刃の転界者
利々利々
序章 刃術師は異界へ渡る
第00話 若者の浮世離れ
「それじゃあこれ、カウンターにいる背の低いおっちゃんに渡せばいいから」
そう言ってアルキス――柔らかそうな胸を革鎧の中に押し込んだ金髪碧眼の
酒を飲みにいったわけではない。
事情があるのだ、色々と。
俺は受け取った袋を眺めて、顔をしかめる。
この中に、
飯管というのは口蓋から胃袋までを切り取ったもので、きちんと処理すれば非常に使いやすい収納袋になるらしい。
実際に対峙した身としては……信じたくない事態だ。
怪物の元・胃袋に、物を収めるということなんだから。
本当に日本とは違う、どころか地球ですらない世界に来てしまったらしい。
そんなことを考えながら、俺は『戦利品』をギルドの主――
◆◆◆
その日は、渇いた風が吹いていた。
巻き上げられた砂が、僅かな隙間を駆け抜けていく。
あたり一面には数多の刀――だったもの。欠けた刃、折れた刀身、役目を果たせないはずのそれらが、林のように立ち並ぶ。
死体のないことを除けば、まるで夢の跡。争いの終わった戦場のよう。
そんな異常な場所にあって、しかし眼前にいる老齢の男は周囲を気にした様子もない。
……いや。それは俺も同じか。
俺の名前は
――両手で刀を握り締めて、鬼気迫る表情さえしていなければ。
見つめているのは、先ほど砂が通り抜けた隙間。左に断面。右に断面。
それから自分の手元に視線をやった。刀がある。一ミリも
救いといえば、ここが常人の通らない場所、要するに片田舎のさらに端っこであったことか。
そも、四方六
それで。
俺がこんな
そう。
これは修行だ。
目の前に、岩があった。
寸秒前まで一つの塊だったその岩は、いまや二つに割られていた。
やったのは俺だ。
ああ、御鈴流刃術というのは、始祖・
そして『斬り徹し』というのは、流派におけるいわゆる奥義。
人類の極致たる
世界の極限たる
二つ合わせて八法一理――其を顕せば『万物を斬り裂く』という、魔法のような力だ。
それを教えたのは老齢の男。真っ二つになった岩を挟んで、俺の目の前にいる彼だ。
黒い髪は既にない。これは俺が物心ついたときからだから、老化というよりストレスとか、あるいは不摂生によるものかもしれない。
なんにせよ、彼――師匠の外見はその白髪を肩まで伸ばし、
「――見事」
あと、声も渋い。
老人もとい師匠は名を、
嬉しさをこらえて飲み下し、師匠に頭を下げる。
「ありがとうございま……うぐっ」
ところが、このクソ老人からは刀が飛んできた。
文字通りの飛来。空中でくるりくるりと回転した柄の先端が、頭のちょうどてっぺんに当たる。
今回はそう当たるように投げられていたので避けなかったが、たまに刃が頬を掠めるくらいのときがあるので、そのときはきちんと避けないといけない。
こうして風切り音が分かるのは、年齢が二桁を数えない頃からだ。それまでは生傷が絶えなかった。
「気を抜くなよ、馬鹿弟子が。御鈴を継ぐからにはつまらん死に方で断絶などされては困るのだからな」
ふんと鼻を鳴らして、師匠は刃毀れした刀を一つ、持ち上げた。
師匠の一振りで、半分の岩がもう一度二つに斬れる。中くらいと、小と小。三つの岩が寄り集まった隙間に刀を突き立てた。
「やってみよ。まぐれでは困る」
……言葉少なで本当に困るな。
御鈴の『斬り徹し』は、二つの条件から一つの結果を導き出す。
条件とは、『人の肌を斬れる程度の切れ味を持つもの』を『理に合わせて振るう』こと。結果は単純明快で――『どんなものでも斬る』という、ただそれだけ。
つまるところ折れた刀でも、多少なら刃毀れしていたって再現できる性質のものだ。
それを今、俺は求められているのである。
「――ふっ!」
果たして俺はそれを成した。
続いて欠けた部分の違う刀で何度か試して、岩がとうとう掌大に収まるくらいになると、今度は半ばから折れた刀で繰り返した。
二度目からは、師匠のコメントはない。それはいつものことだ。手本も先の一度と、折れた刀を用いる前に見せた限り。
