三日月のピアニスト

懐中時計

第1話

 リクエストを受信した。

 128日ぶりのリクエストだった。

 A.アダージオ作曲『夜明け前の狂詩曲』──大丈夫、まだその楽譜は私の記憶媒体に残されている。まだ弾けるということは、私はどうしたって弾かなければならない。それが役目、存在意義。自動演奏人形ピアニストとはそういうものだ。

 右目の視認装置は壊れていたから、左目だけでどうにか鍵盤を触った。しかし、今度は左手首の関節が錆び付いて上手く動作しない。ぐっと負荷をかけてみれば、勢い余って白と黒の鍵盤を叩きつけてしまった。煩雑な不協和音が響く。普段ならば、ああそう、少なくとも128日前の私ならばこれを不快だと思ったのだろうが、今の私には、何故かその判断ができなかった。

 それよりもむしろ──ああ、今私が抱えているこの不可解ながら心地よいノイズに該当する語彙が見つからない。この、久しぶりにリクエストされた曲を弾くような感覚は、いったい何と呼べば良いのか。曲ばかり弾いてきた私には、わからない。

『クレセント、それはね──……』

 昔、そう教えてくれた人がいた気がしたが、詳細な検索をする前に電池が切れた。私の稼働はそこで停止した。

 結局、128日ぶりのリクエストには、応えられなかった。

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