第10話

 二年A組の教室まで来ると、東雲君は何も言わずに扉を開けた。

 朝のホームルームの時間にはまだ早い中、教室の中には談笑している生徒と、数名の生徒の話を真剣な表情で聞いている高岡先生の姿があった。扉が開かれた音に気付いた高岡先生は、話を聞くのをやめてこちらにやってきた。それを迎えるように、東雲君も何歩か前に出る。

「おはよーございます、高岡センセー。相変わらず人気者だね」

「……おはよう。君達がA組に来たってことは桜井に用事かな? 先程B組の戸田と一緒に出て行ったのを見かけたけど、そこで会わなかったかい?」

「会ったよ。廊下で会って、またふざけた話をされたから我慢できなくて黙らせてきちゃった」

 やっちゃった。と舌を出してお茶目なポーズをする東雲君。普段との差がありすぎて教室にいたほぼ全員が引いている。その中にはもちろん、高岡先生も含まれていた。

「東雲……君は普段から授業をしっかり受けていないと聞いている。それはどうして? 先生だって皆の将来の為に教えているんだ。生徒がちゃんと一人で社会に出ていける力を三年間で身に着けてほしい……。その思いは私だけでなく、他の先生もおなじなんだ。君も誠意を見せてくれよ。でも正直、君が暴力に手を出すとは思っていなかった。……一応私も生活指導の担当だからね。ちょっと職員室で話そうか」

「いいや、ここでいいよ。俺はアンタと違って恥ずかしいことしてねぇから」

「……どういうことだい?」

 先生の目の色が変わる。教師独特の威圧感というか、まるで「何か喋ったら成績を落とす」と脅しているように思えた。

 それでも東雲君は緩んだ口元や楽しそうな表情は変わることなく、教室にいた生徒を煽るように全体に問う。

「自分の金を盗んだ犯人くらい、皆だって知りたいっしょ?」

「……犯人が、わかったのか?」

 教室にいた誰かが問いかけた。東雲君は黙って頷いてまた高岡先生の方を向くと、表情を変えずに話し始めた。

「俺は昨日、戸田と桜井、そして先生やC組のクラスメイトの前で牛山鼓が無実であることを証明すると宣言した。

「それを聞いた犯人は焦って、俺と牛山をゴミ置き場の倉庫に閉じ込めると中庭の木の上に小型カメラを設置した。抜け出せなかったら恐喝して他に従わせる、抜け出したらピッキングしたという証拠として提出する。

「強引に盗難と関連付けさせて牛山を犯人に仕立て上げようとしたんだろうが、結局俺達は倉庫から抜け出せてしまったから、思い通りにいかなくて残念だったな」

 これがその証拠の映像、と言って先程立ち崩れて動けなくなった戸田君から拝借したスマートフォンを取り出し、動画を再生する。画面の端に緑色の何かが見えるのは、きっと小型カメラをセットしたときに葉っぱが被ってしまったのだろう。

「この動画……東雲達が出てくるところしか映っていないじゃないか。もしかして編集されているのか? 入ったところは残っていないのかい? そういえば閉じ込めたって言ってたよな、一体誰が……」

「編集なんてされてねぇよ。俺達が入ったところを偶然見てしまった犯人が扉を閉めてから、念の為と持ち歩いていた小型カメラを設置したんだ」

 食いつくように動画を見ていた高岡先生に、東雲君が切り捨てるように言う。

「閉じ込めた後って……どうしてそんなことがわかるんだい?」

「倉庫の鍵だよ。俺達が閉じ込められてすぐ、ある生徒が『業者が作業しているから近づくな』と言われて中庭に行かせてもらえなかった話を聞いて思ったんだ。

「今倉庫に行かれたら俺達を閉じ込めた意味がない。あんなボロい倉庫なら、話し声や物音は筒抜けだから、中で騒げばすぐ開けてくれるはずだ。

「閉じ込めた理由は、犯人に仕立て上げようとした牛山が倉庫の丸落としを自力で開ける証拠動画を撮りたかった、ってところじゃねぇかな?

