第十八話 キュウリをピンどめ

 あともう少しで6月。女子更衣室の窓から仰いでみれば、梅雨前のこの頃にしては少しばかり重ったい曇り空が広がっていたわ。

 今日は予報だと雨と聞いたのだけれど、なんとか曇天のままで、むしろ気温は運動するのに丁度いいくらい。

 だから、私達SOS団も野球大会のための練習に決まった次の日から取り組める。ラッキー、というどころか何だか都合が良すぎないかと、一抹の不安がよぎるわ。


 もしかしたら私、自分の持ち前の力で天気塗り替えてやしないかしら。

 ちょっと久しぶりに野球を、それもお友達の皆とするってのは楽しみだったから、無意識的に雲に無理をさせちゃっているのかもしれない。

 そうだとしたら、ここらの農家さん達にはごめんなさいしないといけないわね。

 それこそ涼宮サークル、みたいな感じに北高周囲以外の雲は雨を降らしている、みたいなことが報道されちゃったりしたら確定じゃないかしら。もしお隣さんの作っているキュウリの出来に問題が出たたりしたら、申し訳ないわ。


「ま、最近力がどうも感じにくくなってきたし……うん、考え過ぎね」


 でも、一昨日の新世界創造未遂騒動からどうにも私の一般化が進んできたような気がするのよ。力が感じにくくなったというか、気付けば私がおかしな力持ちってことすら忘れてしまうの。

 すると、皆の中で私は私でいられてしまう。どこかにいるかもしれないあの子のために涼宮ハルヒをやるべきだっていうのに、これはダメね。


「私は余計な存在なのに」


 そう、大事にすべきは吹けば飛ぶような私ではなく、涼宮ハルヒという大切な一人の少女の人生設計。

 愛すべき世界の中心に、愛したいだけの私が何時までも居座っているのは良くないわ。そう、思っているのだけれど。


「……私は私と言ってくれた……私を好きって言ってくれた」


 ああ、これは忘れ物したという体で有希にみくるちゃんをグラウンドに先に向かわせて、一人戻って怖じに震える私のつまらない独り言。

 私は私。それでしかなくそれでいいと思っていたのに。けれど、涼宮ハルヒのきぐるみの中の私だって、彼らに求められた。なら、私は。


「懸命に、演じないとね」


 大切にしてくれて、嬉しくない訳がないわ。そもそも、生きているだけでもとっても嬉しい、私なの。

 けれど、だからこそいつ終わっても良いように、何時彼女が戻ってきても良いように、私は世界を騙してしまっても望ましきレールの上を歩きたいのよ。

 死にたくないわ。でも、もっと彼女を殺したくない。だから、私は私を殺しましょう。もう、誰にも気取られないように。


「私は、愛されるべき涼宮ハルヒじゃないんだから」


 滑稽でもハリボテでも、私はあたしのために、私を否定するわ。誰も本気で、好きになっちゃダメ。


 そう。涼宮ハルヒに、中の人なんていないのよ。




 谷口の要請を受けて私が団長として参加許可を出した野球大会は、6月半ばというおおよそ2週間は後のことだったわ。

 言い出しっぺが昨日の内に運営の人たちに参加表明してくれて無事に承認されたらしいけれど、しっかしよく考えるとこんなお天道様ぐずつき出す時期に運動大会開くのって結構な賭けよね。

 当日が雨じゃないと良いんだけれど。豪雨で大会中止、とかなったら困るわね。具体的には、今日これからしばらく行う予定の野球練習の甲斐がなくなっちゃうから。


「それにしても、ピッチャーマウンドって小高いわねー。なんか特別感があるわ」

「……物理的な盛り上がりで盛り上がれるって安いな、涼宮」

「むっ、つべこべ言ってるとあんたに球ぶつけるわよ!」

「おう、その意気でミットに投げ込んでくれよ」


 ニヤニヤとしながら座り込んでキャッチャーミットを構える谷口に、私はむっとするわ。投球練習の相手とはいえ、受け取り手がこのへぼで本当に大丈夫かしら。

 準備運動はしっかりしたし、意外にも谷口は中学時代硬式野球を齧っていたらしいからまあ、実のところ不安点は谷口の顔の締りのなさくらいなのかもね。

 それにしても、まさかこうも決めた翌日直ぐに準備万端になるとは思わなかったわ。野球部が何故か使わない軟式ボールを大量に余らせていたことに感謝ね。

 ちなみに、校庭の使用って誰に許可を取るべきか分からなかったから、私は朝一番に担任の岡部先生にお願いしてみたの。そしたら、昼休みにはオーケーをいただけて良かった。

 それにしても、大きく両手で作った丸サインで元気に校舎の反対側ならいいぞ、笑顔でと伝えてきた先生はどうにも熱血だったわ。

 あれかしら。素人集団で野球大会に挑むというところが、若者らしいチャレンジ精神みたいに受け取られちゃったのかも。

 それとも、岡部先生には運動こそが青春で奨励すべきものなのかもしれない。または、ハンドボール部への入部まで望んだ運動得意な私が野球とはいえ身体を動かす機会を得たのを喜んでくれているのかもね。


