# The fourth case :The people who took the wrong choice.―間違った人々―
道、一路。
この世界に来て約一年。
良くも悪くも、今日も穏やかな一日だ。
事件さえ起きなければわたしの仕事は近侍というもので、伯爵の側で書類整理や過去の事件に関する話し合い――伯爵の父親が当主だった頃の事件を検証しながら互いに意見を出し合い解決させるというものだ。これでわたしの知識を使ったり古い知識の間違いなどを正したり、新しい捜査方法を模索するにはピッタリである――を行う。
伯爵は出不精な所があり、伯爵につかない時は衣裳室で主人の衣類を繕い、革製品の手入れをする。どうしても直せないものは衣類を仕立てた店のお針子に依頼する。
休日は月に二度、一日休みと半日休み。元の世界ではブラック企業バリな労働時間だが個人的には結構気に入っている。倒れてからは休日のどちらかは外出せず体を休めろと言われてしまい、半休は自室や使用人用サロンでまったり過ごす。
本当は外出して王都をもっと見て回りたいんだが。
「セナ、見て見て!」
道に面した店のショーウインドーに顔を寄せていたイルがわたしを呼ぶ。
この前の事件で活躍とはいかないまでも、頑張ったご褒美としてイルとわたしは休みをもらった。
イルには随分と心配をかけてしまったので、何か買ってあげようと思い、今日は一緒に出かけたのだ。
「イル、大きな声を上げてはいけませんよ。周りの方々の御迷惑になりますからね」
「はーい」
わたしの体調を気にしてくれていたイルは、一緒に出掛けるのが嬉しいのか上機嫌だ。
わたし自身もやっと外出許可をもらえて嬉しい。倒れるまで体調の変化に気が付かなかった自分も原因なので、医者から快復の太鼓判を押されるまでベッドの上で我慢し続けたが、やはりすることがないのは苦痛だった。
やや歪な硝子越しに店を覗き込めば綺麗な懐中時計が飾られている。
……ああ、ココが良さそうだ。
基本的に周りの使用人の動きを見て、時刻を告げる鐘の音を聞いていれば必要ないのかもしれない。
それでも、今後のことを考えると持っていた方が便利だろう。
「ココに入りましょうか」
わたしの言葉に焦げ茶色の瞳が丸くなる。
不思議そうに見上げてきたイルの頭を優しく撫でてやりながら店の中へ促すと、扉の上でチリンと小気味良くベルが鳴った。
落ち着いた店内には時計の針の音が静かに響き、奥から店主がやってきてわたし達をマジマジと見た。
「おやおや、お使いですか?」
また子供と間違われたらしい。
内心で若干うんざりしつつ、表には出さずに首を振って笑みを浮べた。
「いいえ、この子が使う懐中時計を買いに来ました」
「それは失礼しました。どのような物をお探しでしょうか?」
「そうですね。……イルはどれが良いですか?」
ぽかんと口を開けて並ぶ時計を眺めていたイルに問えば、悩むように小さく唸って眉を下げる。
そんな様子に店主は苦笑を零しながらも様々な形や大きさの懐中時計を見せてくれた。
どれも繊細な細工が施されており、まるで一つ一つが芸術品のようだ。
わたしには伯爵からもらった懐中時計があるので買わないが、観賞用に一つ欲しいと見惚れるくらいにどれも美しい。
悩みに悩んで
「それでいいんですか?」
「うん、これがいい」
値段はそこそこするが懐中時計は長く使う代物なので、下手に安物を買ってすぐ壊れてしまうより、高くてもしっかりした物の方が良い。
店主に時計の代金を支払い、懐中時計が入った箱をイルに渡す。落とさないよう注意をすると頷きながら箱の表面を大事そうに撫でた。
店主に礼を述べて店を出た。
昼も近いし帰るとしよう。
「そろそろ屋敷へ帰りましょうか?」
「うん!」
たまにはこんな風に買い物するのも楽しい。
「またお買いものしようね!」と見上げてくるイルに頷き返し、屋敷への道のりを歩いて帰る。
屋敷に戻ると見慣れた家紋をつけた馬車が玄関脇にあった。
それに気付かずイルが裏口へ駆けて行く。ややあって遠くで「ただいま戻りましたー!」と声がした。
きっと伯爵のところまで聞こえているだろう大声に苦笑しながら、わたしも屋敷の中へ入る。
そうしてアランさんに捕まったイルはさっそく注意を受けていた。
それでも楽しい気持ちはなくならないようで、イルは反省しつつ、軽い足取りで荷物を部屋へ置きに一目散に駆けて行ってしまう。
遠くで今度は別の使用人に「廊下を走ってはいけないよ」と怒られている声がして思わず笑ってしまった。
「セナ、貴女にもお客様がいらしておりますよ」
「リディングストン侯爵家の方でしょうか?」
「ええ、キース様が。旦那様が帰ってきたら一階の応接室へ来るようにと」
「分かりました、すぐに伺います」
アランさんに礼を述べて客間に向かう。
何かあったのだろうか?
