【涼宮ハルヒ】をやらないといけない涼宮ハルヒさんは憂鬱

茶蕎麦

第一章 【涼宮ハルヒ】をやらないといけない涼宮ハルヒさんは憂鬱

第一話 葦のアルゴリズム


「…………どうすれば良いのかしらね………」


 胡散臭い題名の怪しげな本の列と、女の子の色調が奇跡的に融合している我が部屋にて考え事をしながらうろうろ。

 そうやって黙って色々と考えていれば沈黙が続くもの。そういえば、延々と続く三点リーダって、まるで蟻さんの列みたいね。


 蟻さんの群れが餌を取るためにフェロモンを頼りに真っ直ぐな列を作るということを、知っている人は知っていると思う。

 つい観察してみたくなるくらいに見事な、この彼らの上手なお腹ぺこぺこから脱するための問題解決方法はアルゴリズムと呼ぶらしいの。

 アルゴリズムというのは簡単に言えば、やり方のことね。手順、でも良かったかしら。

 私の理解している範囲だと、お出かけをする前日に、お風呂に入ったり、鞄の整理をしたり、道順の確認をしたり、そんな見通しを立てておくこともお出かけをするためのアルゴリズムと言えた筈なの。


 だから、私が今【涼宮ハルヒ】をやるための方法を必死に考えているのも、彼女の代わりになるためのアルゴリズムの一つとは言えないかしら。


「……ああ、私も蟻さんみたいに違わず上手に【涼宮ハルヒ】をやりたいものね」


 まずは、眉間に皺を入れてみた方が彼女らしいかしら。それとも、奇行とも呼べる行動力を生むための探究心を高める算段を付けてからの方が良いかもしれないわ。

 それに、自分の中にあるらしいよく分からない力を上手く制御出来るようにしないと、皆困ってしまうでしょうね。長門さんに朝比奈さんに古泉君にキョンくん……それにしても変なあだ名よね……に出会う前に世界がジ・エンド、なんて笑えないし。


 問題山積みだわー……あ、申し遅れたわね。私は涼宮ハルヒという名前で彼女の体を持っているけれど、涼宮ハルヒではない女の子……だと思うわ。




 私が【涼宮ハルヒ】になったのは、つい先日のこと。

 涼宮ハルヒが味わっていた酷い高熱が引けた後に、目を覚ました私は目の前の両親に既に実感を覚えることがなかったの。


『……どちらさま?』


 【あたし】が【私】になってからの第一声は、こんなのよ。笑っちゃうわよね。

 でも、風邪に弱った娘が前後どころか親すら不覚というのは両親にとってはたまったことではなかったみたい。

 検査で入院が伸びてしまったのなんて、退院して翌日のいまの私にはとても笑い話にすることは出来ないわ。【あたし】じゃないけれど、とっても退屈だったんだから!


 まあ、そんな過去のことなんて、忘れましょう。問題は、明日……いえ、それ以降の、大体四年後に起きるだろう諸々の事態までどう辿り着くか、よね。

 ……ええ。私がどうしてだか未来を知っていること、それがおかしいっていうことは分かってる。

 涼しいけれど居心地悪い、白くて寂しい病院内をあちこち転がされている間に、私も色々と考えたのよ。そうしてみたら頭の中に当たり前のように、未来のことが記されていたから、驚いたわ。


 これから私に起きるべき……いいやそれは【あたし】に起きるべきこと、だったのかしらね。

 私とは性格が大違いな以前の自分だったら起こすし起きるだろうことばかりが歯抜けのよう……いや、これはピックアップされたかのよう、といった方が正しいのかしら。そんな風に脳に栞のように挟まっていたのよ。

 しっかしそれがどうにも、俯瞰的っていうかテキストチックなものばかりなのよね。大概が、非日常的なもので占められているし。【あたし】がこの情報を知ったらどう思うのかしら。待ち望んでいたことと喜ぶのかしら、それとも……分かんないわね。