「黙ってどーした、涼宮?」

「なんでもないわー」


 まあ、よく分からない先生の乗り気は、置いておくわ。それより何より、今私はピッチングに集中しないとね。

 部活体験にて野球部で投げさせて貰ってからそんなに経ってないからすっぽ抜けはないとは思うけど、もし間違ってワンバウンドさせでもしたらキャッチャー谷口が捌ききれるか不安だもの。

 野球部からグローブとバットは借りることが出来たけれど、流石にファールカップの用意までは出来ていないから、低めの大事故には気をつけてあげないと。

 後はとりあえず、あの間抜け面にめがけて投げればいいだけ。私は自慢のちっちゃなポニーテールにジャージ姿を見せつけるように大きく振りかぶりながら、言ったわ。


「それじゃ、ストレート行くわよー!」

「おうっ……っと、涼宮、ナイスコントロール。よっと」

「次は……これいってみようかしら」


 そこそこの音を立てて狂いなくキャッチャーミットへ投じられたボールは、谷口の返球によりまた私の手元に戻ってきた。

 うん。言われたとおりにコントロールは今日も悪くなさそう。これならあいつのボールとボールがごっつんこな痛々しい事故はそうそう起きないでしょうね。

 でも一応、次も高めを意識しながら。一つ呟いてから私は握りを変えて谷口に宣言する。


「それじゃカーブ、行くわよ!」


 そう、直球の次は変化球。頷くのをみてから私は振りかぶるわ。

 そして、指先からの抜けを意識した私の渾身のカーブボールは。


「よっしゃ、って暴投……ぐぉっ!」

「あっ、谷口、大丈夫?」

「おい谷口、立てるか?」


 なんと大きく曲がったと思えば吸い込まれるように、ジャージ一枚の守りしかされていないキャッチャーの水月に直撃したの。

 獣のうなり声のような痛苦の声のを上げた谷口に、ネット裏で観ていたキョンくんも思わず声をかけたわ。男の子達の友情を感じる一場面だけれど、そんなことより本当に大丈夫かしら。


「……大丈夫だ……しっかし、プロテクター用意しとけばよかったぜ……軟球でもみぞおちに入ると痛えのな」

「ごめんね……」

「悪いのはヘボした俺だって……んな顔すんなよ」

「……うん」


 ごめんなさいは、苦手。そんな涼宮ハルヒのプロフィールすら忘れて、私は痛みを我慢して笑む彼に申し訳無さを覚えたわ。

 そもそも、私が操る身体の性能の高さを忘れていた私がダメだから。

 落ち込む私に、ため息一つ。呆れた顔で谷口は言ったわ。


「……つうか、カーブって言っても曲がりすぎだろ。低めに来たらワンバンしてくるような球なんて流石に捕れねえよ」

「ええっ! 私の変化球、こんな感じのがまだ四つくらい残ってるわよ?」


 谷口の無理に、私は慌てる。

 いや、大会結構強い相手が出てくるとか聞いたから、ある程度以上全力でいかないとと思っていたのに。

 また私は直球勝負より球を多彩に散らすのが好きだから、この程度の変化で怖じられると困っちゃうわ。

 そんな私の困惑を他所に、バックネットへ振り返った谷口は苦笑いをしている古泉くんに聞いたの。


「あー……古泉、さっきのレベルの変化球含めて更に緩急考えると俺には全部の軌道なんてとても読めめそうにねぇけどよ……お前なら全部捕れたりすんのか?」

「僕も野球にはそれなりの自負がありましたが……その程度で涼宮さんのボールを全ては受け止め切れそうにはありませんね。最大変化が大きすぎるためにそこからのブレ等を考慮すると、いくらか後逸してしまいそうです」

