2-2.カリスマモデル

 小学校も、放課後になれば迎えの車が来て、そのまままっすぐ華道の教室へと運ばれた。

 また違う曜日になれば、今度は書道の教室へ。

 その次の日はピアノの教室。

 そのまた次の日はテニス教室。

 休日も休む暇などなく、家庭教師から学校で学んだことの復習と応用を受け、そのまま月曜日になった。

 クラスメートは、放課後は母親に連れられて遊びに行ったり、友達同士で遊んだりしているらしい。テレビで放送されたことを話題にしたり、好きな芸能人の話もしたり……

 お稽古ばかりの放課後を過ごす私に、友人と共通の話題を持つことはできなかった。


獅子尾ししおさんって毎日入学式みたいな服着てるよね」

「ほら、家がスーツ作ってるところだから……」

「金持ちアピール? うっざ~い」


 聞きたくない声を拾ったときには、すでに限界を越えていた。

 そしてそんなある日、友達の家に遊びに行く、とウソをついて、小さな家出をした。

 理由なんて些細なものだ。人より優れるようにと教育されたのに、そのせいで人に合わせることができない。友達の輪に入れない。勉強ができていても、友達の作り方が分からない。

 お母様の求める『いい子』になったら、怖いことなんてないんじゃないかと信じて疑わなかったのに、現実はあまりにも残酷だった。

 私だってこんな堅苦しい服、着たくない。みんなみたいな、かわいい柄の服を着たい。体育着以外のズボンをはきたい。

 何にも囚われない、自由なオシャレがしたい。

 なんのしがらみのない、ありのままの自分でいたい。

 徒歩数分の小さな公園の、ドーム状の遊具の中。小さな子どもが三人ぐらい入れるその中に入ると声が反響して、どんな涙も吸収してくれるような気がした。

 もう、このまま戻りたくない。子ども心ながら、一生ここで暮らしたい、なんて無茶なことを思ってた。

 しかし、ドームに入って数分後。予想しなかったことが訪れた。

「おっ、ここ入れるかな」

「えっ」

「……あれ、先客だ。もしかしてかくれんぼ?」

 同じドームに入ろうとしたのは、大人のお姉さんだった。

 黒い髪に、ところどころ金色のメッシュを入れ、ゆるく巻いている。今まで見たことのない髪型。

 そして格好も、季節感を疑うようなオフショルのニットセーターに、レザーのショーパン。頭には迷彩柄のキャップ。脚を飾るのは網目のタイツだった。ヒールも高くて歩きづらそう。

 その日初めて『ギャルの格好』を目の当たりにした当時の私は、未曽有の存在のように声を押し殺して肩を震わせた。ドームの中という密室に近い状態も心理的効果がはたらいたのだろう。

