魂なき声はその心を動かした
長月瓦礫
魂なき声はその心を動かした
永瀬花梨は言葉の雨に悩まされていた。
この季節特有のゲリラ豪雨の如く、言葉が浮かんでは消えていく。
メモしようにも湧いてくる言葉が多すぎて処理しきれない。
アイデアが山のように思いつくのは別にいい。
別に悪いことではないのだろう。
しかし、どの言葉もいまいちピンと来ない。
遊びというか戯れというか、似たような言葉を繰り返しているだけなのだ。
不平不満とはまた違う。
意味のない言葉が行列をなしているのだ。
どうやってまとめようかな。花梨は頭を抱える。
彼は趣味で小説を書いている。
今はインターネットで出会った友人と共に同人誌を製作している最中だ。
友人曰く、紙で表現できる作品ならば何でもいいとのことらしい。
その範囲はイラストから漫画、小説、写真、魚拓にまで及んでいる。
もはや、懐が深いなんて言葉では表現できない。
創作することに命をかけている。そう言っても過言ではない。
その情熱に影響を受け、参加することを決意した。
今月末に締切があるため、今は毎日のように言葉と触れ合っている。
その作業が災いとなったのか、小説を書いていなくても言葉が思い浮かぶようになってしまった。
無限にあふれ出てくる言葉の洪水。
形のない津波に、彼は襲われていた。
普通の生活を送っている人にはまず分からないだろうな。
彼自身、密かに思っていることだった。
小説を書かない人にとって、理解しづらい状況ではあると思う。
何のきっかけもなく、言葉があふれ出る瞬間などそうないからだ。
だからといって、誰かに相談できるものでもない。
どうしたものか。
ふと、足を止めて空を見上げる。
さっぱりとした青空に、宝石のように輝く太陽。
しばらく雨の日が続いていたから、ここまで綺麗な空を見るのも久しぶりだ。
こういうとき、アイツならどうするのかな。
海の向こうにいる友人を思い浮かべる。
色素の薄い髪、ゆるいウェーブのかかった髪を思い出す。
今頃、どこかの会場で演奏しているのだろうか。
楽器さえあれば、どこでも生きていけるような奴だ。
自分の道を貫き通したんだもんな、やっぱすげえわ。
改めて、友人の意志の固さに感動する。
それに比べて俺ときたら。
ため息が出てしまう。一体、何をしているんだろう。
思いつく物を形にすることもできないまま、ぼんやりと空を見上げている。
気晴らしに外に出てはいいものの、夏の暑さにやられかけている。
本当に何してるんだろう。俺は。
地獄の業火に焼かれてしまったほうがいいんじゃないか?
自然と出てきたため息は実に重く苦しいものだった。
これ以上、外にいても仕方がない。
家に帰ろうと、身をあげた瞬間だった。
軽快な音楽とともに、何者かの声が耳に入ってきた。
機械音声のような中途半端に高い声だ。
しかし、どこか人をひきつけるような、言葉にできない何かがあった。
あたりを見回すと、少し離れたところで黒髪の青年が歌っていた。
黒い半そでのシャツにジーンズ、シンプルな服装だ。
花梨と年齢はあまり変わらないように見える。
真後ろにいたにも関わらず、全然気づかなかった。
その驚きを隠せないまま、彼はその場に突っ立っていた。
落ち着いて聞いていると、どこかひねくれているように聞こえる。
曲線にも直線にもなり切れていない不思議な歌い方。
声に取りつかれていたように、花梨の頭はぼーっとしていた。
曲が終わると、自然と手を叩いていた。
相手の目は大きく見開かれ、一瞬だけ口を開けた。