「えっー!」

「やれやれ、これは、ハルヒにはある程度手加減してもらうしかないな」


 キョンくんのやれやれのポーズが出て、私もがっくり。

 こうして私は男子たちとの交渉の末、ストレートとチェンジアップの二球種に絞って投じることになったわ。

 また、次に谷口、古泉くん、キョンくんの三人に投げてもらった結果、古泉くんを控え投手とすることで全会一致。

 いや、古泉くんったら運動神経良いのね。谷口もまずまずだけれど、キョンくんは磨かれていない原石って感じ。地味にSOS団員はスペックが高いわ。


「お、おねがいしますぅ」


 そうして、野球経験者達のお話し合いが終わったら、次には手隙の野球部一年生達に預けていたみくるちゃんと有希を回収したの。

 結構丁寧に彼らにスイングやグラブのはめ方までを教えてもらったみくるちゃんは、意外にも教科書通りに短くバットを持って私の前で構えているわ。

 眦が上がっていて、やる気も満々。これは、期待ができそうね。バッティング練習なのが勿体ないくらい。バッチこーいとか言ってる野手陣も構え直しているし、なんとしても打ってもらわないとね。

 でも、気にしいなところのある私は、投げる前にひと注意。デッドボールは私が気をつければいいから、みくるちゃんの側で一番に気をつけるべきことを言うわ。


「みくるちゃん。間違っても、スイングで軸を崩して転んじゃだめよ、危ないから」

「はい! 野球部の人たちからは素振りの仕方から教えて貰いましたぁ。多分、大丈夫です!」

「そ。じゃあ行くわよ!」


 大丈夫。そう言われて信じないほど私は馬鹿じゃないわ。

 だから、山なりに投じたボールが前に飛んでくることを願い、投げるなりグラブを構える。

 果たして、みくるちゃんの生涯初打席の結果は。


「やぁっ!」


 カキ、コロン。ピッチャーゴロだったわ。

 でも、スゴいわ。ちゃんと自分のところに来るまで球を待てたし、何より目を閉じていない。野球部で教わった時にティーバッティングまでさせてもらったそうだけれど、いや、これは見事だわ。

 私は手放しに褒めるわ。


「最初で前に飛ばすなんて、やるじゃない。センスあるわよ、みくるちゃん!」

「ふふっ、うれしいです!」


 鼻高々、といった感じではなかったけれど私の賛辞に笑み綻ばせるみくるちゃん。流石に、ビシバシ投げてくるだろう大会では難しいかもしれないけれど、それでも私と一緒の間は野球を楽しんでほしいわ。

