蔦、十三葉。

 



 今まで見て来た犯罪者達のどれとも違う人だと思った。


 己の行いを否定するでもなく、正当化するでもなく、他の誰かに犯した罪を着せることもなさそうだ。


 それどころか誇りすら持っているかのように堂々としている。


 己の罪に怯える様子は欠片も見当たらない。




「誰か別の者を庇っているのか?」




 伯爵が問うてもディアドラさんの表情は変わらない。


 なるほど、伊達に長生きしてきたわけではないということか。




「自ら共犯者を口にすることで、あなたの罪が多少軽くなる可能性もございます」


「この歳で今更そのようなことは考えませんよ。犯した過ちはきちんと償うわ」


「それはあなただけの罪なのでしょうか?」


「ええ、そうよ」




 ああ、この人は本気でそう考えている。


 真っ直ぐにこちらを見つめてくる瞳には確固たる信念を宿した光があった。


 わたしは膝の上に置いた拳を握り締めた。


 それを今から砕かなければならないと思うと少しだけ胸の内に罪悪感が生まれてくる。


 そんなものを犯罪者に感じるべきではないと分かっているのに、人生で言えば瞬き程度の時間しか触れ合っただけの相手に、そう感じてしまうのはその瞳の力強さ故か。




「あくまでもシラを切るつもりなら、それでも構わん」




 伯爵が小さく息を吐いた。


 そうして底冷えのするブルーグレーの瞳がディアドラさんを射抜く。




「だが此方も手を抜く気は一切ない。貴女がどれほどその人物に思い入れがあろうと、法を犯した者を見逃しはしない。ただ貴女の罪が重くなるだけだ」




 感情のない冴え冴えとした声音で伯爵は最終勧告にも似た言葉を告げる。


 ディアドラさんの顔から笑みが消えた。その年老いて皺の増えた手を固く握り締め、こちらを見ていた瞳が伏せられる。よく見れば、小柄な体が微かに震えていた。


 伯爵は自身の外見がどのように見られているか理解している。


 だから、普段は人と接する時は声音が少しだけ柔らかい。


 伯爵家やリディングストン侯爵家以外の人間と話す時、伯爵は決して感情的にならず、常に穏やかに対応することで冷淡に見られがちな己のイメージを上手く軽減させていた。


 けれど、今は違う。その逆であった。


 完全に相手を切り捨て、受け入れることのない、冷たく平坦な声だ。


 ブルーグレーの瞳は罪人を見るそれで温かみは微塵もない。


 美しい顔は無表情で、そこにいるだけで威圧を感じるほどだ。


 それでも口を割ろうとはしないディアドラさんに伯爵は無常にも言葉を続けた。




「トリスタン=カーゾン」




 ピタリとディアドラさんの体の震えが止まる。


「伯爵」と呼べば、ブルーグレーの瞳がわたしを見て、鋭さが和らいだ。


 あまり脅し過ぎて何かあっても問題だ。




「前回、トリスタンさんが庭の手入れをなさっておりましたね? あの時には、既にダニー=サムソンの遺体があったはずです。彼が言った『肥料がまだ臭かったから戻した』とは『腐敗途中で白骨化し終えていない』という意味だったのでしょう?」




 トリスタンさんは恐らくこの件に関わっている。


 あの肥料作り用の穴から取り出したのだとしたら、強烈な腐敗臭も嗅いだはずだ。


 そもそも、あの土を被せたのはトリスタンさんだと思う。腰の悪いディアドラさんがかけるには土の量が多く、臭いを少しでも抑えておきたいという意思があれからは感じ取れた。




「いいえ、あの子は何も知らないわ」




 ハッキリと否定されるが、それこそありえないことだ。


 彼女の家によく来る人間で、彼女と信頼関係を築き、彼女が庇う人物。


 トリスタンさんは細い人だけれど粉挽きという仕事柄で考えれば筋力はついているだろう。背もそこそこあり、正面からやり合わなければ大柄な男性を殺すことも出来る可能性が高い。


 もしくはまだ他にも協力者がいて数人がかりで殺したか。




「では、どのようにして大柄なダニーサムソンを誰の手も借りず、一人で殺害したのですか?」




 我ながら嫌な聞き方だ。


 既に殺されることを受け入れた獲物をワザとじわじわなぶるようなものだ。


 どうか素直に全てを話して欲しい。


 そうすればこんなやり方を続けないで済む。


 ディアドラさんの口元が小さく弧を描いて笑った。




「もう半年も前のことだから忘れてしまったわ」




 わたしがそれに質問を返そうと口を開きかけたが、伯爵に手で制される。




「セナ、無駄だ」


「……畏まりました」




 これ以上、情状酌量の余地を与える必要はない。


 そう言われたも同然であった。


 黙ったわたしに代わり伯爵が話を続ける。




「半年前、いや、この数年、貴女の家に夜な夜な大きな荷物を運び入れる者達が目撃されているそうだが、彼らが共犯者だろう。トリスタン=カーゾンと、その者が働いている粉挽屋の主ベンジャミン=ムーア。そして貴女が殺したと言い張るダニー=サムソンは恐らくベンジャミン=ムーアの粉挽屋で働いていた。……違うか?」




