第82話


「そうしてもらって構いません。ばれた際には私を切り捨ててください。その覚悟はあります。でも、私は交際に関しては充分気を付けるつもりです。結に嫌な思いはさせたくないから絶対誰にも言いませんし結といる時も気を付けます。私は影で結といれればいいのででしゃばった真似もしません」



結のお母さんの言う通り女同士だからもし交際がばれたら結がピアニストの道を歩む際に心ない言葉を投げられる。そしたら結は優しいからきっと傷ついてしまう。それは必ず避けたかった。結をどんな形でも傷つけるのは好ましくないし、それができないようならこの先結といても傷つけてしまうと思うから今言われた事を受け入れる。私はそれだけ本気で気を付けるつもりなんだ。



「…なるほどね。あなたの気持ちはよく分かったわ。……でも、将来に関してはこちらから条件を出させてもらえる?あの子がピアニストとして活躍するのに余計な事を考えさせるのは望ましくないの」


「はい。なんでしょうか?」


認められてはいないが気持ちは伝わったのか?私は何を言われるのか緊張しながら待った。


「あなたが医学部に入れなかったらうちの会社のグループで働いてもらうわ。私はあの子に金銭で何か考えさせたくないの。医学部に落ちた際にはこちらが指定した大学に行って、卒業したら即うちの会社に入社して働いてもらえる?悪いけど、将来は確定させてもらうわよ」



不安な要素は失くしておきたいと言うことか。それは頷けた。あちらとしても私を監視下に置けて充分な職も与えられるのは良いことなんだろう。私はどこまでも惨めでどうしようもない。聞いている時に察した。情けないが全てこれは結のための処置だ。


「頷けないのであれば無理矢理にでも今すぐ別れさせるわ。どうするの?」


私は何もできない状況に頷いた。


「大丈夫です。そうしてください。私が未熟なあまりすいませんでした。結を思って言われたと思いますが考えも何もかも幼くて本当にすいません」


私は拳を握りしめながら言うべき事は言った。私に対してマイナスなイメージしかないだろうからこうやって条件を提示するのは嫌だと思う。不本意なのに私なんかにそこまでしてくれる結のお母さんは心が広い。


私のためじゃないのはよく分かっているんだ。子供だけどこの人にもう迷惑と気苦労をかけさせているのも分かっている。


「いいのよ。あの子が決めた条件を素直に受け入れられるようにしたかっただけだから」


さっきまで真面目な表情をしていた結のお母さんは最初の穏やかな顔に戻った。


「最初は本当に驚いたわ。あの子は冷めてるから恋愛に全く興味がなくて誰とも結婚しないって言ってたのに、いきなり好きな人ができたなんて言ってくるんだもの。しかも相手は女の子で付き合っているだなんて……正直認められたものじゃなかったけど、性別じゃなくてあなたが好きみたいね結は」


にっこり笑った結のお母さんはテーブルに置いてあったお茶を飲んだ。



「あなたは自分をよく理解してるのね。素直に謝るなんて中々できないのよ。大人になればなるほど見栄を張りたくなるのにあなたはそれを全くしないんだもの。随分と人が良い正直者なのね」


「それは……見栄を張ったって意味がないと思いますし」



「それに気づけない人が社会に出れば山程いるのよ」



つまり私は試されたのか?少し話しただけで私の心情を読み取ったように言われて動揺する。あの状況で見栄なんて張れない。


「私は反対はしないわ」


そう言って結のお母さんはまた穏やかに話し出しだした。


「かと言って……賛成も素直にはできないけど、あの子一度決めたら折れないのよ。絶対意見を変えないし私の言う事も聞かないわ。私が決めた許嫁も勝手に解消したのよ?全く困った娘だけど、ピアニストになるなら許せるわ。主人は女と付き合うだなんてって反対しているけど、結を溺愛してるから男でも言うだろうし。そもそも結がもう決めてしまったのならしょうがないのよ今さら何を言っても」