繰り返す。
繰り返す。
繰り返す。
額に汗が浮いてきた頃になって、とうとう刀を差し出されることがなくなる。
「よろしい」
やっとその一言が出た。
思わずへたりと座り込んで、嘆息する。
「あぁ……疲れた」
「おい、馬鹿弟子! 休んでおる暇はないぞ」
「ぐえっ」
のしのしと師匠が歩いてきて、踏みつけられた。
「げ、げほ、ごふっ……ちょ、ちょっと待ってくださいよ。師匠」
咳き込みながらも、器用に足元の刀を避けつつ、手と尻と足とをフル稼働して後ずさる。そんな俺の頭上を越えて、背後に刀が突き刺さる。地面を穿ったのは、俺が最初に使っていたもの。
この場で唯一、新品同然の刀だ。
「とりあえずこれで、御鈴の八法一理は修めたんでしょう? だったら――」
しかし、その先の文句は師匠の言葉で遮られた。
「馬鹿者が。いいからとっとと剣をとれ」
聞いた途端、気が引き締まる。
先の言葉は師匠の常套句だ。
道明寺桐人という男が御鈴に関する何か、あるいは御鈴のなんたるかを教えるとき、俺は必ず刀を持たされる。たとえ水泳の練習であっても、馬術の練習であっても、だ。
己が身と等しく、刃を扱い得るべし。
それが師匠の教えだ。
だから俺はすぐさま立ち上がって刀を握った。
間合いはきちんと取る。足元をしっかりと定めて、同時に正眼に構える。それを見て、師匠がふっと口元を緩める。
「もうそれはせんでいい」
見れば、師匠もかしこまった構えはしていない。
これでも奥義伝授が終わるまでは、毎度きちんと剣道じみた構えをしていたんだが、今は剣先を俺に向けてすらいなかった。
足のほうは崩しているように見えて隙はないが、左手は腰に当てて、だらりと脱力した右手に真剣を握っている。
どこから取り出したのか、それは無傷の刀だった。
そういえばさっき、岩を斬っていたときも、こんな風に無造作だったな。……ええと、俺が最初に岩をぶった斬ってから、か? 多分、おそらく、メイビー。
まあとにかく、俺もそうしてみよう。
そして、自分の握っているものを見た。
――師匠はおそらく、それを待っていた。
されど待っていたにしては早い、一歩の踏み込み。
驚いたときには、もう遅い。
師匠の持つ刀が振り下ろされて、俺の握った刀を半ばから両断した。
一瞬後。
目の前には、傷一つない抜き身の真剣を無造作に肩に乗せた己の師がいた。刀を振るってすぐに退いたのだと、理解すると不意に、視界が赤く染まっていった。
それが気のせいで、自分が怒りに打ち震えているのだと気付く。
気付いたときには、もう遅い。
何もかもが遅過ぎた。
足は踏み出されている。
剣は振り上げられている。
怒りがこみ上げてくるのに、頭は冷静だった。
堪忍袋の緒が斬られたかのように抑えのきかない、怒り狂った自分。
それを冷めた目で俯瞰している。そんな感覚。
不思議な気分だった。
――こういうのを、魔が差したとかいうのかな。
きっと、敵わないだろう。
直感的に、そう悟る。
師匠は驚いている。けれど、右手は既に動いている。
だからきっと、敵わないのだろう――八法一理のその先を、彼は知っているようだから。
そう思いながら、斬り落とされて短くなった刃の分だけ間合いを詰めるために、俺はもう一歩を踏み出した。
一瞬一度、視界から消えた真剣が、いつの間にやら俺の視界の端へと戻ってきていた。あとはこれが、視界を横切るのを待つだけだ。それだけで、自分は死ぬ。そう思いながらも、彼は止まらない。
意識が途切れる。
『心をいつでも鎮められないのは……まあ、仕方ない。だが、いつでも刃は振るえるようにしておけ――そういう風に、鍛えておけ。心が弱ったときにこそ、心が動いてくれないときにこそ、身体がいつも通り動かないと、どうしようもなくなる』
いつか聞いた師匠の言葉を、俺は思い出していた。
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