第12話 魔法とスキル
疲れが蓄積された身体は休息を求めていたらしい。夕食を終えてベッドに横たわり目蓋を閉じるとそのまま眠ってしまった。
次にユイが目を覚ましたのは朝日が昇る時刻。埃で曇った窓から差し込む光がユイの顔を照らし、その眩しさにベッドの上で身動ぎをした。
「……んっ」
微かに漏れた吐息は疲れが滲んでいた。ベッドの上で体を起こし、ぐっと上半身を伸ばすとバギボキと人間の体からしてはいけない音が聞こえた。
背中の筋肉が
「起きてる?」
その時、勢いよく扉が開け放たれた。同じく勢いよく転がり込んできたのはメイアだ。昨夜のような濃い化粧と露出が多めな衣装ではなく、可愛らしい面は薄らとした化粧が施され、質素なワンピースに身を包んでいた。
「何してんの?」
メイアはこてんと首を傾げた。
「背中、攣った」
上半身を伸ばしたまま、ユイは答えた。直後、自分の声の振動が筋肉に伝わり、顔を顰める。
「軟弱だね」
呆れた様子でメイアは呟くと「ちょっと待ってて」と出ていった。
遠ざかる慌ただしい足音を聞きながら、ユイはあまりの不甲斐なさに泣きそうになる。他人に軟弱と言われるまでもなく、そんなことは自分が一番理解していた。なんの取り柄もない自分は弱く、役に立てない存在ということは前の世界では何度も体験し、思い知らされている。
「ちょっと!! 大丈夫なの?!」
メイアの声に現実に引き戻される。
一瞬、ここがどこなのか分からずユイは両目を瞬かせた。
「……メイア?」
心配そうにメイアはユイの顔を覗き込む。
「そ、あたしが分かる? 心ここにあらずだったけど」
「うん。大丈夫。ちょっと夢をみていただけ」
それに小さく笑い、言葉を返すとメイアは不思議そうに片眉を持ち上げた。けれど、これ以上、追求することはしない。
「なら、いいんだけど。とりあえずさ、アリスをつれてきたよ」
「アリスさん?」
とは誰だろうか。首を傾げると己の背中を優しく撫でる手に気付く。
「はじめまして」
振り返ると柔和な眼差しの少女がベッドに腰掛けていた。年はおそらくだがユイとそこまで変わらない。メイアがタメ口を使っているので同い年か年上なのだろうと予測する。
「痛みはどうでしょう? さっきよりかはだいぶ治ったと思うんですけど」
アリスはユイの背を撫でながらふんわり笑った。長い黒髪から覗く、紫紺の瞳が弧を描く。夜の湖のように凪いだ瞳は彼女をより一層と大人びいた女性に見せる。
「アリスは医者さ」
メイアはどこか誇らしげに胸を張った。
対するアリスは恥ずかしそうにはにかんだ。
「まだ新人ですけど」
「貴重な回復系なんだからもっと自信を持ちなよ!」
メイアは力を込めてアリスの背を叩いた。バシッと大きな音が聞こえるが痛みに強いのか、はたまた慣れているのかアリスは頬を赤くし、照れるのみ。痛がる仕草は微塵も見せない。
「ありがとうございます。全然、平気です」
ユイは体を伸ばした。今度は嫌な音は一切せず、筋肉が伸びる感覚のみ伝わった。
「回復系なんて、すごいですね」
「そうでしょ! めちゃくちゃ貴重で珍しくてレアなんだよ!」
「やめて、姉さん。褒めすぎ」
「姉さん?」
ああ、とメイアは思い出したようにアリスの肩を抱き寄せた。
「あたしの妹。血は繋がってるよ」
ユイは瞠目する。正反対な顔立ちに髪と瞳の色はどうみたって血の繋がりは薄いように見える。従姉妹ならまだ分かるが血の分けた姉妹には到底見えない。
ユイの驚いた顔がそんなに面白いのかメイアはお腹を抱えて笑い出した。
「まあ、半分だけだけどね」
「母親は一緒なんです」
あ、とユイは顔を歪める。これは踏み込んではいけないと直感が告げた。娼婦の姉に医者の妹。父親違いの全く似ていない容姿とくれば子供でも駄目ということは分かる。
「私、妹いないから羨ましい」
「可愛い妹さ。自慢だよ」
よほど妹を溺愛しているらしい。本人が横にいるのにメイアは妹の良いところや優れている点を挙げはじめた。曰く、髪色が夜のように美しいこと。曰く、濃い紫紺の瞳は魔力量が高いことを意味している。曰く、優しく、健気な妹はとてつもなく可愛い存在だと。
嬉々として話していると顔を真っ赤に染めたアリスが姉の口を塞ぐ。
「いい加減にして!」
ぷんぷんと怒る表情も可愛いとメイアは頬を綻ばせた。
「可愛いでしょ?」
言っていることは分かる。ユイは頷き返した。
「とても可愛い」
「ねー?」
「うん、可愛いね」