「結局、動画も証拠にならないな。見ればわかるけど、先に外に出たのは牛山。でもその後俺が出入り口でうろうろしてるだろ? 思っていた以上に簡単に外れてちょっと興奮しちゃってさ。

「ガキみたいだって? 何度でも言ってろ。

「……ああ、話が逸れたな。

「その生徒が校内へ戻ったのは犯人がカメラを設置し終えた後。相当焦ったと思うよ? 自分が黒幕であることを示す証拠品が、ゴミ袋の中に入っていたんだから。

「……そう。一発でわかっちゃう証拠。

「それにしても、早々に倉庫から抜け出せてよかったよ。下手したら死んでたかもね。

「どういう意味って……あの倉庫、何年前に建てられたかは知らないけど、見た目からしてボロボロだろ? 俺達ごと焼いて、証拠自体を燃やそうとしていたかも。……って、心配をしてたんだよねぇ」

 そんな大げさなことを口にしたものだから、教室中がざわつき始めた。私だって昨日、この話を聞かされたときは息が止まるかと思った。

 生徒が一斉に話し出して落ち着かせようとする高岡先生を見て、東雲君は口元を緩ませた。これが狙いだったのだろうか。

「東雲、皆を混乱させるようなことは言わないでくれ! やっぱり場所を移動しよう。授業に身が入らなくなる」

「駄目だよ、ここで話さないと奴らは名乗るどころか反省もしない。一番最初に被害に遭ったクラスだからこそ、この教室で話さないといけない。それに実際に倉庫にいたのは俺と牛山だろ。アンタらが疑っている奴が逃げずに居るのに、アンタも犯人も背を向ける気?」

 東雲君の言葉は脅しのように、高岡先生の顔を歪ませていく。しかし先生も彼の話が気になったのか、恐る恐る問いかけた。

「奴ら……? 何を言っているんだ、犯人って、東雲はこの中に犯人がいるとでも言うのか?」

「こうでもしないと出てこないでしょ。……正直、焦ったと思うよ。俺達がゴミ置き場に入っていったの、予想外だったんだから」

「じゃあ、犯人はゴミ袋に入れた証拠を見つからないように?」

「そういうこと。可燃物に入れたら問答無用で業者が回収していくからな。燃やしても証拠は無くなるから一石二鳥だったんだろ」

「……確かに、ゴミ袋に入れたものを漁ろうとする人はいない。証拠とはどういうものなんだい?」

「紙だよ。読めなかったけど」

「紙……そうか、だから可燃物のゴミ袋に入っていて、火を付けることも考えていたのか。『破られていた』とはいえ、漁られたりしたらわかってしまうかもしれない……東雲、その証拠はどこに?」

「俺が持ってるよ」

 東雲君はポケットから折り畳まれた一枚の紙を取り出す。その紙を見て、高岡先生は急に眉をひそめた。

「本当にそこに書かれているのかい?」

「それはどういう意味?」

「証拠の『原稿用紙は破かれていた』んだろう? どう見たってそんなに小さくないし、綺麗なコピー用紙を折り畳んだだけにしか見えない。何か裏でもあるんじゃないのか?」

「うわっ……先生は俺のことを疑うの? 確かにほとんど授業は熟睡しているけど、まだ生徒指導室に呼ばれたことないのに」

「君の場合は猪野先生のおかげだ。私も生徒に脅しを掛けるようなことはしたくない。それにこれは学校全体に関わる問題だ。君だけの問題じゃないんだよ」

 ……気のせいだろうか。

 普段おどおどしている高岡先生にしては強気な口調だ。東雲君が問題児という認識をしているからなのか、いつになく堂々としている高岡先生は今まで見たことがない。

 違和感を覚えたところで、後ろにあった出入り口からか細い声が聞こえた。

「……それ、どういうことだよ……?」

 桜井さんに支えられながら戸田君が入ってくる。先程の東雲君の迫力に、腰でも抜かしてしまったらしい。

「お前達が探していたものって、犯人の証拠品だったのか? 牛山の潔白を証明するために? もしお前達が倉庫から出ていなければ、ボヤ騒ぎになっていたかもしれないのか?」

