二十話

 昔取ったなんとやらで、ミルカは実に手際よく装備を揃えていった。


 「降下する為のカラビナ、戦闘用の文様……こんなものかな」


 用意してある装備は二つきり。ミルカとダンのぶんだ。


 「オレは今から交渉の根回しに向かう。勝手に掘削中止ってことにされないよう、見張る必要もあるからな。オレの代わりにこれ、持ってけ」


 ターヴィがダンに手渡したのは光線銃だ。呪文詠唱も文様描画もいらない、高威力の武器。

 ダンは慎重な手つきでそれを受け取り、ベルトに挟んだ。

 二人はターヴィを見送ってから、井戸の中を覗き込んだ。


 「掘削途中の井戸はこうなっているんですね。巨大な落とし穴という感じです」

 「まだちょっとしか掘ってないみたいだね。壁面も上の方しか固められてないから、生き埋めにならないようにしないと」

 「さらりと怖いことを言いましたね」

 「言いましたよ? ほら、小さい頃やったでしょ、砂遊び。掘っても横から砂が落ちてきて、なかなか深く掘れなかったじゃない? あれと同じことがこの井戸でも起こる。で、横から土砂が落ちてこないように、同じようなパイプを地中に埋め込んで固定した上で、マギと特殊溶液を混ぜ込んだ薬品で壁面を固めるの」

 「なるほど。穴の下の方は、まだ薬品で固められていないから、注意する必要があるというわけですね」


 まだ昇降機も通っていない。

 二人はダンの鉄矢に足を乗せ、ゆっくりと降下し始めた。

 ダンの右腕にぎゅうっとしがみ付きながら、おっかなびっくり足元を覗き込むミルカ。


 「なんか寒いね。地下水層が近いからかな」

 「ああ、あの日は水が噴出していましたね。雨のようだった」

 「雨の日は好きじゃないなあ」

 「何か嫌な思い出でも?」

 「姉さんが死んだ、ってのは嫌な思い出に数えてもいいよね」


 しがみついて、下を覗き込んでいるミルカのつむじを見る。

 腕を掴む指先は冷たい。


 「姉さんはバスタブの中で腕を切って、死んじゃってた。何でだと思う?」

 「……どうしてでしょう」

 「姉さんと婚約していた人が死んじゃったの。それで、その人が死んだのは姉さんのせいだって言われて、だから、姉さんは――雨の日に死んだ。自分の忌まわしい血を薄めるみたいに、バスタブいっぱいに水を張って。水の中で、真っ赤な糸みたいに揺れてる姉さんの血が、ずっと頭から離れないの」


 ミルカは顔を上げないまま淡々と言葉を紡ぐ。ダンの腕に細い指が喰い込む。


 「婚約者の人が死んだのは姉さんのせいじゃない。でも、私は姉さんを守れなかった。姉さんが酷いことを言われてるのを、ただじっと、見てた。私が何か言えていたら姉さんは死ななかったかもしれない。あんな冷たいところで、一人で」

 「ミルカ」

 「だからね。今度は、ちゃんとクラウスを守りたいの。何があっても」

 「もちろんです。きっと……お姉さんはきみをとてもかわいがっていたのでしょうね」


 ミルカが吐息めいた笑いを零して頷いた。

 ダンはミルカが戯れに言う『それって褒めてる?』という言葉を思い出す。あれはきっと姉の不在を無意識のうちに埋めようとしていたのだろう。彼女の姉はいつもミルカを褒めて甘やかして、慈しんでいたに違いない。