素直に褒めれば褒めるほどアリスは顔を真っ赤にさせる。
「ほら、言いたいことあって来たんでしょ?!」
アリスの言葉にメイアは「あっ」と呟いた。
「私に?」
「そ。ちょっとね、確認したい事があって」
なんだろうと首を捻ると「魔導書、貸して」と手を差し出された。
不思議に思いながらユイが鞄から取り出し、素直に手渡した。すると二人は驚いた表情を浮かべる。
「本当に手渡しちゃった」
信じられない、とアリスは言った。
「んー。オーナーが言ってたの本当だったんだね。しかも、これ、防衛魔法もかかってないし」
メイアは呆れた表情を浮かべた。
「え、どういうこと?」
「これ返すよ」
「うん。ありがとう」
魔導書を手渡され、ユイは不思議に小首を傾げた。
「あのね、魔導書は命と同じなの」
メイアは表情と同じく呆れながら教えてくれた。
魔力で作られた魔導書は所有者の命でもある。魔導書が傷付けば持ち主にもダメージがいき、万が一にでも魔導書が消滅するようなことになれば所有者は死ぬ。だから、気軽に他人に渡したりしない。他人が触れれば防衛魔法が働くようになっていた。
また、ステータス欄は個人情報にもあたるため気軽に人に見せたりはしない。就職などで【職業】と【スキル】は見せるが他の文章はプロテクトをかけて見えなくする。
「え、知らなかった」
そんな大切なことなら教えて欲しい、とユイは心のうちで毒づく。この魔導書をくれた少年神も、基礎を教えてくれたダン爺も教えてはくれなかった。
「あんたが元々住んでいた場所がそうだったのか、あんた自信が無用心なのか」
メイアは額に手を置くとはあ、と深く息を吐き出した。
「よく今まで魔導書が無事だったね」
メイアは左手を宙にかざす。
「見ててね」
左手が仄かに輝き始めた。桃色の輝きは強くなり、瞬きする間に本の形を象った。
「魔導書?」
「そ。あたしの」
メイアは魔導書を差し出した。
「触ってみて」
「いいの?」
先ほど、他人に渡さないようにと言われたのに触れていいのだろうか。胡乱げな眼差しでメイアへと視線を向けるとメイアは微笑んで「触って」と言った。
ユイはおずおずと手を伸ばし、魔導書の表面に触れた。
——瞬間。
火花が散る。指先には鈍い痛みが走った。
「え、えっ?」
何が起こったのか分からず、ユイは痛む右手を抱きしめた。
「これが防衛魔法」
「……防衛魔法」
「読んで字の如く。あたしの許可なく
「さっき消えていたのは?」
「それは不可視魔法」
「不可視魔法」
「他人からは肉眼では見えないようにする魔法ってこと。一応ね、これは命と同じだからさ。みんな、所持してるんだけど普段は見えないようにしてんの」
いい終わると桃色の魔導書はすっと消えていく。
「見えないでしょ?」
「うん」
「でも、あたしには見えてんの。見えないのはあたし以外の人間だけ」
「じゃあ、アリスさんも持っているんですか?」
アリスに視線を送れば、アリスは左手を持ち上げた。薄紅色の光が集まり、その中には魔導書が握られていた。
「私のはこれです。あと、さん付けはいりません。敬語も」
「じゃあ、アリスもいらないよ。年、近そうだし。……そういえば自己紹介がまだだったね」
「あっ、確かに。あ、でも、私は敬語がその癖になってて」
「ならこのままで。はじめまして、私はユイです」
「アリスです。医者として働いていて、今日は往診で来ていました」
アリスは医者として月涙亭の娼婦の体を診ているらしい。娼婦という職業をやはり下に見る者も多く、時折、折檻紛いの行いをする者がいる。そういう者達から傷付けられた場合、アリスのような医者が駆けつけ、癒すのが日課だという。
「まあ、手当てされるのは一人だけだけどね」
「彼女は少し変わっていますから」
姉の言葉にアリスは苦笑する。
「気に入らない客はふっていいんだよ。オーナーは娼婦が傷付くのを一番嫌ってるから怒ったりしないし」
「性的嗜好は人によって様々です。私も久々にここに来ましたし、そう頻繁ではありません」
二人の言葉にユイはほっと一息をつく。(今のところ予定はないが)娼婦として働けばそういう人間も相手しなければならないのは恐ろしい。
安心しているとメイアがびしっと指を指してきた。
「とりあえずさ、この二つの魔法使ってみて」
「えっ」
「最初は防衛魔法ね。はい、使って」
と言われても使い方が分からない。
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