「『小鳥の止まり木』で調べればすぐに分かることだ」と伯爵に言われ、ディアドラさんがハッと小さく息を詰めた。


 ダニー=サムソンが元浮浪者だったとしても『小鳥の止まり木』より紹介を受けたのであれば、そこに紹介履歴なり身元なり、その人物の情報は残っている。


 例え彼女が否定しても調べれば繋がりは容易に分かるだろう。


 前日のうちに実はディアドラさんの家の周辺でこっそり聞き取り調査をしたのだ。


 そうしたら数人が「時々、深夜に大きな荷物を運び入れている」と口にした。運び入れている人間はフードを目深に被っていて分からなかったが、体格から二人組の男性で、一人は体格の良い人間だったと覚えている限りのことを話してくれた。


 三つ目鴉が指定した場所で大柄な男性がいたのは粉挽屋だけである。


 多分だが三つ目鴉はこれに気付いておりながらえてわたし達に黙っていた。


 理由は分からないが何となく悪意のようなものを感じるのは気のせいだろうか。




「さあ、どうだったかしら……」


「そのダニー=サムソンを殺したのはトリスタン=カーゾンかベンジャミン=ムーアのどちらか、もしくは両者が協力したか。そして此処に遺体を持ち込んだ。貴女は度々遺体を隠し、処理していた」


「いいえ! ……いいえ、違います、わたしが一人でやりました」




 強く伯爵の言葉を否定し、しかしすぐに我に返った様子でディアドラさんが首を振る。


 玄関の扉の叩かれる音がして、その後に扉の開く音がする。


 居間の出入り口にアルジャーノンさんが現れると数人の警官を連れていた。


 それを見た伯爵が立ち上がったのでわたしも席を立つ。




「説明は済ませております」




 アルジャーノンさんの言葉に伯爵が頷き、ディアドラさんを見下ろす。


 けれど、すぐに視線を外すと警官達へ声をかけた。




「彼女を署へ。後は任せる」


「はい、御協力感謝申し上げます!」




 敬礼を行う警官達の脇を抜けて伯爵が廊下へ向かう。


 ディアドラさんもこれからわたし達がどこへ行くのか気付いたのだろう。


 思わずといった様子で立ち上がった彼女の動きを伸ばした腕で阻む。 




「待ってください! まだ話は終わっていません!」




 それでも押し通ろうとするディアドラさんを抑え込む。


 掴まれた腕が少し痛い。




「いえ、話は終わりです。これ以上あなたにお聞きしても答えは変わらないでしょう」




 ディアドラさんがわたしを見た。


 縋るような瞳を見返し、首を横に振ると彼女は数歩後ろへ下がった。


 部屋の中にいるわたしも、アルジャーノンさんも、警官も、そして伯爵も。誰も彼女を助けるために動くことはない。彼女の意を汲む者もいない。


 明確なそれを感じ取ったのか更に数歩下がった彼女が床へ崩れ落ちる。


 警官達が彼女を連行するために近付いたが反応はなかった。


 庭を見に行っていたのか、外から入ってきた一人の警官が庭の様子を他の者達に報告すると、今度こそ彼女は逮捕された。


 その様子を見届けて廊下にいる伯爵の下へ向かえばブルーグレーと視線が合う。


 わたしを気遣うようなそれに小さく頷き返すと、安心したのか僅かに目を細め、外へ出て行く。


 その背中をわたしとアルジャーノンさんが追いかける。


 停めておいた馬車に乗り込み――アルジャーノンさんはやはり御者台がいいらしい――、次の目的地を御者に告げ、馬車がゆっくりと走り出す。

 

 自分が好感を持った相手だからといって、その人物が法を犯さないとは限らない。


 だから人と接する時には深く踏み込まないようにしている。


 そうしていても、やはり見知った相手となると思うところはある。


 暗くなりかけた気持ちを追い払うためにピシャリと両手で頬を叩くと、向かい側に座っていた伯爵がギョッとした顔でこちらを見た。




「急にどうした?」


「何でもありません。ちょっと気合を入れようと思いまして」


「気合? ……よく分からんが赤くなってるぞ」




 少し呆れた顔で伯爵が手を伸ばしてわたしの頬に触れる。




「…………あっ」





 頬を撫でる手を好きにさせていたら、あることを思い出した。


 口元に手を当てたわたしに伯爵が首を傾げる。




「何だ」


「シャベルを持って来るの忘れました……」


「そんなことか。帰りに取りに寄ればいいだろう」


「そうですね。ああ、思い出して良かった。そのまま忘れて帰ったらハドリーさんに怒られるところでした」




 伯爵邸の庭を手入れしている庭師の長、庭師頭ヘッド・ガーデナーのハドリーさんは大柄で、昔ながらの頑固親父みたいな人で、口数が少ないけれど怒るととんでもなく怖いのだ。


