蔦、十五葉。
これ以上は話を聞くことが出来ないだろう。
だがベンジャミンさんがトリスタンさんを庇う理由は分かった。
一度は殺してしまおうと思った相手が自分を手助けしてくれただけではなく、その後もずっと側で支えてきたのだ。殺そうとしたことへの罪悪感と、己を理解してくれる者への信頼、そしてそこまで慕ってくれるトリスタンさんの親愛の情がベンジャミンさんにとっては自分の罪を隠すよりも大事なものになっていた。
それが結果的には大事なトリスタンさんの将来を潰してしまう。
ベンジャミンさんはその事実を理解してしまった。
席を立ったわたしに刑事さんは目だけで「もういいのか」と問いかけてくる。
頷き返せば、調書を取っている警官に「後は任せた」と言ってわたしと共に部屋を出た。
廊下に出ても聞こえる慟哭に刑事さんが顰め面をした。
隣の部屋から伯爵とアルジャーノンさんも出てくる。
「同情は出来ねぇけど、色々思っちまうなあ」
ガリガリと乱雑に自分の頭を掻きながら刑事さんがぼやく。
伯爵は特に何も言わず、わたしも肩を竦めるだけにしておいた。
トリスタンさんに見られた時に、ベンジャミンさんは正直に出頭するべきだったのだ。そうすれば、自ら名乗り出たことで多少は判決でも彼の事情が考慮されたかもしれない。
しかしそこで隠すための手助けをさせてしまった。
殺すことも考えたというくらいなので、当時はトリスタンさんに思い入れがなかったのだろう。
それが『殺人』という大罪を目の当たりにしても逃げずに己のために動いてくれて、その後も共犯者として側におり、変わらず慕ってくれている姿を見て絆されたか。
「ベンジャミンさんには他に道があったはずです。例えそれらが大変な道だったとしても、殺人を犯して良い理由にはなりません。彼は彼が楽だと思う方向に道を踏み外してしまった。それだけですよ」
「それは分かってるさ。でもよ、粉挽ってのは他の仕事よりもずっと給金が少ないんだぜ? パン屋からは安く挽いた麦を買い叩かれて、それで何とか麦を仕入れて、働く奴らの給金も出さなきゃならん。どこの粉挽屋も毎日ギリギリだ」
「いっそ、王都の粉挽屋全部が値上げすればいいんじゃないですか? 売買の最低価格を設定しておけば安い所に集中しないですし、他の店と比べて値切られなくなりますよね? その上で組合などがあればそこで一括購入してそれぞれの粉挽屋に分配される仕組みにするとか、粉も一度組合に集めてから売買されて、挽いた粉の分だけ売り上げが各粉挽屋に返却されるとか」
「まあ、俺達が此処で話したところでどうしようもねえことさ」
バン、と背中を一発叩かれて半歩前によろける。
「痛いです」と言えば「相変わらずひょろいな」と悪びれのない顔で返された。
叩かれた背を擦っていれば伯爵がやや呆れ気味に言った。
「じゃれ合うのもほどほどにしろ。次はどちらの話を聞くつもりだ?」
弁慶の泣き所を蹴飛ばしてやろうと構えかけた足を下ろして答える。
「次はトリスタンさんを。ベンジャミンさんが口を割ったと言えば彼なら素直になるでしょう。そうしたらディアドラさんも事情を話すと思います」
「ではさっさと終わらせるぞ」
「畏まりました」
伯爵に一礼し、トリスタンさんのいる取調室の隣室の扉を開ける。
中へ伯爵達が入ったら静かに扉を閉める。
「わたし達も行きましょうか」
「おう」
刑事さんへ顔を向ければ取調室の扉を前へ移動する。
ノックをして、中へ入ると、ベンジャミンさんと同様に机の前にトリスタンさんが座っていた。
落ち着かない様子で机や手元を見下ろしたり、体を小さく揺らしたりしていたが、わたしを見てガバリと立ち上がった。
「ベンジャミンさんは?! ディアドラのばーさんもどうなったんすか?!」
「まあまあ、まずは落ち着いてください」
そのまま机を越えて迫ってきそうな勢いだった。
両手で制すると開けかけていた口を閉じてトリスタンさんは椅子に戻った。
わたしもその向かい側にある椅子に腰掛けて彼の顔を見た。
不安そうな瞳だけれど、その不安は自分のことではなく、どうやらベンジャミンさんとディアドラさんの二人に関してのことらしい。
自己保身が強くて共犯者に罪をなすりつけたり、自分はやってないと言い続けたり、逆に己の罪を認めて開き直っているような者はよく見るが、この手のタイプは珍しい。
「お二人ともあなたと同じく取り調べ中です。御心配なさらずとも手荒な扱いはしておりませんよ」
そう言えばホッと安堵の溜め息を零される。