 まあ、自分が世界の中心に置かれたおっきな爆弾だって、そんなの私は知りたくはなかったかな。



 退院してから後、直ぐに私は自分の正体を探ったわ。

 まずは、自分が世界を思い通りに出来る力がある、という脳内の記述に従って、こっそりと夢の中で遊ぶことを試してみたの。

 私の中でのことなら、情報生命体だろうが、そうそう覗けないと思ってのことね。超能力者連中対策に壁を創っておくのも忘れずに。

 そうしたら、明晰夢どころではない現実地続きのような感覚の中で、私は思い通りを形に出来てしまったわ。神人、っていうんだったかしら、まあそんなのを沢山創って侍らせてから、最後は私の力で全部をぼかーん! 楽しかったわー。

 その際に、きっとリアルでもこれと同じ事が出来るという確信を得たの。私は、目覚まし時計が鳴るきっかり一分前に起きてから、あくびと共にベルを動かないようにさせつつも、今後のことを考えざるを得なかったわね。


 そのテキストの中で大事が本当ならば、他の小事も大体当たっていると見るのが自然と思うの。

 私は、思いっきり私の中の未来への地図を、信じたわ。【あたし】の望みで生まれたのかもしれないけれど、宇宙人や未来人、超能力者たちと一緒に過ごせるようになるなんて、とても楽しそうだしね。

 しかし、考えるに、どうにも私の未来展開にはおかしなところが多々あるの。普通に考えて、このまま自然に過ごしていれば、その宇宙人達の存在を知っている私がSOS団なんてものを作るなんて、あり得ない。何も知らない【あたし】ならば、まだしも。

 そもそも、一体全体が無知な奇矯であること前提なのよね。【あたし】を反面教師にしている普通な私に、あんな振る舞い、無理。

 どこがおかしいのか。それは、最初から。本来あるべき未来はどう考えても【あたし】のもの。なら、スタートラインに代わりに居座っている私は何?


 まるで、私が涼宮ハルヒであるのが間違っているみたい。


 そう思ってから、私は異常な程の居心地の悪さを覚えたわ。コギト・エルゴ・スム。なら、考えている自分を信じられなくなった葦は、どうやってこの世に立つの?

 とりあえず、私は自分の定義をし直すために、今までにない情報を欲したわ。

 まずは図書館に向かって、空振って。次に【あたし】が普段見ていなかったテレビを、目を白黒させる両親の真ん前で食い入るように見ても、私は不明なままだった。

 なら、と【あたし】が手を尽くして集めた、内容どころか作者の正気すら不明の本の中から……こんなところから私の証が出てきたらやだなあ、と思いながらも探ったのよ。そうしたら、それっぽいのが見つかってしまったわ。


 転生、なんて文句を私の目は拾ったの。


 まさか私の正体が前世の自分とは思わなかったけれど、もしかしたら、なんて気の迷いはどうしてか覚えてしまったわ。倒れかかった葦は、藁にすがるのね。

 でも、【あたし】も私もそんな死後のことなんて詳しくは知らなかった。だからウェブブラウザの検索ボックスに転生、と入れてエンターを押してみたの。

 最初はサンスクリット語やら何やらで書かれた仏教用語を読み解かなければならなければならないのかしら、なんて思っていたわ。でもそんな小難しい言葉より先に、転生したらなんちゃらとかいう小説の題名が出てきたのよ。

 それも一つ二つではなく、無数にね。何よこれ、と思った私は片っ端からその似通った文章達に目を通していったわ。

 内容としては……まあまあ面白かったかしらね。でも、それはきっと私だから。【あたし】だったら、来世に神様なんて頼ってないで今の自分で不思議を探して満足しなさいよ、とでもたたっ斬っちゃうんじゃないかしら。


 それで、そんな数多の転生の中に、物語の主人公を乗っ取る形で一般人が転生する、っていう形があったのよ。そうすると、未来視出来るガワだけ優れた一般人が出来上がるみたい。

 私はこれに、びっくりしたわ。なによまるっきりこれ、私じゃない、って。状況がびっくりするくらいに符合するのに気づいて、そうして少し間を置いてから思ったわ。


 だとしたら。こんなの私はいいけれど、【あたし】がかわいそうじゃない、って。


 それはそうでしょ? 

