第二章
星眼の歩兵
第10話 聖域
ソファの上で目が覚める。視界は未だに
ソファの
頭はまだ巧く働かなかったが、それでも家内の様子から現状を鑑みることは出来た。
『随分と生活感のある家だな。どうやら誰かが
それを探るべく身を起こそうとした時、不意に銃剣で腹を撃ち抜かれた情景がフラッシュバックし、身体の力を抜く。
そして身体を庇うように、ゆっくりと手を動かし、傷口を確認する。
『! 手足がまだ冷えている――あれから
背中の切り傷、腹部の穴も動かなければ痛まない。胴体も包帯で巻かれ、腕には輸血用のチューブ。
……手慣れているな。』
同時に、
『誰に助けられたのかは気掛かりだが、無理に動けばこの後に響く。ここまで手際よく手当してくれたのだから、少し休むか。』
俺がそう思い、目を閉じた時――視界の先、奥の方で扉を開ける様な重々しい音が鳴り、暫くしてからその主が徐に姿を現した。
「よぉ、意識が戻ったか。
その影響で、反射的に起き上がろうとするもやはり背中と腹に激痛が奔り、身体は起こせなかった。
「おい、落ち着け。此処は
「はは……貴方こそ。」
彼はあまりにも変わっていなくて、俺は呆気に取られたまま、再度横になった。
彼は外套を脱ぐとベストの上からネクタイを
彼は、俺が凭れているソファからコーヒーテーブルを介して、反対側に位置するソファにゆっくり座ると話を始めた。
「背中の傷口には裂傷用の『Zip』が貼ってあるから、激しい動きには注意しろ。腹の穴は縫合し、両方とも『人工皮膚スプレー』で治癒を助力している。
数日すれば傷口は塞がるが、それでもやはり傷口は拡がり易い。一先ず、今日は休め。」
彼はそう告げると、直ぐに
彼の語り草は相変わらず無愛想で一方的ではあったが、自身がそれに対して懐旧の情を抱いてしまうのは、至極当然な事だった。
言われるがままにソファで休んでいると、暫くして奥の室に在る灯りの一つが消えた。
それからまた少しして、乾いた音と共に見慣れた顔がシワと白髪を増やして覗かせた。
「『ゲイリー』――少し話をしよう。」
俺を『ゲイリー』と呼ぶ
然しながら、彼には幾つか特筆すべき特徴が在る。
白金色の短髪、
筋肉は服の上からでも判るぐらいには在る――
年齢は大体、俺が16歳の時に40代だと予想出来るので、今年で60歳くらいだろう。
そして嗄れた声を発する首元からは、奇怪な傷痕が見え隠れしている。
以前調べたが、それはリヒテンベルク図形と呼ばれるもので、落雷によって
尤も――彼の経歴や家族など一切知らないのでこれ以上のことは大して語れないでいる。
だが、自身にとって彼は親同然の人物であることは確かだ。
何故なら、テロにより父母を亡くし、孤児になった俺を拾ってくれたのが彼だからだ――丁度、俺が16の時だ。
彼は再度ソファに腰をかけ、話を続けた。
「あれから元気にしていたか、案山子小僧。どうやら、大分ヘマしたようだが……」
『案山子小僧』は、俺を
悔しいが、彼には敵わないので言い返すことすら出来ない。
彼の元を離れる時――つまり俺が独り立ち出来ると判断された最期の組手でさえ、俺は手も足も出ず。勝てずに終わった。
彼の技術は、常人のそれとは一線を画している――特に
仮に、俺が彼と同じ人生を歩み、同じ歳に至ったとしても、きっと彼には敵わないだろう。
それぐらいに彼は、発想を実現する果断と技術、知識に富んでいる人物なのだ。
「逆ですよ。貴方にみっちり
此処は俺が、彼に育てられた場所よりも、静かで、広くて、孤立していた。
彼に育てられていた当時から、彼は隠居生活をしていたが……今回はまるで――『何か』から隠れている様だった。
彼はコーヒーテーブルに無造作に置かれたハンドタオルで、軽く手を
「お前が都市で追っている事件が関係している。」
「……もうそこまで調べているのですか。」
以前から彼は人殺しの仕事に反対だった。
然しこの時代、就ける仕事は限られていて、金にも困っていた俺は特捜に身を置くことにしたのだ。
そして俺が退職したい理由の一つとして、彼のその想いへの罪の意識――背徳感も少なからず含まれていた。
然し、それとこれは関係ない筈だ。
「――いや、言い方が悪いな。元々は『俺達』の事件だ。お前は手を引け、後は俺がやる。」
「俺達――? 一体何を言ってるんですか?? それに何故、貴方が――」
「話す義理は無い。傷を癒してから
否応無しに彼は話を終わらせた――疑問だ。
確かに奴等の得体は知れないが、邦を出るには至らない筈だ。多少なりともやり方はある筈。
そう考えた俺は、彼の逃げ腰とも捉えられる腑抜けた言葉に無性に腹が立ち、反論した。
「何故です? 貴方はそんな事を言う程、落ちぶれてはいない筈だ。それに俺ならまだやれます――この仕事は俺の仕事だ。」
俺は身体に奔る痛みを堪えながら起き上がり。コート掛けから外套と荷物を取り、ガンベルトを着けた。
「手当てして下さり有難う御座いました。後は自分で出来ます。」
彼は静かに立ち上がり、俺の行手を阻んだ。
「座れ。お前は奴等を知らない。」
「いいや、もう十分すぎる程です。さぁ、そこを
彼は毅然とした態度で、俺を見つめる。俺はこの苛立ちと、やるせない気持ちを彼に押し付ける様にして、彼のベストの胸元を掴み。投げ伏せようとした。
「――この程度か。」
「判るか? お前は未熟な上、大怪我を負っている。このままでは無駄死にだ。
それでも行くと言うのなら、せめて俺を倒してから行くんだな。」
そう言うと、彼は手を離した。俺の手首にはくっきりと紫色の
彼は現役である俺よりも、日々の練習以外では殆ど動かないであろう。それでも、理不尽で圧倒的な差が目の前に在る。
そんな彼に、いつしか俺は『一生太刀打ち出来ないものだ』と考えていた。
だが目の前の理不尽は、その不可能を可能にしろと脅したのだ。
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