第15話 根室重光が埜口半六に会うこと⑤

 「根室くん! 起床時間ですよ!」

 翌朝、俺はやたら横柄な女の看護師に叩き起こされた。

 「ほらほら、退院許可が下りたんですから起きて! 妹さんが待ってるわよ!」

 埜口の言葉どおり、目覚めると俺は全快していた。腹部には内蔵がはみ出すほど抉られたはずの痕跡もなく、疲労感すらなかった。

 代わりに理不尽なレベルで看護師に怒られている。


 「あーグズグズするなっ!」

 一体なんなんだこの女は。意地悪さをオブラートに包もうともせず、やたらと病み上がりの人間を急き立てる。着替えをすませた俺の尻を蹴飛ばしやがった。

 「まったく、昨夜あなたが搬送されてから大変だったんですからね! わたしが急遽、夜勤を引き受けさせられたんだから!」

 それで飲み会だか女子会だかへの参加をキャンセルすることになったとブツブツこぼす。不機嫌になる理由としては一応の納得はしてやってもいいが、あまりに遠慮のない態度ではないか。


 「ご迷惑をかけたのは悪いと思います。でも看護師さんなら当然でしょう?」

 「男のくせに何甘えてるの? ボクちゃんは何歳なんでちゅかあ~⁉ さあ、妹さんのところへ行ってあげて。かわいそうに、あんなのんびりしたいい子が……」

 突っ張りで俺を幽香が入院している部屋へ押してゆく。


 軽症だった幽香は相部屋に入院していた。

 クリーム色のカーテンでプライバシーを守られたベッドのひとつに声をかける。

 「幽香、開けるぞ?」

 「重光ちゃん? どうぞ」

 カーテンを開けると従妹は下着姿だった。私服へ着替える途中だったらしい。

 「あーすまん」

 すみやかに詫びて仕切りを戻すと、いきなり女看護師に頭を叩かれた。


 「このハゲー!」

 「なんで殴るんですか⁉ ハゲてねえし!」

 「女の子の半裸をのぞいた罰!」

 この女は明らかにおかしい。憂さ晴らしに俺を虐めて楽しんでいる。

 「不可抗力だろう! 向こうがどうぞって言ったんだし」

 「お着換え中の可能性を考えないの⁉」

 「女の着替えごときにそこまでの重大性があるかあ!」

 他の入院患者に心で詫びて、決闘覚悟で声を荒げる。

 また暴力を振るわれたら天井到達アッパーで迎撃してやろうと決意した時、公正なる天のお裁きが下った。


 女の頭部がガクンと前後に揺れた。

 もちろん俺の主張の正当性に肯首したのではなく、再び内側からカーテンを開いた手が、指先で看護師の後頭部を弾いたのだ。

 「悪いのは看護師さんです」

 着替えをすませた幽香が憮然とした表情を浮かべている。

 「な……何をするのよ……?」

 「女の裸体など見られたぐらいで大騒ぎするほうがおかしいのです。わたしのは特に。あまり重光ちゃんを侮辱すると許しませんよ?」

 おお! よくぞ言ってくれた!

 「聞いてのとおりだ。従妹いもうとは俺を信頼してるんですよ」


 「ぐぬぬ……」

 理不尽看護師が後ろ目でこっちを睨む。

 この手の過剰なまでに同性びいきをする女は、男に手をあげられるより女からの非難がこたえるようだ。

 「幽香ちゃん!」

 痴れ者は従妹の名を呼んで最終手段に出た。

 心中でも求めるような動作で幽香の体を優しく包み、猫撫で声で耳元にささやく。

 「あなた、義理のお兄さんに洗脳でもされてるのね? だけど、もう大丈夫よ。つらかったでしょう……苦しかったでしょう……」

 なんという気色の悪い三文百合芝居。さらなる地獄を見るとも知らず。


 「重光ちゃんは覚王かくおうに比すべき聖人君子です。侮辱すると許さないと言ったでしょう」

 頼もしいまでに冷然と言い放つ。なんか今朝は神がかってるぞ幽香。

 不快をあらわに懐柔のハグを払いのけ、看護師をリフトアップすると、腰を頭に乗せ、首と足を掴んでくの字に折り曲げる。華麗かつ豪快なバックブリーカーだ。

 「おぎょええええええっ⁉」

 暴力女が青竹のごとくしなる。人体とはかくも反り返るものなのか。

 だが、いくら痛快でも殺人はまずい。脊柱がポッキリいく前に制止した。


 「これこれ幽香、それぐらいにしてあげなさい」

 「はーい。重光ちゃんってば寛大かんだーい」

 にっこり笑って、看護師さんを床に落とす。

 「ああああなたっては……⁉」

 俺と幽香を交互に見る。もはや恐怖心しかないようだった。

 ここぞとばかり追い打ちをかけてやる。

 「お詫びの言葉はどうしたんでちゅかあ? お姉さんは何歳なんでちゅかあ⁉」

 「すすすすみませんでしたあっ!」


 看護師がゴキブリみたいに逃げると、幽香は大声をあげて抱き着いてきた。

 「重光ちゃん! 助かってよかったあ……!」

 「こらこら! 力をセーブしろセーブ!」

 胸に密着する二つの柔らかい物体は気持ちよかったが、病み上がりに怪力娘の抱擁はキツい。

 「生きてて……生きててくれてありがとお……重光ちゃんが死んでしまっていたら、わたし……わたし……わたしぃぃぃ……」

 不細工に顔を泣き歪め、ぐじゅぐじゅ鼻水まで垂らす。安否を気遣われて悪い気はしないが、もう少しスマートに泣いてほしい。


 「わかったわかった。もう無茶はしない。だから泣きやめ。ただでさえ微ブスなのが完ブスに定着してしまうぞ」

 「もし異次元とかへ転生しちゃってたら……。わたし、きっと取り返しのつかないことをしてました」

 「自殺なんか考えるんじゃない。俺はおまえのいるこの世界が好きだよ」

 「自殺なんかしません。意識が戻らないなら、せめて重光ちゃんの子供だけでも宿そうと、眠っている重光ちゃんの上にまたがって……ああっ! これ以上はわたしの口からはとても!」

 「じゃあ永久にしゃべれなくしてやるよ!」

 アホの頭を小脇に抱えて俺は突進した。なるべく壁の固そうな部分を選んで。


 「しかしタフだな。おまえもあの化物にぶっとばされたのにかすり傷って」

 「モース硬度10の女ですから」

 両手の親指と人差し指を合わせて菱形ダイヤを作る。

 「これからはディアマンテ幽香って呼んで」

 「呼ばねえ。埜口から退魔師チームの話は聞いてるか?」

 「はい! 凶悪な妖怪をやっつけて京都の平和を守りましょう。わたしたちは現代の安部野晴明にして源頼光です」

 化物との対話を勧めときながら快諾したようだ。すっかり燃えている。


 「よし! おまえのパワーと耐久力がわかった以上、今後はとことんスパルタで接させてもらうぞ!」

 「すでに十分スパルタな気もしますがハイ!」

 「化物退治のときは活躍してもらうぞ!」

 「我が身を盾にしてハイ!」

 この後、理不尽さん以外のお世話になった方々に礼を述べ、俺たち二人は意気揚々と病院を後にしたのである。

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