 だって、【あたし】が幾ら爆弾的でも、それでも中学校に文句を言いながらも通っている、ただの小さな女の子でもあったのよ。それこそ、世界の主人公とも呼べそうな、元気の塊で。

 それを、何だかよく分からない吹けば飛んでしまうような一本の葦――私のことだけれど――で上書きしてしまうなんて、いかにも勿体無いじゃない。

 でも、私は【あたし】を取り戻す方法なんて、分からなかった。いくら願っても、多分振るえているだろう神様的パワーでも、失くなったのだろう彼女を呼び戻せなかったの。

 もし、上書き消去されたのじゃなかったら、どこに行っちゃったのかしら。またふらりと、帰ってこないものかしらね……とか考えた時に、私は体に電気が走ったかのように、衝撃を覚えたわ。


 そうよ、先が分かっているのだもの。【あたしの】居場所が失くなってしまわないように同じようにし続けていたら、その場で【涼宮ハルヒ】を返せるじゃない、とね。


 だから、私は自分を定義したその後直ぐに、自分の方針を決めたわ。何時彼女が戻っても平気なように、私は【涼宮ハルヒ】をやる。

 どうせ、きっとあの文章の彼のように転生したのだろう私は、既に死んでいるのでしょう。なら、私なんて蝶々さんの夢のようなものだから、何時消えても仕方がない。



 そう、私は勘違いしたのよね。




 そんなこんなで、私は【涼宮ハルヒ】をやると決めたの。

 しかし、決めたところで私は蟻さんの列を量産するばかり。そういえば、三点リーダ以外に使うしーん、っていう擬音もよく出来た沈黙表現と思うけれど意外と私が黙っている間を埋める音って結構あるものだったわ。鳩さんの鳴き声って、面白いわよね。

 と、そんな風に現実逃避してしまうのも仕方ないと思うの。ぶっちゃけたところ、【あたし】をやるなんていっても、どうすれば良いのか、分からないのよ。

 この頃大体機嫌が悪かったけれど、【あたし】もそのぶすっ面を抜きにすれば意外と普通に過ごしていたから。さて、どうトレースしていけば、と悩んだ時、私は窓から道路を横切る猫さんを見つけたの。思わず、私は蟻さんを押しのけて言葉を発したわ。


「……こんな部屋に籠もって考え込んでいるばかりだから、きっと駄目なのよね。うん。一度、外に出ましょう!」


 案ずるより産むが易し。そんなことわざを持ち出すまでもなく、私の葦のように根を張っている訳でもない足は勝手に動いたわ。

 前の【あたし】程じゃなくても今の私だって、萌えは理解しているのよ。そう、きっと私は動物萌え!

 勝手に、にこにこと微笑みを浮かべる表情筋を、もう私は抑えないわ。そう、未だ、厭世観を面に貼り付けているような、そんな膿みきった子供になるのは、流石に【あたし】にだって早かった筈だもの。


「待って、猫さーん!」


 ちょっと、遊んじゃいましょう!



「にゃんにゃーん?」

「ニャー」

「可愛ーい!」


 そして追いすがる私に、足を止めてくれた三毛猫さんを、私は思う存分可愛がったわ。顎を強くさすったら嫌がるその子――あら、男の子なのね――を抱きしめ、持ち上げてそのまま公園へとゴー。

