夢、九夜。



  



「出来ればお前を助けたい。そうして、時には私の手助けをして欲しい」


「……アンタを、助ける?」




 訳が分からないと眉を顰める黒い目を見つめ返す。


 そこで視線を逸らしたら最後、二度と己の言葉は届かないという確信があった。




「そうだ。他人が思っているほど私は賢くも強くもない。こんな風に周囲の人間の気持ちにすら気付かない愚か者だ。だから、お前から見て私が間違っていると思ったならば指摘しろ。私が分からないことを教えてくれ。代わりにお前の知らないことは私が自ら教えよう。……拾ったのは、他でもない私なのだから」




 保護者と被保護者という関係だけでは恐らく互いを理解することは出来ない。


 それなら、そんな枠など越えた関係を築けば良い。


 瞬いた黒い瞳から、また涙が溢れ出す。


 対等な関係になる。それは私の立場上ハッキリと口にすることは出来ない。伯爵という地位故に冗談であっても口に出すことは許されない。


 それでも遠回しな言葉の意味を理解したのか、セナは泣きながら「恥かしいヤツ」と零した。




「伯爵なのに、こんな、自分勝手な跳ねっ返りの馬鹿に膝付いて。……アンタ、とんでもないお人好しだよ」




 涙声にクロードは苦笑を浮かべた。




「そんなことを言われたのは初めてだな。それに、先ほどの言葉はではなく私の言葉だ。地位は関係ない」


「……そういうの、屁理屈って言うんだけど」


「知っている」




 わたしに負けず劣らず馬鹿だねと笑った、歳相応の嫌味も邪気もないセナの表情に心底ホッとしたのを覚えている。


 その瞬間こそが真実、出会いの始まりだった。


 それから警察もその件に関して再捜査を行い、数日後には絞首刑に処された者は冤罪で、セナが追いかけ、その件で警察署に拘留されていた者が真犯人であったと辿り着いた。


 それと同時に少しずつセナは喋るようになった。出自や育った場所などは口にしなかったものの、考えや思い、自分の持つ知識などを告げ、時に事件解決の糸口を気付かせてくれた。使用人として丁寧な口調になってしまったものの、変わらずに物申す様も大分板についた。


 何だかんだ言いつつ今では良き従者として、良き相棒としてセナは傍らにいる。




「……信じずとも良いと言ったが」




 今は信じ、頼られていることを嬉しく思う。


 信頼には信頼を返さなければ得られない。全く以てその通りだった。


 あっという間に過ぎた月日の中で、お互いの関係は目まぐるしく変わった。


 クロードはセナの前でならば己の感情を口にし、セナへの教育の采配や内容を決め、セナが何を知りたいのか常に確認し、その結果として意見を出し合ったり弄って遊ばれたりするくらいには気を許す仲になっている。