「だって学校全体が敵だったんだぜ? どっかの誰かさんが話を大きく広げて悪者扱いするから」

 ったく面倒なことさせやがって、と小さく舌打ちを一つ。

 ここまで話をして、被害に遭ったほぼ全員が集まっているというのに、一向に東雲君は犯人の名前を口にしない。

 更に東雲君は続けた。

「犯人はあるアクシデントでやむを得ず、自分が犯人である証拠をゴミ袋に入れて捨ててしまった。紙まみれの可燃ゴミに紛れ込ませれば、見つかる可能性は低いものだったからと高を括っていたんだろう。木を隠すなら森の中、みたいな。正直、そのアクシデントがなかったら俺達も証拠を見つけることはできなかっただろうね」

「アクシデント……?」

「ある生徒会長の話だと、昨日の夕方に全職員室の大掃除があったらしいじゃん? きっと犯人は職員室のどこかに証拠になるものを隠していて、見つかったら不味いから処分した。……まあ、写真は撮ってデータとして残っているんだろうけど」

「勿体ぶらずに教えろ、誰が盗難騒ぎの犯人なんだ? その証拠とやらは、一体何なんだよ!?」

 痺れを切らした戸田君が吠える。支えていた桜井さんを押しのけて東雲君の前に立つと、仕返しのように彼のワイシャツの胸倉を掴んだ。今にも殴りかかりそうな戸田君の手を見て溜息を吐くと、とても残念そうに言った。

「盗難騒ぎの実行犯は一番最初に盗難に遭った五人だ」

「は……」

「本当の犯人――つまり、黒幕に校則違反という弱みを握られて脅された、A組の生徒さ」

「五人……ちょっと待て、それって……」

「ああ、でも五人がやったのは折り紙を入れたり、財布の中のお札をレシートで隠したりしただけで盗んじゃねぇと思うよ」

 東雲君はポケットから更に被害者の財布に入っていた和柄の折り紙を取り出し、A組の生徒に見せつけるようにひらひらと揺らしながら続けた。

「自分の財布の中身を朝から夜まで把握してる奴なんているか?

「学校に来てから購買や自販機で買って、部活で備品が足りなくて、急遽コンビニまで走ることもあるだろうし、放課後、駅の近くのカフェで仲が良い子同士で喋っていたりするんじゃない?

「……まぁ、他にも何かあると思うけど、最初から入ってた金額を覚えているなんて曖昧だろ。実際、俺もわかんねぇし。それにこういうモンには性格が出る。

「レシートが詰まった財布なんて、よく見たら札が紛れていてラッキー! 今日はなんて良い日だ!

「……それと一緒だよ」

「一緒? ちょっと、全然頭が追い付かないんだけど……?」

 慌てて話に割って入る。私だけじゃない、事情を把握しきれていないのはA組の生徒も一緒だった。

 気怠そうに溜息を吐くと、胸倉を掴んでいた戸田君の手を外しながら問う。

「他の人はともかく……牛山ちゃんはどれだけ噛み砕いて話せばわかってくれるんだよ……。戸田、アンタも被害者なんだろ? なんで盗まれたと思った? 財布の中身の金額を覚えていたとか?」 

「金額なんて覚えていられるか! ただ札が入っているところに折り紙が――」

 ――折り紙が入っていたから。

 そういうことか。

 ハッとして東雲君の顔を見ると、またにやりと口元を緩ませた。

「……そう。この盗難で共通していたのは、【盗まれたお札の代わりに入れられた折り紙】だった。

「騒ぎの関連性を匂わせる理由がわからなかったんだけど、馬場の月謝袋から抜かれた二千円で分かった。

「あれは財布の持ち主に『抜かれた、盗られた』と認識させるためのものだったんだ」

 ――盗難被害に遭った、実咲の月謝袋の金額を思い出してほしい。

 彼女は財布とは別に、ピアノ教室の月謝袋に一万円札が一枚と千円札が二枚を入れていた。――ロッカーの鍵をどうやって外したかは今の時点で置いておいて――もともと財布には二千円が入っていたこともあったが、東雲君に言われて思い出したのが、【財布のお札は常に二千円入ってはいるが、月謝を提出する際に見たときには四千円入っていた】という事実だ。