 でもって彼と広場で一緒に遊ぼうとしたら、どうにも動かなくなっちゃったの。うーん、日差しを嫌っているのかしら。日陰のベンチから一歩も出てくれないのよ。

 それでも一緒したい私は猫語で一緒に遊ぼうと誘ったわ。けれども、不勉強な私は彼の言語解読なんて出来ずに、その可愛らしさを受け取るばっかり。


「ニャー」

「にゃんにゃん」

「にゃん?」

「増えたにゃー」

「にゃー」

「ニャァ……」


 そうしてすっかり【涼宮ハルヒ】を忘れて、ニコニコしていたら、小さな同士が現れて、隣で一緒ににゃんにゃんしてくれたわ。ああ、彼ったらすっごく鬱陶しそう。可愛いわ。

 私の隣でにゃんにゃんし始めたのは、サイドテールの萌芽のようにちょこんと髪を纏めた愛らしい女の子。それにしても、小さいわねえ。保護者さんってないのかしら。

 そう思った途端に、足音が。そちらを向いたら、私ほどじゃないけれどちょこっと整った顔をしたハーフパンツの男の子が居たわ。彼は気怠そうに、少女に声をかけたの。


「何やってんだ、お前……」

「にゃー」

「あなたのお兄さんかにゃー?」

「うん。あたしの、お兄ちゃん!」


 名前は、と聴くと二人分、ちゃんと返ってきたわ。妹ちゃんと揃って普通、といえばその通りの名前ね。念の為に彼にあだ名はあるか聴いてみたけれど、特に無いと返ってきたわ。

 ちょっと期待と不安があったけれど、彼はキョンくんではなさそうね……まあ、いいわ。だったら【涼宮ハルヒ】として一般人をかき回してあげましょう!


「そこの猫さんは、木陰でゆっくりしたいみたいだし、代わりにあなた達、一緒に遊びましょう!」

「わーい!」

「は? 俺は別に……」

「ふふ。付いてこれなかったら、罰ゲームよ!」

「きゃー、かけっこだー」

「参ったな……」


 ぐずっていた彼も、直ぐに笑みを見せて遊んでくれたわ。だからもう、そこには楽しさしかなかったわね。


 思えば、この日私は涼宮ハルヒというシステムに則り、つまらなそうに彼らを眺めるばかりであった方が良かったのかもしれない。でも、そんなのは嫌だったわ。だって、世界はこんなにも素晴らしいんだから!


 そうして、私は私になってから初めて、目一杯遊んだの。力作の砂のお城に、失敗した逆上がりの痛み。赤くなった日差しが目に痛くって。その全てがまるで、夢のようだったわね。

 そう、蝶々さんの羽ばたきより短な、泡の夢。混じりっけない彼らに交じってしまった、間違いの私。

 ……黄昏時って、揺らいでしまうものなのね。だから私は、こんなに私が楽しんじゃっていいのかな、とすら思ってしまったわ。


「……どうか、したか?」


 それを、隣に座る彼に見透かされてしまったの。遠くで私達が積み上げた砂を崩している妹ちゃんを見つめながらも、彼は気にしてくれていた。私は、素直に返せたわ。


「そうね……なんか、私って場違いな気がしちゃって……」

「ん? 俺はこの公園に来たのは初めてだけどな。……別に、そんなことはないだろ」

「ふふ。そういうのとは違うんだ」


 そう、違う。私はエラー。世界の中心に出来た全てを台無しにしかねない、染み。優れたアルゴリズムなくしては動けない、何もなし。帰り道を失くしてうろつく、一匹の蟻。考えずに揺れているばかりの葦。そんな風に、この時私は私を自嘲したの。

 空も、夜に陰っていく。幼い私達は、一挙に世界に相応しくなくなっていくわ。でも、それでも彼は私の目をちゃんと見て、言ってくれたの。


「ったく。照れるから、あまりこういうことは言いたくないんだけどなあ……」

「……なに?」

「……俺は、お前が居てくれて、楽しかったよ」


 はにかみながらも、真剣に向けられた鳶の瞳に驚愕が映った。どきんと、私の胸は一つ、高鳴る。そして、私は紅色に溺れた。



「うぅ……」


 その後、どうやって帰ってきたか不明なままに私は家にて唸ったわ。一瞬、鏡に映った私の顔は、明らかに【涼宮ハルヒ】から遠いもの。蕩けすぎていてあんた誰、っていうレベル。

 かき回そうとした普通の人間に、私の心はこれ以上なくかき乱されていたわ。私は火照った頬を抑えながら、一言。


「べ、別に私が恋したって……いい、わよね?」


 どうなんだろう?



 私は自分の高鳴る胸元を、一時の気の迷い、精神病の一種のせいと割り切ることなんて出来なかった。


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