 ――だからこそ、ミルカが呟いた『忌まわしい血』という言葉が気にかかる。それは彼女の類まれな魔術の腕と何か関係しているのだろうか。

 その疑問を読み取ったように、ミルカが言う。


 「あのね、ダンとウィリアムさんには、ちゃんと話すから。だからちょっとだけ待っていて」

 「きみがそう言うのなら」


 ダンはミルカのつむじを見下ろしたまま答えた。ダンの腕を掴む指が安堵したように緩んだ。


 「……あれ。今、なんか光が。下の方に」


 ミルカが身を乗り出して足元を指さす。


 「おかしいな。だって今は誰もいないはずだよね、」

 「っ、氷の壁を!」


 考えるよりも体が先に反応していた。ミルカはブーツを蹴り上げるようにして氷の壁を呼ぶ。


 「うっ、わ?」


 鉄矢という細い足場でバランスを崩したミルカの腰をダンが強く引き寄せる。それは、足元に展開された氷の壁が粉々に砕けたのとほぼ同時だった。


 「追撃きます!」

 「そのまま、支えてて!」


 懐から出した文様を足元に展開。ダンの腕に体重を預け、その文様めがけて両足を振り下ろす。ブーツの底に刻まれた文様が赤く染み渡り、複雑な図像を描いたかと思うと、次の瞬間巨大な氷の花を咲かせた。


 蓮に似たその白い花は、下から放たれたつぶてと火炎を押しとどめる。


 「五番、十番、選抜。装填! 放て!」


 ダンの背後に銀色の矢が浮かぶ。それは優雅な軌跡を描いて、攻撃の放たれた方へ向かってゆく。敵の位置を探るように、壁面を抉っては宙に躍り出る。


 「火炎の色、見えましたか」

 「緑だった」

 「であればドラゴンの可能性があります。火噴き種の七割は緑の炎を吐きますから。……十二番から五十番、選抜、装填」


 井戸の中にダンの矢が浮かんでいる。敵の位置を探っているのだろう。彼は目を閉じて集中していたが、やがて猫のように反応した。


 「右下! 急速に浮上してきます」


 ダンの放つ矢を跳ね返しながら何かが接近してくる。狭い井戸内に風を切る音が反響している。クゥウと唸る声と共に、黒い塊が二人の横を掠めた。

 身を守るためにミルカが展開した氷の壁が砕かれることはなかった。それは井戸を急浮上し、そのままどこかへ去っていった。丸くかたどられた空を背後に、翼を広げるその姿は、ドラゴンそのものだった。


 「な、なんだったんだろ、今の」

 「ドラゴンでした。種族までは分かりませんが、火噴き種……」

 「人間もいた。このつぶて、ほら」


 ミルカは手の中に隠していたつぶてを見せた。最初に炎と一緒に放たれたものだ。

 潰れて見えづらいが、何かの模様が入っていたようだ。ミルカはそれを見たことがあった。あの山の中、初めてドラゴンの赤ん坊の遺体を見たときのことだ。


 「……彼らは何をしていたのでしょうか」

 「うーん、これ、私の直感だけどね。あんまりいいことじゃなさそうな気がするよ」

 「確かめてみましょう。彼らはどこにいたのでしょうか」


 二人はそろそろと井戸の中を降りてみる。

 だいぶ底に近い場所に敵の痕跡があった。

 ミルカは目を細めて壁を叩く。怪訝そうな顔はやがて確信に変わり、拳を振り上げて何度も壁を殴りつけた。ダンが制止しようと手を伸ばすが、その前に壁がぼろりと崩れた。


 「見つけやすいのは結構ですが。もう少し丁寧に隠してもらいたかったですね」

 「贅沢だなあ。あ、でも何にもないや」


 土で僅かに隠しただけのその空間はさほど広くない。人間一人と、小さなドラゴンが隠れるので精いっぱいの広さだ。ミルカとダンが降りてくることに気づき、慌てて隠れたのだろう。掘削して日の浅いこの井戸には、隠れる場所はあまりない。


 「んー……うん? ありゃ、ここんとこ水が染みてる。そっか地下水層が近いんだ」

 「彼らはここで何をしていたのでしょうか」


 ダンは呟いて屈みこむ。湿った土を手のひらで撫ぜると、少しだけ黴臭いにおいがした。屋根裏で放置された薬草と、甘い古書の混じったにおいだ。


 「……ふむ」

 「何か見つけた?」

 「はい。彼らがここで何をしていたのか聞きに行かなければ」

 「ここに誰がいたか、分かったんだね」


 ダンは頷く。


 「ウルブスへ――行きましょう」




 *




 花菱は翼の角度を変えて速度を落としながら、病院の前庭に着地した。


 ここは箱庭から一時間ほど飛行した先にあるドラゴンたちの街だ。クラウスと花菱が巣でいる街で、比較的栄えている方だと彼女は思っている。街で一番大きいこの病院は、花菱が医術士見習いとして働いている場所でもあった。


