第49話


「お礼って言われたら嬉しくない?」


結はなんだかんだ私のお礼にいつも照れているから聞いたのに相変わらず素直じゃなかった。


「まぁ、ちょっとは嬉しいと思うんじゃない」


そう答える結はいつも通りだから私は笑った。


「そうだよね。私も嬉しいと思うし小さな事でもちゃんと感謝を言葉にして気持ちを伝えるのって大事だと思ってるんだよね。でも、相手との関係性とかもあるし、そういうの望んでない人もいるかもしれないけど、こういうの言えるか言えないかって私は一番心が出るって考えてる。人間性が分かりやすく出るって言うのかな?上手く言えないけどそのくらい大事だと思うから私は言うようにしてる。それに出し惜しみするもんでもないし、言ったからって嫌な思いする人もいないと思うんだよ。言われるだけで嬉しくなるからさ。だから私はいっぱい言いたいなって思うんだよね」


お礼は単純で簡単にできる事だけど、日常の些細な事が当たり前すぎてお礼をしなくなる事はあるだろう。だけどお礼は一番分かりやすい嬉しい気遣いのようなものだから私はどんな事でも嬉しく思ったりしたら言いたいのだ。


ありがとうはありふれた簡単な言葉だけどこの言葉は一番気持ちが伝わるし、沢山の人と共存して生きていくのにこれがちゃんと言えないのはおかしく思う。


「……私も、そう思う」


結は小さく呟いて同意したけど少し嫌そうに話し出した。


「でも、私はお礼とか言えないやつらと関わってきたから、そういうやつらは自分のくだらないプライドがあるんだなって、気持ち悪いって思ってた。そのくせに相手にはお礼を求めて自分を認めさせるように自分を大きく見せるような事をするから、お礼何か言いたくもないって思ってた。自分のためにそうしてる事にすぐに気づいたし、世の中そんな自分の事しか考えてないやつばっかなんだなって思ってたけど……私も前はそうやって考えてた」


結は私を見つめると何とも言えない顔をする。


「ちゃんとお礼をするのも謝るのも言葉に出して言わないとダメだって、私は昔から親に言われてた。言えるか言えないかは人格すらも疑われるくらい大事な事だからって。だから私も昔よく考えて泉みたいな答えに辿り着いたけど実際に外に出て沢山の人と関わるようになったらそんなに簡単に言う人はいなかった。特に謝るなんてバカでプライドが高いやつはしない。そんなやつばっかだったから私は人に何も求めないし、何も言わないようにしようって決めてた。私利私欲に巻き込まれたくないし私もそんな人間に思われたくなかった。それに言うだけバカみたいって思ってた」


結の話は私の胸に突き刺さるようだった。結は大人びていて客観的に冷静に物事をよく見ているけど結の周りには心遣いをきちんとできて、他人を考えられる人がいなかったんだなと思うと悲しくなる。

結は何でもできて凄いけど心はいつも誰にも頼らずに一人でいたのだろうか。


「でも、泉は違う」


結はそう言って優しい顔をして笑った。


「泉はいつもお礼を言ってくるし、謝ってくるから、嬉しいけど何て言ったら良いのか分からない。泉は本当に私のために優しくしてくれるし私に何も求めてこないから……戸惑うの。私、いつも何か求められたりしてたし、そういう事ちゃんとできる人ってあんまり周りにいなかったから……だから、いつもごめん。……素直にお礼とか言えなくて…」


最後には申し訳なさそうに私から目を逸らして俯いてしまった結に私は納得した。結がいつも素直じゃないのは結が置かれた環境のせいだったようだ。分かりにくい反応も、たまに泣いてしまうのも、結は自分の気持ちを表現する事をしないように生きてきたからどうやって反応したら良いのか、どうやって伝えたら良いのか分からなくなってしまったのだ。


私はそんな結に言葉を失ってしまった。結は当たり前に心ない人達に囲まれてそんなやつらの心を見抜いて、呆れて嫌な思いをしてきた。だから生き方さえも変えて自分を守るように生きてきた。利用されないように、誰にも心を見られないように、自分が嫌な思いをしないように。


それはすごく寂しい事で辛い事だと思った。真面目な結からしたら苦しむに決まっている。学校で作った笑顔でいるのもそのせいかと思うと切なくなった。


「……私、本当は…いつも嬉しい。泉がお礼を言ってくれたり、話したり遊んだりするの。いつも楽しくて嬉しくて、私もお礼言ったり、泉に気持ちいっぱい伝えたいけど……上手くできない。……泉みたいに、私はできない……」


言葉にならない結はそう言って静かに涙をこぼした。その涙に結の気持ちが現れたみたいで切なくて苦しくて、私は見ていられなかった。


「結、泣かないで」


私は結を抱き締めながら顔を覗き込んだ。結は涙を拭いながら泣き続けている。私は背中を撫でながら結の顔に手を添えると優しく指で涙を拭ってやった。結の気持ちは分かりづらいけど私は結と一緒にいて結の事が分かってきているからなんとなくは気持ちが分かるようになっている。私にはまだまだ分かりづらいし分からない時もあるけど結は無意識に気持ちを伝えようとしてくれている。


