傷心旅行ガイド

夢見 絵空

第1話 銀髪の美少女 

 三年付き合った彼女にフラれた。

『ま、こんな関係は続けられないでしょ』

 あっけらかんと、すました顔で、思い出がいっぱいあるカフェでそう言われた。

 その無神経な別れの切り出し方にカッときて、気づけばまだ熱かったカフェオレを思いきりぶっかけていた。それに彼女も怒って、ケーキを顔面にぶつけられた。

 そのまま掴み合ってもめて、店員さんに止められて、警察を呼ばれて、ついでに店から出禁にされた。

 駆けつけた姉は、人でも殺しそうな目で言った。

『しばらく顔も見たくないから、どっかに行け』

 彼女は彼氏と最高の雰囲気でデートを楽しんでいたところに警察から「妹さんを預かっています」と連絡を受けて、大慌てで私の身柄を引き取りにきてくれた。

 ただ怒りは相当だったようで、二十一年妹をやっていて、あれほど怒った姉は初めて見た。

 家に入れてもらうこともできず、玄関先で最低限のものだけ投げつけられた。

 こうして私は、旅に出ることにした。



 とにかく東京から離れよう。それしか頭になかった。

 だから気づけば成田空港にいたし、いつの間にか新千歳空港行きのチケットを買っていた。片道一万円かからなかった。LCC、万歳!

 そんな勢いだけで北海道へ旅立って、到着してすぐに後悔した。

 一月の北海道はただただ寒かった。骨の芯から冷やしてくる寒波は、経験したことがないもので、殺意さえ感じた。

 慌てて空港で安い服を買い、防寒対策をした。おしゃれは二の次で、とにかくヒートテックが欲しかった。極暖の。

 厚着でモコモコになった私に、店員さんが笑顔で訊いてきた。

「観光ですか? このあとは札幌に?」

 それに固まってしまった。どうするかなんて考えていなかったから。とにかく東京から離れることしか頭になかった。

 フリーズしてしまった私を店員さんが首を傾げてみていた。

「一人旅ですか?」

 きっと悪意はなかったはずだけど、今の私にはその一言だけでダメージ抜群だった。

「……フラれて」

 気づけばそんなナイーブな告白をしていた。

「あ」

「あてはないの。なんか、東京が嫌になって……」

「そ、そうなんですか」

 困惑の表情を浮かべる店員さんに申し訳なくなって、そそくさと店を後にした。

 でも実際、これからどうしよう? 店員さんが言っていた通り、とりあえず札幌にでも行こうかと考えていたときだった。

 買ったばかりのコートの袖を、クイクイと弱い力で引っ張られた。

 振り向くと、小柄な少女がいた。大きな黒い瞳に、細い輪郭で、雪みたいな銀色の髪が肩まで伸びた笑顔の少女。身長的に十六歳くらいだと思う。

 やばい、美少女だ。

「おねーさん、ぼっちでしょ」

「……は?」

 前言撤回、失礼なガキだった。口元に浮かべた生意気な笑みが心の底からムカつく。

「さっきお店で言ってたから。店員さん、困ってたよ」

 クスクスと笑う姿は眩しいくらいに美人なのに、言っていることがムカつくので、とても複雑な気分だった。

「そ、そうよ! だったらなんだっていうのよ」

 そう開き直ると、彼女はきょとんと驚いたあと、アハハッと声をあげて笑い出した。その声で周りの人たちがこちらを見てきて、恥ずかしくて顔が赤くなった。

「おねーさん、面白いね!」

「……バカにしてるの?」

 脅すように声を低くすると、彼女はぶんぶんと首を横に振った。

「違うよー。傷心旅行のおねーさんに観光案内をしてあげようと思って」

 クスクスと笑いながら、そんな思わぬ申し出をしてきた。

「予定、決まってないんでしょ? 私、北海道育ちだから、ガイドできるよ。別にお金もいらないし。私もおねーさんと一緒で暇だから」

 最後のセリフにカチンときた。というより、この子はさっきから私の神経を逆なでし続けている。美少女じゃなかったら、きっと頭突きでもしているはずだ。

「そう。でも結構だから。観光なんてこれがあれば十分だし」

 私はスマホを見せながらそう鼻を高くした。大学生をなめるな。

 勝ち誇っている私を、彼女は鼻で笑った。

「それ、おすすめしないかな」

 細くて、白い指でスマホをさして彼女が断言した。

「なんでよ。ネットより自分の方が北海道に詳しいっての? 北海道をなめないで」

「おねーさんよりは知ってるけど」

「ネットよりは?」

「まさか。でも、おねーさんはネットより私を頼った方がいいよ」

 なんなんだ、その言い分は。

 哀れな私をからかっているだけだ。相手にしない方がいい。美少女だけど悪い子だ。

 もう放っておこうと背中を向けて歩き出した。

「北海道の観光案内なんて、ほとんどが札幌だよ? あと函館。でも、函館って無茶苦茶遠いからね」

 すたすたと歩き続ける私についてきながら、彼女は観光ガイドらしいことを言い始めた。

「どれくらい?」

「函館なら札幌に出て、特急に乗ったらいいよ。三時間以上かかるけど」

「やだ。お尻痛くなっちゃう」

「ここから出てる飛行機もあるよ。チケットはもうないと思うけど。人気だから」

「じゃあ札幌にするわ」

「だから、それがおすすめしないんだって」

「なんでよ。食べ物だっておいしいし、景色も綺麗なんでしょ」

「そうだよ。それを目当てにしたカップルが山ほどいるけどね」

 その言葉に思わず、ぴたっと足を止めてしまった。彼女はその隙を見逃さず、私の前に立ち塞がった。

「もうすぐ雪まつりだから、すっごい数のカップルがいるよ。みんな、寒さに慣れてないからさ、手を繋いだり、体を引っ付けあったりして、かなりイチャイチャするの」

 ニヤニヤとした笑顔で、観光の注意点をあげはじめた。

 想像すると、急に気分が重くなった。私の頭の中では、札幌の雪景色の中を、何組ものカップルがラブラブしながら行き交っている。そしてそんな中、独り身の私がスマホで観光名所を探していた。

独りで。雪にフラれながら。違う、降られながら。

 …………。

 やばい、死にたくなってきた……。

「おねーさん」

 目の前の美少女が背伸びをして、笑顔を近づけてくる。

「スマホにのってある観光案内も『カップル向け』が大半だよ?」

 そうだ、それくらい知っている。

「一人の傷心旅行でそんなカップルだらけのところに行くの? スマホ見ても『カップルにおすすめ!』とか、嫌でも目に入ってくるんじゃない?」

 …………。

「寂しいと思うなぁ。傷ついちゃうと思うなぁ。色々、思い出しちゃうと思うなぁ」

 わざとらしく煽るように語尾を伸ばして、私の想像を掻き立ててくる。でも、きっとそうだ。彼女の言う通りになる。

 完全に動きを止めた私に、彼女はとどめを刺しにきた。

「私、カップル向けじゃない観光案内できるよ?」

 北海道の大地に降り立って約一時間。

 傷心旅行の思い出は、年下の少女に言い負かされるという屈辱的なものから始まった。

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