 まさしく雷が落ちると表現出来る怒鳴り声なので怒らせたくはない。


 その様子を想像したのか伯爵が小さく笑った。




「あれが怒るのは確かに恐ろしいな」


「でしょう?」




 顔を見合わせて、どちらからともなく笑みが漏れた。






* * * * *






 日が天上より少し下辺りに差しかかる頃、次の目的地にわたし達は到着した。


 馬車から降りると石造りの武骨で大きな建物が目の前に広がる。


 少し遅れて警官の乗った馬車も着き、伯爵の指示で彼らは裏口へ回った。


 数段ある階段を上がり、建物に見合った分厚い木製の扉についたノッカーでノックをすると、ゴンゴンと重たい音が響く。


 暫くして手の平一つ分ほどの隙間が開いた。




「……なんだ、またお前さんか」




 そこから顔を覗かせたのはベンジャミンさんだった。


 わたしを見てどこか呆れた表情で扉を大きく開き、横にいる伯爵と、少し後ろに控えるアルジャーノンさんを見つけて眉を顰めた。




「今度は御主人様も一緒か? 何度も急に来られると仕事の邪魔なんだが……」




 棘のある口調で言って、ベンジャミンさんは伯爵をジロリと睨む。


 どうやらあまり貴族に良い感情を抱いていないらしい。


 並の人間ならば怯えてしまうような視線を向けられても伯爵は微動だにせず、それが不満だったのかベンジャミンさんは小さく鼻を鳴らしたが扉を閉めることはなかった。




「で? また見学か?」




「もう充分だろ」と面倒臭そうに腕を組み、出入口に立つ。


 そうではないとわたしは首を振って否定した。




「いえ、今日は違います」


「じゃあ何だってんだ?」


「ディアドラさんの家の庭から遺体が発見されました」


「!!」




 ベンジャミンさんの顔色がサッと変わり、太い腕が伸ばされる。


 だがその腕がわたしに届く前に伯爵が銃口を彼へ突き付けていた。




「私の従者に手荒な真似は許さん」




 もう少しで胸倉を掴みそうだった腕が離れていく。




「……貴族ってのはおっかねぇな」


「全ての者がこうではない。私が特殊なだけだ」


「そうかよ。……トリスタン! 逃げろ!!」




 鼓膜が破れるかと思うほどの大声でベンジャミンさんが叫ぶ。


 そのすぐ後に、どこからか人の争う物音が聞えてきた。


 なかなか落ち着かないそれにベンジャミンさんが微かに笑った。


 その笑みが一瞬、ディアドラさんのものと重なって見え、思わずわたしは声を張り上げていた。




「トリスタン=カーゾン! ベンジャミン=ムーアがどうなっても良いのですか?!」




 トリスタンさんはベンジャミンさんをとても慕っている。


 それを理解しているからか、目の間に立つベンジャミンさんが苛立ちのこもった舌打ちを零す。




「見知った相手だってのに情けはねぇのか」




 睨み付けられて、わたしは微笑み返す。




「ございません。その一人を逃したことで被害者が増えてしまった時にわたしは責任を取ることが出来ませんので。そうならないために、わたしはわたしの最善と思う行動を選びます」


「正義の味方気取りか?」


「そんなつもりはありませんが。それであなたの気が済むのであれば、どうとでも仰ってくださって結構ですよ」




 ベンジャミンさんは苦虫を噛み潰したような顔で口を噤んだ。


 それにしてもベンジャミンさんは逃げるつもりはないらしい。伯爵が促せば黙って従い、建物の外へ出た。一応逃げ道を絶つためにアルジャーノンさんが建物の扉とベンジャミンさんの間に立つ。


 ほどなくして裏口に繋がっているのだろう細い路地から警官に両脇を固められてトリスタンさんが姿を現した。


 銃口を突き付けられてはいるが、無事なベンジャミンさんの姿を見てホッと息を吐いている。


 しかしベンジャミンさんが鋭くトリスタンさんを睨み付けた。




「馬鹿野郎、何で逃げなかった?」




 責める眼差しにトリスタンさんが眉を下げた。




「だって、俺だけ逃げたって意味ないっす。ベンジャミンさんは俺の恩人なのに、置いて逃げるなんてやっぱり出来ないっすよ」




 その言葉にベンジャミンさんが深い溜め息を零した。


 けれど彼がトリスタンさんを見る瞳は仕方のない奴だと言いたげなものだった。


 辻馬車を一台呼び、警官が乗って来た馬車とでそれぞれ二人を分けて警察署へ移送することになり、その二台の馬車を後ろから追いかける形でわたし達も署へ向かった。



 

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