもヘルプの増員の提案しかしないのよ。あのタヌキめ」
「おいおい相手は専務だよ。タヌキは言い過ぎじゃない」
「情報調査部は社長直属になってるじゃない。だから私の直属の上司は実質的に専務とか副社長みたいになってるの」
「そうだよな、特命課と同じような位置づけだものな」
「副社長も専務も、特命課の時は仲間みたいな感覚だったけど、仕事の上司となると専務はタヌキだし、副社長はムジナよ。ついでに言えば社長は大狸。利用できる物はなんでもニヤニヤ笑いながら使いまくるんだ。副社長だから、専務だからといって愛想よくハイハイ言ってるとエライ目に遭うんだから」
シノブに周囲の人間の能力を伸ばす力があるのはボクにもわかります。特命課の二か月でどれだけ力が付いたことか。課長代理に昇進した時に陰口を叩くやつもいましたが、目に見える実績ですぐに黙らせることが出来たぐらいです。
ボクの昇進も陰口を叩かれましたけど、シノブの昇進はなおさら酷い陰口が叩かれてました。社長の愛人説も当然のように出てました。でも、今は誰も言いません。情報調査部がいずれ経営戦略本部に拡大された時に本部長になるのは、シノブ以外にありえないと誰もが思ってます。下手すると二十代の本部長誕生になるのに誰も疑問を抱いていないのです。
結婚の準備ですが、これがなかなか進んでいません。とりあえずシノブが情報調査部の立ち上げに忙殺されてしまっているのも大きいですが、結婚どころか交際している発表さえ綾瀬副社長から、
「粛清人事による社内の動揺が収まるまで待って欲しい」
さらに、
「結崎君とは人目につくところで会わないように」
こう釘を刺されています。クーデター騒ぎの時にハワイに二人で雲隠れしていたことを、当分は表沙汰にしたくないとの説明です。シノブはこれにもプリプリ怒ってまして、、
「ハワイ、ハワイっていうけど、その前に特命課でミツルと二人きりだったやんか。そこで恋が芽生えて、結婚に至っても誰も変やと思うはずないやん。これには必ず裏があるよ。あのムジナだからとんでもない裏がきっとある」
「裏って?」
「副社長だけど、ブライダル事業に進出する責任担当になってるみたい」
「まさか、ボクらの結婚を利用しようとしているとか」
「すっごく怪しいと思ってる。水を向けられたら絶対断ってね」
「部長のシノブが断れないものを、課長代理のボクが断れるわけないじゃないか」
情報調査部にはその手の情報が集まりやすいのですが、うちの会社がブライダル事業に進出する噂は前からあります。そんな時に社長から呼び出しがありました。シノブと一緒に料亭に来てほしいとの事です。行ったら腰が抜けそうな高級料亭でしたが、シノブは女将さんとも親しげに挨拶しています。
「シノブ、来たことあるの?」
「うん、三回目だよ」
出て来た話はブライダル事業への協力要請でした。シノブの予想通りボクたちの結婚をブライダル事業のイメージ・キャンペインに使いたいの話でした。料亭には社長、副社長、専務のトップ・スリーが顔をそろえていましたが、この三人相手でもシノブは猛然と怒る、怒る。
「どうして私なんですか、どうして私が輝く天使なのですか。天使をブランド・イメージにしたいのなら、微笑む天使の小島部長を起用すべきです」
さらに、
「私が情報調査部長を受けた時に、余計な負担をかけない、立ち上げにのみ専念するようにバックアップするって仰られたのは、副社長と専務ではないですか」
ちょっと感心しながら見てました。良くあそこまであの三人相手に怒鳴れるものだと。ただ怒られてる三人も見ようによっては可笑しくて、怒りまくるシノブをあれこれ宥めまくっているのは珍妙といえば珍妙です。
ボクは蚊帳の外に置かれたようなもので傍観者でしたが、シノブの本当の能力というか、輝く天使の本質がわかった気がします。シノブは仕事に集中すれば鬼になりますが、怖い鬼ではなく、まさしく光輝く天使になります。光輝く天使は周囲の者を陶酔させ、熱狂させ、なんの疑問抱かせず頑張らせ、なんの無理なく力を伸ばしてしまいます。
