第十一章 真統記の中③

 道を歩き続けて一時間程経過した。幾度か縦横に広がりを持つ巨大な書庫みたいな所に差し掛かったが、守屋はそれには目もくれずに前へ前へと突き進んでいったため、太も大人しくそれに従って歩き続けた。

 相変わらずぽつ、ぽつと水滴の落ちる音がする以外は板の上を歩いて起きる微かな軋みしか音がない。

「あの、守屋さん」

「何だ。さっきあった書庫の本が読みたいとかなら諦めろ。口説いようだが危険だ」

「はい。それは分かってます。そうではなくて、どこまで行くのでしょうか?」

「ん、そうだな。聞きたい?」

「それはもう」

「そうか、じゃあ教えてやろう。正直私も分からない」

「え」

 太は目を点にする。

「ああ誤解するな。適当に進んでいるわけじゃないよ。ちゃんとこの”羅針盤”に従って進んでいるから」

「そういえばさっきから気になっていたのですが、その羅針盤は何なのですか?」

「羅針盤は羅針盤だ。ただし、この『真統記』内で目的地へと辿り着くための特別製だがな」

「そうなんですね」

「『真統記』内に張り巡らされている防衛機能になるべく引っかからないようなルートを選んで歩いている。だからまあ、遠回りしているわけだが、急がば回れというやつだ。ま、悲観するなよ。そんな何日も歩くようなことにはならんさ。それとも辞めるかい?」

「いえ、辞めません」

「あらあら意思の固いことで。よろしい。じゃあ引き続き行進だ」


「この遊園地を抜けたらもう目的地だ。ん、よしよし。太君、君は運がいいぞ。天に愛されている。ひょっとして今年のおみくじは大吉か。全く縁起のいい男だなあ!」

 歩き始めてはや三時間。気が付いたら天井には空があり、やけにうら寂しくて却って幻想的な廃遊園地のような場所を歩いていたが、突如守屋は上機嫌になってそんなことを言った。

「いきなりどうしたんですか?」

「いやね。全くファイアーウォールに引っかからずにここまでこれたんだから大したもんだと思ったんだよ。いいねえ、ひょっとして君に付いてたら私の人生バラ色なんじゃあないか」

 そう言って守屋は太を抱き寄せようとするが太はそれを手で阻止する。

「落ち着いてください。まだ目的地に着いてないでしょう。だから僕が幸運かどうかは決まってないと思います」

「照れるなよ。この照れ屋さんめ」

「いえ、だから違いますって」

 太は抵抗したが、突如、守屋の動きがピクリと止まった。不審がって太が顔を見上げると、守屋は張り詰めたような表情になっていた。

「あの、どうしました? 守屋さん」

「すまん、君の言う通りみたいだ。最後の最後でどんでん返し、っていうか、最初からここでやるつもりだったって感じだな。こりゃあ」

「え、どういうことですか?」

「周り、見てみ」

 そう言われて、太は辺りを見回した。

 そこら中にマネキンのような無機質な人形と思しきものが四つん這いでこちらの様子を伺っている。上空を見上げると幾何学的な文様の物体が闇に紛れて獲物を狩る時を待っているかのようにウネウネと空中を旋回していた。

