実、五口。
「――……そうでしたか。今まで、さぞや辛い思いをしたでしょう。
三十代後半ほどの神父に
隣りには今し方『父を幼くして亡くし、母とその恋人に放置されて育った遠戚の捻くれた少年』であるわたしを孤児院へ預けることになった経緯を話し終えたエドウィンさんが、滑らかな手付きで書類にサインをしていた。
使いでも頼むような気軽さで伯爵に教会へ行けと告げられた日から二日後。つまり今日の午前中にアランさんが用意したという大きさの合わない擦り切れた古着や靴をいくつか渡され、それらの一着に着替えて全身を少しばかり灰で汚し、髪は適当な古い紐で粗雑に
午後一番にエドウィンさんが来る頃には、貧困層の子供が出来上がる。
教会まで一人で行くものだと思っていただけに彼の訪問に驚いたし、薄汚れた古着を着た孤児姿のわたしをエドウィンさんも目を丸くして二度見したので、お互いに予想外の出来事だったのは一目瞭然だ。
身元のしっかりした人間の口添えと
知り合って間もないエドウィンさんを後見人にする理由は、伯爵が後見だと色々都合が悪く、警官のエドウィンさんならば伯爵と面識があっても不思議じゃあないからだ。
だとしても、そう簡単に
書類が神父の手に渡るのを横目に、内心で溜め息を漏らす。
それなりに年齢が上だからか個室を使わせてもらえるようだ。書類上は男で通っているので有り難い。大部屋の共同生活では着替えなどを見られたら絶対に隠し通せない。
エドウィンさんが帰るのを神父と見送り、敷地内を案内される。教会は礼拝堂、懺悔室、応接室、トイレがあり、外に井戸が一つ、教会に併設された孤児院は食堂、厨房、食料貯蔵室、倉庫、洗濯場、神父やシスター達の部屋、子供達の部屋、トイレ、屋根裏、そしてわたしの部屋。案内中にそこかしこで子供達の笑い声が聞こえ、裕福とは言えないが穏やかな空気が漂う。
「なんか手伝うこと、ある?」
一通り案内を終えた神父と別れて少ない荷物を自室に置き、暇潰しがてら食堂へ行くと、奥の厨房に数人のシスターがいた。多分二十代後半から四十代くらいだろう女性達は食事の支度に追われている。
いきなり話しかけたからか、全員が驚いた様子で振り返ったものの、わたしを見て微笑む。
「あら、もしかして今日来るって言ってた子かしら?」
「そう。俺のことはセナって呼んで。よろしく」
「よろしくね。じゃあセナ、まずはこのじゃが芋の皮剥きをしてちょうだい」
「ん」
野菜を切る茶髪のシスターの一人から小さいナイフを受け取り、邪魔にならない足元の隅の方に座り込んでショリショリと芋の皮を剥く。出来るだけ薄く剥こうとしてみたが、あまり上手くいかず、シスター達の生温かい視線を頭頂部に受けつつ専念する。
元の世界でも時々夕飯の手伝いをしていたっけ。
あちらには便利な
慣れない手付きでじゃが芋の皮剥きをしたり、大量のキャベツや玉ねぎを切ったりして手伝いを終えると「ありがとう、助かったわ」「夕食までまだ時間があるから教会の中を少し見回ってみたらどう?」「もし良ければ子供達の相手をしてあげて」というシスター達の言葉に従って食堂を出て笑い声のする方へ行ってみた。
その結果、気付けばわたしよりも小さな子供達に囲まれていた。
小さな女の子に手を引かれながら、知らず、小さな溜め息が漏れてしまう。
「あー! セナためいきついたー!」
「ためいきつくと、幸せにげちゃうってシスターがいってたよ!」
「ためいきダメー!」
「ああ、はいはい」
キャッキャと楽しげに騒ぐ子供達は可愛いが、その元気の良さにはついて行けない。
だけど無条件に信頼する真っ直ぐな瞳を裏切る気にもなれず、若干面倒臭く感じても遊びに付き合ってしまう辺り、わたしもまだまだ甘いのだろう。
どうせ仕事らしい仕事もないのだからと開き直って周りにいる子供達を見下ろす。
それから屈んでキラキラ輝く複数の瞳に目線を合わせた。
「で、何して遊ぶ?」