 そんな願いを込めて、十球ほど。空振り二つにファールが殆どだったけれど、後半に当てるバッティングを覚えてきた感じだったからこれは期待しても良いかもしれないわ。

 でも、彼女ばかりにかまけていても仕方ないの。私は大の友達である、親愛なるジョーカーに向けて声をかけるわ。


「じゃあ次は……有希ね」


 そして、みくるちゃんが退いたバッターボックスに、有希はそろりと足を踏み入れる。いつも通りの眼鏡の奥に、変わらない深いものが見えたわ。

 しかし、先のみくるちゃんとちがってどうも覇気がないわね。元気がないのは、省エネな有希らしいけどどうにも何か迷っているかのような。

 私は、投じる前に再度聞いてみるわ。


「いい?」


 返ってきたのは、頷き。応じて私は投球を始めるわ。

 まずは小手調べとみくるちゃんに投げていたような山なりの球を一球。ど真ん中に吸い込まれたそれは、しかし谷口の手元までずっと無事だったわ。

 そう、有希は目の前を過ぎた球を観察していたばかり。バットを振るどころかピクリともしなかった。


 不安に思いながら、私は都度彼女に行くわよと言いながら、三度投球。違わず中心に行ったそれらを、まるで無視するかのように有希は動かなかった。

 思わず、私は近寄って言葉をかけたの。


「んー? 見送ってばかりいちゃだめよ。有希、それでも三振になっちゃうのよ?」

「どした、まだあいつの球はえーか?」

「……困った」

「え?」


 困った。それはどういうことかしら。

 球が速かった、というのはまあまずないわね。山なりでおおよそ四十キロくらいの球を打てない程、彼女の性能は低くないでしょう。

 そして、私のコントロールは完璧。ピッチングマシーンより打ちやすいなとキョンくんに突っ込まれるくらいには、ストライクゾーンで勝負するのが得意ではあるのよ。

 だったら、やっぱり困惑は心によるものかしら。不安になった私は、有希の整って歪まない顔を見つめる。ぽつりと、零すように彼女は言うわ。


「わたしは、貴女の球を打ちたくない」


 ああ、それは思いやりの発芽。優しさは、恐れを生むもの。

 触れ合い擦れ合い、関わりは傷を生むものであり、それをしてこなかった有希には加減というものがきっと分からないのね。

 なら、私は胸を張るわ。私のストライクボールなんて大切にするものじゃないわよ、って元気に叫ぶの。


「気にせずがーんと打ち返してきなさい! 私は有希に気持ちよく打ち返して欲しくて投げてるのよ?」

「……それでいいのかが、わたしには分からない」

「それでいいのよ、それで!」


 打たれて、やられてしまっても、それで良いに決まってる。

 そう、いくら傷がつこうとも私は笑えるから笑うでしょう。だって、友達との触れ合いがいくら深くなろうとも、楽しいに違いないものだから。

 退屈なんて忘れるくらいに遠慮なく、ガツンと行って欲しい。それは心からの私の願い。


「有希に、私は勝てないかもしれないわ。でも、私はそう簡単に傷つきはしないのよ。いいえ、むしろ鼻高々ね。私の友達は私よりすっごいんだって、自慢できちゃうわ!」


 勝ってもふんぞり返る権利を得るばかり。でも、負けて土を噛んでみたら、意外と奥深いものを知れるかもしれない。ああ、敗北って意外と上等だわ。

 そして、それが友達との関わりの中で生じるものだとしたら、何よりよ。

 上下関係を付けるばかりではない学生生活。何度も負けたって、それだって楽しいものじゃないかしら。

 そして私は本心から、有希という少女の自慢をしたいから。


「そう」


 ぎゅっとバットを握り直した有希の本気に、私は歓迎の笑みを向けたわ。


 それからしばらく私がみくるちゃんのゴロ処理係と、有希の柵越えホームランを打たせるためのピッチングマシーンになったというのは、まあどうでもいい話よね。




 打撃練習に、守備練習。座学を後回しにした、レクリエーション地味た野球との触れ合いは、野球部がこちらまでトンボをかけてくれると言ってくれたことにより終わったわ。

 大体投げていた私だったけれど途中から古泉くんに任せて私も打ったり守ったり忙しかったわね。

 ただ、おかげでジャージもだいぶ汚れちゃったし、汗も気になるわ。でも、とっても楽しい自由時間だったことには変わりないのよね。


「それじゃ、じゃあね、皆!」

「じゃあな」

「おう」

「さようならー」

「また明日、よろしくお願いします」


 だからそんなこんなを終えた帰り道、皆で坂道を笑顔で下ったその先に、分かれ道が一つ。それは、真っ直ぐ行くか右に曲がってコンビニに行くか行かないかといった程度の選択肢を私に与えたわ。

 コンビニは少し歩かないとダメだし、元気いっぱいの私と違って、皆はくたくた。そして私はちょっと小腹が空いてもいたのよね。

 だから、悪いことかもしれないけれど、一人買い食いを遂行したかったのよ。

 なので、ちょっと買いたい物があると濁してSOS団の皆と分かれたわ。


「ふふっ」


 電灯に引き伸ばされて、揺れる自分の影の滑稽さに思わず私は笑う。一人の影は、すれ違う人影と重なり揺れて、また一人に。

 すれ違うばかりの大勢の中でちっぽけな私。あたしの憂鬱と違い、それがどうしてか私には嬉しい。

 世界は既知で溢れていて、夢も希望も全ては誰かのお下がりかもしれないわ。でも、それを愛と捉えたって、いいでしょう。


 これだけ人と人が近く、痛みも悲しみもありふれている。そんな、素晴らしいぬくもりに満ちた世界。そんな全てに対する感想は。


「――――」

「あ」


 眼前に一つの黒の凝りを発見したことによって、停止した。

 それは、天から来た存在。周防九曜という名のピンどめ。

 優しさ悲しさ、そんなすべてに無関係な一枚のレイヤーは私の前で揺れて、こう呟いたの。


「――――わたしは失敗していた。それは――――いい」


 いいのかしら。そんな疑問がついて出そうになるところ、話しかける前に彼女は静かに続けた。


「――――おかしい」


 少女の形は首を振る。瞑った瞳はどこも見ずに、あるいはならば内を覗いているのかもしれなかった。

 やがて止まり、そうして再び私を見つめた彼女はどこまでも澄んだ暗黒で。


「――――欠けていて、揃っている。まるで――――」


 発した言葉のすべてが、私に染み入るように響く。

 そして。


「――――ここは、ゆりかご」


 あるいは墓場、と暗に彼女は言ったの。




 上からすべてを串刺しに。それは真っ直ぐ正しいルート選択。

 でも、そもそもの目測が間違っていたとしたら?


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