何も言わず、背を向けて走り出した。
「いきなり拍手はまずかったかな」
花梨は頭をかきながら、彼が逃げた方向を見つめ続けていた。
「ねー、聞きました? この辺に出没するロボットの話」
隣に座っている吉井が話を振ってきた。
目の前の書類にハンコを押しながら、花梨は適当に聞いていた。
「何でも、このあたりを徘徊してるって話らしいですよ」
「それで?」
「自分を捨てた主人を探してるとかなんとか……怖いもんですね」
目的は主人に対する復讐といったところだろうか。
まあ、自分には関係ない話だ。
そんな高価な代物、まず手に入らないだろうしな。
花梨は一人、ため息をついた。
現代では、人型のロボットが人間に混じって生活するのは当たり前だ。
人間に代わって家事や介護をこなしたり、自動車を運転するようになったりと
その他様々な仕事をするようになった。
もちろん、細かい書類作業などもロボットが担当するようになった。
大手の企業では、そのようなシステムを導入しているらしい。
その分、接客などの対応で余計な苦労も増えたとか増えていないとか、様々な話を聞いている。
だがしかし、花梨たちの職場では未だに人力である。
人間が手分けしてデータを入力し、書類を確認する。
その大手の企業に勤めている人間からしてみれば、時代遅れかもしれない。
というか、上司の頭がまだ時代に追いついていないだけなのかもしれない。
まあ、別にいいんだけどな。 俺が気にすることでもないし。
隣にあった紙の束に手を伸ばす。
そういえば、アイツの声も妙に機械っぽかったな。
機械と言われて、あの声を思い出す。
数日経っても、例の彼の声が忘れられなかった。
人の声にしては妙に高く、無機質な響きをもった声だった。
「まさか、な」
ふと思い浮かんだ考えを頭から追いやる。
自分の主人を探すにしても、あんな人気のない場所を探すはずがない。
ましてや、声を出して歌うような、目立つような行動はまずしないだろう。
また今度、探しに行ってみようか。
その日はずっと、不思議な声が脳裏に響いていた。
今日もいるのかな。
休日、足は自然と彼がいた公園へ向かっていた。
別人だったら、ただの恥ずかしい奴だな。
このまま進んでいくと、目的の場所にいるのは全くの別人だった。
「うん、逃げるしかないな」
何度も一人で頷く。
想像上の花梨は、その場から慌てて走り去っていた。
あそこにいた彼の周囲にスピーカーのような物はなかった。
しかし、真後ろにいた花梨には聞こえるくらいの音量だった。
だから、音は結構大きかったはずだ。
あの時は聞き入ってしまったから、気づかなかった。
冷静に考えると、うるさくなかったわけではない。
はっきり言ってしまえば、ただの迷惑行為だ。
慌てて逃げていたのも、注意されると思ったからに違いない。
「いた」
花梨はすぐにベンチの影に隠れた。
黒髪、黒いシャツ、ジーンズ。
あの癖のある歌い方は間違いなく、この前の彼だ。
何を言ってるんだろう。日本語じゃないのは確かだ。
とにかく、外国語力がないのを認めるしかないらしい。
一曲終えてから、花梨は立ち上がった。
「どうも! こんにちは!」
とりあえず、普通に挨拶をしてみる。
また逃げ出しそうな体勢だ。
「それ、何語ですか?」
逃げる前に聞きだすことがこれかよ。
もっと他に聞くことあんだろ。
頭の中で自分に突っ込みを入れつつ、彼の言葉を待つ。
「ナニゴ……とは?」
彼も困ったように、聞き返す。
「いや、英語とかイタリア語とか、いろいろあるでしょ?