そう問うと嬉しそうに笑って「おいかけっこ!」と全員が声を揃える。
……これはまた健康的で体に良さそうな遊びだな。
年上だからということで鬼役を買って出ると、子供達は一斉に蜘蛛の子を散らすように中庭を駆けて行く。それらを見て、十秒数えた後に子供達を捕まえるため足を動かした。
すぐに捕まえてしまってはつまらないだろうから、早足程度で色んな子を追いかけ、時折捕まえて鬼を交代する。逃げる時はやや小走りで移動しつつたまに捕まってやる。
そうすると子供達は歓声を上げて大層喜ぶのだ。
やがてわたしが疲れて「ちょっと休む」と言えば、彼らはわたしを抜きに遊びに夢中になるのだから凄い。大人よりも子供の方が体力がありそうだ。疲れ知らずなのかもしれない。
飽きもせずに走り回る子供達を眺めていたら背後より声をかけられた。
「子供達を見ていてくれてありがとう」
振り返ると洗濯カゴを持ったブロンドヘアのシスターが立っていた。
子供達と遊んでいるところを見られたようだ。
優しく微笑むシスターの雰囲気に、何となく気恥ずかしくなって素っ気なく返す。
「……別に」
しかしシスターはわたしの態度に気分を害した風もなく去って行った。
柔らかな日差しが降り注ぐ孤児院の庭は笑い声で包まれている。
実は、今回の事件で最も行方不明の子供が多かったのがココだ。
最初に会った神父と先ほど会ったシスター達、後は慈善活動で貴族の女性が時折訪れるが、仕事や家事をしながら子供へ気を配り続けるには人手が足りない。それに敷地を隔てるのは石を積み上げた古い塀と錆びた門扉の柵くらいで、誰でも簡単に出入り出来てしまう。
「セナ、あそぼう!」
ベンチから立ち上がったわたしに気付いた小柄な男の子がパタパタと駆けて来る。
その柔らかそうな茶色の癖っ毛を軽く撫でて、子供達の輪に戻った。
「影鬼でもするか」
「かげおに?」
「そう、追いかけるやつに影を踏まれたらダメなんだ。やり方は――……」
新しい遊びは子供の心を鷲掴んだようで、先程まで追いかけっこはどこへやら、さっそく鬼役のわたしから声を上げて逃げていく。あんなに走り回っていたのに本当、元気だなあ。
そんなわたし達を一対の瞳が見ていたことにその時は気が付かなかった。
* * * * *
教会に来てから三日が過ぎたが、孤児院は平和の一言に尽きる。
買い出しにかこつけて町でも色々と情報を集めてみてはいるけれど、子供が行方不明になったという話は聞かない。どうも近所の子供がいなくなること自体は然程珍しくないらしい。貧しくなれば身売りや捨て子もよくあるそうな。
考えてみれば、この世界のこの時代で国民全ての戸籍管理なんて無理だ。
わたしのように後見人のいる孤児の方が恐らく少数派で、殆どの孤児は親や親戚もおらず、身元も判然としないまま孤児院付きの教会で育っていくのだろう。
ぼんやりと考え事をしていたせいか、横を歩く金髪のシスターが振り向いた。
「何か欲しいものはあったかしら?」
柔らかな微笑に首を振る。
食材や足りない生活必需品を買いにシスターと共に近くの市場に来ていた。
「別にない」
「そう? 高い物は買えないけれど、必要な物は気にせず言ってね」
そもそも沢山いる孤児の生活費だって馬鹿にならない金額のはずだ。余計な物を買う余裕もないだろう。気遣うようなシスターの視線と目を合わせず前を見る。
わたしはこの件が片付けば伯爵の下へ帰るのだから、必要最低限あればいい。
軒を連ねる店を冷やかしながら歩いていたけれど、やはり欲しい物はなく、シスターは何故か少し残念そうな表情をした。「子供はもっと甘えるものよ?」なんて言われてとりあえず返事をしたが、年齢を大幅に勘違いされているのが分かって切ない。
不意に見知った顔が視界の端に映り込んだ。
一瞬気のせいかとも思ったが、不自然にならない程度に再度視線を向ける。見知った横顔が少し離れた店で買い物を済ませていた。髪の色は違うが見間違えるほどありきたりな顔立ちじゃあない。