「ちょっち入っていい? あーしもかくれんぼしてるんだ」

「えっ、いや、なんですかっ」

「ダメ? お願い、マジピンチでさ! アメちゃんあげっから!」

 有無を言わさず、ずかずかとはいはいしながらドームに入ってはポケットからアメを取り出す。なんて身勝手な人なんだ。

「し、知らない人から、ものをもらっちゃダメだって言われてますのでっ」

「へぇ、イイ子。つーかあーしのこと知らねんだ、マジハコニワじゃん」

「ハコニワ……?」

「……だったらさ、かくれんぼしてる間のヒマつぶしとしてあーしの話聞いてくんね? アンタの話も聞くからさ。

 つーかもしかしてアンタ、かくれんぼじゃない感じ? でも、逃げてるっつーか……一人になりたくて来た的な?」

「っ……」

 初めて会ったのに、なぜそこまで見抜けるのだろう。不真面目そうな格好をしているのに、鋭く突かれたようでさらに警戒心が強まった。

 女性はそのまま居座るように私の隣にあぐらをかく。女性なのにみっともない、このまま逃げた方がいいのだろうか……

 しかし、まだ帰りたくない。他に一人になれる場所が考えつかない。学校の人に見つかりにでもしたら家族に迷惑をかけるだろう。

 それに……自分とは対極的な格好をしているのに、過剰なほどにメイクをしているのに……なんだか目つきが、似ているようで。

 知らない人同士なら、いくら自分のことを話しても大丈夫なような気がして。

 この人も、誰かに助けを求めたくて、逃げたのかな。

「……友達が、いないんです」

「マ? チョーイイ子そーなのに?」

 ま、の一文字に疑うような感情が込められている。

「この服のせいで浮いてしまって……

 お母様が選んでくれたのに、わたし、このお洋服……嫌いなんです……」

「はぁ? ママの選んだ服着てるの!? チョーカワイソすぎ!」

「かわいそう、ですか……?」

 そう思われるのは初めてだ。

「どーせ服着るなら自分の選んだの着たくね!? ママチョイスとかないわ!」

「そう、ですよね……クラスの子もみんな、何かしらを参考にして自分でお洋服を選んでるみたいで……」

「だーって自分の人生って自分のモンじゃん!? 親にあーだこーだ言われてウザくね!?」

 ここまでハッキリと陰口を言われるとは。

 でも、今まで我慢しようと閉じ込めてたものが破られるような……自分が心の底に秘めてた思いが見えてくるような気がして、まだ本音が全て分からないままこくりとうなずいた。

「でも……お母様は、私がいい子になるようにお稽古に通わせて、質の高いお洋服を選んで……」

「関係ねーじゃん、そんなんアンタのママが望んでるのは『いい子』じゃなくて『都合のいい子』っしょ!?

 いい、『いい子』と『都合のいい子』はゼンゼン違うかんね!? ママの満足に付き合ってあげてんだよ、アンタは!」

「付き合って、あげて……」

「アンタがどんな家かは知らないけどさ、お稽古とかアンタのやりたいことをやるためにやってるの?」

「やりたいこと……

 ……お母様の会社を継ぐための教養には、必要だと言われました」

「じゃぁ、自分の夢ってそのママの会社継ぐことなの?」

「……それは……」

 自分の夢はとっくに用意されてるものだと思っていた。

 けれど考えてみれば、それは自分の意志によるものじゃない。

 私の望んだ夢……って、なんだろう。

 会社の社長になること? 偉い人になること?

 あまり具体的に考えたことはなかった。考える必要がないと思ってたから。

「質問変えるわ。……友達が欲しいってのが、アンタの夢?」

 すごい。この人は本当に心を見透かす力でもあるのだろうか。

「ほしい……です。

 クラスのみんなの輪に入れるような、『普通』の人になりたいです……

 お母様の顔色をうかがう必要がなくて、自分の夢中になれるようなことに必死になれるような、そんな『普通』の人に……!」

 今まで吐き出せなかった思いのたけを、ようやく吐き出すことができた。

 そうしたらなぜか、もっと泣きたくなって、声を上げて泣いてしまった。

「ありゃりゃ、よーしよしよし……つらかったねそりゃ」

 みっともなく泣きわめいている私を、お姉さんは優しく抱きしめ、背中をさすってくれた。

 まるで泣くことでしか感情を伝えられない赤ん坊をあやすように。お姉さんは何一つ責めることなく、私を慰めようとしてくれた。

「じゃぁさ、アンタはなに着たいの?」

「それは……」

 普通の人のお洋服、といっても困るだろう。

 そもそも自分は何が着たいのか、想像すらできないでいる。

「そっか、わかんないカンジか。まっ仕方ないわな」

 ありのままの自分でいたいなんて思いながら、それすら分からない自分は、本当に一体どんな存在なんだろう。

 ……自分の人生は自分のもの……

 自分のための人生は用意されてない。本来なら勝手に道を曲がっていいはずがない。

「……お姉さんは?」

「ん?」

「お姉さんは、なんでかくれんぼなんてしてるんですか?」

 私だけ話しておいて、お姉さんは話さないのは不平等だ。

 聞いてくれたぶん、お姉さんの話も聞きたい。

 お姉さんは……自分の意志でそのように生きてるんですか?

