第六章 八津鏡①

「宮城はここの中みたいですね」

 仙涯郷の街を中心部に向かい歩き続けて数十分。天野と八重千代は朱雀門と書かれている門にたどり着いた。瓦葺きの屋根に白と朱を基調とした楼門である。長らくその本領を発揮することのなかったであろうこの建物はしかし、その朱塗りの門を固く閉ざしていた。

「この辺りはだいぶ静かですね」

 気配がないことを確かめながら、門の前に立った天野は八重千代に言った。

「ええ。儀礼に使われるから、意図的にそうしているのでしょう」

 二人は門前を見てから、門の上の見張り台を見上げる。そこには、門番と思しき者は誰一人としていなかった。

「やれやれ、警備の一人でも置いておくべきだろうに。これじゃ万が一曲者が来ても分からんぜ」

「ええ、そうですね」

「飛び越えますか?」

「それはどうでしょうか?」

「と言いますと」

 天野が問いかけると、八重千代はそっとその場にしゃがみ込み、砂利から適当な大きさの石を拾う。

 例えばこうしてみると、そう言って八重千代は石を投げる。城壁を越えようとした石はその場で眩い光を放ち、粉々に砕けてしまった。天野は目を丸くする。

「かような憂き目になってしまわれたり、といったことが」

「迂闊に飛び越えると黒焦げ、か」

「そうみたいです。案の定、結界のようなものが張ってありましたね」

「となると、別の方法を考えないといけないわけですが、しかしねえ」

 天野は改めて門を見上げるが、残酷にもそこには一つの綻びもない門がどしりと屹立したままであった。

 どうにかして地下から行けないだろうか、そんなことを考えている内に、ふと八重千代が門の手前まで歩いていく。そして、その門を触ったり、コンコンと軽く叩いたりする。

「これでしたら」

「どうしました?」

「先生、要は単純な話でございます」

 八重千代は振り返ってニコリと笑う。

「門は閉ざしているものがあるから通れないのですよ。つまり、閉ざしているものがなくなれば通れる、ということです」

「そりゃそうですとも。一体何故そんな当たり前のことを」

「ですからこういう時はですね。こうするのですよ」

「え?」

 天野が疑問を呈するのとほぼ同時に衝撃で地面が揺れた。天野はその振動でよろめきそうになるのをなんとか踏みとどまる。

「っと、いきなり何が」

 門を見やると、先ほどまで荘厳に聳えていた門は見るも無残な姿を晒していた。

 その下には、拳を強く握りしめている八重千代の姿。天野は、その状況証拠から何が起きたのかを理解した。

「本当は、こんなことはしたくはないのですが」

「怪力乱神、か。そういえば、貴方は泣く子も黙る鬼でしたね」

「人が集まる前に行きましょう」

 そう言って歩き出そうとした八重千代はふと、思い出したように振り返った。

「先生。このことは人に言わないでくださいましね。ね?」

「え、ええ」

 念を押す八重千代。心なしか、冷たいものが背筋を流れていくのを天野は感じた。


「門を破壊しても、何の反応もなしか。流石に薄気味悪いな」

「あるいは罠でしょうか。いずれにせよ、立ち止まっていても仕方ありません」

 中は城門の外をコンパクトにしたような造りであった。大通りにあたるものはないが、区画ごとに建物を分けているようで、碁盤の目を基盤とした造りだとひと目で分かる。

「予想してはいたが、広いな」

「街の中に街がある、といったところでしょうか。ひょっとすると、かつての大内裏以上かも」

「かつての大内裏、とは?」

「とても昔の話です。なんでしたっけ、語呂合わせのあれ。泣くよ鶯なんとやら。つまりは桓武の御世より始まりし平安の宮のことです」

「ああ、本当に凄く昔の話だ」

「いえ、そんな昔のことはよいのです。それより、どう探しましょうか? 確かに、ほのかですが何やら並々ならぬ気配を感じます」

「ざっと見、虱潰しにあたっていると数日はくだらないでしょうな。あたりを付けないと」

「それもそうですね」

 八重千代は和本を取り出す。

「この地図は便利です。こんな城の中まで網羅しているなんて」

「確かにそのようですね。ふむ、結構小さな建物が多いようだ。特に名前も記されていないような小さな所は後回しにしていいでしょう」

「では、こういった建物を中心に調べていく方がいいですかね」

 八重千代の指差した所には朝堂院、と書かれていた。

「ええ、それがいいかと思います。そして八重千代殿」

「はい」

「ここは手分けして探しませんか?」

 それを聞いて八重千代が怪訝な顔をする。

「先生。それは一体どうして」

「なに、単純な話です。効率よく回った方が見つけやすいでしょう」

「私は大丈夫ですが、先生」

「俺一人だと危険だってことですか? まさか、俺も馬鹿じゃあない。身の危険を感じていたらこんなこと言いませんよ。俺も、自分の身は可愛いですからね」

 八重千代は目を閉じて先ほどの出来事を反芻する。獣相手に斧を振るう姿。それは、およそ常人のものではなかったと八重千代は感じた。そして束の間の後、彼女は口を開いた。

「いいえ……先生一人で危険だなどと、決してそんなことはありません」

「では決まりですね。集合場所はここで、大体二時間後を目処にしてでいいでしょうか」

 天野の言葉に八重千代は頷く。

「よし、そうとなれば。こっちへ来てくれませんか」

 天野は白壁の一角まで行き、八重千代を呼ぶ。

「どうしました?」

「まあ見ててください」

 言われるがままに八重千代が来るや否や、徐ろに手をかざし、目を閉じてしばらく沈黙する。

 すると、袖から先程見た文字のような黒い物体が腕を伝って蠢き出てきた。それは、天野を中心とする周りの空間を半球状に覆い始める。

「よし」

「あの、さっきも見ましたがそれは一体」

「"フミツカミ"といいます。何、ちょっとしたまじないの一種ですよ。今俺のいるこの場所を中心にして、周囲約5メートル辺りを外から認識出来ないようにしました。要するに結界というわけだ」

