第13話 「…ママはご機嫌斜めらしい。」

 〇桐生院咲華


「…ママはご機嫌斜めらしい。」


 うつむいたままでいると、海さんはそう言ってリズちゃんをあたしの手から抱き上げた。



 あたしは…海さんが紅美ちゃんの名前を呼んだムービーを見て落ち込んで、お酒を飲んで眠ってしまって。

 リズちゃんが泣いてたのも、海さんが帰って来たのも、海さんがあたしを起こそうとした事も、泣き止まないリズちゃんを病院に連れて行った事も…

 全部知らないぐらい眠っちゃってて。

 そんな自分にも落ち込んで、自己嫌悪で、もう…消えてしまいたいって思ってたぐらいなのに…



「パパに何とか出来ると思うか?ん?」


「ひゃはっ!!」


「そこ、笑う所か?ま、いっか。」


 海さんとリズちゃんは顔を近付けて…すごく笑顔。

 何だか勝手に疎外感…



 ぐにっ。


「……」


 不意に…海さんがあたしの頬をギュッと掴んだ。


「ひゃはははっ!!」


 そのあたしの顔を見て、リズちゃんが笑う…


「な…」


「罪悪感の塊みたいな顔してるから、とりあえずペナルティ。」


「……」


 海さんはソファーに座って左足を乗せて、そこにリズちゃんを座らせると。

 正面から向き合うよう、あたしの肩に手を掛けて位置を変えた。


「俺は、志麻の妹…朝子という許嫁がいたのに、ずっと紅美の事が好きだった。」


「……」


 いきなりの告白に…少し面食らう。


「それでも二階堂のために生きる事には誇りを持っていたし…ただ…朝子を受け入れるには自分自身がまだ準備が出来てないと思って、結婚を取りやめた。」


 …それを、しーくんは…

 朝子ちゃんは『捨てられた』って…思い込んで…泉ちゃんに八つ当たりした。

 だけどあたしは、あの話を聞いた時…

 海さんが許嫁って枠から飛び出したなら、二階堂も変わっていくんじゃないか…って。

 そう…しーくんに言った。



「…それは…紅美ちゃんを好きな事に気付いたから…朝子ちゃんを受け入れる事が出来ないって…思ったの?」


 海さんは、ずっとあたしの目を見て話してくれてるんだけど…

 あたしには、それを見つめ返す勇気がなくて。

 海さんの膝にいるリズちゃんを見たり…

 わけもなく…華音と紅美ちゃんのツーショット写真を見たり…


「それは関係ない。ずっとアメリカで仕事がしたいって思ってた。なのに日本での任務に対する期待が大きいのも解ってたから、なかなか言い出せなくて…全ては俺の決断力のなさが原因だったと思う。」


「……」


「渡米してからは…必死だった。いくら俺が二階堂の長男とは言え、いざ来てみれば、ただのペーペー。ほんっと…毎日何と闘ってるのか分からない感じだった。」


 海さんの手が…優しくリズちゃんの頬に触れる。


「だけど…そこへ紅美が来たんだ。レコーディングで。命がけの毎日の中で、それは…正直、光に思えた。」


 …命がけの毎日…

 あたしには、無縁の世界。

 そんな中、想いを寄せてる人に会えば…そりゃあ嬉しいに決まってるよね…


「紅美に…ずっと好きだったって言われて…舞い上がった。俺達はイトコだし、結ばれる事はないって思ってたからな…」


 …不思議と…

 ムービーで名前を聞いた時ほど…ショックじゃない。

 それって、きっと…

 海さんが、真摯に…あたしと向き合ってくれようとしてるって…

 あたし…解ってるからだよね…?



「…だけど、舞い上がってた俺は…その時気付かなかったんだよな…俺と紅美は…」


「……」


「…朝子に会った事は?」


「…何度か…」


「朝子の顔の傷は…俺のせいで出来た物なんだ。」


「……」


 それから海さんは…

 朝子ちゃんが海さんを庇って顔に怪我をした事。

 それがキッカケで…紅美ちゃんとの夢から覚めた事。

 紅美ちゃんには歌っていて欲しいと強く思った事。

 だけど…そんな中で…紅美ちゃんの妊娠と流産を知った事…

 それらを…あたしの目を見ながら。

 時々…涙を浮かべながら…

 ゆっくり、話してくれた。



「…朝子と一緒に暮らし始めた頃…」


「……」


「……」


 急に…海さんが、うつむいた。

 話し始めて、初めて…うつむいた。


「…寝たな。」


 海さんの視線は、膝で眠ってしまったリズちゃん。


「ちょっと移動。」


 そう言って、海さんはリズちゃんをベビーベッドに寝かせると…

 愛しそうに頭を撫でて…ソファーに戻って…


「…くっつくの、イヤ?」


 あたしの前に立って言った。


「……」


 咄嗟に…意味が分からなかったんだけど…

 あたしがゆっくり立ち上がって、海さんの胸にすがると。


「…朝子と暮らし始めた頃…」


 小さな声で、話し始めた。


「…現場で…一般人を…死なせてしまった。」


 え…っ…?

