第1部 第4章(下) 疾走
第30話 視察ドライブ
土曜日朝9時ちょっと前。
出迎えに待っていた3人に耳に若干やかましいエンジン音が聞こえる。
濃青色のスバルWRXが寺の駐車場に現れた。
車から降りてきたのは恐らく五十代位の男。
長袖のポロシャツにゆったりしたカーキ色のズボン、ミドルカットの軽登山靴にミレーの25リットルのザックを背負っている。
まるでハイキングにでも行くようだ。
その男を一目見た瞬間、真司は玉川の注意事項の意味を一瞬で理解した。
というかばれていないつもりだろうか。
それでも一応昨日の玉川の注意事項に従い、真司はその件については何も言わないことにする。
「初めまして。喜多見です。玉川先生は前垣高校1年と3年の時の担任で世話になりました」
「ユーエン・ムコ―ヒルズと申します。この度はわざわざご相談に乗っていただけることになり大変感謝しております」
事前打ち合わせで今日の相談は主にユーエンが中心に行うことになっている。
というか最初からユーエンはそのつもりだったらしい。
ユーエンに合わせて真司と五月も挨拶した後、喜多見氏は話を切り出す。
「要件については大体玉川先生から聞いてる。でもどうせならここで話をするより現地を直接目で見た方がいい。僕も理解しやすいし話だってしやすいだろ。帰りはこの車を自分で運転して行く。だからとりあえず現地まで行って案内してくれないか」
いきなりの申し出である。
まあ喜多見氏の恰好を見てこうなることはある程度真司にも予想はできたが。
でもそれには問題がひとつある。
「そのレンタカーはうちの人間が代わりに返しておくよ。借りてきた場所は長野かい草津かい」
こっちが対応する前に若干早口で向こうの意見がやってくる。
「須坂の営業所です。レンタカー内に地図も入っています」
「委細承知。じゃあ玉川先生にちょっと挨拶してそれから出よう。寺に荷物置いてあるならその時に取って来ればいい。それとも車に積んでいるなら今移動させるかい。鍵は先生に預ければ1時間もしないうちに担当が取りに来る手はずになっている」
「寺にも車の中にも若干荷物あります。まずは車の方の荷物を移動させたいのでトランクを開けていただいてよろしいですか」
「ほいきた」
喜多見氏はポケットから鍵を取り出してボタンを押す。
トランクが開くパカッという音がした。
真司と五月は喜多見氏をユーエンに任せ旧々型ヴィッツのハッチバックを開ける。
幸い荷物は3人とも少な目だったので移動させるのはすぐ終わる。
「車の方はこれで大丈夫です。あとは寺の2階に若干荷物があります」
「あそこの部屋はクラスの同窓会をやる時、地元を離れた奴が泊まるのに使うんだ。僕も3回位泊まったなあ」
4人で寺の庫裏へ。
「どーもー玉川先生。お久しぶりです」
「相変わらずちょこまかしてるようだな。色々苦情も聞こえてくるぞ」
「ご存知の通り重要事項は自分で確認しないと気が済まない性格でして。貧乏性とよく言われます」
「俺としては上に立つ立場としてどうかと思うぞ」
旧交を深めている間に3人は昨日泊まった部屋へ。
一応荷物をまとめて簡単な掃除もしておいたので取ってくるのは早い。
「それにしても先生の知り合いに異世界人がいたとは流石に驚きましたね。まさか生徒ですか」
「城のある毛無峠近くのハイキングコースで婆さんが足をくじいてな、そこの若い二人に助けられたんじゃよ。一月程度前のことだ」
「先生なら御夫人1人位担いで登山道降りれれるでしょ」
「馬鹿言うな、
等とどうやら真司らと出会った時の事を話しているようだ。
玉川は階段を下りてきた3人の方を見る。
「おお、行くか」
「大変お世話になりました。またお礼に伺います」
「堅苦しいことは抜きだ。ただ向こうが落ち着いたら3人で事後報告にこい。婆さんが喜ぶ」
「ええ、必ず」
「じゃあ自称喜多見、こいつらをよろしく頼む」
おいおい玉川先生。
とっさに真司は五月とユーエンの反応を横目で見る。
ユーエンは全く気にしていないように見える。
五月は気が付いたが真司とユーエンが無反応なので反応を気づかれないようにしているという感じだ。
「委細承知です。それでは、また」
喜多見氏は苦笑している様子だ。
真司が表情を変えないようにして様子を伺って感じたことなので、実際に苦笑しているかどうかは確実ではないが。
最後に玉川にレンタカーのカギを渡す。
玉川も既に了解済みのようであっさり鍵を受け取ってくれた。
車のトランクに残りの荷物を入れ、真司が運転席に、五月が助手席に乗る。
喜多見氏と説明担当のユーエンは当然後席だ。
「じゃあ頼む。ルートは任せた」
との事なので真司は車をスタートさせた。
「それにしても面白い車ですね」
五十代の立場のある男性が使うにしてはちょっとばかり元気がいい車だ。
ボンネット上のエアスクープがとんでもない性能を主張している。