「まあ、斧を出したりと多彩なことが出来るのですね。私も鬼道を嗜んでいる身なのですが、何と言えばいいのでしょう、それはもっと純粋で原始的な力、そして強制力を感じます」

「ええ、便利なんで有事には有効活用させてもらってます。ま、ほとんど日常では役に立たないような、ろくでもないものなんですけどね」

 天野は苦笑する。

「それはともかくさっさと探索を始めましょう」

「はい」

「二時間後はまたここに。後、何か分かってもそのまま突っ込まずに戻ること。そして、軽率な行動もしないように」

 天野は言い含めるように伝えた。

 

「しかしまあ、人っ子ひとりいないと高をくくっていたのになあ」

 先程八重千代に偉そうに指示を出した自分を恥じながら、天野はぼやいた。

 朝堂院と呼ばれる建物の区画。寝殿造りを思わせるその内部には砂利の敷き詰められた屋外広場があり、天野はそこの一角に立っていた。

「誰だ貴様!」「堂々と建物に入るとは、いい度胸だな!」「返答次第では、このまま帰すわけにはいかんぞ」方方から様々な怒気が発される。

 天野は異形の者達に囲まれていた。普通の人間に見えるような者もいたが、大抵はどこかに普通の人間では持ち得ないような特長を持っており、そもそも人の形をしていない者もいる。

「おいおい、返答次第では何もしないで帰してくれるのか?」

「そんなわけないじゃん」

 どこからか女の子の声が響き、天野は上を見上げる。

「よっ」

 広場の奥にある大きな瓦葺きの建物の屋根から影が飛び出たと思いきや、数十メートルはあろうかという距離を一気に詰め、天野の前へと降り立った。

 そこに立っていたのは、装束のようなものに身を包んだ、栗色の髪の女の子であった。

「誰だ。只の可憐な少女には見えないが」

「私は呉葉。『四鬼』って呼ばれてるちょっとした上役の一人なの。まあ閑職だけどね」

 そう言って呉葉は無邪気に笑う。

「それよりおじさん、さっきの話。あまり揚げ足取りはよくないよ」

「そいつは悪かった。切羽詰まった状況なんでな、つい少しの可能性でも縋りたくなっちまったのさ」

「ふっ、その割には随分落ち着いてるね」

「嬢ちゃん。大人ってのはな、どんな危機的状況でも努めて冷静でいるもんさ。例え心臓の音がバクバク言っててもな」

「へえ、そうなの。じゃあ」

 呉葉は瞬きもない内に天野との距離を詰めてきた。

「意地でも顔に出してもらいたくなってきちゃった」

「むっ!」

 天野は繰り出された拳をすんでのことで躱す。しかし、呉葉は右足を軸に体に回転をかけて回し蹴りを繰り出す。

「危ねえな」

「おっ!?」

 呉葉は天野へ向けていた脚の軌道をずらし、すかさず後方へ大きく退いた。

 天野の手には柄の短い斧が握られている。

「おじさん。やっぱり只者じゃないね? それは何かな?」

「一度にいくつも質問をするな。答えきれん」

「ごめんなさい、それじゃあ一つだけ。おじさん何者?」

「あーそうだな。俺は、そう、あれ、あれだあれ」

「え、何?」

「桃太郎」

 言うや否や天野は斧を勢い良く投擲する。

「ぷっ。桃太郎がまさかり担いで鬼退治というわけ。無茶苦茶ね」

 呉葉は投擲されたそれを難なく避け、そのまま天野に向かって直進していく。

「得物を放ってどうすんのよおじさん。それとも、拳法に自身ありってこと?」

「まさか。弓納じゃあるまいし」

「つまんないっ! じゃあ観念したってことね!」

 天野の前で大地を踏みしめ、渾身の一撃を繰り出す。

 しかし、天野に向けて繰り出した拳は途中で動きを止めた。

「えっ……」

「女の子にあまり手荒な真似はしたくないんだがな」

 呉葉のみぞおちに斧の柄がめり込んでいた。

「斧、さっき投げたじゃん」

 呉葉はそのまま崩れ落ちてその場に倒れた。

「確かに。だが少し考えるべきだったな、嬢ちゃん。斧はどこからどういう方法で出したのかを。って、聞こえてないか」

「呉葉殿っ!」

「貴様っ! よくも」

 周りを取り巻いていた妖怪が再び騒ぎ出す。

「気絶してるだけだ。大体、そっちが先に吹っ掛けたんだろう。なんで俺が悪者みたいになる」

「ええい、黙れっ! もはや只では済まさぬ。かくなる上は」

「おっ!?」

 妖怪の騒ぎを気にも留めず、天野は突然目を見開く。

「万が一と思っていたが。憑けといて正解だったな」

「何をブツブツ言っている」

「しかし参った、どうも逃がしてくれそうもないな。全部相手にするわけにもいかんし、どうしたものか」

「困ってるようね。手助けは必要かしら」

 入り口の門の方から聞き慣れた女の声がした。天野は振り向いてその声の主を視認する。

「お前、どうしてここに」

「細かいことは後。それより、さっさと終わらせましょう」

「ああ、願ったり叶ったりだ。そして可能なら、この場を引き受けてほしいが」

「……はあ、なんとなくそう言うと思ってたわ。いいけど、代償は高くつくわよ」

「分かってるよ。ったく」

 お前に借りを作ると後が怖い。天野は心の中で呟いた。


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