キースは軽い印象があるけれど、実は礼儀正しく、きちんと節度を弁(わきま)えている。
事件が起きない限りわたしも使用人として働く人間なので忙しいが会いに来てくれたら嬉しい。友人同士だからそこまで細かく言うつもりもないが、普段は手紙か何かで前もって連絡をくれるので今日は本当に珍しい。
客間の前で一度立ち止まり、襟を整えてから扉をノックする。
中から聞こえて来た声に「おや?」と思いながら扉を開けて部屋へ入ると、予想通り伯爵がいた。
向かいのソファーにはキースがいて、わたしの顔を見ると眉を下げる。
「いきなり押しかけてごめん」
どこか申し訳なさそうに言われて首を振る。見知らぬ人間ならいざ知らず、友人ならば迷惑などとは全く思わない。
恐らく伯爵は待たせてしまっていた間の話し相手にでもなってくれたのだろう。
紅茶を飲む伯爵にソファーへ座るよう目線で示されたので、それに甘えて伯爵の隣りに人一人分の間を開けて腰掛ける。後はもう我関せずといった体だったので改めてキースに向き直った。
「それで、今日はどうしました?」
聞くとキースは困り顔で頬を掻く。
「あー……ちょっと手伝って欲しいというか、調べて欲しい事があってさ」
「何かの調査ですか」
「ん、まあ、そんな感じ」
チラリと伯爵を見ても、既に内容を聞いたのかこちらを見ない。
とりあえず何も言わない以上は伯爵の許可は出ているということだ。後は聞いてみなければ答えようがなかったのでキースに詳細を聞いてみた。
今回頼みたい内容はキース自身ではなく、彼の友人が気になることらしい。
キースの友人は学院で医学を学んでいるそうだが大きな商会の三男坊で身分は平民。その人は努力が実って二年ほど前に学科を解剖学部に移動し、今は医者を目指しているそうだ。
そこまではキースの友人は努力家で勤勉な素晴らしい人物なのだなあ、という話しなのだが。
「問題はここからなんだ」
解剖学というのは文字通り、生物の体を切り開いて構造や状態を学ぶ――……ハッキリ言ってしまえば人体の構造を知るためにバラバラに分解して学ぶ場所なのだが、その解剖学部で使われる遺体を調べて欲しいとのことだった。
「確か解剖に使われる死体というのは希望を出した一般人だけでなく、死刑囚や浮浪者もいると聞きましたが、そういう方々の遺体は自然死ではありませんから気になってしまうのでは?」
「いや、あいつはそれ以外の、一般人の方の献体に違和感を覚えてるみたいでさ」
「つまり、その違和感の原因を突き止めれば良いんですね?」
「ああ、それなんだけど――……」
キースの友人がいる解剖学部で使用される献体は若い女性や男性であったり、年老いた男性であったりと様々な遺体が出てくるらしい。
しかしそれが事件に繋がると断定できないのは、この世界の医学に関する考え方や在り方にもある。
貧しい者は家族が亡くなっても葬式すら出来ない場合が多く、大抵は遺体を学院に渡してしまう。医学に貢献する名誉よりも、葬式をせずに済む点と遺体を提供した遺族に支払われる報奨金の方がずっと魅力的なのだ。
そういうことなので、献体が老若男女であっても不思議はない。
最近では貴族や豪商の間でも『自身の死後に学院へ遺体を提供して医学に貢献する』というのが流行っているらしい。それもあるので気になっても事件かどうか表立って調べられないのだとキースが項垂れた。
警察を取り仕切るリディングストン家の者の動向は嫌でも目立つ。
周囲に気付かれないように彼が調べるのは難しいだろう。そもそも学部も違う。
何より解剖中は首から上が隠され、頭部には手を触れてはいけないので遺体の身元は分からないそうだ。
献体側のプライバシーに配慮してのことだ。
例え流行りであっても献体が誰であるか暴くのは本来マナー違反で、遺族や亡くなった本人の名誉を逆に傷付ける可能性も少なくない。
「一時期は女ばっかの時もあったみたいだけど、その後は暫く死刑囚や浮浪者が続いて、最近また女だったり男だったり。明らかに死刑囚や浮浪者じゃない死体が解剖に回されてるっぽいって話だ」