 例え何が起きたとしても、もう出会った当初のような失態は犯さない。




「旦那様、御到着致しました」




 かけられた声に返事をし、開けられた扉から馬車の外に出る。


 出会ったあの頃へ近付く季節にふと笑みが零れ落ちた。


 御者に待っているよう言付けてアンディと共に安置所へ入る。


 嗅ぎ慣れてしまった嫌な臭いに気を引き締めて、クロードは受付に向かった。






* * * * *






 伯爵が出掛けてから一眠りして、次に目を覚ました時には昼を少し過ぎた辺りだった。


 懐かしい夢を見た。まだ拾われたばかりで、近侍になる前のことだ。


 サイドテーブルに置かれた水差しから中身をグラスに注ぎ、渇いた喉を潤す。思っていたよりもわたしは疲れているようで、散々寝てもまだだるい体が少し忌々しい。


 ……さてはて、伯爵はもう帰って来たかな。


 それともまだ出掛けているのか。


 きっと馬車の中で溜め息でも吐いているんだろうなあと想像してみて、あり得ると思ったら笑いが込み上げてきた。


 一年も側に仕えてこんなにも相手の考えていることや行動が分かるようになったけど、出会った当初はギスギスした冷たく嫌な関係だった。


 この世界に来て、初めて人前で泣いたあの日、伯爵の言ってくれた言葉が嬉しかった。


 保護者と被保護者の関係を壊すことは出来ないがらお互いを理解するために出来る限り対等でいよう。そう言われたも同然だった。


 ……思い返してみても、かなり恥かしいことを言われたもんだ。


 言った本人は全く照れていなかったのが悔しいが、あの言葉のお陰でわたしは伯爵を信じてみようと思い直すことが出来たのだ。


 伯爵という立場ではなく、個人としてそうしたいのだと言ってくれたからこそ信じる気になれたのかもしれない。


 過程はどうであれ今は冗談を言い合える程度には良い関係を築けていると思う。


 ちょっと過保護というか「アンタはわたしの父親か!」と言いたい時もあるけど、それも心配してくれているからこその態度と言葉なので鬱陶しさはない。


 元の世界に帰れるのなら帰るべきだと思う。


 けれども帰れるとしても両手放しで喜べないくらいには、今の生活が好きな自分もいる。


 勿論、元の世界でわたしの扱いがどうなっているかによるが。行方不明であれば家族には申し訳ない。


 ココに来る前の記憶は切れ切れだが思い出した。


 わたしはあの日、友達と遊んでいた。


 カラオケに行ったりファストフードを食べたり、ごく普通の女子高生らしく過ごし、その後は友達と別れたのか一人で歩いていた。


 その時に背後から眩しいライトに照らされて、記憶が途切れ、気付けば雨の中で伯爵と出会ったのだ。


 この世界でも楽しみや喜びを感じられることがあり、一つ一つを毎日重ねる度にわたしの存在は確かな厚みを増して世界に馴染んでいく。


 たまに元の世界を思い出して感傷的になってしまうが、わたしを信じ、必要とする人がいる限りは前を向いて生きると決めた。


 ……帰る手段も分からないままだしね。




「まあ、目下の目標は一日も早く元気になって近侍の仕事に復帰することかな?」




 正式に近侍になってからは「クロード」と呼ぶことはなくなったけど、以前みたいに時々は呼んでみようか。


 怒るかな。それとも驚くかな。


 両方だったら面白い、なんて考える今のわたしはとても意地の悪い笑みを浮べているに違いない。






* * * * *






 安置所の地下へ続く階段を下りながら強くなっていく不快な臭いに、クロードは秀麗な顔を歪めた。


 アンディには隣接する警察署へ手紙を届けるように言っていたため側には誰もいない。


 他に安置された死者達からも漂う腐臭は混ざり合い、最悪である。


 冷たい石の壁が伸びる通路を進み、今回の事件の被害者達が安置された小さな室内に足を踏み入れた。


 扉がない部屋の中央にはより分けられた遺体の破片が五つの布に並べられ、判別出来なかったのであろう大量の残りは隅に敷かれた布の上に置いてある。




「……何度見ても気分の良いものではないな」




 溜息を零しつつ並ぶ布の脇に膝をついて検分する。


 破片の断面は骨ごと綺麗に切断されており、目立った血の汚れは見られない。細切れ、という表現がピッタリな様子にブルーグレーの瞳を眇めた。


 何故犯人は被害者達の遺体をこんなに細かくする必要があったのか?


 持ち運ぶにしたって随分と手間がかかる方法だ。


 それとも殺害した相手を解体することに悦びを感じる狂った者の犯行なのか。


 何(いず)れにせよ、死体を細かくすることに何かしらの意味があるはずだ。


 破片を一つ一つ確認していく。手袋越しの嫌な感触を無視し、クロードは淡々と作業を繰り返した。


 血が染み込んでしまった手袋を新しいものに取り替えたり、パズルを組むように破片を繋ぎ合わせたり。時間を忘れてクロードは意識を集中させる。


 ゴツゴツと石壁を叩く鈍い音に振り返れば、見慣れた大柄の刑事が燭台を持つアンディを伴い出入り口に立っている。




「すみませんね、お待たせしました」




 大柄なせいか、やや窮屈そうに頭上を気にしながら入ってきた刑事は室内の臭いに小さく呻いたがクロードは気に留めなかった。




「遺体を検分しなくては始まらんからな」


「そうですかい。……そういえば今日は坊主を連れてないんですねえ。あのちっこいのも」


「セナは体調を崩している。それに、いくら何でもイルフェスにこれはまだ早い」


「確かに、こりゃあ子供が見るモンじゃない」




 刑事が納得した様子で頷く。


 そうしてクロードの手元を見て驚きに声を上げた。


 何人もの警察達によってより分けた死体の破片が更に分けられ、繋ぎ合わせられていたのだ。驚かない訳がない。




「あーあ、旦那には敵いませんぜ。こっちは徹夜でやってもロクに進まなかったってのに」


「一つ一つをもっと観察しないからだ。肌色や筋肉の付き方など特徴はある」


「俺も部下達も悲惨な遺体ってのは大分見慣れましたがね、これは流石にそんなマジマジと見られないですよ。集めるだけで吐いた奴もいましたし、触れるのは長年勤める者か度胸のある者くらいです」




 クロードが小首を傾げる。




セナうちのはバラバラに切断されたものだと言ったら興味を示したぞ。むしろ検分について行けないことを残念がっていたが」


「……旦那、あの坊主はちょっとどこかズレてやしませんかい?」


「否定は出来んな。アレは元々、自ら事件に首を突っ込みたがる性質たちだ」


「ああ……」




 感心と呆れがい交ぜになった声音で刑事が納得した。


 そうして、それぞれ遺体の破片に意識を集中する。




「生前の姿が分かればもっと楽なんだが」


「まだ被害者の身元は割り出し中なんですよ」


「だろうな」




 刑事のために少し脇に避けつつ、まだ残る破片を摘み上げる。


 暫し手元を観察してから右側の隅に寄せた。


 刑事も面倒臭げに手袋をはめると嫌そうな顔を隠さないアンディを巻き込み、破片のより分け作業を再開する。


 黙々と死体を分けていた三人だったが数十分と経たずに無言で顔を見合わせると、立ち上がって部屋を後にした。死臭漂う階段を上がって外へ出たクロードは、人目がないのを良いことに腕を左右へ大きく広げて深呼吸し、固まった上半身を解すように背を反らせた。ゴキリと軽快な音が響く。