仕方なく別の店を見ていたシスターに声をかける。
「シスター、ちょっとオレ行ってくる」
大した物も買っていないので荷物運びに困ることもないだろう。
突然のわたしの言葉に、綺麗な空色の瞳を丸くしてシスターは首を傾げた。
「え? 行くってどこへ?」
「友達がいた。すぐ戻るから」
「あっ、ちょっと、セナ!?」
持っていた紙袋を押し付け、後ろから聞こえる制止の声を振り切って人混みの中へ混じる。わたしよりも背の高い人々の体に遮られて見失い、追いかけて来れないはずだ。
少し離れてから振り返ってみてもシスターの姿は影も形もない。
近くの脇道に体を滑り込ませ、やや乱れた息を整えていると目の前に赤が差し出される。
赤々と熟した
苺を受け取り、その男性にわざと呆れた色を込めて問いかけた。
「こんな所で、そんな格好で、一体何をしているんですか?」
着古されたワイシャツに鳶色のベストとズボン、ちょっと擦り切れて良い味を出した上着が妙に似合う。肌は日焼けしたように黄味がかり、乱れた髪が目元に影を落として顔立ちをぼかす。
そんな出で立ちの伯爵が、これでもかと苺の詰まった紙袋を片手に抱えて立っていた。
本来なら目立つ銀灰色の髪と色白の肌がないだけで印象がガラリと変わる。
伯爵は苺を口に放り込んだわたしを見てバツが悪そうな表情をした。
「進展がないか気になっただけだ」
「何かあったらエドウィンさん経由で報せることになっていたはずですが」
突っ込むと口を引き結んで黙ってしまった。つい笑みが零れる。
「心配してくださったんですか?」
「まあ、お前を放り込んだのは私だからな。……そんなに
「いいえ、良き主人の下で働けてわたしは幸せ者ですね」
茶化し気味に返したら睨まれた。
その仕草がちょっと子供っぽくて可愛かったが黙っておこう。
話題を変えるついでに疑問を口にする。
「そういえば、あれから失踪者は出ましたか?」
「今のところ報告は上がっていない」
「もし既に王都の外へ逃げられていたとしたら頭の痛い展開ですね。犯人逮捕どころか事件すら解決出来ない可能性も……」
「言うな」
多少身に覚えがあったのか、口の端を微かに引き攣らせた伯爵に合掌しておく。
何にせよ犯人の動きが掴めない以上は手の出しようがなく、わたし達はあちらの出方を待つしかない。果報は寝て待て。急がば回れ。闇雲に動き回って状況を悪化させることだけは避けたかった。
「ともかく、わたしは引き続き教会で様子を見ます。――…さて、伯爵」
「何だ」
「さっきからずっと気になっていたのですが、その苺はどうするおつもりですか?」
「……」
赤々と自身の存在を主張している苺を指差すも、返ってきたのは沈黙だった。
苺と伯爵を交互に見ると気持ち憮然とした顔で紙袋を押し付けられる。
「好きにしろ」
仲の苺が潰れてしまわぬように抱え直すと甘酸っぱい香りが鼻を
「ありがとうございます。子供達と食後のデザートにいただきますね」
人数が多いので口に入る数は少なくなるが、子供達はきっと喜ぶ。
「あまり深入りするな」
眉を
「御忠告痛み入ります」
「……もう遅いか」
「あはは、バレましたか」
子供に純粋な好意を向けられて何も感じないわけじゃあない。
しかし情を分けてしまえば、それだけ別れが辛くなる。
「でも大丈夫ですよ。踏み込むことと、懐に入れることは違うので」
伯爵へ背を向け、大通りへ歩きながらそう返す。
そろそろシスターの下へ戻らなければ。無理やり振り切って来てしまったし、戻ったら怒られるかもしれないが、そこは甘んじて受けよう。この苺はご機嫌取りに使わせてもらおう。
「……本当にお前は
腑に落ちない様子の声は聞かなかったことにした。
そんなこと、伯爵に言われるまでもなく自分が一番知っている。
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