色もスバルのチームカラーだった濃青色だ。
「立場上県産品を使えるところは使う方針でね。今のスバルを代表する車はやっぱりコレだろ」
微妙な発言をしているがあえて真司は気にしないことにする。
「アウトバックや、せめてB4という選択肢は考えませんでした」
「今のスバルで一番スバルらしいというか元中島航空機らしいのはWRXだ。選ぶとすればWRXの中でS4選ぶかSTIで行くかで。本気になればSTIの方が速いんだが前橋は結構渋滞もあるし県内は坂も多いしな、そこは大人の妥協策でS4にした訳だ」
そもそもWRXを選んだ時点で大人でも妥協策でもない気はする。
でもそこまでは真司も突っ込みを入れない。
それに車そのものは運転しやすかった。
カーブを曲がるときのハンドルも自然だし車の動きも自然。
かなり速めに運転しても大丈夫そうな安心感もある。
ただ比較対象は来るときに乗っていた旧々型ヴィッツ。
なので今の新型車のレベルが高いだけかもしれないが。
後席では喜多見氏とユーエンの会談が始まった。
「それじゃあの城のことについて聞いてもいいかい。そもそも城と仮に読んでいるけれど、あの建造物は何のために作られ、何故あの場所に現れたんだ」
「あの城は一言でいえば、崩壊した世界から脱出した移民船です。
状況の説明には元々私達がいた世界の状況からお話しする必要があります。
あの世界はほぼ500年ほど昔から空間が不安定な状態になっていました。例えばある場所と別の場所との時間の進む速さが異なったり、まっすぐ歩いている筈の人間を別の角度から見たら曲がりくねった不安定な動きで歩いているように見えたリです。ある場所から遠方の別の場所へと強制的に飛ばされてしまうような事故も頻繁に発生していました。
そのような状態では安心して生活を送れません。ですから街はその領域を存在する区間上の位置と時間の流れを機械的に固定してあります。大きな範囲を固定するには大掛かりな仕掛けが必要となりますから、必然的に町は住民の生活維持に必要最小限な大きさで堅固な造りになります。
つまりあの城という建造物はかつて私達がいた世界での標準的な街そのものです。こちらの世界の言葉でいうと城塞都市というのが一番近いでしょうか。
そして不安定だったあの世界が崩壊する直前、世界の破滅から逃れるために各都市は城塞都市を移民船代わりに他の世界へと活路を求めました。その結果のひとつがこちらの世界で毛無峠と呼ばれる場所の付近に出現したあの城です」
「つまりあの城は向こうの世界の街であり、世界の崩壊から脱出してきた移民船でもあるという事か」
「ええ、その通りです」
真司は説明に補足や合いの手や色々言いたいのを抑えて無口で運転している。
今回はユーエンに任せると決めたのだ。
それに本来こちらの行政幹部への説明はあの城の代表であるユーエンの仕事だ。
真司が口を挟むべき問題ではない。
「それではあの街の名前は何という街で現在の人口は何人くらいかな」
「あの城はむこうではカフネルズの街と呼ばれていました。人口は現在250人余りですが、こちらの世界の時間の流れと未だ同期できていない者がほとんどです。現在思考能力も含めて十全な者は私を含めて8名。他の者は通常にこの世界で生活できるまであと2年ほどかかるものと予想されています」
「あと2年もの間その人たちは大丈夫なの」
「問題はありません。正確な説明は省きますが、せいぜい半日分の絶食程度の消耗と予想されています」
「あと、この世界に他に70余りの城が出現しているけれど、あれも同様に同じ世界からの脱出船だと考えていいのかい」
「おそらくは。ただ私たちはこの世界で相互に連絡を取る手段を持ち合わせていません。前の世界では空間の不安定性を利用した連絡手段がありました。でもこちらの世界の空間構造は堅固なのでその手段が使えません」
「とすると他の城の状況は」
「ええ、分かりません」
「言葉は通じるのかい」
「向こうの世界の言葉はほぼ統一されています。それに空間の歪みを利用した言語情報収集装置が各脱出都市に備えられている筈です。ですので言語の心配はないと思われます」
「現在の情報だと未だ城と意思の疎通に成功した国や地域は存在しないようだけど、何故かわかるかい」
「それはただ単に時間的な問題だと個人的には思います。
この城で情報収集装置が起動できたのが1年前、私を含む先駆活動員が十全に動けるようになったのが半年前のことです。
このカフネルズの街は世界脱出理論を唱えた学者と近い関係にありましたので、いろいろ実験的な空間制御装置が働いています。時空間の同期も他の都市より数段早い筈です。それでもこの状況なのですから、他の都市はおそらくまだ目覚めていない可能性が高いと思われます……」
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