「オートマタってやつ。上はデイモンか」

「狙いは言うまでもなく」

「俺達僕達私達、さ。もう分かってると思うけど、これらはファイアーウォール、ガーディアンさ」

「守屋さん」

「あん?」

「対処法は?」

「ふん、私も舐められたもんだね。もちろん考えてある。逆に聞くが太君、君は何が出来る」

「式神系の呪術、方術なら多少は」

「ほほう。じゃあ、”乗っ取ったりも可”?」

「試してみます」

「よし、じゃあ善は急げだ」

 守屋はトランクケースを手慣れた手際で開ける。

 中には緑の液体で満たされた小瓶やカタカタと動いている木箱などが所狭しと詰め込まれていた。

「守屋さん、来るっ!」

 太が懐から猿を象った紙を取り出して放った。

 紙は瞬く間に大猿へと変化し、守屋を襲おうとした人形の顔面に拳をめり込ませる。人形は後方へと回転しながら吹っ飛ぶ。

「助かったよ」

「いえ、大丈夫です。それより、一体いけました」

「上々だね。これは俺の出番いらないんじゃないかな」

 そう言いながら守屋はトランクから手の平より少し大きいくらいのトランクケースを取り出す。まるでマトリョーシカみたいだと太は思った。

「久しぶりの御開帳だ。存分に暴れてくれ給え」

 守屋はその蓋を開けると、中から黒い靄のようなものが吹き出して来た。刹那、何か白い塊が飛び出していった。

「遠慮はいらんぞ」

 守屋はどこへともなくそう伝える。

「守屋さん」

「一、君は俺と君の守りに専念してくれ。後はバンダースナッチが片付ける」

「はい」

 太が指を弾くと、大猿は元の紙へと戻っていき、太の元へと帰っていく。そして、先程大猿が倒した人形が徐に起き上がる。

「この人形、凄い性能ですね」

「ああ、腐っても防衛機能の一部だからな。逆に今のこの状況が中々逼迫しているとも言える」

「やっぱりそうですよね」

「ま、本来なら、だが」

「え」

 太はそう言って、その言葉の意味を理解した。

 周りを見回してみると、いつの間にか何体かの人形がその場に倒れていた。内いくつかは無残にもバラバラに砕かれている。

「すまんな、はじめ。いくつか無茶苦茶にしちまった」

「いえ、大丈夫です。そう何体も式神をくっつけられないですし。それより、これは」

「バンダースナッチだよ」

「バンダースナッチ?」

「ああ、今暴れまわっている奴に私が付けた名前。ほら、ルイス・キャロルの作品に出てくる架空の魔獣だ。名前くらい聞いたことがあるだろう? 名前はそこから取った。何せ新種の魔物だからね」

「守屋さんって、ひょっとして魔術師なんですか」

 式神を投げて倒れている人形に貼り付けながら太は言った。

「そうだな、魔術師だ。とりわけ、魔導人形ゴーレム魔獣使ブリーダーいに特化してるぜ」

 そうこう言っている内に人形が瞬く間に倒れていく。残るのは上空に残るデイモンのみになった。

「あれ、どうしましょうか?」

「放っておけ。それより、さっさと目的地に向かおう。また変なのを呼ばれても面倒だ」

 トランクケースを開けてバンダースナッチを回収した後、守屋は立ち上がって踏み出そうとした。

「守屋さん? どうしました」

「最悪だ」

「え」

「やっぱり多少のリスクを覚悟してでも、最初にデイモンを潰しておくべきだったのか。ちくしょう、もっと手心を加えろっての」

 そう言いながら、守屋は指でメリーゴーランドの一点を指した。そこには、黒の甲冑に身を包んだ騎士が立っていた。

「何ですか、あれ」

「私が作った最高傑作の魔導人形ゴーレム。だったんだけどさ、『真統記』に取られちまったらしい」

 甲冑が腰を低くする。目の所が異様に赤く光っている。

「あれを何とかしようなどと考えるな。何ていったってあれの原型は聖杯探索に名高き騎士達の王」

 とん、と太を横に押し飛ばした。

「アーサー王なんだからなっ!」

 太と守屋のいた場所が光の線に呑まれた。


「いてて」

 太は横を見て、思わず息を呑んだ。

 光の奔った後が抉れていた。多分、直撃したら跡形もなかっただろう。

「ぼさぼさしてる暇なんかない、あそこの目的地まで走れ!」

 守屋が急かすように言う。

 太はそれに大人しく従い守屋が指差した方、屋外ステージの舞台上へと向かって脇芽も振らずに走る。守谷もそれに追随した。

 がちゃがちゃといかにも重たそうな金属音を鳴らしながら、それは近付いてくる。

「くっ」

 太は指をくいと動かす。それに合わせて三体の人形が鎧の行く手を挟む。

 少しの間だけでも、太はその期待も込めてそれを放った。

 しかし、現実はそんな期待を鼻で笑うかのような結果に終わった。

 一体の人形は鋭いドリルへと変形させた手で鎧の胸を穿った。しかし、そんなことは全く意に介さないとでも言うかのように、それは人形の首根っこを掴むと、それを執拗に地面に叩きつけてぐちゃぐちゃに破壊してしまった。