 病院といっても建物があるわけではない。日当たりの良い岩場がいくつかあり、治療用の文様や薬品を収納している洞窟があるだけだ。花菱は岩場で日光浴をしているドラゴンたちの間を縫うようにして歩いた。


 洞窟に近い岩場の方に、ぐったりと横たわっているドラゴンの集団があった。あのリグで事故にあったドラゴンたちだ。お世辞にも快方に向かっているとは言い難い。


 「ああ、医術士の方ですか」


 一頭の健康そうなドラゴンが近づいてくる。ドミニコ種だろうか、黒曜石のような艶を持つ体は、小さいが引き締まっていた。


 「お見舞いの方? いいのよ、そこに座っていて」

 「いえ……なんだかいたたまれなくて。自分もあのリグの事故に居合わせたのですが、この通り何でもないものですから」

 「ああ、そうね。あなたには逆さ鱗がないから」

 「逆さ鱗……? どういうことでしょう」


 花菱は答えず、少しばかり興奮した様子で、横たわっているドラゴンの逆さ鱗をそっと覗き込んだ。ダンの仮説が正しければ、ここに何らかの異変があるはずだ。

 ドラゴンの指が二本、入るか入らないかの狭い部位。寄生虫の類も、他の怪しい何かも見当たらない。逆さ鱗の仮説は誤りだったのだろうか、と花菱が落胆のため息をついたときだった。


 「医術士の方よ。少し手伝ってはくれませんかな」


 別の患者から声をかけられた。彼もまたリグの事故によって入院を余儀なくされたドラゴンだ。花菱の二倍以上の大きさを持つ翡翠色のドラゴンは、億劫そうな息を吐いた。


 「私の逆さ鱗も、なんだか奥がもぞもぞするのです、覗いてみてはくれませんか」


 花菱は爪の先に微かな明かりを呼ぶと、そのドラゴンの首元にある逆さ鱗を爪でそっと開き、中を覗き込んだ。中にできた空洞は、ちょうど人間の拳が一つ入るくらいの大きさだろうか。ダンとミルカの姿を思い浮かべながら、花菱は目を細めて中を確認する。


 「あ、水が溜まっているわ。ほんの少しだけどね。雨で入り込んじゃったのかしら」

 「いえ、このところ雨は降っていませんから、あのリグのせいでしょう。地下水層をぶち抜いてしまって、盛大に水が噴き出していましたから。全て体内に吸収したと思っていたのですがまだ残っていましたか」

 「あの忌々しい水ね! あれで治療がだいぶ面倒なことに……」


 花菱の動きがぴたりと止まる。

 逆さ鱗は寄生虫が体を出入りするための通路のようなものだが、ここから水が体内に入ることもままある。鱗が上向きに生えているので、雨水などが入り込みやすいからだ。


 ということは、この水が発症と関係しているのかもしれない。


 「地下水層の水はドラゴンも人間も等しく浴びたはず。でも水を浴びた全員が病気になっているわけじゃない。ということは、体表に付着する分には問題がないのだわ。問題はあの水を体内に取り込んでしまった場合……」


 逆さ鱗の底に微かに残った水をすくいあげ、細長い試験管に入れる。その水は透明で、何か問題があるようには見えなかったが、花菱は確信していた。

 目視では判断できない何かがここには隠されている。それを慎重に鱗の間にしまい込むと、花菱は勢いよく空へ飛びあがった。


 「ダンとミルカに知らせなくちゃ。ああいえ、その前にこの水を調べるのが先ね。待っていてね、クラウス……!」

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