恐喝紛いというか、警官にガンガン責められる取り調べ方法が一般的だからね。
最近はそういうやり方が減ってきたけれども全くないわけでもない。
「お話をお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
警戒させ過ぎないように声を柔らかくする。
「……」
トリスタンさんが首を振って拒否した。
それでもわたしは眉を下げて、少し困ったように微笑む。
「ベンジャミンさんは教えてくださいましたよ」
「え?」
「どうしてやってしまったのか、何故あなたが一緒になってやっていたのか、色々と話してくれました。話している最中もずっとあなたのことをとても気にしておりましたよ」
顔を上げたトリスタンさんは目を伏せる。
「ベンジャミンさんが……。……そう、っすか……」
その事実を噛み締めるかのように呟き、顔を上げる。
「あの人が話したなら、俺も話します」
「ありがとうございます。それではこちらから質問させていただきますので自分の分かる範囲で答えてください。何か分からないことや気になることがありましたら、わたしも問題ない範囲でお答えします」
「は、はいっ」
覚悟を決めたのか先ほどまでのそわそわした様子はもうない。
意外にもシャンと背筋を伸ばして座る姿にわたしは笑みを浮かべる。
あまり緊張させては思い出せることも思い出せないだろう。
素直に話してくれると言うのだから焦ることはない。
「まず、あなたがベンジャミンさんの犯行を初めて知ったのはいつ頃ですか?」
「えっと……多分、二年前の夏っす。その日は暑くて、昼間で仕事が終わらなくて残ってやってたんで。どうしても終わりそうになかったんでベンジャミンさんに相談しに行ったっす」
「そこであなたは何を見ましたか?」
「その、ベンジャミンさんが、男を殴っていたっす。男は、俺と同じで働き始めたばっかで、見つけた時にはもう死んでた……」
少し震えるトリスタンさんに大丈夫だと頷き返す。
「それで、あなたはどうしましたか?」
「……死体を隠す手伝いを……」
それでもハッキリと口に出すのに躊躇っているようだった。
わたしはまた頷き返して先を促した。
「具体的にはどのように?」
「……ベンジャミンさんがバラして、二人で川に捨てたり空き地に埋めたりしたっす。ディアドラのばーさんのところに埋め始めたのはそれからすぐだったかな……。そんな経ってないと思う」
「何故ディアドラさんのところへ?」
「その頃はディアドラのばーさんのとこに住んでて、夜に何度も抜け出してるのを変に思ったばーさんがベンジャミンさんのとこに来たんだ。丁度死体を運んでで、バレて驚かれたけど、色々なところに埋めるより個人の家の方が見つかりにくいって」
「ディアドラさんは警察に届け出ようとは言わなかったのですか?」
「うん、警察に行ったら俺もベンジャミンさんも重い刑になるから黙ってるって言ってくれたっす」
前半はベンジャミンさんの証言と合っている。
確かにトリスタンさんは殺人自体には関わっていないようだ。
そうしてディアドラさんもトリスタンさん同様に警察に行くことはなかった。
でもベンジャミンさんのためではなく、トリスタンさんのためだったのだろう。
ベンジャミンさんがどう思ったかは分からないけれど、自分と同じくトリスタンさんを大切に思う人間だと理解したから協力者として関係を持ったのかもしれない。
更に聞いてみると、どうやら死体の処理に関してはディアドラさんが二人に助言する格好で色々と教えたり、手助けしたりしていたらしい。
死体を出来る限り切り分けて、それをディアドラさんの家の庭に埋め、時間が経って白骨化したらまた粉挽屋に持ち帰り、そこで砕いたら専用に使っている古い石臼で挽いて粉にする。最後にそれをそこら辺やディアドラさんの家の庭に撒いたり、川や下水に流したりして処理したそうだ。
「あの、ベンジャミンさんとディアドラのばーさんはどうなるんすか……?」
一通りの話を終えたトリスタンさんに聞かれて考える。
「ベンジャミンさんは殺人、死体損壊と遺棄、死者からの窃盗の罪で裁かれると思います。ディアドラさんも死体遺棄と犯人隠避の罪は免れないかと。……ベンジャミンさんとディアドラさんの間で金品のやり取りはありましたか?」
「なかったっす」
「もしかしたら共犯・共謀罪も加わるかもしれませんが、以上ですね」
わたしの答えにトリスタンさんが項垂れる。