 他の二体も同様だ。

 手傷と呼べるのかも分からないが、一矢報いて後は無残にもあっという間に破壊されてしまった。

「上々だよ。十秒足らず止められたんだ」

 いつの間にか追いついていた守屋が太に言った。

 もう少しでステージまで辿り着けそうだ。そう思った時だった。

 上空を飛翔する者がいた。それは、黒くて重々しい音を立てながら、二人の前に立ちはだかった。

「おい、まじか。そんなアクロバティックな使い方、俺も知らなかったわ」

「……何とか倒すしか」

「いや、さっきもいったが止めておけ。下手な小細工も通じない」

「じゃあどうすれば」

 そう太が尋ねると、守屋が「はあ」と軽くため息をついた。

「俺が奴を止めるよ」

「え」

「仕方がない、他に手がないんだから。何、この”マザーグース”の中を全部吐き出せば抑えることは出来るだろう」

 そう言って、守屋はトランクケースをトントンと叩き、それを開いた。甲冑の魔導人形ゴーレムは、警戒しているのかステージの上に陣取ったまま、様子を窺っている。

「でも」

「つべこべ言わずに行きな。あれは元々私がヘマした末の産物だ。要はな、自分のケツは自分で拭けって話だ」

 あ~しかし、他人のこと言えねえなあ。守屋はかつての自分を思い起こす。母国ではそれなりだった。それなりの地位に就き、それなりに業績を上げて、それなりに尊敬を集めて。傍から見ればそれはまあ、理想的な人生の歩み方だったのだと思う。

 ただ、何かもの足りなかった。

 魔術師に限らない。何か、そういった理想的なレールとやらから外れて偉業を成していった人間達が羨ましかった。恐らく、自分がこの先コツコツと研究を積み上げていった所で、その業績は偉業になど及ばない、歴史の中に埋もれてしまう程度のものになるだろう。それとて、無駄ではないことは分かっている。この世界は、偉業だけで成り立っているのではない。そうした見えない業績の積み重ねもまた、文明の発展に寄与してきたのだ。

 だがしかし。

 どうしても、現状の自分に満足することは出来なかった。そんな時に、日本に渡って哀れな末路を迎えた魔術師の話を聞いた。

 魔術師の出は名門だった。その世界に身を置く者なら、名を聞けば割と誰でも知っているような、そんな家系に連なる者。それが、極東の国で”空っぽ”になってしまったのだ。

 守屋は他の者がそうするように、自分もその原因を調べてみたのだ。そうして、あちらの禁書に手を出そうとしていたことが分かった。

 守屋はそれに興味が惹かれた。若造だったとはいえ、将来を期待されていた男が手を出そうとしたもの。それを自分が手にすることが出来たなら、自分も偉業とやらに手が届くのではないだろうか。

 そして守屋はこの国へと渡り、『真統記』の管理者の忠告も聞かずにそれに手を出した。

 結果は惨憺たるものである。用意していた魔導人形ゴーレムと魔獣はその殆どを失い、自分のこれまでの集大成だった魔導人形ゴーレムを生贄にして命からがら脱出したのだ。

 京介が気まぐれを起こして助けてくれなければ、今頃自分もあの若造と同じ末路を辿っていたであろう。だがそのような目に遭っても、いや、あのような目に遭ったからこそ一層『真統記』に惹かれた自分は紆余曲折を経て結局こちらに客士として、そして守り人として居着いてしまった。

 そういえば京介はいつの日か、「人手が欲しい」とか言っていなかったか。

「はん、よく考えれば全て京介の思惑通りなんじゃないか」

 そう考えると、無性に腹が立ってきた。後でそのことを問い詰めてやろう。然るべき後に鉄拳制裁。

 自分が手塩にかけて作成した傑作は、障害に阻まれてステージ上に向かって走り出した青年を諦め、自分へとその標的を定めた。心なしか、頭を震わせている気がする。自我でも持っているのだろうか、などと守屋はその挙動を訝しんだが、考えるのは止めにした。どうせもう自分の物ではないのだ。

「行くぞ、我が失敗作にして最高傑作。貴様はこの手で引導を渡してやる」

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