それだけじゃ、ありません。シノブが頑張ればなんでも成功させてしまうと思っています。成功させるのに必要な能力を周囲の者に速やかに確実に与えます。シノブを使いこなせば会社の発展は間違いないのですが、問題はシノブが怒っている時もまた光輝く天使になるのです。それも神々しいほどの輝きを放ちます。
シノブは社長を大狸、副社長をムジナ、専務をタヌキと呼んでいましたが、本当にそうかもしれません。神々しく光輝くシノブを相手に、なんとか自分の意図する方向にシノブを持って行くことが出来ているからです。普通なら、光輝くシノブの前に退き下がってしまいます。シノブは大狸やムジナやタヌキの相手が大変と愚痴ってましたが、こりゃシノブの相手をする方がもっと大変そうです。
結局のところ『うん』と言わされてしまいしたが、ボクはブライダル事業の成功を確信しました。シノブは『うん』と言った限りは頑張るし、頑張れば光輝き周囲も引っ張られて頑張ります。だからこそ会社は微笑む天使の小島部長でなく、輝く天使のシノブを選んだと思っています。もっともシノブは、
「コトリ先輩のキツネにやられた。先輩って、この手のものは好きそうに見えるんだけど、ルチアの天使に選ばれた時に懲りまくった話を聞いたことがあるの。だからどんな手を使っても次は逃げるって言ってた。たしか、
『次が来そうだったら、悪いけどシノブちゃん使ってでも逃げるからヨロシクね』
先に相談されたのを悪用して、全部私に押し付けて逃げたんだ。とにかく仕事が出来る人だから、逃げるとなったら全力で逃げるのよ。間違いなく大狸も、ムジナも、タヌキもがっちり根回してグルになってる。あの部屋に入った瞬間にキツネの悪知恵で作り上げられた完全な包囲網が完成してたんだ。悔しい、やられた、呪ってやる、祟ってやる」
それでも挙式費用が浮いた分だけラッキーと思おうよと言ったのですが、
「モデルだけじゃないのよ。ブライダル事業も宜しくって話なのよ。あの連中はそんなに甘くないの。出したカネのモトはキッチリ取るの。こうなったら微笑む天使のブライダル・プランを作り上げてやるんだ。えっと、えっと、輝く天使のモデルが教会式だから、コトリ先輩は神前式で白無垢着せてやる」
シノブの気持ちはわかりますが、それも策略のうちの気がしています。なんとかシノブをブライダル事業に引っ張り込めば、必ずのめり込み、輝く天使ブランドの成功だけではなく、微笑む天使ブランドも作り上げて成功させると。でも、それは黙ってました。とにかくシノブが手がけたからには成功疑い無しだからです。
シノブの頑張れば周囲も頑張ってくれて成功させる能力は、これからも次々とこういう事業に投入されると思います。さらにシノブはそれを片っ端から成功させてしまうと思います。シノブの前途はまさに洋々としています。ただ洋々とはしてますが、
「ミツルさぁ、天使の取り扱いについては天使伝説の最終報告書に書いたはずだけど、これだけ天使をコキ使ってもイイの。これのどこが天使を大切に取り扱ってるってことなの。こいつら天使を大事にするって言ってるけど口先だけやん。こんなにコキ使われる天使なんているはずないやんか。
だって、だって、だって、コトリ先輩の微笑みにはあれだけ神経質になるのに、私の扱いはまるで馬車馬じゃないの。まさか、まさか、天使としての私の取り扱い要領は『しゃぶり尽くすように、コキ使う』とか。ヤダ、絶対ヤダ、そんな扱いをされる天使なんてヤダ。私は絶対天使じゃない」
そうやって憤慨しまくっていましたが、シノブが頑張れば周囲の人間は間違いなく幸せになれます。でもシノブ自身が幸せかどうかは、これじゃ確かに微妙です。だからこそボクがシノブを幸せにします。それがボクに与えられた役目だからです。こんな幸せな役目は他に絶対ありません。
ここまでシノブと付き合ってわかったのは、どうにも事件というか騒動に巻き込まれやすいみたいです。だからこそボクが支えるのです。シノブは輝く天使ですが、ボクだって微笑む天使に選ばれた男です。なにがあってもシノブを守り切って幸せにしてみせます。
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