木龍葬儀社ワイナミョイネン
雨宮いろり・浅木伊都
そこは井戸底暗き場所
第一話
腹の底から突き上げるような衝撃を感じてミルカ・モナードは飛び起きた。
すわ地震かと身構えるが、予期した揺れは訪れない。地震でないならば最悪の事態は免れるだろうが、とにかく警備隊として原因を突き止めなければならない。
例え非番であろうとも、例え今が夜中の三時であろうとも。
「あーあ、ジャケットぐちゃぐちゃだ」
ぼやきながら装備を調えていると、衝撃から遅れること二十秒、耳をつんざく警告音が全区画に鳴り響く。
警告音のパターンは井戸の中でも深い箇所、第三区画に問題が起こったことを示すものだ。深層区域での問題は難易度がはね上がる。そして生存率は下がる。
ミルカは幾つかの装備を追加で選び、カラビナの状態を確かめると、パイプの降下場所に走った。
次々と駆け付ける隊員たち。ミルカは長い金色の髪を一つにまとめながら、その大きな翡翠色の目をこすった。眠りについてからちょうど二時間、眠りはいよいよ佳境に差し掛かるところだったのに。
文句を言っても仕方がない。ミルカは気を取り直して何が起こっているのか見極めようとした。
ぱたぱたと軽やかな音を立てて、マギの採掘量を示す数字板が入れ替わってゆく。ミルカが非番に入るまでは、鳥の羽ばたきほどの速さで数字を増やしていたそれが、今では瞬き程度ののろさで採掘量をカウントしていた。
ちょうど側にいた同期のティムに話しかけてみる。
「マギの採掘量が減ってるね。漏出(リーク)かな、それともパイプの脱落?」
「技術者の連中が判断しないことには分かんねえけど、恐らくどっちも起きてる。第三区画の上部でマギの漏出、およびパイプの破損が確認されたって蒸気稼働(システム)は言ってるから、五番アラートもやむなしってとこだな」
「原因は? さっきの強い揺れと何か関係があるの?」
「さあね。あれは何だったんだ?火災が検知されていないところを見ると、爆発物の類じゃあなさそうだが」
「何でもいいけど、あれで井戸内の生物が暴れ出さないといいな。片っ端から殺すのは私の趣味じゃない」
「ああ、マニュアルだと五番アラートは“皆殺し”だもんな。けどお前なら楽勝だろ、モナード」
「趣味じゃないって言ったでしょ」
井戸内には地中に散在するマギを喰らう魔術生物たちが住んでいる。モグラ、アナウサギ、エビのように曲がった腰を持つシュリンプラット。そしてこれら小動物を喰らうアイアンウルフ。
五番アラートは最も深刻な異変が起きていることを意味する。その異変をこれ以上悪化させない為にも、この生物たちを全て殺さなければならない。
考えるだけでげんなりした。
「おはよう。さすがに警備隊は早いな」
技術者の一人が、様々な数字が描画されている水晶板の前に駆けつける。寝癖だらけで半ば爆発したようになっている髪をかきあげながら、ミルカには分からない何かの数値を確認する。
「井戸内の成分変化を確認、第三区画のレコードパイプ完全破損に異音察知……こりゃ完全に漏出の傾向を示してるな。マニュアル十五条に従って全抽出工程を中止、並びに全ての蒸気稼働運動停止。損失幾らになると思ってやがるんだ、ほんとにもう」
寝起きの掠れた声でぼやきながらも、男の指は俊敏に動いて、全ての蒸気稼働を適切な手順で操っている。「リグ」と呼ばれるマギ掘削施設は、二十四時間年中無休で稼働するさながら不夜城のような施設で、半日停止しただけでも膨大な額の損失を出す。一時でもマギの掘削を止めるのは、リグを運営する一族にとっては考えたくもない悪夢である。
しかし、マギの漏出に対して取りうる手段は、リグの停止のみだ。男は不機嫌を隠しもせずに、蒸気稼働を落とした。それを受けて警告音がぷつりと途切れる。
やがて抽出器が止まり、虫の羽音のように響き続けてきた稼働音が停止した。採掘音を示す数字板も、凍りついたように動かない。
不気味なほどの静寂が訪れ、ミルカとティムは顔を見合わせる。
警備隊としてここに派遣されてから既に半年が経とうとしていたが、リグがこんなにも静まり返る瞬間などなかった。不気味な静寂。どくどくと聞こえる自分の心臓の音。
技術者の男はじっと水晶板を睨んでいたが、ややあって首を傾げた。
「妙だな。モナード、第三区画の遠隔望遠術式(カメラ)起動してくれるか。そこの青い術式台で操作できる」
「了解(コピー)」
ミルカは銀盆のような術式台―魔術の術式を蒸気稼働に書き込む為の入力基盤―に手のひらを乗せ、慎重に術式を操作した。誰もが操作できるわけではない。術士並みのコントロールを要求される術式台を、苦も無く操るこの十八歳の少女に、ティムは舌を巻いた。
魔術による遠隔視の結果は、鏡面のように磨きこまれた水晶板に映し出される。
「術式ほとんど死んでますね。やっぱり爆発でしょうか」
「第二区画の八番術式、あそこも死んでるか」
「生きてます。そうか、八番術式なら第三区画に一番近いから」
「うん。それで見てくれ」
遠隔望遠術式(カメラ)の角度を変える。やがて水晶板に映し出されたのは―。
「これは……」
まず目に飛び込んできたのは鱗の生えた皮膚だった。ささくれ立ったそれは夥しい量の液体にまみれてぬらぬらと光っている。折れかけた角が、だらりと後ろの方に垂れ下がっているのが見えた。
遠隔望遠術式(カメラ)が蝸牛ののろさで頭部の方に移動する。画質の悪い映像に彼らは必死に目を凝らした。
やがて判明した二つの事実に、水晶板の前の男たちは絶句する。
ひとつ、その生き物は既に上顎を吹き飛ばされて絶命していた。
ふたつ、その生き物は――ここにいてはいけないもの、即ち木龍(ドラゴン)であった。
水晶板を食い入るように見つめていたティムが顔色を変えた。
「はあ……!? どうしてあんなとこでドラゴンが死んでんだよ!?」
「転移魔術の失敗だろう。もっと画質が良ければ、パイプの状態が分かるんだが……」
「それくらい俺だって知ってますよ。よりにもよって何で井戸に突っ込んできてんだ、ってことです!」
「転移魔術が失敗したんだ。どこに突っ込んできてもおかしくはない」
言いながら技術者は眉をひそめる。
「しかしこれはもう死んでいるだろうな……とすると、だ。俺たちは可及的速やかに通報して、現場保持に努めなければならない」
嘆息する技術者は電信通話機の受話器を取り上げた。
「……交換手?こちらオンショアリグ、至急文化厚生省に繋いでくれ。ドラゴンの死体が発見された」
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