渉外の天使

 総務の仕事の一つに渉外があります。営業と渉外がどう違うかですが、業種によっても異なりますし、同じ業種でも会社によって微妙に異なります。うちの会社の渉外には、お得意様のフォローアップみたいな役割があります。


 私も最後のところは未だにつかみきっていない面があるというか、ここのところ渉外の仕事を覚えてるところなんですが、営業の売込みたいものと、取引先の欲しいもの、売りたいもののギャップを調べて調整するみたいなところでしょうか。


 業績は好調なのですが、こういう時にしっかりと取引先の不満をフォローしておくのも大事ってところです。実際のところ、そういう営業と取引先との間にギャップが生じて不満が出ているとの情報が関東方面出ており出張を命じられました。


 出張前に鬼瓦部長から現時点でわかっている情報のレクチャーを受けたのですが、聞いただけで手強そうな感じです。もっとも私が矢面に立つわけじゃなく、単について行くだけなのですが、どうやってこの問題に対応するのかに興味津々ってところです。良い勉強になりそうです。


 この出張なのですが、二度ほど延期になっています。どうも問題が深刻化というか複雑化しているみたいで、その対応への準備のためだったようです。これは手強い案件と思っていたら、直前になって担当者が病気で行けなくなってしまったのです。噂では心労のあまり倒れたんじゃないかと言われています。こりゃ、また出張が延期になると思っていたら、なんとコトリ先輩が行くことになりました。行きの新幹線で、


「先輩、大丈夫でしょうか?」


 悔しいですが、こういう世界では女と言うだけで軽く見られるところがあり、若いって言うのも不利な面があります。女の二人連れではバカにしてまともに相手にされない不安がいっぱいでした。


「シノブちゃん、だいじょうぶだって。前にも行ったことがあるから」


 コトリ先輩が渉外に出られたことを見たことがないのですが、いつも通りのニコニコ顔です。コトリ先輩と一緒なのはそれだけで心強いのですが、今回の問題の深刻さ、複雑さは知っていますから、そうとう緊張していました。


 こういう渉外は何度か行っているのでわかるのですが、順調なところへのフォローは和気藹々で楽しいぐらいです。しかしトラブっているところは、手間とヒマと時間がかかって大変です。今回の出張ではそういうトラブルのところばかり回ることになるので、気が重すぎるってところでしょうか。



 いざ仕事が始まると、私は信じられないものを見せられることになります。相手の担当者は最初こそ、あれこれと不満や問題を並べてくるのですが、コトリ先輩はいつものニコニコ顔で聞くだけです。そうやっているうちに、相手の担当者の顔も笑顔に変わってしまい、そこでコトリ先輩が、


「問題の解消については、後日また提案を持ってお伺いします」


 これで終ってしまいます。コトリ先輩の顔見知りの担当者もおられたのですが、


「小島さんがいらっしゃるとはなんと光栄なことか。本日は社長が不在で十分な挨拶もできずに残念です」


 トラブル処理もなにもなくて、歓迎だけされてオシマイです。さらに訪問が進むとこんな事がありました。最初は担当者が対応していたのですが、途中から血相を変えた重役クラス、さらには社長が現われ、


「これは小島さん。わざわざ弊社を御訪問して頂いているのに、こんなむさくるしいところで不快な思いをさせて失礼しました。どうぞ、どうぞ、どうか、こちらに」


 呆気に取られている担当者を置き去りにして、会議室なり、社長室で交渉ならぬ歓迎会みたいになってしまうのです。最後の方になると玄関に社長以下の幹部役員がずらりと待ち構えておられて、一直線に歓迎会ってところです。それだけでなく、どこの取引先も争って接待したがるのです。何軒か回らないといけないのでお断りすると、


「なんて残念な。せっかく小島さんがいらっしゃっているのに、なんのおもてなしも出来ないなんて・・・」


 コトリ先輩も出来るだけ断っていましたが、旧知の方らしい人の熱心すぎるお誘いに断り切れずに食事に行ったこともあります。そこでも、コトリ先輩は社長並、いや社長どころでない下へも置かない歓迎を受けられます。


 そこで聞いたお話ですが、コトリ先輩は私が入社する前ぐらいに渉外を担当されていた時期があったようです。その時にコトリ先輩を若いとか女だからってバカにしたり、相手にしなかった取引先は、ほぼ例外なく業績が悪化し、倒産して無くなってしまったところさえあるそうです。


 逆にコトリ先輩をまともというか、ちゃんとした担当者として扱ったところの業績は必ず好転したらしいのです。うちの会社の天使の微笑み伝説みたいなお話ですが、この噂が業界に広がり、コトリ先輩は取引先の間で、


『渉外の天使』

『クレイエールの天使』

『幸せをもたらす天使』


 と呼ばれたそうです。とにかくコトリ先輩が訪問されて、ニコニコして帰るだけで業績が間違いなく好転するのですから、どこの取引先も争って先輩の訪問を希望し、来られたら来られたで、ひたすら歓迎していたぐらいです。


 当時のコトリ先輩の人気はすさまじくて、訪問のためのアポ電話が入った瞬間から取引先は大騒ぎの状態になり、コトリ先輩が通りそうなところ、目につきそうなところは徹底的に磨き上げられ、約束の一時間前から社長以下幹部役員が総出で玄関で待ち受けていたなんて話が残されています。そんなコトリ先輩が渉外から外れたのは、先輩以外が渉外に行かれるとガッカリというか、


「我が社との取引を中止にされるおつもりか!」

「我が社を潰すおつもりか!」


 どの取引先からも猛烈な苦情が舞い込み続けたからとされます。コトリ先輩がすべての取引先の渉外担当をこなすのなどは無理ですから、渉外担当自体から外れてもらったぐらいでしょうか。そういえば出張に出る前に鬼瓦部長から、


「今回の出張は、君にとって勉強にはならないと思う」


 この時はなにを言っているのかサッパリわからなかったのですが、渉外担当のジョーカーみたいな存在で、行くだけでなにもしなくても問題は解決してしまうぐらいです。今回はありませんでしたが、コトリ先輩に無理難題を吹っかけて困らせてしまうような会社は、相手にしなくても良いのも暗黙のルールもあるようです。この辺のこともコトリ先輩に聞いたのですが、


「コトリの機嫌を損なったぐらいで、取引先の会社がどうにかなるはずないじゃないの」


 そりゃ、そうなんですが、うちの会社の微笑み伝説と同様に社外でもコトリ先輩の微笑みの威力が絶大なのが、本当に良くわかりました。私も最初のうちは緊張でガチガチでしたが、最後はかなりリラックスして楽しめました。会社に帰って出張の報告を行うと、鬼瓦部長は、


「小島君、手間をかけさせて悪かった」

「とんでもありません。ところで渉外担当にまた戻るのですか」

「いや、今回は例外だ。担当が倒れてしまったから、やむを得ずの応急措置だった。明日からはいつもの業務をよろしく頼む」


 鬼瓦部長は私に、


「結崎君、凄いものを見たと思うが、あれは参考にならないから、そのつもりでいたまえ」


 帰りにコトリ先輩は、


「シノブちゃん、無事仕事が終わって良かったね」


 二人でささやかな慰労会をやりました。

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