「あーし? ……まあ、親じゃないけど、大人とケンカしたって感じ?」

「なんで、大人とケンカするんですか?」

 年齢が上だから、年下が反論なんてしたら頭にくるはず。

「そりゃ決まってるでしょ、向こうがあーしにワガママ言ってくんの!

 なんか、アンタと同じだよね。でもあーしはやりたいことやりたくてデルモやってるし、自分の着たい服着て、みんなにも着てもらいたいんだよ」

「でるも?」

「モデル。つっても、読モ……読者モデル、雑誌に載る素人のモデルだけどね」

 モデルには二種類ある、とお母様から聞いたことがある。厳しいレッスンを受けて最高のスタイルで最新ファッションを身にまとって、ファッションショーのランウェイを歩くプロのモデル。もう一つは、みんなになじみの深い服を着て広告や雑誌に載る素人のモデル。お姉さんは後者のほうだろう。

 だとしても、お姉さんの脚は引き締まってて、背も高くて、顔の彫りも深く見える。とても素人には見えない。

 きっと、お姉さんはモデルになりたくて、その体型にするために鍛えたのかもしれない。細い体型を手に入れるのは大変なことだとお母様が言ってた。

「SNSは……知らないか」

「ソーシャル・ネットワーキング・サービスでしょ?」

「へぇ、それはわかるんだ。賢いね。

 そーじゃなくて、インスタとかさ、やってない?」

「いんすた……いえ、全然」

 ついったー、とからいん、とかは聞いたことある、けど……

 お母様からもらったのはキッズ用ケータイなので、電話とメールしか使えない。SNSがどういうものなのか、想像がつかない。

「そこでさ、今日着た服とか上げるとみんなからイイネもらえるわけ」

「イイネ、とは? お褒めの言葉、ということですか?」

「んーまあ、おひねりみたいな?

 だから読モになったらもっとあーしが認められて、ゆくゆくはブランドとか立ち上げられたらな~って思ってるワケ」

「ブランド? お姉さん、お洋服を作るんですか?」

「うん、デザインから販売までやってみたいな~って。あーし一人じゃムリだろうから、もちろんたくさんの人を巻き込んでやりたいって思ってる!

 みんながハッピーになれるようなこと、生きてるうちはたくさんしたいじゃん?」

「ハッピーに、なれるようなこと……」

「そーだっ、アンタもやろーよ! つか手伝って!」

「えっ、私!? でも」

「オカーサマがうるさそう?」

「それもありますが、私、お姉さんみたいなお洋服着たことないです……!」

「あっはは、そんなの関係ないって!

 つか、アンタってどんな自分になりたいの?」

「えっ……それは……」

 まともにお洋服屋さんでショッピングをしたことがなく、色んな服を着ている自分のイメージができなかった。

 ……あまりにも、自分の視界の幅が狭すぎる……「好きな服を着たい」なんて言ったのに、どれが好きかすらも分からない。

 お姉さんみたいな、肩の出した服を着れる自信はない。

 ……不真面目そうだから。

 チョーカーに、ゴールドの腕輪、ストーンピアスもつけられる自信がない。

 ……これも、不真面目そうだから。

「私……お姉さんみたいな格好、できない……

 お母様の目が怖いんじゃないんです。着てる自分が、想像できなくて……」

「そりゃ着たことないんだからできなくてトーゼンっしょ。

 だったら着よっ、それから想像すればいーんだよっ!」

「ちょっ、えっ……!?」

 お姉さんがドームから出て、私の方に顔を向ける。


「いつまで閉じこもってんの? 変わるのはいつも自分からでしょ?」


 お姉さんの名前は知らない。差し出された手だって、つかめばどこに連れていかれるのかも、分からない。

 ……でも、期待している自分がいる。ありのままの自分がどういうものなのか、教えてくれそうで。

 籠の中の鳥は、飛び方を学ばなければ、飛びたい先へ飛べない。

 私が初めて、籠の中へ出られた瞬間。箱庭以外の世界を知った瞬間。

 お姉さん……人気雑誌の看板モデル、『桔梗ききょう暁貴あかつき』が、私に限りない世界を教えてくれた。

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