「そうなんですか…」


結を操るのは親としても至難の技のようだ。あの性格だから分からなくはないが。



「結の子供が見れないのは残念だけどピアニストにはなるみたいだし、うちは姉妹だから気にしないわ」


「え?姉妹なんですか?」


「ええ、そうよ。結には姉がいるのよ」


「……知りませんでした」


姉がいるのに意外すぎて驚いた。そんなの全く知らなかったよ。結のお姉ちゃんは結以上に色々凄そうだ。


「ふふふ、あの子といると大変だろうけどよろしくね。ただし、交際に関しては気を付けてちょうだい」


「はい。分かりました」


「じゃあ、そろそろ行きましょうか…」


話が一段落ついて結のお母さんが立ち上がろうとした時、ノックもせずに部屋に結が入ってきた。


「どういうつもりなのママ」


結は顔をしかめて怒っているようだった。勘が良い結はもう分かっているんだろう。


「なにもしてないわよ。話してただけ」


「はぁ?私の条件忘れたの?勝手にそういう事しないでくれる?」


刺々しい口調なのに結のお母さんは特に表情を変えない。さすがお母さんなだけある。


「あなたの交際相手なのよ?少しくらい話してもいいでしょ?」


「よくないから。ていうか琴美が会いに来てるから早く行ってあげてくれる?うるさいから」


「あら、琴美ちゃん来てたの?それより琴美ちゃんと仲直りしたの?」


「うるさいな。別に仲悪かった訳じゃないから。早く行って。私の部屋にいるから」


「はいはい、行きますよ」


結のお母さんは穏やかに笑って私に少し目配せすると部屋から出て行った。とても、緊張したけど、とにかくこれからの事は決まった。ちょっと安心していたらずっと怒っていた結は立ち上がった私の元に来ると手を握ってきた。


「ママに何か言われたの?平気?」


私は心配そうな顔をする結の手を握り返した。


「平気だよ。将来の事とかちょっと話しただけ」


「進路の事?」


「うん。医学部に行こうと思ってるって言った。行けなかったら大学に行ってうちの会社に入るようにって言われちゃったけど、受かるように頑張るよ」


話もまとまったんだ。あとは頑張ってどうにかするだけだ。


「医学部って……本気なの?」


結はとても驚いていた。そういえば考えすぎて結には言っていなかった。


「本気だよ。最近まで悩んでたんだけど医者になりたいって思った。結のためもあるけど、目に見えて誰かの役に立って助けてあげられる仕事ってそれかなって。一番合ってると思ったんだ」


理由は単純で簡単だけどこれは叶えたい第一の目標だ。まずはここをクリアしたい。


「泉が決めたなら応援する」


結は真面目に答えてくれた。


「勉強なら私が見てあげるし、医学部は大変だと思うけど私は何でも協力するから」


「うん、いつもごめんね結。これからピアノも大変になるのに本当にありがとう」


私はいつも結に助けてもらってばかりだ。情けないなと思うけど結は少し笑って首を振った。


「そんなの気にしてない。付き合ってるんだから助け合うのは当たり前でしょ?私は一番泉の近くにいるんだからもっと頼ってくれて良いんだからね?」


「うん。……本当にありがと結」


私には本当にもったいないくらいできた彼女だ。私を安心させてくれて助けてくれる愛しい人は結だけだ。一瞬抱き締めてお礼を言った私に結は少し照れていた。


「私は……泉の真似しただけだから」


「私の真似?」


今一理解できなくて首を傾げた私に結は視線を逸らしながら説明してくれた。


「泉はいつも私を気遣ってくれるし……その、助けてくれるでしょ?いつも私の欲しい言葉をくれるし、ピアニストになるって言った時も応援してそばにいてくれるって言ってくれて嬉しかったから……。だから、泉みたいにしてみたの……」


私の真似なんかしなくても結は素敵で立派な人なのに。結に良く思われてるんだなと思うと無償に嬉しくて強引に抱き締めてしまった。


「結ありがとう!」


「ちょっと!力が強い泉!」


「ごめん、嬉しすぎて。結大好きだよ」


「声がでかいから!バカ!」


ちょっと怒っているが気にしない。それくらい嬉しかった。私は腕の力を緩めると怒ってるくせに耳を赤くしている結に言った。


「私一生懸命頑張るね」


「分かってるし。あんまり頑張りすぎないでよ……」


「うん、分かった」


「…全く。それより今日は琴美と遊んでたんじゃないの?何でいきなり来てるの?」


ここに来て怒られそうな事を言われてしまった。まずい。私は空笑いしてしまった。


「え?……あぁ、それは……琴美が突撃しようって言うから来ちゃった。ごめんね?いきなり来てうざかった?」


「うざくはないけど……。琴美に流されすぎ。予定話してもいつも関係ないんだから」


「あぁ、はい。すいません……」


突撃してるから結の言う通りだ。結はちょっとむすっとしながら私の頬を摘まむ。


「本当に琴美に甘いんだから……。ちゃんと注意してくれる?」


「うん……流されなかったら注意するよ」


「はぁ?……本当にあんたは…。知らないだろうけど琴美は毎回いきなり遊びにきたとか会いに来たとか言ってよく分かんない話したりあんたの話したりピアノを勝手に弾いたり……言うときりがないくらい色々してくるんだからね。振り回される私の身にもなってよね本当に」


結は呆れているが琴美の分かりにくい気の使い方を理解できていないみたいだった。まぁ、琴美は結にあしらわれないようにしているのだから分からなくて当たり前だ。でも、これは秘密にしていると思うから言わないでおこう。


「ちゃんと注意するよ。それより結の部屋に琴美いるんでしょ?早く行こうよ」


私は笑って頬を摘まむ結の手を取った。

結は何だかんだ琴美を嫌がっていないんだから琴美の奇行は放っといても平気だ。

これはたぶん、二人の間の重要なコミュニケーションだと思うから。


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