第47話 根室重光が岡田信星老師に会うこと⑤
お住持さまの専用電子計算機はすぐわかった。
フレームと鍵盤が木でできたレトロ感満載のデザインは、本で見たことのある昭和初期作成の木製タイプライターとそっくりだった。
キーには平仮名と漢数字が刻印されている。アルファベットなど一文字も使われておらず、代わりに種字のキーまであり、とことん和風かつ仏教式だ。
「木の家庭用コンピューターなんて珍しいですね」
「三光宮の神木の枝を使用しておる」
俺は礼盤に計算機を置き、電源を入れた。
前机の上には蝋燭と四本の乾電池が並べられている。
「ついでに新たな
信星住職が計算機に向かい合った。
「俺は何をしてればいいんですか?」
「上質な神音力の入力が必要だ。一心に観音経を唱えておれ」
「すみません。観音経はちょっとしか知らなくて」
「いつも普通に唱えておっただろうが⁉ まあよい、般若心経でも良いぞ。それも忘れたというなら祝詞でもよい」
「では、般若心経と祓詞を繰り返しでいいですか?」
「おのれの魂を吹き込むつもりでやれ」
骨の浮いた指が鍵盤を叩き始めた。
それは一つの壮大な曲であった。
キーを打つ音が、独特のリズムを刻み、本堂の内部で反響する。
「掛けまくも畏き伊邪那岐大神、
格子戸を閉めたので、堂内を照らす光源は、隙間から差し込む外光と蝋燭の炎のみ。俺の拝詞とともに独特の宇宙を作り上げた。
『
片言しかしゃべれない神使も流暢に経を読む。
前机の電池が振動する。神音力が伝わっているのだ。埜口が仏教への信仰心に優先的に反応すると言っていただけのことはある。
「
金色の本尊に見守られながら一時間は経過しただろうか。
祓詞と般若心境、観音経の知っている箇所のみを繰り返すこと百回を越え、さすがに俺も疲れを感じてきた頃、ついに終わった。
「……もうよいぞ」
ふらっと倒れかかる信星住職を俺は支えた。
「お住持さま!」
「心配するな。わしの命ももうしばらくは持とうて」
老僧の顔に浮かんだ汗の粒をヒトトビがタオルで拭き取る。
「無理し過ぎですよ」
「半六の数少ない友人のために無理をするなと言うのが無理じゃて」
「え?」
「おまえさんが根室重光なんじゃろう」
住職はしっかりした目つきで俺を見据えた。
「俺が半六じゃないってわかってたんですか?」
「うむ、会ったばかりなのに呼び捨てなのは、わしがはるか年長であることと、今できた観電池を譲与することに免じて大目に見てくれ」
「全然構わないですけど一体いつから? まさか最初から俺をからかって……」
「寺に着いたあたりからじゃな。最初は本気でおまえさんを半六と思うておったよ。だが、半六にしては言うことがおかしいんで、よく見れば別人じゃないか」
無駄な芝居だったわけか。ガクリと肩が落ちる。
「おまえさんには感謝しておるよ。
そこで重く息を吐いてむせたので、再び布団に寝かせた。
「これで四度めになるのかのう」
天井を仰いで住職がつぶやく。
「何度めだっていいですよ。ところでお住持さま」
「何かな」
「初めて星願寺でお見かけしたとき、妖魂の前で倒れていたのは、やはり滅魂の最中だったのでしょうか」
「うむ、金魚の化け物みいな連中が井戸を出入りしておるのが見えての。さては悪遮羅に餌でも運んでおるのかと半六を待たずに封印の術式を始めたのが間違いじゃった」
予想外の瘴気の本流を押さえきれず、あの
「しかし、わしが意識を失う寸前で幽香がやって来て、おまえさんが来るまでの時間を稼いでくれたのも月天子さまの思し召しじゃな」
住職は本尊へ首を傾けた。
蓮華座に立つ天部像はどこかで似たものを見た覚えがある。
「月天子が本尊だなんて珍しいですね」
「ここも昔は薬師如来が本尊で、脇侍として日天と共にあったのじゃ」
「もしかして、半六の家にあるのが」
埜口邸の仏間に安置された立像によく似ている。
記憶を掘り返して比較すればするほど両者の酷似が鮮明になってきた。違いといえば、向こうの宝冠の飾りが日輪で、こっちは半月ぐらいであることぐらいだ。
「もう半世紀以上もあの坊主の家に間借りさせてもらっておる」
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