第10話 「おかえりなさい。」
〇二階堂 海
「おかえりなさい。」
「あー。」
「…ただいま。」
家に帰ると…二人が家の前庭にいた。
今日は、例の…三人で施設に行く日。
俺は一旦、昼で仕事を抜けて帰って来た。
「…暑くないですか?」
まるでピクニック気分な二人。
木陰に座って、ニコニコと笑っている。
まあ…裏庭は塀で囲んで洗濯物を干してたり、物置があったりするだけで殺風景だからな…
だからと言って前庭が華やかなわけでもないが…
大人が三人座れるベンチと。
大きな木が一本。
芝生だけはきちんと手入れしているが…特に花があるわけじゃない。
…花壇でも作ろうか。
「風が吹くと気持ち良くて。」
並んで木陰に入ってみると、なるほど…これは心地いい。
「海さん、お昼まだですよね?」
「はい。」
「じゃあ着替えて来てください。ここで食べちゃおうかなって。」
「ここで?」
「ピクニックみたいに。」
「……」
とりあえず…言われた通り着替えた。
夕方からはまた仕事だが…まあいいだろう。
とは言っても、通りに面した場所だ。
車通りはそんなに多くないが…
「まあ、今日はパパも一緒にランチ?いいわね~。」
早速、隣のスーザンに声をかけられた。
「海、いいお嫁さんをもらったわね。」
「俺にはもったいないぐらいです。」
言った後で…ハッとした。
俺は今…かなりサラッと…
いや、でも本音だ。
だから何のためらいもなく口をついて出た。
…ゆっくり振り返ると…咲華さんは少し固まってはいたが…
ホッとしているようにも思えた。
そして…そのホッとした咲華さんに安心した俺もいる。
「まあ、ごちそうさま。」
スーザンはそう言うと、リズの頭を撫でて歩いて行った。
「……」
「……」
「…お腹すきましたね。」
「…そうですね。」
これは…錯覚だ。
諦めたはずの夢を、酔った勢いで見始めて…
それが覚めていないだけ。
こんな時なのに…不意に紅美といた頃の事を思い出した。
紅美と愛し合った日々は…かけがえのない物だった。
手を伸ばせばそこにいる紅美を、ずっと抱きしめていたかった。
…愛してた。
紅美は陸兄と麗姉が養女にしたから、咲華さんとイトコとは言っても血の繋がりはない。
だから似てなくて当然だが…
紅美とは違うタイプの女性なのに、俺がこんなに穏やかな気持ちになるなんて…
…もしかして俺は、誰でもいいのか?
いや、そんなはずはない。
咲華さんは、出会ってから今日まで…本当によくしてくれる。
偽物の結婚生活も、気付けば三週間近く。
もうすぐ沙都とトシも帰って来るし…
どうにかしなくてはと思う自分もいるのに…
俺は動けないままでいる。
…ダメだな。
芝生の上にシートを敷いて、その上に座り込んでのランチ。
ピクニックらしくサンドイッチでも出て来るのかと思えば…
「…そうめん?」
「スーパーで見付けちゃって。」
「懐かしいな。もう何年も食ってない。」
具材は普通に錦糸たまごやシイタケもあれば、アボガドやトマト……なぜかパイナップルに…ホイップクリーム…
いや…
ホイップクリームは、そうめん用ではない事を祈る…
「うん…美味い。」
「ふふっ。良かった。」
咲華さんは…意外にもよく笑う人だと思った。
それにつられて、よく笑うリズ。
そして…俺。
一緒に生活を始めて、随分と笑顔が増えた気がする。
華音達とのシェアハウスの時もそうだったが…
あの時は笑顔になれても、ここまで癒される事はなかった。
シェアハウスの頃は、ほぼ華音が料理をしていて。
沙都とトシが来てからは…沙都か俺。
だが、二人がツアーに出てしまうと…朝昼は何とかなっても、晩飯を一人で作って食べるのが億劫になって、仕事帰りに食べて帰るか、日によっては食わずに寝てしまう事もあった。
ここ数日の俺の食生活は、思いがけず充実している。
そうめんだけかと思いきや、咲華さんは一度作ってみたかった。と、カリフォルニアロールを出して来て。
そうめんの具材に出ていたアボガドは、その残り物だったと告白した。
謎のホイップクリームは、俺が騙されて食べないかなと思ってたらしい。
…手を出さなくて良かった。
それは食後のアイスコーヒーに浮かべられた。
「いい天気だ…」
リズが仰向けになって笑っているのを見たら、俺も転がりたくなって…隣に寝転んだ。
「毎日お洗濯もよく乾いて嬉しい。」
「…いつもすまないね。」
「いいえ?家の事、楽しくやってます。」
自分の洗濯物は納戸のカゴに入れていたが…
いつの間にか洗濯されてチェストの上にたたまれていた。
自分でやるからいいのに…とも言いにくくて、礼だけ言うと。