 後ろの扉から出て来た刑事も首を左右に折って音を鳴らす。




「やってられんな」




 どす黒く染まった手袋を捨ててクロードは投げやりに言い「全くですぜ」と刑事も同意した。


 アンディは深呼吸をした後に自身の服に臭いが付いていないかしつこく袖口に鼻を寄せて嗅いでいる。


 何の証拠も見付からないまま延々と死体を相手にパズルを続けたところで何の収穫も無い。冷淡と思われるかもしれないがやるだけに感じる。


 襟に鼻を寄せると独特の腐敗臭に加えて別に嫌な臭いがする。


 鼻腔を刺激する臭気それは考えるまでもなく発見された下水の臭いだろう。


 大体の遺体は確認出来たので屋敷へ戻るか。


 結局遺体を検分したところで得られたものは少なかった。切れ味の鋭い刃物で刻まれたこと、遺体の破片がほぼ同じくらいの大きさに切られており犯人はやや神経質な傾向にあること、どれも筋肉質なところを見るに遺体は男ばかりであることなどだ。


 発見現場にも足を運ぶべきだろう。だがこんな臭いをさせたまま街中を動き回りたくない上に、時間的にももう外は薄暗く、下水道へ下りる梯子を使うにも足元が危険だ。


 欠伸を零す刑事を「私は屋敷へ戻る」とその場に残し、クロードはアンディを連れて安置所の一階へ上がり外へ出る。


 待たせていた御者がすぐに主人に気付いても馬車の扉を開けた。乗り込む際に御者が一瞬眉を下げるのが見えたが、依頼がある度にそうなので気にはすまい。


 御者へ屋敷へ戻る旨を告げれば「畏まりました」と返事があり、馬車が走り出す。


 クロードは黙って窓を開けた。


 吹き込む温い風を感じつつ思考する。


 腕や足などの主要な骨や背骨が見当たらなかった。頭蓋骨もなく、残っていたのはまさに肉片と小骨ばかり。これは憶測だが、犯人は太い骨を切断出来るほどの刃物は持っていないのだろう。


 だから主要な骨が見当たらないのだ。


 そして何故、主要な骨も共に捨てなかったのか。


 見方を変えて見るならばとも言える。


 クロードは車窓へ視線をやった。


 ――――私ならばどうするか。


 死体は扱いに困る代物である。埋めても腐って臭いが周囲に漏れ、移動させるにしても大き過ぎて人目に触れる。焼くには水分を含み過ぎて燃え難く、焼けても原型がある。ついでに短時間ではそう簡単に燃え切らない。


 まず、移動するために解体したとしよう。


 あれだけ細かくすれば数回に分けて運ぶことも出来る。密閉性のある物に入れておけば臭いの心配も減り、人目にも触れ難くなる。


 しかし、その場合は骨を断つ手間が出る。人間の体は骨を切るのも外すのも非常に面倒な力仕事である。


 発見されたのが下水というのも謎だ。


 王都では下水は大きな汚れを漉してから河川へ流すため、いずれは発見されると分かるはずだ。


 それは庶民ですらそれは知っている。


 確かに河川は海まで繋がるが、今回のように下水の掃除夫などに発見される可能性も充分にあった。


 えて死体をそこへ捨てた理由は?


 ……深読みするとキリがないな。


 溜め息交じりに前髪を掻き上げるのと同時に馬車が止まり、御者の声がした。


 思考に没頭している間にかなりの時間が経っていたようだ。


 馬車から降りて玄関ホールで主人を出迎えたアランに入浴したいと告げ、自室近くの浴室へ向かう。アンディにも「お前も臭いを落とせ」と言えばあっさり「ありがとうございます」と返しながらもついて来る。


 外の空気を吸うと臭いが余計気になった。


 浴室に入ればアンディの手によって靴や服が脱がされる。途中でアランがアルジャーノンと共に湯と水を運び入れ、浴槽に湯を溜め始め、その間に己で体を洗った。


 アンディはアラン達と入れ替わるように出て行く。


 少し熱めの湯が出来上がると体の泡を落とし、湯に浸かる。アルジャーノンが風呂の縁に乗ったクロードの頭にゆっくり湯をかけて軽く汚れを流し、洗髪用の石鹸をつけて丁寧に頭皮を揉み解す。


 頭を洗われている間、ぼんやり天井を見やった。




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