あまり知識などはないのだろうが、重い罪だということは分かるのだろう。
「死刑、とか……?」
頑張って想像した中で最も重い処罰を口に出したのか。
わたしはそれに「はい」と頷いて返す。
「ベンジャミンさんは死体損壊と遺棄、死者からの窃盗の罪で目を潰し、顔には教会を破門された証として焼き印を施されます。その後に殺人罪で財産を没収した上、斬首又は絞首刑となります。複数人の殺害となれば罪が軽くなる可能性は低いでしょう」
「……ディアドラのばーさんは?」
「これから取り調べをするので不確定ですが、ほぼあなたと同じ罪で問われることになります。死体遺棄の罪で片目を潰し、破門の印を顔に焼き付け、金貨数百から数千枚の罰金と両手又は両足の切断です」
「そんな……。それじゃあ処刑と同じじゃないっすか!」
ガタリと机を揺らして身を乗り出してくるトリスタンさんと目を合わせる。
手の平一つ分ほどしかない距離で絡んだ視線を逸らさずに見返した。
こちらが真っ直ぐに見据えたからか、一瞬、トリスタンさんの瞳が怯んだように揺れた。
「殺人という罪も、それに関わる罪も、それだけ重いのですよ」
ベンジャミンさんも、トリスタンさんも、そこがよく分かっていなかったんだ。
人を殺すことに慣れてしまったのかもしれない。
だから殺人という罪に対する処罰の重さを否定したがる。
誰かの命を奪ったならば、それは自分の命だけでは贖えない。
自分の命を差し出したとしても殺してしまった人間はもう二度と帰ってはこないのだ。
「でも……。だって、ベンジャミンさんは粉挽屋のためにやったんすよ?! 盗った金だって自分で使ったりしなかったす!!」
何とか減刑にならないか突破口を探そうとしてるのか、トリスタンさんは必死にわたしや刑事さんの顔を見て訴えかけてくる。
「それは許される理由にはなりません。あなたがもし被害者の家族だったとして『店のためにあなたの大切な人を殺しました。どうか許してください』と言われて、許せますか? 殺されたのがベンジャミンさんやディアドラさんであったら、それでもあなたは犯人には可哀想な事情があるのだと納得出来ますか?」
「そ、れは……でも、あいつらは浮浪者だし……」
「彼らにだって家族や友人はいたはずですよ。浮浪者だから奪ってもいい理由はありません」
「じゃあどうすれば良かったって言うんすか?!!」
バン、と部屋中に響き渡るほど強い力で机が叩かれる。
それは彼の苛立ちと葛藤を現していた。
わたしはそれに小さく息を零す。
「そんなの知りませんよ」
そう返せばポカンとした表情でトリスタンさんがわたしを見た。
「え?」
「運営が苦しいならば金貸しから借りるか、従業員に正直に話して賃金を減らすか、扱う麦の質を落とすか。粉を購入する側と交渉して値段を上げることも出来たでしょう。わたしはそこで働いたことがないので内情を詳しくは知りませんが、苦しくてもそれなりにやりようはあったのでは?」
「…………」
トリスタンさんが椅子へストンと戻った。
その目はどこか焦点が合っておらず、何かを思い出しているのか「でも……」「あの時」「いや、ベンジャミンさんは……」と意味の繋がらない言葉を呟いている。
きっと必死に足掻けば他に道はあったのだろう。
それがどんなに苦しくて大変な道でも犯罪に手を染めるよりは良い。
もうどうにもならないのであれば辞めるという選択肢もあったはずだ。
彼らは殺人に対する罪の意識はあっても『これは仕方のないこと』だと身勝手な理由を尤もらしく互いに言い合って罪悪感を減らして来たのだろうが、これからはそうはいかない。
「今更悔やんでももう遅いのですよ」
ゆっくりと顔を上げたトリスタンさんを見つめ返す。
呆然とこちらを見るトリスタンさんの瞳は絶望に染まっていた。
彼も自分の犯した罪を理解したのだろう。
その瞳からはらはらと涙が頬を伝って落ちていく。
「人を殺すとは、そういうことなのです」
罪悪感と恐怖を抱えていくしかない。
ベンジャミンさんも、トリスタンさんも、そしてわたしも。
刑事さんが「俺はもう少しコイツから話を聞いとく」と言ったので、わたしは席を譲り、取調室を出た。
トリスタンさんが嘘偽りなく全てを話してくれると良いのだけれど。
廊下に出れば、隣室から現れた伯爵が黙ってわたしの頭を一度だけ撫でた。
慰めるようなそれを受けて、次の取調室へと向かう。
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