「…たたんでる最中に、もしかして余計な事しちゃったかなって思い始めて…洗って大丈夫でしたか?」
咲華さんは首をすくめた。
「助かりますよ。」
「チェストの中に収めても?」
「…そこまでしていただけるなら。」
「見ちゃいけない物が入ってたらどうしようって…」
「見ちゃいけない物?…例えば?」
「…捜査資料とか…」
「資料は持ち帰りません。」
「…その…男の人が好きなDVDとか…」
「チェストにそんな物入れません。」
「じゃあ…そういう雑誌とか…」
「…期待に応えて入れておきましょうか?」
「その時は、コッソリ見てもいいですか?」
真顔でなんて会話をしてるんだ…と思うと、笑えた。
だが、期待に応えようにも…そんな雑誌をわざわざ買うほど興味がない。
でも咲華さんが何か期待しながらチェストを開けていると思うと、いつか何かを入れておこうとは思う。
「~…♪~…」
リズの頭を撫でながら…咲華さんが小さな声で歌い始めた。
…よく考えたら、華音もそうだが…咲華さんもサラブレッドだ。
両親共にシンガー。
華音は音楽の道に進んだから分かり易いが…
…咲華さんの歌声は…
「……」
あまりの心地良さに、目を閉じた。
この時間に庭で寝転んでいる自分が信じられない。
ほんの数分のうちに…
俺は、夢を見た。
この家で…もっとたくさんの子供に囲まれている夢だった…。
ああ…
なんだろう。
心地いい。
頭を撫でられてる気がする。
前髪を触られて…
「あらあら…二人ともお昼寝しちゃったのね…」
「ふふっ…今、いい風が吹いてるから気持ちいいのかも…」
咲華さんが…誰かと話してる…
…誰か…
……スーザン。
パッ。
目を開けると、俺の顔を覗き込んでるスーザンと目が合った。
「あっ、起こしちゃったわ。ごめんなさい。」
隣を見ると、リズがお腹にタオルを載せてバンザイのポーズで寝ている。
俺は…バンザイはしていなかったが、リズと同じように腹の上にタオル…
辺りにあったランチの食器は片付けられていて。
傍らには、涼しそうに足を投げ出して座っている咲華さんがいた。
「…どれぐらい…?」
起き上がりながら聞くと。
「15分ぐらいです。」
ああ…こんな所で昼寝なんて…
なんて緊張感のない…
「咲華さん、歌がお上手ですね。超子守唄になってしまいました。」
前髪をかきあげて…ついでに伸びをする。
最近パソコンに向かい合う毎日で、現場に出るのとは違う労力を使っていたのか…
今の15分そこらの昼寝は、かなり俺をスッキリさせてくれた。
「あ…き…聴こえてました…?」
「この距離で聴こえないと問題ですね。」
「ですよね……恥ずかしい…」
咲華さんは額に手を当てて。
「両親ともにボーカリストなのに、あたしは全然人前で歌った事もないし。」
恥ずかしいと言うより、困った顔をした。
「やはり、お母さんの声と似てますね。」
「え?母の声を知ってるんですか?」
「SHE'S-HE'S、全部持ってます。」
俺の言葉に咲華さんは少し驚いた後。
「もしかして華音に買わされたとか?」
眉間にしわを寄せた。
「いいえ、昔から好きなんですよ。」
「…へえ…意外な気がするけど…嬉しいです。」
実の父、早乙女千寿さんが在籍するバンド。
この家でわずかな時間だが一緒に過ごして、彼を『父さん』と呼べるようになって…
遠くから見ているだけだったその雰囲気に触れ…ますます憧れが強くなった。
俺には、最高の父が二人いる。
「母は…あたしの憧れなんです。」
咲華さんが、リズの頭を撫でながら言った。
「いつも優しい顔をしてる人で…なのに歌うと別人みたいにカッコ良くなって…」
それは…本当、驚くほどに。と、俺も思う。
桐生院知花さんは…とても柔らかい雰囲気の持ち主で。
まさか、あの強烈なシャウトをしている人物とは思えない。
華音もよく自慢していた。
祖母であるさくらさんの事は『世界一出来る女』と言い、母親である知花さんの事は『世界一カッコいい女』と。
「父からとても愛されていて…そんな二人を見て育ったから、小さな頃から結婚に憧れが強くて…」
そう言った咲華さんは、何かを思い出したのか…リズの頭を撫でる手を止めて。
「……」
無言になった。
…志麻との事でも思い出したのだろうか。
「…なんて…誰にも言った事ないのに、あたし海さんにはついペラペラ喋っちゃう。」
咲華さんはそう言うと、舌をペロッと出して。
「そろそろ支度した方がいいですよね。」
ゆっくりと立ち上がって、空を見上げた…。
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