 海さんの胸にすがったまま…心の中で、驚きの声を上げた。


「…周りは…むしろ犠牲者が一人だけだった事の方が奇跡だと言ったけど…それを出さないのが俺の仕事だ。」


「……」


「精神的にまいってしまった。二階堂に居れば、いつかはこんな事があるかもしれないって予測はしていたし、実際仲間の中にも、そういった経験をした人間もいる。」


 あたしを抱きしめたままの海さんの手に…少しだけ力が入った。


「…その時…朝子にそれを打ち明けられなかった。」


「…どうして?」


「朝子にだけじゃない。周りはみんな知っていたが…俺自身の口から、その件を話すのは嫌だった。どうしようもないな…」


「……」


「…まだ若い男性で…小さな子供がいた。」


 …許してくれ…って言ってたのは…

 その男性に?

 海さん…ずっと…苦しんでるんだ…


 命を懸けて働いて…

 そんな中では、当然…人の死に直面する事もあると思う。

 いくら、それを出さないのが仕事だと言っても…

 銃を手にする事が当たり前の世界。

 …あたしには想像も出来ないほどの苦悩を…

 この人は、きっと…もっともっと抱えてるはず…



「その結果…朝子を傷付けた。一緒に居たくないって言われて…婚約は破棄。もう…俺には誰も幸せに出来ないし、幸せになる資格もないって思った。」


「海さん…」


「…弱い男だろ?」


「そんな…」


 あたしが顔を上げると、海さんは小さく笑って…額を合わせた。


「さくらさんが…会いに来てくれたんだ。」


「…おばあちゃまと…面識あったの?」


「…陸兄の結婚式でね。」


「…遠い昔ね…」


「初めて…話した。一般人を死なせてしまった罪を…抱えきれなくて悩んでた事。」


「……」


 あたしのおばあちゃまは…不思議な人。

 年齢と見た目が全然かけ離れてて。

 いつまでも少女のような可愛らしさを持ってる。

 信じられないほど耳が良かったり…頭が良かったり…

 そして…

 とても、包容力がある。



「その時、さくらさんに…『あなたに足りないのは、ライバルと友達だ』って…この家に連れて来られた。」


「…そこに、華音がいたのね…?」


「ああ。最初はお互い最悪だって思ったね。華音が紅美を好きな事も知ってたし、俺は…ずっとくすぶってた紅美への想いを、やっと諦めるって決めた頃だったから…」


 想いは…そう簡単には消え去らない。

 あたしには…分かる。



「だけど、一緒に居れば居るほど…俺は華音を好きになったし…」


「……」


「華音に、紅美を任せたいって、本当に…心から思った。」


「…華音は…海さんと紅美ちゃんが付き合ってた事…」


「知ってるよ。全部。」


「…全部…?」


「ああ。」


「……」


 全部知っても…ブレない華音の想い…

 確か以前…しーくんと曽根君に聞いた。

 華音は…ずっと昔から、紅美ちゃん一筋だった…って。



「今は本当に…二人を心から祝福してる。問題は…」


 あたしの額にキスして…海さんは、小さく溜息をついたあと。


「俺の弱い心だ。」


「…弱い心…?」


「あなたは悪くない。そう…さくらさんが言ってくれて、肩の力が抜けた。だけど…事実は変わらない。俺は…本当は、こうして咲華を抱きしめる資格もないって思ってる。」


 低い声で…早口にそう言った。


「そんな…」


「…自分でも、もどかしい。ほんと…なんて弱い男だ…って。」


「……」


「だけど、昨夜…思ったんだ。」


「…何を…?」


「…幸せになりたいって。」


「……」


「今までは…紅美や朝子を幸せにしてやれない、とかさ…そんな気持ちで、正面から向き合う事を避けてた気がする。」


「……」


「でも昨夜…初めて思ったんだ。」


 海さんの手が、あたしの頬に触れる。

 あたしは…海さんを見つめた。


「幸せになりたい。咲華とリズと…一緒に居たいって。」


「海さん…」


「厚かましいか?」


「…厚かましいなんて…」


「…もちろん…今から、色んな事があると思う。まずは…志麻に言わなきゃいけない。」


 胸の奥が…ツキン…と痛んだ。


「お互いの家族にも。」


「…大丈夫かな…」


「大丈夫。」


 あまりの即答具合に…笑顔になれた。

 そんなあたしの笑顔を見た海さんは。


「俺を…信じられる?」


 両手であたしの頬を包んだ。


「……うん。ごめんなさい…色々…辛い事、話させて…」


「いつか話すはずだった話しが、今になっただけだ。」


 ゆっくり…唇が来て。

 あたしは目を閉じた。

 ギュッと抱きしめられて、背中に手を回した。


「…愛してる。」


 耳元で聞こえた声に、胸が締め付けられた。


 あたし…



 …あたし…



 海さんを…




 愛してる?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る