「結、泣かないでよ。結の気持ちならなんとなく分かるよ私。ちょっと分かりにくいけど結と一緒にいたら結が照れてるんだなとか、嬉しいんだなって結の顔見てると分かる。だから嬉しいって私も思ってたし楽しいって思ってたよ」


「でも……私、全然……言葉に出してない。泉はちゃんと伝えてくれるのに…。言葉にしないなら、伝えてないのと一緒だよ……」


泣きながら私を見つめて言ったそれは本当の事だけど私は否定した。言ってないけど気持ちが伝わったのは事実だ。


「そうかもしれないけど、私は伝わったよ?結は確かにあんまり自分の気持ちとか言わないけどそれでも伝わるし、私は結が好きだから結の気持ちは全部じゃないけど分かるよ。結が楽しいのも、嬉しいのも、結を見てるとちゃんと分かるよ」


結はいつも素直じゃないけど私は別にそれでも良かった。結は特に何も言わないけど、なんだかんだ優しいし私のために色々してくれる。あんまり普段は楽しそうに笑わないけど一緒にいる時は無邪気に楽しそうに笑ってくれて嬉しそうにしてくれる。それだけで私は結の気持ちを感じ取る事ができた。

それにたまに言うお礼や謝罪の言葉だけで私はもう満足している。結のそれは本当に心からのものだと思うから。


「……でも、……今のままじゃ……よくないの分かってるの。ちゃんと気持ちを言う事もできないなんて……そんなのよくない」


結は卑下してしまうけど私は気持ちを言えない結も好きだ。私は一番結が好きだからそんなところも受け入れている。私は優しく結の手を握って笑いかけた。結は良いところがいっぱいあるから泣くほど気にしないでほしかった。


「そんなの気にしなくて良いよ。恥ずかしいけど、私は世界で一番結が好きだと思ってるから誰かが嫌がっても私だけはずっと好きだから平気だよ。私は今の結が大好きだから私はそのままで良いと思うよ?誰にだってさ、欠点とかあるじゃん。だから平気。そんなところも好きだよ。それに私は自分より結の事ばっかり考えてるから結は思った事をそのまま言って平気だよ。恥ずかしかったらしょうがないけど、私は笑ったり嫌がったり、結の気持ちを利用したり何かしない。私は結の気持ち大切にしたいから言えなかったら言わなくても良いよ?たまに結は言ってくれるし、結の気持ちはそれなりに分かってるつもりだから」


もう結が悩まなくて良いように、結が苦しく思わないように私は優しく言った。結は真面目だから何でもちゃんと考えてしまうだろうから、結の心の負担を失くしてあげたかった。結は少し泣き止んでから私の手を握り返してきた。


「……いつも何でそんなに優しいの?優しくしすぎだから」


涙目の結は声を震わせている。何でもなにも好きならこういう事をして当たり前だと思う。私は自然に笑ってしまった。


「大切な人には優しくしたくなるもんじゃないの?笑ったり、喜んでくれるだけで嬉しいじゃん。自己満かもしれないけどさ、いつも悲しい思いとか嫌な思いしてほしくないから優しくしたくなっちゃうんだよ。それに結は一番好きだから特別に優しくしちゃう」


恋愛的に好きじゃなくても好きならそうするものじゃないのだろうか。私は今まで仲の良い人にはそうしてきたし、優しくしないなんてできない。相手を思いやれないような人に私はなりたくないし、なれないだけだ。



私は背中を撫でていた手で結の頭を優しく撫でてから手を離した。結は泣き止んだしこれ以上触れるのはよくない。結と握っていた手も離そうとしたら結は私の手を離さないように強く握ってきた。


「…泉はそれで、好きになってほしいとか思わないの?」


若干表情を歪めて真剣な顔をする結に私は嫌な意味で胸がドキッとした。そんなの言わなくても皆思う事だ。でも、私はそんな風にはあまり思えなかった。結には話したくないけど話してしまっても良いかと口を開いていた。どうせ私じゃダメだから。


「私は……あんまり思わない。私、あんまり良いとこないし自分にそんなに自信ない。昔から自慢できる事もないし、得意な事もなくて勉強もできないし……見かけも微妙じゃん。だから思わないよ。嫌われる要素が多いから友達も少ないし、私は頑張ってもこの程度だから」


自分で言ってて悲しくなるけどこれが現実で私は自分をよく分かっている。私は結や他の皆みたいに何か突出してできる事はないしバカだし見かけだって皆に劣る。それは今から改めて頑張ったってどうにもならない事で、そこに元々の要素も合わさると終わっていると言った方が早い。


結への気持ちは負けたくないって思っても、私の容姿や中身が悪いんじゃ気持ちだけではどうにもならない。

好きならよく見せようとするのが普通で悪い事は隠すんだろうけど私はずるはしたくなかった。


悪いところや嫌なところを隠したところで一緒に長くいればバレる事だし後ろめたい事はしたくない。


かっこ悪い惨めな私の手を結は離すと怒ったような悲しいような顔をして私の服を強く掴んだ。本当の事を言ったけど私は結の表情に何を言われるのか分からなくて怖かった。

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