聞いてもよく分からなかったから……」
「盗み聞きとは、いい趣味してますね」
「悪いな、何か気になってさ」
「強いて言うなら、魔界語です」
「魔界語?」
今度はこちらが困惑する番だった。
魔界なんて、今の小学生でも言わなさそうな言葉だ。
「かつて、この世にあった名前のない言語です。
これを使用してるのは、もう俺くらいなものでしょう」
「魔界語か……お前も霧崎みたいなことを言うんだな」
「キリサキ?」
「そう、霧崎奈波さ。ほら、絶滅危惧種で音楽家の」
魔界と聞いて、真っ先に思い浮かべた。
色素の薄い髪、いつも悪巧みする子どもみたいに笑っていた。
なかなか本音が見えず、気づけば遠くに行っていた友人。
現世に降臨した最後の魔王と、ラジオで紹介されていた。
小学生でも言わなさそうな言葉を言われてしまうのがアイツなのだろう。
「名前だけなら、知ってます」
「そうか」
「話はそれだけですか? それじゃあ、これで」
彼は立ち去ろうと、背を向けた。
「お前、ロボットなのか?」
動きを止めて、ゆっくりと振り向いた。
「どういうことですか?」
「いや、別にいいんだけどさ。深追いするつもりはないし」
この前からずっと気になっていた。
人間らしくない、機械的な声。
まっすぐにも曲線にもなり切れていない、中途半端な歌い方。
「捨てられたロボットが主人を探すために、この辺をうろついてるって話でさ。
まさかとは思ったんだけど」
捨てられたロボットは直ちに回収され、保管所に預けられる。
数か月の間は持ち主を捜し、見つかれば引き取ってもらうようにしているらしい。
それでも見つからなかった場合、処分されるとのことだ。
通常であれば、ロボットにはそれぞれ契約番号が記されているから、すぐに持ち主は見つかり、処分されることの方が少ないらしい。
だから、彼のようなケースは極めて稀なのだろう。
行政でも手に負えない理由が何かあるのだろうか。
「……そんなに話は広がっていたんですか」
彼は両目を見開いた。
肩をすくめて、両手を広げた。
「確かにあなたの言うとおり、俺はロボットです。
主人は、ずいぶん前にいなくなりました」
「そうか」
「あの魔界語も主人が教えてくれたものです」
自分で言語を作ってしまうような主人か。
よほどのファンタジー好きだったらしい。
もしかしたら、花梨と同じように物書きだったのかもしれない。
「なぜ、拍手を送ったのですか?」
最初に会った日のことを言ってるのだろうか。
「素人同然、あんなところで歌ってるような根暗に送る物なんて、何もないでしょうに」
「それを言うなら、妙に人間臭い歌い方をしてるのが気になったんだ。
機械の癖に魂を持っているような、あの歌い方。頭からずっと離れないんだ」
「魂ですか」
「いい人だったんだろうな。そういうやり方って、なかなかできないんだ」
感情があるような声で歌っていたり、キャラクターが生きているように感じらたりする作品は魂実装済みと評価されている。
感情がない物に感情を持たせる。
それは、作者の思いと言っても過言ではないかもしれない。
作者の魂を組み込むのである。
かの魔王でさえ、苦しませた。
いつもはふてぶてしいアイツが、必至こいて取りかかっていたんだもんな。
あれだけなりふり構わずにやっていた姿を見たのは、初めてかもしれない。
「なあ、お前さえよければ、俺のところに来ないか?」
あのひねくれた声が消えてしまうのは、もったいない気がした。
魔界語を消えてしまうのと同時に、彼の主人の思いが消えてしまうような気がした。
彼に込められた魂が消えてしまう。
花梨の勘がそう告げていた。
「そりゃ、お前の元主人みたいにいかないだろうけどさ……そんな技術、俺にはないわけだし。けど、このまま消えるのも何か嫌だろ?
その人だって、お前が消えてほしいとは思わないだろうしさ」
思いつく限りの言葉を彼に伝える。
涙をこらえようと唇をかみしめ、話を聞いている。
「そういうわけにはいきませんよ。
俺には魂なんてもの、ないんですから」
どうにか、絞り出すように言った。
本当に魂があるんじゃないか?
一瞬、そう思ってしまった。
「だから、一度だけ、歌います」
「え?」
「俺が歌った姿は自分だけの宝物にするなり、撮影して小遣い稼ぎの道具にするなり、どうぞご自由に」
「ちょっと待て、どうした急に」
「あなたのような人と出会えてよかった。そう思っただけです」
魂のないはずのその笑顔は晴れやかに見えたのだった。
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