「他の学部の献体は? 大学全体で纏めて集めているのでは?」
「医学部に行ってる奴の話を聞く限りじゃあ殆どは死刑囚か浮浪者だって言ってた。集めるのは学部を担当する教授だから、やり方はそれぞれだってさ」
「献体が誰であるか分かるのは教授だけなんですね」
「そういうこと」
解剖学は医術を学んでいく上でとても大切なことだ。人体の構造を知らなければ医者は務まらない。
だが解剖学と似たような医学部であっても部が違うと互いにあまり干渉しないのが暗黙の了解で、部内の話は滅多に漏らせないのだとか。そんなでは医学もなかなか進歩しないだろうに。
せっかく新しい発見をしても、それを共有出来なければ何時まで経っても進展は見込めない。
そう零すと伯爵がやっと口を開いた。
「自身の功績にしか興味のない者ばかりだからな」
「偉業を自分のものにしておきたい訳ですね」
「平たく言えばそうだ。年に数回ある学会で公表すれば、その功績は公表した者に与えられる。それが素晴らしいものであるほど国からの援助金も増える」
援助金が多ければ様々な実験が出来、また、数多くの献体も募ることが出来る。
互いの情報を公開したがらないのも頷けた。
キースもそこまで内情は知らなかったようで「……なんか幻滅するなあ」とげっそりした表情を見せる。
とりあえず話を元の方向へ軌道修正すべく、わたしは軽く咳払いをした。
「ともかく、キースの御友人が通っている学部の献体について調査すればいいんですね?」
「事件かどうか分からないのに悪い」
すまなそうに眉を下げたきースへ、気にするなという意味も含めて首を振る。
「構いません。今は特に依頼もありませんし、もし何かしら事件性があるのならば何時かは調べることになりますから。何の問題もなく杞憂で終われば、ただの笑い話で済みますよ」
「……ごめん、ありがとな」
「いいえ、友人が困っていたら助けるのは当然でしょう?」
キースが嬉しそうに笑う。
「セナ、やっぱりお前カッコイイな」
「何ですか藪から棒に。急に褒めても、何も出ませんからね?」
「知ってる。そう思ったから言っただけ」
わたしはキースの率直に人を褒められる所が好ましいと思ったが、気恥ずかしくて口には出せなかった。
最後まで無言を貫いた伯爵だが、耳を傾けてはいるので興味があるはずだ。
キースは警察と馬が合わないから此方に来たのだと思う。リディングストン家は警察を牛耳るトップで、若い上に嫡男でありながら家を継がないと決めており、下にいる警官達からすれば気に入らないのも仕方がない。
何は兎も角、友人に頼ってもらえるのは非常に嬉しいので調査は全力でやろう。
その解剖学部の友人からも話を聞きたいので、後日リディングストン家の屋敷に行くことになった。
「暫くの間、お前は其方を優先させろ」と伯爵に言われたので「畏まりました。全力で当たらせていただきます」と返せば眉を片方上げられる。何時もは違うのかとでも言いたげだった。
近日中に友人と会えるよう手配すると約束し、少しスッキリした顔で帰って行くキースを見送り、応接室に戻る。
伯爵はまだソファーにいてクッキーを摘んでおり、そういえばもう昼食の時間を過ぎてしまったことに気付く。話を聞くのに夢中でそこまで頭が回らなかった。
「伯爵、御昼食は宜しかったので?」
「お前が帰って来る前にキースと共に軽食で済ませた」
「左様でしたか」
わたしがそう口にすると同時に、ぐうと腹の虫が鳴いた。自覚すると空腹を感じる。
伯爵が目を丸くした後に声を上げて笑い出した。
弾けるようなそれに驚くわたしを他所に伯爵は「他人の腹の虫が鳴るのを聞いたのは初めてだ」と笑いの滲む声で言い、手招きをする。
ムッとしながらも促されて椅子に座る。
「使用人食堂の方も、もう片付けてしまっているだろう。此れでも食べておけ」
差し出された家政婦長のベティさんお手製ジャムとクリームのスコーンは、冷めても絶品だった。
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