「実咲のロッカーを漁った人物は、月謝袋の中から二千円を取り出したあと、代わりに折り紙を入れて抜き取った二千円は財布に戻した……ってこと? 和柄の折り紙にしたのも、軽く指で触れただけでは札と間違えやすいって思ったから?」

「まぁ、そういうことになるかな。随分面倒なことをした挙句の話だけど、全員がお札を盗まれたわけじゃないっていう事実が出てくる。そこんところは盗んだ本人に聞いた方が早そうだ。そうだろ――桜井」

「…………」

 扉の入り口で立ち尽くしていた桜井さんがビクッと肩を震わせる。唇を噛みしめて、どこか悔しそうな表情に見えた。それとは反対に、戸田君は信じられないといった顔をして東雲君に問う。

「東雲……っ! 言いがかりも大概にしろ! 桜井は優秀生徒でA組の学級委員で、被害者なんだぞ? そんな奴が犯人で、校則違反者? 桜井に限ってそんなこと……」

「戸田君、やめて! ……もういいの」

 桜井さんは両目にうっすらと涙を浮かべながら、今にも怒鳴り散らしそうな戸田君の腕を掴んで止めた。

「いいのって、お前……俺に相談してくれたのに、なんで……?」

「アンタが使いやすかったからだよ」

 一方的に桜井さんに怒鳴る戸田君を制し、東雲君が続ける。

「理事長の息子という肩書きだけで、アンタには利用価値があった。アンタ自身が不祥事を起こしても、学校側はもみ消すことができるんだよ。そして『自分が全て正しい』と訴えるその口調は、全生徒や教師陣が信用してしまう程の支持がある。一番は騙しやすそうなその性格を加えれば、アンタを利用する理由には十分だ。……アンタは黒幕の掌の上で、上手に踊らされていたんだよ」

「そんな……桜井、本当か? いやだって、え……?」

 戸惑う戸田君は桜井さんに問いかける。

 盗難騒ぎがあって以降、この二人はいつも一緒にいた気がする。私が戸田君を叩いたときも、私に向かって殴りかかろうとしていた。戸田君に惹かれている反面、彼を利用していることの罪悪感でいっぱいだったのかもしれない。

 その証拠に、彼を見てすぐ桜井さんの頬を涙が伝う。

「……戸田君は、A組が盗難の被害に遭った話にすぐ私に大丈夫かって心配してくれた。犯人探しをするから教えてくれって、でも……真っ直ぐな貴方に私は答えられなかった。ごめんなさい」

 しゃくりあげながら、桜井さんは彼に深々と頭を下げた。

「……桜井の他にあと四人いる。出ておいでよ、余計な重荷なんて捨てていいから」

 東雲君の一言で、四人が苦い顔をして前に出てきた。事前に巳波先輩からもらっていた生徒名簿と照らし合わせると、原稿用紙に書かれていた名前の人物と全員が一致した。

「俺達、校則違反で一度生徒指導室に呼ばれているんだ。特に俺は三者面談もして停学確実なくらいのことをしでかしている。それでも『帳消しにしてやるから指示に従え』って言われて……」

「あたしも、『退学になりたくなければ』って……脅されてる気分だった、ううん。脅された」

「でも誰にも相談できなくて、従うことしかできなくて……っ」

「桜井が提案してくれた、折り紙を入れて誤魔化す方法で何とかやってきたけど、そろそろ限界だと思ってたんだ……なんでだろう、正直今、ホッとしている自分がいるよ」

 四人が次々と口を開いて話してくれる中、A組の生徒は皆、静かにそれを黙ったまま聞いていた。

「――学校に不都合がある生徒は停学か、または退学処分。……それを逃れるためにコイツらは従わざる得なかった。どのみち自分勝手すぎるけど、黒幕は本当にクソだな」

 東雲君はそう言って、ある人物の前に立つ。

「現金を盗んだ代わりに折り紙を入れた盗難計画を立て、生徒のロッカーへのピッキング、そして昨日の放課後、俺達を中庭のゴミ置き場倉庫に閉じ込めて、牛山に全てを擦り付けて強引にこの騒ぎを終わらせようとした一連の黒幕は――アンタだ」

 今まで黙って傍観していた【彼】は、動揺して一歩後ろへ下がった。

 

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